このブログは、最初の総タイトルを、『すみません、ジャムを作っておりました。手作り・リンゴジャムは、ジャムの中で、一番でしたよ。現在書きかけ中』としておりましたが、午後3時に二回目のモノ『若い男性に、お料理を、無料もしくは低額で、教えるシステムができたらいいなあ』としておりました。それを、夜の11時に三つめのモノへと、変更をしました。そして、20日の午前1時に一応、初稿を「止め」といたしましたので、そのしるしとして、使っている☐を、総タイトル横に付けておきます。
副題1、『最初にお断りを申し上げます』
すみませんね。ブログを完成させる責任はありますが、しかし、昨日は、税務申告の書類づくりと、ジャムづくりなどの、お料理に凝っておりました。いつもの固定読者に向かっては、「恐れ入ります』と申し上げます。昨日は昼も夜も、おかずづくりにも凝っておりました。それで、体力と時間が足りなくなってしまったのです。
このブログが持っているいつもの固有の雰囲気を、読みたいと、お考えの方には、以下のブログが、文章と、して、完成させております。ほぼ、4日間かかりましたが。
後注1、
電通訴訟ー2 いじめとは性的な快感を亢進するものだ + 柳沢昇・大口病院・鶴岡八幡宮の三者の関連について△ 2016-11-15 22:50:13 | 政治
それから、もちろんのこと、今夜のうちに、いつもの政治分野に戻ります。だが、19日の午後二時に書くこの章では、もう一度、ジャムに戻らせてくださいませ。ジャムについても、語りたいことがありますので。
上の画像内には、五つのガラス瓶が、写っております。右側の3つは市販品です。上からブルーベリージャム、マーマレード、オリーヴオイルのスプレッドです。
その左側に在るのが、リンゴジャム二つで、私が、上をおととい、下を、夫婦二人の合作として作りました。
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副題2、『我が家で、何故、主人がジャムづくりをする様になったか?』
なぜ、ひと瓶のリンゴジャムを夫婦合作で、作る様になったかというと、主人は、何でも料理はできるのですが、それでも、病気をした後は、億劫になったみたいなのです。それで、一種の彼の病状の、リハビリを兼ねて、台所で、二人で並んで、料理を、作ります。
主人が四月に、病気をする前には、ジャムづくりは、主人の役目でした。主にマーマレードを作っていて、ひとシーズンに、気が向くと二回、大なべ一杯に作っておりました。夏ミカンを、六個ぐらい使ってです。これは、結構なおお仕事ですが、みそも自宅で作るほどの、主人ですから、面倒がらないで、やっていました。
その証拠と言っては何ですが、ぺクチン二種類の写真を置いておきます。上は主人が買ってきておいたもので、より専門家向けの体裁になっておりますね。下は、それがどうしても見つからなかった私が、今般重なって、買ってきたもので、より素人向けの包装になっております。どこかに在るはずだと、私は、思って、主人に質問をしましたが、彼がうまく説明ができなかったのです。私の方も、上の方の瓶については、それを、自分で買ってきたのではないので、形を覚えておらず、従って探し出せなかったので、新しく買ってきてあります。
もし地方にお住まいで、<買い物が、不便で、ペクチンが手に入りません>とおっしゃる方が有ったら、多分ですが、【フルーチェ】というお菓子の原材料がペクチンであろうと、私は思っていて、それをお使いになると、いいでしょうと、思っております。【フルーチェ】とは、<牛乳を入れるとゼリーが簡単にできます>という惹句で売っているレトルト風パックです。
【フルーチェ】には、工業生産的なフレーヴァーが使って在る様な気がして、(これは、確認しておりませんが)、最近の私は小さい子供が家の中にいないこともあって、全く、買っておりませんが、あれの、キウィ味のモノだったら、リンゴジャムにも使えると、思います。イチゴ味のものはだめです。イチゴはバラ科らしくて、香りが強いので、せっかく手作りした、超おいしいリンゴジャムが、安物のイチゴジャム風になってしまいますから、苺フレーヴァーのものは、お使いにはならない様に、老婆心ながら、お勧めいたします。
苺ジャムを作る際には、それを、ペクチンの代用品として使うのも、向いていますが。しかし、今の時代では、普通の人が、苺ジャムが作れる様な、苺を手に入れるのが、不可能になって居ます。ジャムを作る苺として、普通の生食用のものを使っていたら、高くて、たまりません。苺ジャム用は、近所の農家が、農協には出荷できないほどの、不揃いで、小さいサイズのものが八百屋さんの店先に、大量に、ざるに入って売っている時代でないと、作る気がしないのです。
フルーチェ、もしくは・・・・・ペクチンを、お湯で溶かした液・・・・・を、ジャムに入れるのは、粘着性を増すためです。パンに塗った時に、入れないで作ると、パンに甘い液がしみこむ形になってしまいますが、ペクチンを入れると、パンの上でジャムの方が、しっかりと形を保ってくれるわけです。でも、ペクチンの量は、少なめにした方が、如何にもな、手作り感が出て、おいしいですよ。
しかし、繰り返しますが、六個の夏ミカンを処理するのは、結構なおお仕事です。
しかし、今回のリンゴジャムは、一昨日に、私が深夜リンゴ一個だけで、作ってみて、あまりに結果がおいしかったので、次の日の昼間に、もう一つリンゴを使って、夫婦で合作をしたというわけです。
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副題3、『少量ずつジャムを作るのは、面倒に見えて、意外と面倒ではなかった。それで、リンゴジャムを作る場合、<これが、コツかな>と、思い当たる』
秋になって生協(パルシステム)が、カタログの中に、紅玉を、含める様になると、私は、『ああ、ジャムを作りたいな。生協の果物は、品質がまあまあだから、ジャムを作ったらおいしくできるでしょう』と、考え始め、先週にやっと、届く形で、手に入れたのでした。
この単位の生協は、生産者優位の姿勢があるので、届いた紅玉の形と色は不揃いです。しかし、小さめの方に、今まで見たこともないほどに、赤いのがあり、それで、深夜ひとりで、作ってみたのです。
その際には、上の写真の二枚目に写っているガラス瓶のペクチンは、探し出せておらず、かつ、下に写っている、新品も買ってきておらず、ペクチンなしで、作りました。ただ、リンゴの芯のところにペクチンが含まれているという知識は、うっすらと、残っており、
芯も入れながら、リンゴをすり下ろしました。リンゴジャムを作る際には、皮も一緒にすりおろすというのは、母の手元を見ていて、覚えた事です。母は、私が小さい頃はよくリンゴジャムを手作りしていました。無論の、事、船橋市の当時は、田舎だった塚田というところに、住んでいた頃なので、ペクチンは、無しで、作っていたと、思います。
芯も入れながら、リンゴをすり下ろしました。リンゴジャムを作る際には、皮も一緒にすりおろすというのは、母の手元を見ていて、覚えた事です。母は、私が小さい頃はよくリンゴジャムを手作りしていました。無論の、事、船橋市の当時は、田舎だった塚田というところに、住んでいた頃なので、ペクチンは、無しで、作っていたと、思います。
出来上がったものを食べてみたら(小さめのリンゴ一個に対して、大匙山盛り五杯のお砂糖を使ったが)甘すぎもせず、適切な甘さで、かつ、すっぱすぎもせずで、あまりにもおいしいので、明治屋のジャムサイズの瓶の半分を、一晩中に食べてしまった程です。市販のジャムの中では、リンゴジャムは、おいしくない方だと思っていて、買わないでいたのですが、手作りのリンゴジャムはまるで、違うのです。圧倒的なおいしさであり、次の日も作ろうと思い到り、鎌倉駅前の東急で、下の写真に写っている簡易包装型のペクチンを買ってきたのでした。
ところで、何故、六個のマーマレードを人シーズンに二回も作っていた主人を巻き込んで、たった、一個のリンゴジャムを作るのを手伝わせたかですが、一つには主人のリハビリに当たるからです。もう一つは、老人になって、体力が衰えた時代だからこそ、夫婦二人で、生活するメリットは、いろいろなことを分担し合う事に在ると思うので、リンゴジャムでも、道具を用意したり洗ったり、切ったりするまでは、私がやり、リンゴを一個分だけすってもらうのは、主人にやってもらいました。リンゴは大根より柔らかいので、テレビを見ながら、一個分のリンゴをするのなど、ゲーム感覚で、やってもらえます。
その次に、台所で二人並んで、私は、昼ご飯(おかず)を作りながら、主人には、リンゴをガス台の上で、混ぜながら煮ることをやってもらいました。その前に、14cm直径の琺瑯の辺に摺ったリンゴを移して、大匙山盛り六杯の、お砂糖を混ぜ込んでおくまでは、私がします。
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副題4、『高峰秀子さんは、直径14cmの鍋を欲しがっていた。見つかっただろうか?』
::::::::::ここで、何故、直径14cmのと、付記したかというと、料理を丁寧に作っていた最晩年の、高峰秀子さんが、養女に向かって、「直径14cmのなべをさがしてきてほしい」と頼むシーンがあって、それが忘れられないからです。
私は昔、直径12cmの鍋を持っていました。デパートで、牛乳を温めるために、と惹句がついて売っていたデザインの美しいものです。それは、50年も前のことで、実際に使ってみると、デザイン上のバランスとしては、美しいが、なべの横の、高さが低いために牛乳が吹きこぼれそうになって、実用性がないのでした。
こういうお鍋は大学卒ではあるが、お料理など、作った事のないデザイナーが作ったお鍋だと、思います。それに懲りているので、私は小さい鍋は、買ったことがないのです。しかし、今住んでいる鎌倉の、駅前の東急というすーパーが、デパートのない鎌倉市内で、一種のデパートの役目を果たしていて、上の方の階で、特殊なものを売る週があり、たまたま、直径の小さい鍋を、売っていたのでした。それが、琺瑯で、美しかったので、『あ、ジャムを作ろう。これで、作ったら、少量だから、労働としては、楽になり、楽しみながらできるわ』と、思い立って買ったのでした。この鍋は、立ち上がり部分の高さが、8cmあって、噴きこぼれに対応しているので、充分に、実用性があり、二人分の、お味噌汁を作るのに重宝をしています。
で、私の方は、やや簡単に此れが手に入ったので、頭から直径16cmだろうと、思い込んでいたのでした。しかし、今、念のために諮ってみると、なんと14cmだったのです。
というのも、高峰秀子さんは、養女に向かって、「自分で探したけれど、見つからないので、あなたが見つけてください」と頼んでいます。今、丁寧に考えると、高峰さんは、琺瑯製以外の、アルミ等の薄い金属の普通の質の鍋で、直径14cmの物を探していたのでしょう。琺瑯性の鍋は、遊び心があるので、おもちゃみたいなサイズがあるのでした。
しかし、老人2人暮らしだけの所帯や、老人でも、単身所帯が増えているので、このサイズの鍋は、これからは、需要があると、思います。アルミや、ステンレス製の鍋でも、このサイズを定番商品としたら、良いと思いますね。::::::::挿入から元へ戻ります。
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副題5、『ここで、主人の今春の、病気のことを素直に語っておきたいが・・・・・』
主人は、57歳の時に一念発起して、鍼灸医になりました。それで、東洋医学を信奉しているので、胸が痛くてたまらなくても食道がんだと、自己診断をしていて、自分の自然治癒力に頼り、それで治すつもりでした。
「命が救われる可能性は、50%です。よろしいですね」と、事前に念を押されたうえで、緊急手術を受けた当日(=2016年4月9日)だって、前の日までは、孫と一緒のハイキング(逗子で、赤手蟹を探す話)に付き合うつもりだったのです。
しかし、その金曜日と、土曜日の、二日間で、徐々に、徐々に私は自分の支配力を高めて行って、最後には、救急車を呼ぶことを提案しました。その救急車内でも、緊急事態だと、見つけてくださったみたいで,ありがたいことに鎌倉一大きな病院へ運んでくださったのです。土曜日だったけれど、お若くて、しかも、経験の豊富なお医者さんが、滞在していて、カテーテルで、心臓の動脈内にあった大きな血栓を散らしてもらえました。しかし、あまりにも主人が我慢して居た時間が長かったので、心臓にも大きな後遺症が残ったみたいなのです。しかし、もっとたいへんなことが、一週間目に起こりました。小さいサイズになった血栓が脳に跳んでしまったのです。そして、脳を一部ですが、駄目にしました。で、言葉が不自由になったのです。
最初のうちは、私は、ニュースに登場した徳田虎雄さんみたいに、アイパッドに、手が自由な主人がひらがな入力してくれれば意志の疎通は簡単にできると、考えていたのですが、ああいう障害と違うのだそうです。言葉そのものが脳内で、思い出せないのだそうです。
で、イライラする度合いが、大きくなったのか、昼間一緒にいると、「ばか!」っと怒鳴ったり、「お前は馬鹿だ!」と、捨て台詞を吐くことが、一日に、30回ぐらいあります。
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副題6、『我が家の室内は、盗聴をされて居て、夫婦の会話を、聞いている鎌倉エージェント連中は、夫婦仲が悪いと判断をしている模様だ』
これが普通の家だとそれだけの話なのですが、わが家は、室内も盗聴されていて、夫婦仲も、脅かしの種として、使おうとして、利用をされて居ます。
今現在書きかけ中の、・・・・・柳沢昇と、猫の話・・・・が、実際に起きた、2005年にも、彼ら夫婦に呼ばれて、・・・・・
私の主人に、<私を叱る様に、命令をしよう>としてやって来た警官たち・・・・・(=交通警ら隊だと、言っていたが? どうして私の猫が、柳沢昇と、石川和子夫婦に盗まれているのに、盗んでいる彼等の方の、味方をして、しかも、猫のことなどで、出動するのだ? まったく大疑問の話だが)・・・・・も、圧倒的なレベルで、「この夫婦は、家庭内別居をしているのだ」と、信じていました。
それは、我が家では、実際には、閉じきっていて、使っていない方の玄関ドアのノブを、激しくがちゃがちゃと、まわす動作で、判りました。我が家には、玄関ドアが、二つあります。一つの方には、猫トイレが置いてあるのです。だから締め切ってあります。
柳沢昇と、石川和子さん夫婦の、毎夜、毎夜の、自分たち夫婦の、セックスの快楽を亢進させるための、対私へのいじめに、最後の段階で、怒り切ってしまった私が、わが家の私以外の、他のメンバーのサジェスチョンを、とうとう聞いて、猫を外へ出さない様にしたので、猫トイレが置いてあるところなのです。「お母さんが切れると怖い」と、子供たちが言う様な人間の典型が私で、普段虫も殺さぬ様に静かな人なのに、いったん限界を超えると、絶対に許しませんから。ただ、別に相手方に、怒鳴り込んだりはしないのですが、相手が、それを望んでいることを、根絶的に拒否していしまうのです。
石川和子さんが、私の猫に会いたがっているとは、知っていても、出さないのですね。怒りまくってしまったら、私を元に戻すためには、心底、相手の方が、謝罪をしてくれて、相応な、対価とか、弁償をしてくれないとだめなのですよ。だけど、この場合何がありますか?
ご近所同士で、仲直りをする為には、石川和子さん側が、一回程度菓子折りを持ってきたぐらいでは、おさまりませんよ。特にこの次の章で書く様に、警察に脅かされる様になったのも彼ら夫婦が原因ですから、それに対する莫大な慰謝料も請求したいところです。
ただね。あの、お馬鹿さん夫婦が理解できる程度の賠償を言上げをすると仮定すれば、こういう手法がありましたよと、提案をしておきましょう。まず、彼女が新しい猫を飼うのが先決です。そのうえで、「こう成りましたので、ご安心なさってください。お宅の猫は、もう、我が家の方には、入れませんから、自由に外へ出してください」と、彼女側が、私に言ってくる。それしかないでしょう。
そして、今でも、私がそうしている様に、道路を歩いているときに、安野家の、二匹の猫が、時々ですが、まとわりついて来るので、なでてあげる、そういう形で、大好きだと、彼女が思っているらしい我が家の猫に触れる以外はないでしょう。
いや、私って、自分はハーメルンの笛吹ではなかろうか?と、思うほどに、子供と猫には、なつかれるタイプなのですよ。ただ、この雪ノ下の山の中では、こどもたちに、声を掛けません。種々様々な悪口を先行して告げられていると、思うので、よその小さな、お子さん方には、手を出さないのです。が、私は、自然に、置いておかれたら、子供と猫には、心底から、なつかれるタイプなのです。
柳沢昇については、もっともっと語らないといけません。
この前、横須賀線が、61分遅延したので、私は、もう一回国立劇場の切符(しかも、安い席がないと言われて、1万円の余計な出費だったし、すぐさま防衛上、外の貸パソコンを使って、一章のブログを書いたので、その使用料(お高い場所だった)2000円以上、それに、それが終わった後で、急いで、国立劇場に行ったのでタクシー代1000円もかかったので、それらを合わせて、1万3千円が、余計な出費でした。
しかも、大口病院で亡くなった二人も、この夫婦が、原初で亡くなっていると、思われるのだし、上大岡で老人の暴走で、亡くなった、田代優君と言う小学一年生の事故死も、ここから発していると、私は考えていますので、すさまじい事となって居るのです。上大岡の暴走事故については、後日再び、丁寧に語りますが、総計を言ったら、優に10億円を超すでしょう。だって、あの61分横須賀線が遅延した時に、鎌倉から乗って来た15輌で800人は居たと思われる乗客の一人一人に、それぞれ事情があって、私と同じぐらいの金銭的損失を被ったと仮定をすると、その一本の電車だけで、800万円の損失を、大勢の人を相手に与えているのですよ。それを丁寧に10年分を総計したら、瞬時に、数億円に達するのです。特にこの11日から、15日にかけてのどこかで、高崎線が、朝から、不通になりましたね。あれも、同じです。あちらの方が与えた損失は、すさまじい額でしょう。それも、すべて、柳沢昇と、石川和子さんが出発点で、起きている現象です。
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副題7、『蒲田に在る、ユザワヤ本店で、買い物をすると、イッコーのガードマンが、大船駅で待っている。それは、2016年の15日の事だったが、本日2016年の11月19日、大船で買い物をすると、たった、30分で、大船駅と、鎌倉駅の両方で、イッコーのガードマンが立っていた。これは、無論、ユザワヤの、カードを、ユザワヤのスパコンに侵入している警察が、チェックしていて、それを、GPS機能として使っていて、脅かすのである。というか、嫌がらせをするのである。
それも、これも、すべて、石川和子さんと、柳沢昇が、2005年の、8月28日に行ったことが原初の原因だから、私は本当に深く柳沢昇に対して、怒っているのだ。彼のことは、その育った背景とか、仕事上のキャリアとか、教養の程度とかを、真っ裸になるほど、語らないといけないと思っている。頭のてっぺんからつま先まで、書き表し書きぬかないと、とても間に合わないほどの被害を与えられているからだ』
柳沢昇に関しては別の章で、丁寧にさらに、その先を語りますが、本日も大船へ買い物に行ったら早速、彼・初発の嫌なことに遭遇をいたしました。大船には、ヤマダ電機(LABI)があります。また、SEIYUのビル内に、ユザワヤ(手芸用品店)があります。その両方とも、私は割引に役立つ記名カードを持っております。で、大船のユザワヤで、それを使ってから大船駅の改札口に到達するまで、30分はありました。ので、彼らが待っていたと、考えます。しかもわが家から、私が、外出してからは、一時間40分が過ぎていましたので、わが家の室内盗聴機能を利用すれば、十分に間に合ったという形だったのです。
蒲田のユザワヤで、それを使うと、大船駅で、イッコーのガードマンが立っています。蒲田から、大船駅の間まで、大体一時間ですから、仕方がないなあと、思います。
それから、もう一つ特記しないといけません。銀座で、画廊巡りをしたのちに蒲田によることが多いのですが、この、2016年の11月22日は、鎌倉発で、蒲田だけを目的として外出をしました。しかも夜です。
ここで、お料理を中心に、わが家の時間配分を語るという挿入に入らせてくださいませ。
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この日の外出ですが、これは、警察をまきたい・・・・・そして、ガードマンから嫌がらせを受けるのを避けたいと思って、わざと、夜に、しかも、急に外出をしたわけではなくて、この章全体で言っている様に、今は、日時が決まっている重要な用事ではない時は、主人を、一番の優先にしていて、気合を込めたお料理を作って、おいしいものを食べさせるのを最優先にしているので、外出が夜になるのです。我が家の夕食は昔から、夜の6時です。主人は夜の八時には寝る朝型の人間なのです。私の方は、午前二時までは、起きている夜型なので、私にとっては、夜の6時半からが、もう一つの活動時間帯なのでした。鎌倉から東京までは、遠いですが、ターゲットを決めて、外出すれば、十分に間に合う時間内で、欲しいものが買えますので、夜の時間も、私にとっては、重要です。特に昼間園芸をしたり、主人の面倒を見たり、税務報告用の書類を作ったりしているのが、今現在の生活ですから、買い物みたいに簡単な仕事は、後回しになるのです。夜九時まで開いているお店は、今は、おおいのですよ。だから、そういう時間帯でも、いろいろできるのです。
お料理とは、解凍をしたり、野菜の準備を丁寧にしたりすると、もし、東京まで出かけてしまうと、夕食に凝ったものを提出するのは無理です。その上、東京に午後の4時ごろ滞在して居たら、好奇心いっぱいの私の事ですから、あれもやりたいとか、これもやりたい(たとえば美術館にもよりたい)となって、結局は夜の、9時過ぎに帰宅をする事となるのです。だから、銀座の画廊巡りに行く日とか歌舞伎を見に行く日は、お昼に、しっかりした、ご飯を夫婦で、一緒に食べて、夜は、保存食2,3品とおつゆ(または、スープか味噌汁)と、焼き魚程度で、済ませてもらいます。この簡便な夕食だって、大戸屋とか、やよい軒よりは、食べ甲斐があるものを提供していますよ。ちゃんと準備をする日の夕食は、見かけはプロのシェフよりは、劣るが、味の方は、銀座アスター程度のものを提供します。::::::::
という挿入を入れて、2016年の11月15日の夜、7時45分ごろの蒲田駅西口商店街に戻ります。そこを歩いていると、隣をそそくさと歩く、制服の若い警察官を見つけました。フ、フーんと納得をします。
私が、夕食後外出する先は、たいてい、鎌倉駅近辺商店街か大船駅近辺の商店街です。そこだと、想定していたが、思いがけず、蒲田という遠征先だったので、ガードマンたちが間に合わず、制服の警官が、急いで、派遣をされて、私のすぐ横を歩いていたというわけです。
私が、夕食後外出する先は、たいてい、鎌倉駅近辺商店街か大船駅近辺の商店街です。そこだと、想定していたが、思いがけず、蒲田という遠征先だったので、ガードマンたちが間に合わず、制服の警官が、急いで、派遣をされて、私のすぐ横を歩いていたというわけです。
警察庁のCIA専門部門では、伊藤玄二郎と、関係が深い、柳沢昇を、保護しようとしているわけです。その為には、脅かしたり嫌がらせをして、彼について、私がそれ以上のことを書く気力を失わせようとしているわけです。それは、他のケースについても同じです。ともかく、今私が書いて居ることはすべてが真実なので、伊藤玄二郎と、石塚雅彦さんを中心とした、鎌倉エージェントたちは、大弱りなのです。成岡庸司君もね。特に経済企画庁に入って行っていますので、大弱りなのですよ。
が、もし、その若い警官が、正面切って私を脅かせば、今、私が書いて居る様なことをすぐさま、その夜のうちに書くでしょう。それを彼等、警察庁内部で、待機している(または、警視庁内部で、待機している)いわゆるCIA配下の警察の特殊部門は、熟知してるので、その若い警官に、ネットを通じて、私の顔写真を見せて、こういう人間がもし、お前の顔を凝視してきたら、すぐさま、パトロールの経路を変えなさいと、命令をしていたのだと思います。私は、彼等の想定通り、左側から、近寄って、彼の顔を凝視いたしました。しかし、頭の良い警察官だったらしくて、顔色一つ変えませんでした。で、考えを改めました。『この若い警察官が、ユザワヤ6号館までついてきたら、私の想像は当たっているわ』と。ところが、私がアーケード街の、道路の左側を歩いていて、東急プラザ近辺まで、差し掛かってから、後ろを振り返ると、
彼の姿は、もう見えませんでした。ここにおいて、私は次の様な二つのケースがあることを、想像し始めました。一つ目は、プロの、さらに上級の尾行者が、私の後ろについていて、その人物が、携帯のバイブレーション等を、使って、その若い警官に、それが、鳴ったら順路を、別の方向にかえろという指示をあらかじめ出していたと、言う可能性です。それと、二つ目は、あの警察官一人が、充分な訓練を受けていて、私が凝視したことで、すぐさま自主的に判断を変えて、進路変更をしたという可能性です。
彼の姿は、もう見えませんでした。ここにおいて、私は次の様な二つのケースがあることを、想像し始めました。一つ目は、プロの、さらに上級の尾行者が、私の後ろについていて、その人物が、携帯のバイブレーション等を、使って、その若い警官に、それが、鳴ったら順路を、別の方向にかえろという指示をあらかじめ出していたと、言う可能性です。それと、二つ目は、あの警察官一人が、充分な訓練を受けていて、私が凝視したことで、すぐさま自主的に判断を変えて、進路変更をしたという可能性です。
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副題8、『私は、この11月に入ってから、合計四回かな、ユザワヤに寄っている。冬になったので、編み物をしたくなっているのだ。毛糸は、充分に持ってはいるがアイデアがわくと、それ専用の毛糸が欲しくなるものだ。それで、ユザワヤ蒲田店に寄るのだった。横浜駅にもあるし、大船駅にもあるが、蒲田店は、買いやすい雰囲気がある。お客が多いのも好ましい事だ。
その際の、特に一回目は、スマホを持っていた。で、ユザワヤ蒲田店に、最近では、よく寄るのだという行動パターンを敵さんたちは、熟知した。今度は、そのGPS機能を利用して、蒲田で、脅かしてやれと、手法が、変更になったらしい。彼らが、銀座で、いつも使う手があるが、その同じ手が、場所だけが、変化した模様である。銀座で【駐車違反監視員】を使って嫌がらせ、兼、脅しをすると、すぐブログに書かれる。しかも、経済企画庁とか、慶応三田会などの、中枢に入ってくる文章を書かれる。
その上、総タイトルに【駐車違反監視員】というテクニカルタームを入れた、一章を、作られてしまった。そうなると、後注αで、それは、常に繰り返して使われるだろう。で、すでに、あまりにも、彼女に、脅かしであることが、わかってしまっていて、それほどに、効果が上がらない可能性を感じる。しかも、駐車違反監視員の、写真も撮られてしまっている。
だから、「蒲田で、それを使ってやろう。そうなると、蒲田まで、尾行がついているのかと、思って、暗い気持ちになるはずだ。そうすればいつかは、彼女はノイローゼになるはずだ。ともかく実行しよう」と、成ったらしいのです。
で、駐輪違反監視員と言う四人の、どんくさい風体の人間が、東急プラザ横を、私に引っ付いてくる様になったらしいのです。
この駐輪違反監視員は、制服があって、国家資格だそうです。で、上級部門は警察だそうです。で、私は警察が、私を脅かすために作った、役割と役職だと、おもっております。
でね、一方の、イッコーと言う会社は、民間企業です。大船駅と、鎌倉駅と藤沢駅と、JR久里浜駅と辻堂駅と、本郷台駅と、洋光台駅などに、出没するガードマンは、イッコーという民間会社の、人員です。しかし、お金は、どこから出ているのでしょうね。私が去ったら、五分後に、彼らが、帰っていく姿を鎌倉で、確認をしていて、それをブログで書いています。そうしたら、30分は待機している様になりましたけれどね。
京急が雇っているのは、黒い制服のガードマンで、こちらは、横浜駅と、金沢文庫駅に、多数回出没しています。
これが、私が、日本の警察は、CIAの支配下に在る私兵と化していると、言うゆえんの一つです。それと、伊藤玄二郎がCIAの重要なエージェントと化しているという証左の一つです。それを丁寧に、どなたにもわかる形で、書く事ができるのが、柳沢昇と、石川和子さんがやった事なのです。
それは、別の章で、さらに詳細に語っていきますが、本章は、お料理と、夕食後の外出と言う、項目に限って、語ってみました。後で、推敲加筆し、写真や、後注を入れて、完成をさせるつもりです。そうしたら、署名と書いた日付を入れます。