21日に冒頭に加筆をしていきます。その部分は、副題のナンバリングを、カタカナで、致します。
副題イ、『この一文は、20日に完成をさせる心づもりでいました。ところが、その夜、起きてから、たった、11時間で、猛烈な睡魔に襲われて、これを完成させることができませんでした。久しぶりに、外部からの肉体への攻撃が行われたかと、思いました。ときどき、とても重要な段階に、このブログが達すると、それが起きました。その上誰か、記録をとってはいませんが、井上ひさしについて、書かれている文章を検討している際に、「これ以上書くと、また睡魔に襲われるので、本日は、ここで、書きやめておきます」というのを見つけました。今でも、それが、残っているかどうかは知りませんが、15年ぐらい前に、初めて、井上ひさしについて、ネット検索をしたところ、多数の人物が、井上ひさしとは、恐ろしいとか、悪者であると、言う証言をしている文章(ブログ類だったかな?)を、見つけたものです。ただし、それらの多数の人も、そのほとんどが、現状では、井上ひさしは、死んでいると、考えているでしょう。
しかし、わたくしは彼から、日常的な攻撃(ご近所様の動きでそれがわかるのだが? ご近所様は、井上ひさし → 伊藤玄二郎、→ 小野寺夫人 → 各戸の住人という形で、動くラインが一つと、
井上ひさし → 鎌倉警察署生活安全課・課長 → 安野夫妻 というラインと、
石塚雅彦 → 三井物産社員、中谷某、→ 大原光孝と、言うライン他、複数あります。その中には、伊藤玄二(かまくら春秋社社長が、松尾崇 鎌倉市長を使うラインもあると、思います。この一五日だったか、鎌倉市防災無線と、鶴岡八幡宮が、ダブルで、対・私への攻撃用、音声(八幡宮の方は、異様な形での大太鼓の、たたき方)を流しました。で、それを分析するに、
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副題ロ,『井上ひさし(まだ、実際には、生きていますよ)は、我が家の電話の盗聴が、すべて、じかに入るので、わたくしが、13日の夕方に、NTTへ、電話をかけて、修理を願ったことは、驚いていたが、一方で、それの、連絡方法を、引き伸ばし続け、修理日の設定が、実際に請け負われたのが、14日の午後であった。NTTは、自動音声対応の、0120-506-506 から、テクニカルサポート0120-047-860(これも、自動音声対応だが、わたくしは、秘訣を知っているので、サポーター=生きている人間=対応にしてもらったが、)電話サポートだけでは、治らず、具体的な人員が、派遣をされて、直してくれることになった。のだが、そこまで、事が進んで、実際に、0120ー412-310という番号の、担当者に申し込んだのが、14日の午後だったのだけれど、工事をするスタッフが、来るのは、結局のところ、19日と設定をされた。
こういう電話なのだけれど、保留音にされて、長時間待たされることが普通なので、主人のスマホと、わたくしのスマホの、両方を使って、申し込むことが多い。
で、0120-506-506には、三回申し込んでいた。ひとつ、三つ目に、かけたものが、わたくしが、上手に動いたおかげで、人員対応をしてくれて、上のごとく、事が進行したのだけれど、その電話以前にかけた、二つの申し込みが、それが終わってから(実際には、10時に電話をかけて、その二時間後)応答の、電話をくれた。それで、そこに出た、女性に対して、わたくしが、文句を言った。それが、すべて、録音をされているそうで、わたくしが、クレーマーの常連であると、言うことにされるのだと、思う。
なぜ、私がクレーマーであることが、必要なのかというと、お子様が、東大宇宙工学研究所の所長をしていて、宇宙飛行士の、山崎直子さんや、JAXAのスポークスマンである、津田某氏を育てた可能性が高い、中谷某氏の、父親、中谷共二氏が、北久里浜の大詐欺事件(実質的には、2000坪を、ただで、私有化した、人物がいる。だけど、法務局へ出す地積変更届という書類上の仕組みを利用していて、犯罪として、成立しない様に、企んである。その中心人物は、益山重夫という元海軍参謀であるが、その詐欺事件の最中に、急死している。妻の智恵子さん(都立大学卒・・・・・したがって、都立大学が、首都大学と改名をさせられた)が、1978年10月11日の、夕方、私をひき殺そうとしたのだが、失敗をして、わたくしは、すぐさま、それを、弁護士さんに、自宅の電話からと、公衆電話から、ダブルで知らせてある。
そういうことになると、犯罪が、成立してしまう。殺人未遂だ。私があの時点で、週刊誌各社に、情報を漏らしたら、それは、成立する。しかし、この事件に関して、わたくしは、二人の東大卒の弁護士と、相談をしていた。で、その二人が、相手が、大きすぎるので、事を荒立てない様に、とおっしゃったので、週刊誌等に、情報を流していない。で、益山重夫は、妻に命令した結果が、大失敗に終わったのを知ったので、循環器系の、発作(脳溢血等を起こしたのか)、または、青酸カリ(元参謀だから、自決用の青酸カリは、常に、身近においていたでしょう)を飲んだのか、どちらかで、その夜に、急死した。
それで、急に戦後最大の、CIAエージェントである、瀬島龍三、(大建産業 → 伊藤忠、トップ)、元陸軍参謀が、乗り出してきた。私は、益山智恵子さんとは、地境地主だし、したがって、この件に巻き込まれて、ありえない瑕疵としての、青地を、突然に、自宅内に設定をされたし、その上、アレコレがあって、猛然と戦い始めた。
ご近所様にも、警告をしておきたいし、保坂涼子にも、秋山祐徳太子にも、警告をしておきたいのだが、1965年にベイカーさんというアメリカ人学生スパイにも、その頭の良さを見抜かれていて、生かしておくと、日本を植民地支配できなくなると、みなされて、いったん殺されそうになっているのだけれど・・・・・
1967年ごろ、東大に、勤務していた時期の上司から、あんたは、非常に頭がいいから、もし、寿退職をしないのだったら、
ここで、突然ですが、新しい発想がわいてしまったので、そちらへ飛びます。お許しくださいませ。
菅内閣が、罰則を、設けると、言い、野党が反対する。何に対してかというと、強制的入院に従わない、人間に対してだと、言う?
副題0、『これは、全く持って、前報
の続きです。あの最後の行を書いた時間から、ほぼ30時間がたっているので、別章を起こします。
なぜ、昨日のうちに続きを書かなかったについては、語りたいこともあるが、あえて、口にチャックとして連続性を優先しましょう。
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副題1、『小沢昭一がなぜ、井上ひさしにいじめられたというと、亡くなった後で、その顕彰をメディアが行わなかった影に、井上ひさしからの隠微な命令があったと、感じているからです。私は、そう感じていますが、皆様は、知っていらっしゃいましたか? 私は、小沢氏が逝去される、数年前から、そのいじめを予期していました。そして、その小沢昭一逝去の時点での、NHKの扱い方も、井上ひさしが、まだ、生存中であり、地下潜航をしていることの証左としています。重要な証左です』
今、wikipedia を引きました。詳しいことが出ていないのではないかと、思いました。心配しました。しかし、出ていました。さすがに、麻布出身です。そして、何よりも早稲田大学出身です。で、きちんと出ていました。その中で、
&&&&&&&&&「引退興行」と称して『唐来参和』(井上ひさし原作)の一人芝居を各地で、1982年(昭和57年)から18年間続け、公演660回を数えた。&&&&&&&&
と、書いてあるのが、二人の結びつきを証左しています。
:::::::ここで、挿入ですが、私は、この一月十一日から、十九日まで、9日間も自宅で、ネットが使えませんでした。昨日の夕方治ったはずです。が、あけて、20日になると、また、壊れていました。しかし、本日20日の破壊手法は、修復が、自分で、できるレベルだったので、今、自宅で、これを書いています。これは、何度も波状的に起きている攻撃で、私の方は、慣れているものです。初めて発見した時ほど、パニックに陥ったりは、致しません。ただ、読者の方が心配です。最近、このブログが閉鎖されたとか、危険なサイトだから、読んではいけませんというお知らせが入っていませんか? それは、嘘です。しかし、システム上の、あれこれを、試さないと入れないことはあると、思います。入る門を変えてみるなども一方法です。しかし、その手法の詳細を開示すると、それもまた、閉鎖されるので、どうか、ご自分で、見つけてくださいと、いうほかはないです。第一次永素ブックをやっていた時期には、こことフェイスブックをリンクさせていました。すると、フェイスブックのアカウントが停止されてしまったので、今の第二次フェイスブックと、ここをリンクさせていません。彼らが、気が付かないうちにファンクラブを作ってしまえばよかったのです。自著の、印刷機械にかける前の、データ制作にいそがしくしていて、一か月以上、メルマガの更新を怠っていたら、相手から、受信拒否を受ける様になりました。
しかし、人間として、井上ひさしと私は全く平等です。神の御前において、平等です。でもね、
最も深い真実を書くと、妨害を受けます。しかし、まあ、それを、右や左にうっちゃって、行きながら、自分の生活も守りながら、できることだけをやっていくという落ち着いた生活を送りつつあります。自分に対して、高くて、強い誇りを持ちながらです。ところで、これから、外出しないといけません。相当な時間中断をいたします。お許しくださいね。
ここで、数千字が消えてしまいました。そこで、夕飯を作る方向へ行動を変化させ、それを行った後に外出します。
@@@@@@ここが第一の書きかけ中の最先端です。
小沢昭一と、いう人物は、芸能界に一種の革命を起こした大人物です。多分、早稲田大学の卒業です。しかし、真実のインテリなので、自分の周辺を、自分を守る藩屏として使うことをいたしませんでした。他人を家来として、使うことをよしとしませんでした。戦後、民主主義の洗礼を、きちんと、自分自身の中に、入れ込めていた存在です。彼に、秘書がいたかどうかですが、いなかった様に思います。では、プロデューサーとか、マネージャーがいたかどうかですが、それは、部下として、一人ぐらいはいたかもしれませんが、井上ひさしの様に、劇団を支配すると、いうことはありませんでした