この一文の総タイトルですが、一番最初は、【済みません。お約束を破ってしまいますが、本日は歌舞伎を見に行ってしまったので、パソコンの仕事ができません。お許しください】としておりました。しかし、4日の、午前1時に、【宮田亮平、ビートたけし、正金銀行、レオスカラックス監督、瓜南尚子、前田祝一、金田佑子】とし、さらに、午前五時半に、上のものへと変更しました。理由は意外と、はっきりと思いを、書けたからです。体力がないのに、書けました。それは、5日に、コロナを発症するかもしれないと、思っているので、死を直前にしているからでしょう。ぐいぐいと、真実を語っていきます。
三宅坂の、国立劇場ですが、オリンピックを迎えて、建て替えられるところだったそうです。私は、ものすごく憤慨しました。この劇場はロビーが広くて、どこにも欠点がありません。竹中工務店施行だそうです。
しいて言えば、トイレが狭いのと、身障者用トイレがありません。それから、エレベーターが、一基しかないし、三階へは、エスカレーターが、設置されていません。
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『隈研吾氏』
設計者が若かったのだと思います。しかし、隈研吾氏が、リフォームしたと、聞いている名古屋の、御園座だって、エスカレーターがありません。
それと、これは三宅坂の国立劇場で、占有のことではないのですが、最前列の席は、手すりが邪魔になって、舞台が見えません。
メトロポリタンオペラって、そんなものはなかったし、パリバスティーユオペラもなかったと思いますよ。
歌舞伎座なんて隈研吾氏が、全く新しく設計をしたのに、どうして、こんな、バカげた手すりが付いているのだろうと、思います。あのね。歌舞伎を見に来る人は、ロックを見に来る若い人とは違うのです。経って、手を振り回したり、足を踏み鳴らしたりしません。だから、座席から、下の階に落ちるはずがないのです。
あのね、歌舞伎座のトイレには、私が行く様になって、急に、トイレの中のドアに、禁煙マークが張り付けられる様になりました。文化の殿堂で、お客様は、幼児扱いをされています。。恥ずかしい。本当に恥ずかしい発想です。松竹って何を考えているのだろうと、思っていたら、国立劇場も、茂木七左衛門さんが、支配人の時代に、切符を買うときに、名前を言えとか、ネットで、切符を買おうとすると、全席売り切れと出てきて、買えなかったり(これは、全く嘘でした。が)変なことがありました。私の敵さんたち(鎌倉エージェント=CIAとその手下としての警察)は、歌舞伎という娯楽の世界でも、わたくしをいじめるために、一般の人を巻き込むのです。
~~~~~~~~~~~~~
副題2、『茂木七左衛門と、大来佐武郎一族』
私は、全席売り切れと言って、真黒な座席表を見ながら、すぐ「これは絶対に嘘ですね」と思ったので、三宅坂に行って、当日券を求めると、簡単に買えましたし(これは、数年前だったので、一人置きではない時期ですよ。あくまでも、茂木七左衛門さんが、支配人だった時のことです)中に入ると空席がいっぱいありました。
で、茂木七左衛門さんについて、ブログを書いたところ、茂木さんが、それを読まれたかどうかは知りませんが、だいぶ改善をされました。
どういうことを書いたかというと、茂木七左衛門さんは、大来佐武郎氏の、息子さんと仲良しなのです。大来佐武郎さんの、奥様は、壽子さんと言って、お茶大付属高校の出身です。そして、佐武郎氏のご子息は、経済企画庁勤務です。経済企画庁は、その全身を、経済安定本部と言って、日本のほとんどの物資を配給する役所でした。うちの父は、そこで、重油を配給する部署にいて…‥とか、何とか書いたら、国立劇場の、切符売り場がやっと正常化したのです。
これは、大きな殺人事件とは、関係がないので、どこで、書いたかのリンク先を見つけられません。で、そのまま、先へ進みます。
茂木さんは、レベルが大変不快文化人でした。歌舞伎役者に対しても、ご理解が深い人だったと、思いますよ。そして、歌舞伎愛好家に対してもね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『宮田亮平、横浜、旧・正金銀行ビルの、利用価値? モボモガ全盛時代の、あこがれの繁華街とは?』
次にいつの間にか、宮田亮平さんになりました。宮田亮平さんはこの国立劇場の支配人時代に、文化庁の長官もしていました。
ただ、宮田さんって、例の鎌倉エージェントと通々だと思いますよ。どうしてそういえるかというと、NHKの衛星放送で、ビートたけしと一緒に美術の制作現場を訪ねる番組に出演していたからです。ビートたけしという人は、これまた、CIAお気に入りのタレントです。で、国際的賞をたくさんもらうし、芸大の教授にさえなりました。
その時に、いくらイタリアやフランスで、賞を取ったと、いっても、芸大内部で、うまくいくはずがないと、書きました。すると、なんと、横浜で、芸大の支部を作ったのです。その建物ですが、バンクアートと言って、旧正金銀行の建物でしょう。
旧正金銀行って、今では、三菱銀行と合併しているのですが、戦前は、日本で唯一、外国の為替を扱える銀行だったのです。うちの父は、結婚後生麦に住んだのです。それは、のちに丸善石油という名前になる会社に勤務していて、それが、湾岸にあったからでした。で、細君を務めに出すことにしたのです。その勤務先が、正金銀行でした。家を買うため? 違うのです。遊ぶためでした。父は、旧制中学時代、最も親しくしていたのが、藤本真澄東宝重役で、藤本さんは、お金持ちです。
うちの父の実家は、旧士族で、しかも父の父がすでに死んでいたので、兄に、大学へ行かせてもらったわけでお金持ちではないです。だけど、慶応に進んだ、藤本さんと、気質があっていて、友人だったので、藤本さんと、似た様に遊びたいわけです。
歌舞伎を見るために、銀座に行きたいし、宝塚を見るために、日比谷に行きたいし、オペレッタを見るために浅草にも行きたいし、映画を見るために、伊勢佐木町へ行きたいし、油絵を見るために上野にも行きたいし、社交ダンスはしたいし、ビリヤードもしたいわけです。これが、大正期から戦前までの、モダンボーイの流行の遊びです。今、生きていたら、100歳以上の世代の、流行の遊びです。一方で、母は、下関の高女と、その専科出身で、その当時でいうと、いわゆる短大卒です。で、洗練をされていないと、父は、感じるのですね。テレビが普及すると、田舎と、東京の差がなくなってくるのですが、テレビのない時代だと、父にしてみると母は、モダンガールではないわけです。で、母をモダンガールにするために、正金銀行に勤めさせたのです。今でいうと就職体験が、全くないし、女学校の新卒でもないのに、よく入社できたと思いますが、母の実父が、当時・旧制・柳井商業の好調をしていたので、らくらくだったのでしょう。その祖父は、実際に日吉の実家に来てくれたことがあるのですが、実は、別の家に、養子に入りなおした人で、公には、付き合えない人でした。が、3歳のころに捨てて、養家を出たので、母のことは、すまないし、可哀そうだと、思っていたらしくて、とても気にかけていてくれたみたいです。女学校に、進学していた時に、校長を通じて会いに来てくれた恥ずかしくてならなかったと、いっていました。
~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『ビートたけしが芸大教授として、講義をするビルと、レオスカラックス監督が、それを利用した映画』
正金銀行が、横浜トリエンナーレの会場として使われたことは、私とは、関係がないでしょう。しかし、その建物が、ビートたけし(=北野武監督)の、映像学科として使われたり、その建物内セットで、レオスカラックス監督が、映画【TOKYO】の第二部を撮影したと、いうことは、全部、私のblogから、発想を得ていると、思います。
私は、【ポンヌフの恋人】について、文章を書いています。いい映画だと思うし、ジュリエット・ビノシュが走っていく地下道が、バスティーユ駅構内だと、思うので、とても懐かしいのです。私も、1998年9月4日に、白人系大男たちに、そこで、拉致されそうになって、必死になってそこを逃げて、サンタントワーヌ通りに出たからです。このスペルですが、英語だと、聖アントワーヌとなるのでしょうが、フランス語だと、私の場合は、スペルが、不確かなので、カタカナで、書いておきます。フランス語で、書いてある地図(大判)を八重洲ブックセンターで、買ってから、パリへ行って、それを、本当に愛用していたのに、それが、今の家には、有りません。泥棒?
だから、レオスカラックス監督が採用され、それに、文化庁が、800万円の支援金を出しています。
(蛇足::::::その映画TOKYOの第三部は、ボンジュノ監督の、香川輝彦と、蒼井優が主演するもので、問題がないのですが、ドゥにラバンが、主演する第二部は、120%の侮日映画です。第一部も問題がないです。そして、ボンジュノ監督は、2019年度は、パラサイトで、パルムドール賞と、アカデミー外国語映画賞を取りました。それは、たぶん、私とは関係がないです。が、2009年当時は、ボンジュノと、呼んでいて、英語表記もBで始まるのに、今は、ポンだそうです。それもだいぶ将来になると、私の文章が間違っていたと、いうことになるのでしょう。そのための呼び名変更だと、思います。ただ、韓国語だと、その漢字をポンと読むのでしょうね。)
でね、そんな映画に800万円出したのは、文化庁の失敗であると書いたら、文化庁は新たに芸術文化振興会というのを作って、半官半民の組織として、改変しました。
その資金の話は、官報に載っているのかもしれませんが、一般人が接することのできるのは、映画のパンフレットに書いてあるだけです。で、こっちの方は、正真正銘に、盗まれています。
というのも映画【靖国】へも、文化庁は、800万円の支援をしています。
~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『パリの地図は、どこかから、見つかるかもしれない。私が、しまい込んでいる? しかし、映画のプログラムが、盗まれいることは、事実だ。特に文化庁が支援金を出したことを、プログラム内で、誇っている映画の、プログラムが盗まれている。
瓜南尚子さんという日本画家は、悪人に利用をされ、それ故に神様からおしかりを受けて、早死にをした存在である。映画のプログラムの我が家からの泥棒行為を、実際には、すでに、やってしまっているくせに、それを、なかったことにしたい、連中に利用をされた、弱くて、はかない存在である。
ただで、できる個展へのお誘い、有名寺院での、グループ展へのお誘い、テレビ出演などの・えさ・をもらっている瓜南尚子さんは、
伊藤玄二郎か? 酒井宙康氏か、それとも懇意な画廊からの、命令だったのか?、あいては、例のごとく、隠れているので、わからないが、誰かから、命令教唆を受けて、映画のプログラムについての投稿を始めた。2011年の秋のことだった。
もし、彼女が、私のブログを毎日読んでいる人だったら、死なないでも済んだだろう。頭は悪くないと、思うので、自分がどういう立場で、利用をされているかが、わかったであろうから。
同じ様な命令を受けても、上手にふるまう人間もいるのだから。彼女は頭が違法だと、思うので、極上の気品をもって、私の憤怒を招かない様に、ふるまうことができたと、思う。それをしないで、真っ向からしかも毎日大量の攻撃用文章を、投稿した彼女は、下手の極みだったというか、何もわかっていなかったと、いうべきだろう。
何もわかっていなかったという意味では、全日本明日ハガレンも、今、隆盛を極めているアスベスト問題と直結する投稿なので、彼女が私を攻撃した量は、すさまじいものだった。私が、今、書いているエピソードはほとんどがボディラングェッジに相当するものだ。態度としてあらわされたものであって、文章として、攻撃をされたわけではない。例えば、下の写真だ。
彼は、「ここの環境が素晴らしい」と、いっている。それは私も賛成する、セリフだ。問題は、彼の立っている土地が、我が家から彼の妻及び安野智紗夫人によって、盗まれた土地だと、いうことだった。この山のすべての家は、どろ付きの私道部分を持っていて、そこに花を植えている。ところが我が家だけ、コンクリート打ちをされている。花とは、鉢で育てるのと、地植えするのとでは、まるで、生育レベルが違う。
我が家の花畑だけ、コンクリート打ちをされてしまった理由は、彼の家が、私道部分を拠出しておらず、異様な土地占拠をしていることを、(私ではなくて)、藤本悌子夫人が責め立てたためだった。で、なぜ、藤本夫人がそういうことをしたかというと、安野智紗夫人が毎日午後、開く井戸端会議が大迷惑だったからである。上品な育ちの人、特にインテリが聞くとたまらないほどに、くだらない、そして下品なことが毎日、話されていて、特に大きな声で話すのが、前田夫人だったからだ。しかもその井戸端会議というのは、この実動15軒ぐらいの家の主婦層の間で、ヒエラキーを作るものだったので、大迷惑行為だった。
だけど、あまり、表立って、逆らう人がいなかったのは、安野夫人というのが、人間としては、残酷にして獰猛なところがあるのを、誰もが、直感でわかるからだった。演技としては、優雅な人だと、思わせるところがある。しかし、本音のところはまるで、違う。で、金銭的に余裕のある人は、逃げだしていった。私が知る限りで、この45年間に、14回の、引っ越しがある。家が、20軒しかないのにデスよ。
それでも、高校三年生を頭に三人の、子供がいる彼女に、ここへ、引っ越してくる前の、歳月、本当の妻としての、専業主婦体験と、母親体験があったのなら、もっと違うと思うのだが、彼女は、略奪婚の人だと、推察されるので、ここに引っ越してくる前の段階での、主婦としてとか、母としてとかの、じっちの勉強が、まるで、なかった人なのだ。それで、橋田寿賀子ドラマ風の、主婦が、正当な主婦だと、思いこんで、それに倣って生きている。
しかし、一戸建て、住宅街、それも大卒女子が多く住んでいる世界で、橋田寿賀子ドラマの世界が、通用するわけもないのだが、安野智紗夫人自身が、警察と協力していますと、いう看板を堂々と、外に出すほどだから、インテリではない。したがって、頭脳労働者の世界が、まるで、わかっていない人なのだった。だから、45歳を過ぎても、平気で、音がうるさい限りの、井戸端会議をやっていられるのだった。困った人間だった。
というわけで、ボディラングェッジの世界のことだけを、書いてきた私に対して、瓜南尚子さんは、文章で、攻撃をしてきたわけだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『上に写真を置いた、前田祝一という男性は、まあ、いろいろな、攻撃を、やってくださっているが、上の写真を引き取ることができたテレビ番組に出演の、三年後に、がんで死んでいる。その時に、79歳だったので、ほぼ、自然死に近いと思う。
しかし、瓜南尚子さんの方は突然死に近いという感想を、私は、抱いた。市井の哲学者足らんと欲している私は、当然に、その謎を解きたいと、思う。
で、考えに考えた結果、金田佑子さんが、2011年の、11月3日を期して、私へのスパイ役を警察か、伊藤玄二郎から瓜南尚子さんを通じて、依頼をされて、そのデートの申し込みを私にフェイスブックを通じて、通してきたことが、大きなきっかけになっていることがわかってきた。
この一件を通じて、金田佑子さんに言いたいのだが、「失礼ながら、・・・・・あなたが、直子さんの、死を招いた・・・・・という事がわかっていますか?」と。
「佑子さん、あなたって、おっちょこちょいに過ぎますよ。私にデートを申し込んできたのも、悪い目的だと、わかっていたでしょう。悪いというのは、私をだますということです。あなたが、尚子さんと知り合ったのも私が励まして、まず、フェイスブックで、100人以上の友達を増やしたからでしたよね。そういう大恩ある私に対して、より好き直子さんに頼まれたからって、裏切ってくるのは、神の摂理に反しているのですよ。
特に市販をされていない日本酒【恋のうぐいすから】をプレゼントしますですって。嘘八百でしょう。嘘だっていうことを知っていたでしょう。それで、ふざけ切っている。私に対して、そんなことをしたら、神様から見放されるっていうことなのですよ。
それからね。あなたは、第一のファンを自認していて、毎晩、「執事、金田でございます。お嬢様、今夜は、何々でございますね」と、投稿をしていましたね。だけど、それって自己愛の、一変形ではなかったかしら? あなたは、友人または、ファンとして、同性の人間の中でのぴか一でした。一方異性の、存在としては、実質婚の相手の伴誠一郎さんでした。この人については、その言動が、嘘っぱちであって、自己愛の変形でしかないと、いうことを将来丁寧に、書くつもりですが、
あなたにも同じ種類のものがありませんでしたか? つまり、才能のある有名人と、付き合っている。それは美形で、人気のある画家だ。そういう人とこんなに密に会話ができる自分は、幸せだ。そして、自分の、文章力で、そういう関係を築くことができた。誇りがいっぱいだ…‥というものです。
すでに午前四時になりました。ラーメンの話とか、いろいろ、語らないといけません。
ニューヨークにおいて、サツマイモ入りの蒸しパンだけを主食としていた有色人種としての版画家、ホアレスのこと。彼は、私が、NYを去った、たった、9か月後に、孤独死(=餓死)をしています。それを、2002年に知り、2005年まで、なんでそうなったのかを考え抜いている私には、
瓜南尚子さんの、貧乏度というのが、正確に分かっていたのです。
8月に、直子さんは神奈川県内在住の男性が投稿したラーメンの写真をフェイスブックでシェアしました。で、直子さんが、他人の食事の写真をシェアするのを見て、自分も夕食の写真を彼女の頁にコメントとして投稿をしました。9月ごろだったかな? すると即座に「引いてください。理由はご察しください」という命令が、彼女から下りました。
これを正面切ってまともに考えると、「自分の頁だから、あなたのお料理の写真は載せないでね」で、終わりです。しかし、実際には違うと、私は判断をしました。
瓜南さんは、漬物評論家を自任しています。漬物って、ぬか漬けにしろ、浅漬けを発酵させていったものにしろ、材料費は、たいへん安く済みます。180円のかぶ一束と、150円のキュウリ、一袋を買ってきて、冷蔵庫で生の野菜の状態で保存をして、二種類の漬物を作って、上手に、処理すれば、10日は賄えるので、漬物だけなら、一日50円で済みます。そこに、二日分として、ケンタッキーフライドチキン2本を買ってくる。または、焼き鳥を、五本買ってくる。時にはカニカマを一袋買ってくる。そういう生活をすれば、食費は一か月2万円で済みます。
彼女は伴さんとは、一緒に暮らしてはいませんね。それは、八月の京都の話で分かっています。親の残した家に住んでいるのだとしたら、税金だけで済みますが、引っ越しをしないといけないと、2012年の四月に書いていますので、家賃を払う暮らしだと、推察され、それに8万円。また、通信費と、お酒を飲みに行く日のためのお金が、合計、5万円とすると、それだけで、15万円です。お酒を飲むお金は、オーヴァーする日もあるでしょう。その中で、画材費をも、出す生活です。
時にはテレビに出る様に頼まれ、時には、浄智寺で、ラーメンの会が、催され、それには五山の全トップと、覚園寺さんが、来ますとなれば、新しい洋服を買わないといけないです。それが、3万円ぐらいでしょうか? または、10万円以上ですか?
45歳ぐらいまでは、親の保護があったと、思います。でも、2012年になって、急にその親の家を売るという形にしたのかもしれませんね。不安は、いや、増しにましたでしょう。
特に、金田佑子さんに、送った品が、豊島屋の、源平巻きだったのが、決定的でした。それって、当時のお値段で、1300円だっただろうか? ひろしままでの送料は、豊島屋が出してくれます。
しかし、芸大卒の直子さんです。そして、母親のことを、「おかあたま」と、呼ぶ直子さんです。1300円のものを広島の、佑子さんに贈るのは、つらかったと、思いますよ。
芸大に、進学を許すのは、親世代、または、祖父母世代が、お金持ちだったケースです。うちなんて、私が、入試成績優秀で、奨学金をもらえる資格があったのですが、国際キリスト教大学の事務室で、「あなたのお父さんは、税金の額が、日本の上位6%に入るので、奨学金は、あげられません」と、いわれています。
でも、実学系の大学にしか進学を許されませんでした。ところがね、母がよく言うのです。「うちの子って、どの子にも芸術的な要素があるのよね。だけど、だから、弱いところがあるのだけれど。そしてね。そのいいところが、お婿さんに、理解をされていない」と。「それが、とても残念なことよねえ」と。
それは、たまたま妹が実家で、料理を作って、大きめの洋皿の隅に、食べられる花を散らしていた時のことでした。
私はね。瓜南さんに、嫌われていたと、思います。しかし、本当のことを言うと、非常に大きな愛で見守っていたのですよ。
しかし、上にあげた源平巻きで、二人がエロチックな会話を繰り出し始めてから、私は、直子さんを捨てたのです。「赤い袴をめくって、なんとかかんとか」、と、いい始めたときに、私は、自分がコーディリア姫であることをやめたのです。それが、2011年の、11月18日か、19日だったと、思います。
これは、検索ワード瓜南直子で、探していて、最近見つけた他人のblogから知ったことですが、12月に、酒場に現れた彼女は、見違えるほどに痩せていたそうです。
私の方ですが、彼女が死んだことさえ知りませんでした。それは、酒場を中心として、構成されているプチ文化人のお集りに私が参加していないからです。鎌倉でも、銀座でも、参加しておらず、ただ、目に見える範囲で、観察を続け、その結果、考えたことを、発信をするだけだからです。
でも、この死を知ったとき(2012年10月の末、このブログにコメントとして、お知らせがあった)に、自分の愛の力の強大さを知りました。それは、私以外の人は認めないでしょう。相変わらず、人々は私を足蹴にして、乗り越えていく筈です。ただ、それについては、「そうですか」と、いうしかないが・・・・・