銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

上大岡の暴走87歳老人事故は大久保忠春さん殺しのリメイクであろう+海運会社三社合併

2016-11-01 01:28:49 | 政治

副題0、『最初にお断りをしておきたいこと』

 私は、良く、この「文章はよくできたと、自分ではおもっております」とか言います。ところで、前報(後注1)は、自己判断においては、それほど、よくできてはいません。しかし、初稿の段階では、多数の読者を集めました。ただ、せっかく修正して、読みやすくなっている(それは、11月1日の午前一時過ぎの事ですが)のに、初稿の日より、読者が少なくなっています。これは、嘘の数字かもしれませんが、本当の数字だったら、良くなった方が、少ない読者数しか獲得できなかったことになり、残念だと、思います。

 そのよくないという自己判断の、根拠は、そちらでは、起承転結が、完成していないからです。因果関係が明瞭に示されておらず、バラバラと、エピソードが連なっているだけだからです。しかし、それでも、そのままにしておいて、各エピソードをさらに膨らませただけであって因果関係を完結させなかったのは、明瞭に意図があったからでした。

 それは、その文章全体が、或る準備用の文章だったので、そうなって居るわけです。どういう事実の準備かと言うと、大久保忠春さんと言う現代アートの作家について、説明をする文章だったからです。

 アーチストの、優劣なんて、権威が判断したものには拠らないと、私はいつも、申しあげております。今年の文化勲章に、草間彌生が、選定をされました。彼女は、戦略のある人です。だけど、大久保忠春さんみたいに、子供時代は、勇敢だったのに、大人になってから、控えめになった人、そして、子供時代に、生活において恵まれて育った人には、戦略というものがないケースが多いのです。

 しかし、最近になって、大久保忠春さんが、暴走老女の車に轢かれて亡くなったと、聞いて、びっくりして、2,3の友人知人に、問い合わせをしたところ、評価が低いのですね。驚いて、『それは、違うなあ』と、思い到り、その問い合わせた友人がいけないのだと、判断をしました。つまり、後で、説明をしますが、二人とも、例の鎌倉エージェントの陣内に居る人だからです。だけど、私はわざと、彼女たちを選んで問い合わせたのでした。

 今では、中間層とか、もしかしたら、まだ、敵さんの手が及んでいないかもしれないと、思う人には電話はかけないのです。だから、『表向きはどうあれ、内実を言えば、この人は敵さん側ですよ』と、思っている人にしか電話を掛けません。

 たとえば、この件でも三田晴夫さんに電話を掛ければ、もっと好意的な哀悼の言葉が出て来るでしょう。私は草間彌生にだって、直接に電話を掛ける人だから三田さんと面識がなくても大久保さんを悼む言葉が聞きたくて、掛けると、思います。しかし前報内で、それを説明をしている通り三田さんは、すでに一度、激しい攻撃を受けている人です。私の方が三田さんの、10万倍ぐらいの攻撃を受けている人ですが、でも、その人が善人である限り、その他人を大切にする心と態度の人が私だから三田さんには、大久保さんの死については、問い合わせをいたしませんでした。三田さんはその事件により、大変好評だった美術評論の記事(毎日新聞紙上)を、終止することとなったのです。お気の毒でした。

 しかし、この、二人の、大久保さんを知る人間(女性)の、低い評価と、失礼な、物言いを聞いているうちに、大久保さんの、交通事故は、交通事故を装った暗殺だと、私は、判断をしました。(後注2)

 高齢な女性が暴走運転をして、それに、突っ込まれて、大久保さんは、亡くなったそうです。

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副題1、『大久保忠春さんとは、1998年までは、普通の学友だったと思う。しかし、2007年に激しい裏切りをして来た。それで、私は彼との、接触を絶つことにした。だが、2014年か、2015年に、不思議な交通事故が起きたと、銀座の画廊内で聞く。大久保忠春さんは、高齢女性の、暴走車に轢かれるという形で、亡くなったそうだ』

 そういう話を、画廊で、つい最近聞いて、

・・・・・ああ、大久保さん、あなたは、駄目なのよ。彼らのいう事を聞いたのでしょう。で、私を捨てましたね。一時期でしょうが。でもね、常に、私をいじめる側につくと、悪いことが起きるのです。それに、彼等は、自分たちに忠誠を誓ってきたって、最後まで、面倒を見るわけでもないのですよ。彼らにとって大切なのは、自分たちだけなのですから。だから、それで、勝てると見たら、何でもやるのです。それで、あなたに向けて、高齢女性の暴走車を突っ込ませたのでしょう。ああ、なんて残念な事だろう・・・・・と、斬鬼の念に堪えないのでした。

 私は、今では、大久保さんを許しているし、心から、悼んでいます。

 ところで、今、すでに、午前二時です。寝ないといけないので、大久保さんが何をどういう風に裏切って来たかは、ここでは説明をいたしません。後日とか、後刻致します。それは、まったく同じ形で、黒田悠子さんもやってきた事なので、別に個人的な感情の行き違いではないのですよ。100%政治的な出来事です。

  黒田悠子さんとは、芸大卒の画家兼、画廊(21+葉)のオーナーです。栗田玲子さん(ガレリアグラフィカ)とか、川島さん(村松画廊)と、並んで、ごく上等な画廊として、1980年代を中心として、有名な処でした。今は、自由が丘の自宅で、同じ名前の画廊を開いている人です。この人は、栗田玲子さんと比較をすると、商売っ気がない人です。それは、芸大卒というプライドが、そうさせていると、思いますが、芸大卒の人は、意外と、心が未発達です。ほかの例でも、感じるのですが、意外と、冷たくて、単純な人が多いです。それは、芸大というブランドを獲得したプライドが、・・・・・・それ以降の、発展や、修練を、しなくても大丈夫だ・・・・・という気持ちにさせてしまうからだと、思います。東大卒と似ています。

 ところで、どういう意味で単純かと言うと、美術界のヒエラーキー(階級)に、たいして、非常に従順で、自分より目上の人の言うことをよく聞くという意味です。そういう方向で、単純だというのです。その点では、まだ、栗田玲子さんの方が、心理的な綾とか、微妙なニュアンスとかを感じ取ることのできる人間です。

 ともかく、本日は、もう寝ないといけないので、大久保忠春さんがやったことと、黒田さんが、やったことの、具体的な事実内容は後回しにして先に進みます。

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副題3、『黒田悠子さんは、誰に教唆をされて、私を、振り払ったかというと、酒井忠康氏であろうが、
 大久保忠治さんが、誰に、教唆をされて、私を裏切って来たかというと、それは、無論のこと、野見山暁次さんであろう。で、私は、今般は、野見山さんの秘書の山口千里さんへ、電話をかけて、委細を問うたのだった』

 ギャラリー山口の、山口みつ子さんが、哀しい思いで、しかも、自分の方が負けてしまった、ライバルとして見ていた、山口千里さんが、どうして、野見山さんの、秘書になったかというと、多分、私と一時期、親しかったからでしょう。


 ここから先文体が変化します、急いでいるので、ぶっきらぼうな書き方になりました。

 私は、国画会の内部で、私よりは、厚遇をされているが、一部の芸大出身者に比較をすると、聖心女子大卒であるがゆえに、評価として、冷遇に近い措置も受けている千里さんに、深く同情をしていたのだった。

 ところが、2008年ごろギャラリー山口の事務所付近で、オーナーのみつ子さんと話しあっていると、
 『誰が、ぎゃあ、ぎゃあと、うるさくしているのよ』と、千里さんに、後ろから、どなられた。千里さんとは、非常に美しい人で、上流階級の人である。それこそ、国立劇場近辺の、千代田区住まいで、お医者さんの奥さんなのに、その下品な声を聴いたとたんに、「もしかすると実家が、下品な商売(居酒屋)などでもしているのですか?」と、思うほどの下品な怒鳴り方だった。そして、そのそばにいた野見山さんが、非常におびえた目をして、私を見た。

 それで、大久保忠春さんを裏切らせたのも野見山さんであることが分かった。

 野見山さんと言うのは、たいへんずるくて卑怯な人だ。ギャラリー山口のオーナーだったみつ子さんが、自分をしたっていることを知っていて、千里さんを秘書にした。千里さんは、美しい女性だが、怜悧で、揺るがないところがあるので、自分との間に、フェロモンの問題が起きない。それを防波堤として、婉曲な形で、山口みつ子さんを拒否した。

 みつ子さんに欠点があったわけではない。ただ、社長令嬢で、育ちの良い人で、60歳を過ぎても処女だったと、私は思う。その種の真面目さが、野見山さんの肌合いに合わなかっただけなのだ。山口みつ子さんも他殺だと、私は思っているが、世間には、自殺だと、喧伝をされている。お気の毒な事に、2010年1月31日に予定をされていた、しのぶ会が、誰かの命令で、潰された。無論のこと、野見山さんが、秘書の千里さんに、主要なメンバー(建畠さんとか、堀さん)に電話を掛けさせたのだと、推察している。

 私の方が自説を曲げて、世間に呼応して、自殺だと、仮定をすると、この野見山さんからの婉曲なる拒否が、彼女の絶望を招いたとも、推察できる。だけど、画廊の閉鎖という大仕事を途中で放り出す様な、やわな人ではない。絶対に暗殺だろうと、思っている。

 その野見山さんが、給料を出す形の、秘書として、山口千里さんを雇う前までは、東京での、プロデューサー兼秘書は、山口みつ子さんだったし、九州での、秘書は、大久保忠春さんだったと、私は思っている。

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副題4、『今般、千里さんが、私からの、電話を取ること自体に、政治的な意味があったと思う。その上、大久保さんの役割を、低めて語った。それで、大久保さんの交通事故が仕組まれたものだったと、判断をした』

 ここも、今夜はメモだけで先へ進みます。

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副題5、『千里さんのあまりにもつれない言葉に義憤と、疑問を感じた私は、今度は中学時代の同級生、高田弘子さんに電話を掛ける。この人は、高校時代にすでに、AFS留学で、アメリカのユダヤ系大富豪の家に寄留をしていて、たいへんかわいがられたそうである。

 その大富豪の名前を、私は、知らないが、ともかく、彼女はその人の支援を受けて、アメリカの名門女子大、ブラウン大学を卒業をしている。なお、ブラウン大学は今では、男女共学に変化しているとの事。どこかで個展をしていた作家から、それを、聞いたと記憶をしている。

 この人の父親が、日本郵船に勤務をしていた。ので、日本郵船と、三井船舶と、川崎汽船が、今般コンテナ船で、合同をするというニュースが発表をされたと、私は見ている。ここらあたりは瞬発的反応だと言えよう。

 三つのうち、郵船という会社が、高田弘子さんが関与しているし、

 三井船舶は、うちの子供たちが関係しているから選択をされたわけだし、川崎汽船は主人が株を持っているから、選択をされたと、推察している。

 我が家が株を持っている会社は、JAL.マルハニチロ、旭化成、センコー(寝屋川で、中一児童が、二人殺された事件の最初の遺体発見場所はこの会社の駐車場であった)と、軒並み狙われていて、今般、五社目である。

 ところで、高田弘子さんの母は、アメリカの大学を出た娘(しかも高校はフェリスと言う女子高だった)を、エリート日本人と結婚をさせるために、横浜国立大学付属中学時代の、東大進学組を、自宅のパーティに頻繁に招いていた。その中の一人が元経済企画庁長官でありその後三井物産副社長になって行った、YH君である。今般の三者合併は、YH君などが、陰で動いたかな?

 ともかく、私は敵陣営に居ると、信じている人にしか電話を掛けないので、高田さんに、大久保さんの、死亡時の様子を聞いた。千里さんと、似たり寄ったりに低めの評価を大久保さんに与えていた。それ故に、これが、暗殺であると、私はさらに確信を深めた。

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副題6、『さて、上大岡である。ここには、たった23人しかいない大学一年時の同級生が、二人住んでいる。しかも現代日本社会の、勝ち組である。社長業と外交官である。ということは、私にとっては、ピンポイントで、目立つ場所である。だから、ここが謀略の場所として設定をされた。しかも同じ同級生に古村浩三君がいるし』

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 副題7、『暴走老人、合田政市の、顔も名前も最初の二日間は、NHKニュースでは、出していなかった。で、私は、最初の時点で、今日書いて居る部分まで、触れるつもりだったが、字数が足りなくなったし、時間も足りなくなったので、合田政一と、上大岡事故にまで、触れることがなかったが、

 大久保忠治さんと、書いただけで、成岡君に、は、これから何を書くかが、判ったのだと、思う。それで、合田の顔と、名前を出して来た。

 見ると、如何にもやつれた老人で、認知症に近いとは思われる。だが、普通なら、87歳で、免許証を持っているという事だけでもおかしい。彼は、プロのアサッシンの一人だと、思う。

 うまく作られている謀略だと、思うけれど、荷台にごみだけが乗っているというのがおかしい。彼は廃品回収業者ではない。廃品回収業者は、ああいう荷物の作りかたは、しない。また、廃棄物処理業者でもない。もし、そういう職業についているのだったら、24時間もあっちこっちさまよう筈がない。また、会社側が、87歳の老人を雇う筈がない。

 また、24時間も、あっちこっち、87歳の老人が運転を続けられるはずがない。

 これは、私が、すでに、書いて居る文章(後注2)を否定するために、似た様な事件を起こしたのである。つまり、一般的に、そういう事故があるのだと、言いたい連中のあくどい企画であろう。そうして、私が過去に書いた文章を否定しておくというわけだ。場所は、選定をされていたと、思われる。後は、子供たちを見つけたら、横転するぐらいのスピードを出して、前の車にぶつければいいのだ。ブレーキはかけていなかったと、報道をされているし。

 小学一年生の坊やが亡くなったのは、大勢の人が目撃したことだから、本当だと、思うけれど、あの老人が認知症的にふるまうのは、嘘であろう。ともかく、あんな交通事故を起こした場合、普通の、日本人だったらすぐ、家族が、出て来て、「管理不行き届きで、申し訳ございません」と、謝罪をするはずである。それが、最初の二日間は、無かった。どこに住んでいるとも、また、どういう職歴の人間かとも発表がなかった。だから、作られた事件なのである。あの87歳は、頭は、ちゃんとしていて、「この道で、子供を見かけたら、暴走せよ」と、命令を受けていたと、私は、考えている。

 ともかく午前4時です。明日があるので、寝ないといけません。明日は銀座へ行きますので、続きを書くのは、2日(水曜日)になる見込みです。

 後注1、

NHKスペシャル【空き家特集・杉並区篇・2010年1月】を使って、個人的に弾圧をされた私△   2016-10-29 22:57:15 | 政治

後注2

暗殺を恐れて、慣れないスマホ入力を電車の中でする+大久保忠春氏の死因が変なので、そうなった   2016-08-11 22:34:19 | 政治 

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留守に訪問して来た芸術家に困惑する私だが、その真の目的は?

2016-11-01 00:11:27 | 政治

2016年11月1日は、歌舞伎を見てきました。

 さて、元気に帰っては来たのですが、普段通りのブログを書くほどの体力ではなかったので、それは、別の時間に書きます。ところで、

 敵さんたちが、今泉裕士さんと言う人を、今、私に近づけようとしているらしくて、昨日も、彼等は、私が、歌舞伎座に行っているのを知っているくせに、彼に、私の自宅を訪問をさせました。彼は、ご本人のいうところによると、一時期栗田玲子さんの、仕事など(図版を作る仕事かな?)を引き受けていたそうですから、そのラインで、送り込まれているかもしれません。

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 画家は、「企画展をやってあげます=ただで、あなたの個展をやってあげます」という、人物には逆らえません。瓜南直子さんが、2011年の夏から、冬にかけて、フェイスブック紙上で、激しい攻撃を私に仕掛けてきたのも、企画展の提案に逆らえなかったからだと、おもっております。上條陽子さんが、秋山裕徳太子氏と、三人展をするのもそちら側からの提案として、の、企画展だから逆らえないのです。という形で、私は、上條さんと別れることとなったのですが、

 ブロガーとしては、読者ですとか、ファンですと言われると、おつきあいせざるを得ません。しかし、芸術家と付き合うのはただでさえ難しい事なのに今泉さんは、更にその上に、難しいところがあるのです。

 どうして難しいかというと、他人と付き合った期間とか、人数が少ない人なのですね。サラリーマン生活が、短かった。独身である。子供がいない。などの、いろいろな条件が重なっていて、リアルな世界で、人と付き合ってはこなかった人なのです。

 私の文章を、お読みいただくと、私が、とても繊細で、優しい人だと、お考えになる方が多いかもしれませんが、これだけの、ブログを維持するにあたっては、別の側面では、鋼鉄の様な意思を持っている人間であって、今泉さんとは、合わないのです。リアルな生活の面では、意外としっかりしているのですよ。そして、こういう真に強い人間だからこそ、74歳まで、無事に生きてきているのです。強いからこそ、ほとんど喧嘩などしませんので。あまりひどいときは、相手に「ここまで、私は、判っているのですよ」と説明はします。それが、このブログです。ただし、ブログとは、強制力はないものだから、「読んでいません」と言われれば、私が説明をしたことが、相手には、伝わっていないという形にはなります。が、「それでも、いいですね。半々で、メリットとディメリットがありますので」と、おもっております。

 そして、それを敏感に感じ取った、今泉さんは、向こうから離れて行ったはずです。そういう絶縁を示す手紙をも、もらってもいます。まあ、はっきり言うと、他人である私のやさしさに、甘えて拗ねている人ですね。それは、面倒くさいです。お引き受けできません。私は忙しい人間です。

 ただ、私は、母の行動を見て生きていますので、それ以来、人にプレゼントをするのが大好きなのですね。母もそうで、私が小さいころから、親戚に様々なものを送っておりました。世間が豊かになって東京と地方で、ほとんど同じものが手に入る様になると、横浜スカーフ(ブランドものです。それほど、お安く手に入るわけではないが)を、母は、ひとシーズンに、50枚は、買っていました。一枚、一万円を超すものだっただろうと、思っていますが。社長が女性で、その女性社長さんと、1960年代に、横浜・高島屋が企画した海外旅行ツァーを通じて親しくなっているのです。それ以降も、いつも、同じメンバーで、海外旅行をしていました。それと、その同じメーカーで、染色をされたブランド物の大判の、ハンカチーフを添えて、送っていました。

 で、今泉さんが、現代アート系作家の常として、手元不如意だと、知っていたので、一回程度、プレゼントを郵送したかもしれません。それは、デパートで、何か、三千円とか、五千円の、モノを、ポンと買って、送ったのではなくて、中身を丁寧に、考えて、いろいろなものを詰めた可能性があります。

  あ、ここですが、まだ、寝られないので、家事をしながら、あれこれ考えているうちに正確な状況を思い出しました。それを、次の次の節で、青字で、書きます。
 それは、私にとっては、その他大勢の人に送ったものと同じものです。だけど、今泉さんと、一度、お食事を一緒にした時に、彼から、身の上話を聞いています。親との関係があまり思わしくなくて、大学も中退したと、聞いているので、こういうプレゼントをもらったことが過去には、少なかったと、仮定をすると、私を、親切な人だと、過大に、評価してしまい、私との間に、しっかりした友情がある様に、誤解をされてしまった可能性があります。だけど、私は、友情はもう持っていないので、おつきあいするつもりがないと、ここで、はっきりと、申しあげておきます。

 ファンを装って、近づいてきた別の女性、安藤てる子さんに、ひどい目にあわされたので、昔からの付き合いのある人以外には、おつきあいをするつもりが、まったく、ありません。そのプレゼントと、新宿ルミネの、中華料理店で、一回ほど、一人前、3000円ぐらいのごちそうをしています。

 ここで、その際に話し合ったことを正確に思い出していきましょう。要旨は、彼は、個人的な美術館を田舎(山の上)などに作りたいそうです。それは、美術系・作家なら、誰もが抱く夢であって、私も、良く自宅を画廊喫茶にしたいと、言っていますが、それも、最終的には、同じこと(=個人美術館にする)が狙いです。その為に、彼が言うのには、大体400万円ぐらい必要で、それを婉曲的にですが、私に出してもらえないかという事だったと、思います。

 私もね。婉曲的に断りました。だって、山の上に作ったとしても、土地取得から、建物を建てて、と考えていくと、400万円ではとても無理です。北鎌倉の山の上に、ポラリスと言う画廊がありますが、あそこも、画廊の近所に別の建物として立っている自宅用・用地と、自宅用建物を入れたら、5000万円以上は、優に、かかっているでしょう。『ちょっと、この人は、考えが甘いなあ』と、思いました。

 しかし、私は彼に向かって、はっきりとは、それを指摘しませんでした。身の上話を聞いているうちに、子供時代から、親の愛が少なくて、従って、弱い立場で、終始してきたことがわかりました。したがって、とげとげしいのです。欲求不満が多い人です。こういう人は、時に、窮鼠猫を噛むと言う形に出るので、怖いところがあります。

 その時に彼は、私に彼の作品を託しました。下の写真にある様な、高さ18cm程度の骸骨の造形です。立体と言うか、お人形というかなのです。私は、色の評価が、もっとも、大切だと、考えている人間で、そういう意味で、気に入った作品、特に小品なら銀座で買う人間ですが、その骸骨に対しては、何の思いも抱きませんでした。ただし、作家が相手に作品を上げたいと、思っているのは、最大の尊敬のしぐさなので、それに水をぶっかけるなどと言うことは、大変失礼な事なのです。だから、目の前で、拒否する、様なことは、やりたいとは、思いませんでした。

 しかし、後日彼は、「あれを返してほしい」と、言ってきました。それは、無理がない事であり、返却しようと思って、宅急便を作ったのですが、その中に、クッション材を兼ねて、お菓子やら、そうめんやらを入れたのです。画材なども入れたかもしれません。しっかりと、覚えては居りませんが。

 ここですが、それこそ、私が本を作る理由です。ホンも一種の作品です。私は、装丁から頁デザインから、そして無論本文も、すべて、自分が手に入れて作り上げますので、本当に作品そのものです。しかし、工業生産品としてのコピーが、大量にできる作品なので、他人に差し上げることが、惜しくないです。ただし、小規模業者(?・・・・・まだ、会社登記さえしていないが)の小規模生産だと、生産費用が、高くなるので、実費を言うと、一冊に3000円から、4000円はかかっているのです。が、コピーとしてほかに多数があるという意味で、他人に差し上げることが、惜しくないのです。

 ともかく、私は、自宅を、画廊喫茶に、リフォームするのだって、台所と、トイレを別に作らないといけないとか、台所についても3そうの流しが必要だとか、いろいろな規制があり、しかも、山の上なので、運搬費用が別途かかりますので、相当高額になることを知っていて、まだ、やっていません。自分の希望さえ、達成できていないのに、他人の援助など、絶対にできません。

 そして、お金の方は出さないが、お茶飲み友達としてだけ、付き合う・・・・・という気持ちも、ありません。

 その邂逅は、数年前の事です。だが、もう、おつきあいをするつもりがないので、彼を、私に近づけようとしている人には、それを、はっきりと、申し上げておきます。ここ、半年の間に急にお手紙を、二、三回、貰って居ますが、これは、絶対に自然な形ではないです。だから、裏に彼を教唆している人間がいると、おもっております。私は手紙で、彼に個人的に、何かを、説明をするつもりもありません。

 恋愛でも何でもないのに、ストーカー化されると大変だなあと、おもっております。『鎌倉エージェントたちが、今度は、そういう形で、私に、新しいストレスを与えようとしているなあ』と、感じと取っています。だから、ここで、はっきりと彼らに向けて、今後とも、今泉裕士さんと、おつきあいするつもりは、毛頭ないと、宣言をしておきます。

 歌舞伎座、最終演目を見ないで、鎌倉駅に帰宅したのに、夜の10時半になって居ました。毎日は、そこには、居ないイッコーのガードマンが、駅に待っていました。だから、彼等エージェントたちは、新橋駅構内の、エレベーターの監視カメラを含めて、私が一日中、外出していて銀座にいるし、歌舞伎を見ているのを知っているのに、今泉さんに、こちら、鎌倉雪ノ下の、自宅を訪問をさせているのです。主人が、心臓の血栓が、散らされた、のちに、一部が脳に跳んで、言葉が、不自由なのに、それを知っていて、彼に、こちらの、雪ノ下の自宅の方を訪問させるのですから、これを企画した連中はあくどいですね。

 で、これは、単なる個人的な問題ではなくて、政治の問題となって来て居ますので、ここで、はっきりと書いておきます。

   次においてあるのは、彼が今回(2016-11-1の訪問において)置いて、行った作品です。写真となって居るものなので、全開よりも軽いものですが、その写真を、スキャンしようとしても、できないのでした。それが、彼がCIAによって送り込まれている人物であることを証明しています。で、スマホで、撮影をして使っています。

 

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3748236です。

                   雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

 

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