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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

朝ドラ【べっぴんさん】にシベリア抑留の話が!・・・やまゆり園事件とは、税金を使って、自分達の悪事を秘めて行こうとする、例の一派が案出した自己救済策である

2016-11-23 13:02:20 | 政治

 今は23日の夜11時半ですが、今から、下の文章の推敲を始めます。加筆した部分は緑色の字で、表現をいたします。そして、最初は、総タイトルが『朝ドラ【べっぴんさん】にシベリア抑留の話が出てきた。それを経験した三人の芸術家と、その中の香月泰男から、機縁する私の祖父母の話』としておりましたが、次の日の、午前3時に上のものへと、変更しました。

副題1、『NHK朝ドラ【べっぴんさん】に、シベリア抑留の話が出て来て、あれ、あれと、思う』

 NHK朝ドラ、【べっぴんさん】は、見ないこととしていたのです。どうも、子供用品の店、【ファミリア】が舞台らしいと、耳に挟んで、『フーン、実録ものですか。そうなると、制限が多くて、甘いお話になるでしょうね』と、思ったからです。鎌倉にも【ファミリア】の店舗がありますが(改修中だったかな?)銀座にもありますよね。表通り(または、中央通り)に。その店頭に、50代前半だと思われる女性たちの写真が、展示されていて、それも、『フーン』と、思って通りりすぎただけでした。

 ところが、わが家では、主人がニュースに引き続いてテレビをつけているものですから、偶然に見始めて、『おや、結構、面白いではないですか?』と思い始め、番組が開始してから、だいぶたってから見始めております。ヒロイン・すみれさんをやる女優さんが魅力的ですよね。それと、オムニバス映画【TOKYO】の第一部に出て来て、椅子に変化してしまう女性を演じて、椅子からまた人間に戻ったという形で、椅子は、洋服を着ていないわけですから、全裸で、東京を走り回る、熱演を見せた谷村美月さんが、出ているのにも気が付いて、興味を抱いたのです。脇役として、出ています。しかも、他の三人がお嬢様育ちの中で、出身階級が違うという、少しひねった役柄として出ているのにも、惹かれました。伊藤かづえさんが居たから、南野陽子さんが、輝いた様に、脇を固める女優さんが、上手だと、ドラマが引き締まります。

 そのドラマですが、22日と、23日で、シベリア抑留の話が出てきました。主人公・すみれさんのご主人は、シベリア抑留から帰国して、今、日本の変化について行かれず、悩んでいる最中だと、言うお話になったのです。

 『あれっ』と、そのチャネリングに驚きました。

 シベリア抑留については、私の親戚にも居て、帰国直後には、日本に合わなかったと、言う話を聞いているので、まさに、それを、表現していますから、驚いたのです。特に私がアートの方面で、三人の有名な人物が、シベリア抑留の経験があると書いたその同じ日の、番組だったので。

 それに、『おや、おや、この脚本家は、現代の女性でしょうが、おとなしげに見えて、しっかりしていますね』と、思ったし。

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副題2、『それは、まさしくチャネリングだと思うが、21日の朝、それを、目の当たりにした、私は、ひどく驚いた』

 私は、前報

リスにも感情があるのだった。宮崎進、小野寺夫人、前田祝一→私の4冊目の本【伝説のプレス】の周辺の話の一つを語ろう   2016-11-21 12:56:15 | 政治 

の中で、冒頭に写真を使っております。それは、今連続して書いて居る、柳沢昇という【かまくら春秋窯】の現在の主宰者たる男性を、分析していくために、準備している写真でした。それを撮影したのは、2016年9月28日の夕方であって、その際に、柳沢昇が自宅の中から私へ向けて放った、三本の、捨て台詞が、これまた、非常に重要なので、そこから、いろいろの分析を開始する予定でした。

 頭の中では、そういうつもりになって居たのです。しかし、『午後からは、銀座の画廊巡りに出かけないといけないなあ』と思ったので、時間が足りません。それで、導入だけで、一本にしようと思って、写真から始まるエピソード3本のうちで、宮崎進さんの、部分を特に、取り上げて、一本のブログとして仕上げたのちに、外出したのでした。それがシベリア抑留の話なのです。で、そこからは、三人の、シベリア抑留を経験した芸術家の話に入ります。それは、すでに、お読みいただいている方もあると、推察していますが、前報の中に入れ込むよりは、こちらに入れた方が、いいと思いますので、移動をさせていただきたいと、思います。

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副題3、『宮崎進さんは、頼朝が選んだ、山に囲まれた鎌倉の中で、東側の山のふもとに住んでおられる。我が家は、そこから、西西西北に、一キロ離れた西側の山の中腹に位置している。毎日、宮崎進氏の家のあるあたりを眺めながら、住んでいる』

 

 上の写真では、左側にピンクのぼんやりしたものが写っていますが、それは、窓の内側に置いた花瓶に生けた薔薇です。窓枠の中に、遠くの家並みが見えます。その中に、宮崎進氏のアトリエがあります。白い建物ですが。

  宮崎進さんと言う方は、現代アートの世界では、非常に有名な方です。ビートたけしと言うほどの、大衆へ浸透している知名度は、ありませんが、専門家の間では、ビッグネームです。

 そして、香月泰男、1911年10月25日 - 1974年3月8日)浜田知明と、並んでシベリア抑留を経験した人として、有名です。

 香月泰男は、最近あまり取り上げられることがないのですが、ちょっと、簡単にまとめると、芸大出身で、山口県の田舎で、高校教師をしながら、顔シリーズに取り組んだ作家です。シベリアの酷寒の地で、食べ物もなく、着るものとてない状況の中で、次から次へと死んでいった日本人の、絶望だけが浮かんだ顔が、雪の中の、暗い小屋の中で、浮かんでいるという様な状況をこちらに知らせてきます。雪を見ると、それがあまりにも白くて明るいので、反転して、電気もない小屋の中は、漆黒に見えたでしょうね。

 だから、一種の抽象画風にも見える、顔シリーズですが、リアルな具象画でもあると思います。

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副題3、『ニューヨーク在住で、画廊を経営している、竹本三鈴さん(芸大出身者)の動きから、宮崎進さんも、山口県の徳山市・・・・・<現在は、周南市>・・・・の出身だと思われた。また、竹本三鈴さんのいろいろな動きから、判ったのだが、宮崎進氏が、鎌倉エージェント(=CIA=)側に、べったりの画家であることが。それが、私には、はっきりと、推察されるのだった。特にこの緑色の部分が、どうしてか消えており、外出中の、5時間以上の間、読者の皆様に向けては、意味不明な文章になって居たので、余計、大きな意味があると、考えている

 ここにその名前を挙げている竹本三鈴さんが、これまた、大問題を、対・私に対して、示している人なのですが、彼女とは、非常に不思議な縁をいっぱい感じるのです。まず、竹本さんが、徳山の海岸線にある、石油コンビナートに勤務していた人の娘だと、仮定をすると (大体、私の想像は当たっているでしょうが) 父が、同じ石油関連のエンジニアの日本での、走りだったのだから、三鈴さん側の、父君の、過去の人脈などを探ると、結構な関係がある様な気がしています。それから、シーシェパードとか、オイルシェール問題は、すべて、私のブログから発しているとも、ここでは、言わせてくださいませ。アイデアを、このブログから、取って来た社会的ニュースはいっぱいありますが、その二つは明瞭にそれにあたるのです。

 今、急にパソコンへの攻撃が激しくなったので、このアンダーラインの部分は、特に、真実だと、おもっております。私以外のだれも言っていない事でしょうが、真実です。

 この竹本さんが、故郷を、共通するという形で、強烈に、宮崎進さんに、結び付いていくのですが、と、同時になぜか、私に対して、強烈に意地悪になってくるのです。それが、例の政治的問題が裏に隠れている様な気がしますね。普通ではないです。絶対に普通ではないです。

 特にシルクロードの女性を描くことで有名な入江一子さんが絡んでいる件では、それを明瞭に感じました。でも、本日は、それは、詳細は、書かないで、置きましょう。ただ、私が、すべてをわかっているという事だけを、示唆するだけに、とどめておきましょう。それは、確かな事なのです。

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副題4、『香月泰男は、下関で、高等女学校の、教師をしていたと、2016年に入って初めて知った』

今、念のために、香月泰男の、wikipedia を開いたら、下関の高等女学校の、先生をしていたのだそうです。えっと、驚きます。そこって、母が卒業した学校です。無論のこと、年齢から考えて母が卒業した後に先生になられたのだと、思いますが、すれすれ、習っていたかもしれません。ただ、母の父は、長らく校長を、していたので、私の祖父と香月さんは、お互いに知り合いだった可能性があります。

 と、初稿で書いて居ました。しかし、次の日(=23日)に、正確に調べなおしたところ、ある部分で違っていました。所在地が共通なのと、旧制高女だったという事で、同じ学校だと、思っておりましたが、違いました。同じ下関に在ったけれど、山口県立高女と、下関市立高女との違いがあって、母は県立の方を卒業しています。そして、母が卒業した学校の方は、長府高女と言いました。長府製作所と言う会社がある様に、下関の別名が長府です。

 二つの、女学校は、県立の方が、1900年(大正14年)、市立の方が、1905年に設立をされて居ます。で、下関が昔、どれほどに、繁栄をしていた都市であるかがわかります。

 というのも横浜に、県立第一高女(のちに平沼高校となる。私は、石川和子さんが、平沼高校で、伊藤玄二郎と、先輩と後輩の間柄であったと、推察しているのだけれど)が設立されたのは、母が、卒業した、山口県立長府高女と、同じ年ですが、横浜に市立高女があったという話は、聞いたことがないのです。戦前の、横浜には、高女が一つしかなかったのに、下関には二つあるわけですから、どれほどに、繁栄をしていたかが、推察されます。

 今、この件に関して、グーグル検索を掛けたところ、山口県の、旧制高女は、毛利藩が、設立した、山口市内の、旧制高女(しかも、1948年までは、私立である)しか出て居なくて、こういう処にも、グーグル等が、隅から隅まで、CIAに支配を受けていることがわかります。つまり、私が、この長府高女卒だというエピソードを以前書いたことがあったので、グーグルのまとめサイトの中で、県立の方も私立の方も、下関に在った高女は、削除されているのでした。なるほどねえ。

 でも、香月泰男が勤務していた高女(市立)と言うのと、母が卒業した高女(県立)が、同じだと、誤解をした私はそこから、以下のエピソードを、脳内から、紡ぎ出しております。

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副題5、『私の母方の祖父は、山口県内で、旧制・柳井商業の、校長を、戦前、戦中、戦後と、40年間も勤務していたのだった。そして、徳山で、子孫(私の異祖母系、従姉妹)が、美術の先生をしているのだった』

 ここに少し修正があります、私の異祖母系、従姉妹と二重ガッコ内では、書いて居ますが、そうではなくて、正しい言い方をすれば、母の異母妹でした。だから、私にとっては、半分血がつながった叔母となります。また、祖父が、秋山家の養子になってから生まれた7人のお子さんのうち、美術教師になったというそのお嬢さんは、下の方のこどもだったと、聞いています。後年になってからの話ですが、実は、叔父(=母の実の兄)を、異父妹のそちら様が、訪ねてきてくださったことがあるとも聞いているので、現在生存中であれば、85歳ぐらいです。

 そうなると、勤務地が徳山市(現在は周南市)だったとも聞いているので、上の節で、軽く触れている、竹本三鈴さんの、先生をしていた可能性もあるのでした。(笑い) 「縁は異なもの、味なもの」と言いますが、特に私は、自らの中に、引きよせる力が大きいので、この推察は当たっているかもしれません。となると、2001年までは、普通の関係だった三鈴さんが、2007年ごろに、大きく変化して来て、私を虫けらのごとく扱う様になったことは、道義的に見て、いわゆる三すくみ理論が当てはまって来て、三鈴さんにとっては、まずいことだったということになりますね。私の方は、リアルな世界で、喧嘩を挑むことはありません。また、権勢をふるう事もありません。しかし、ですね。神様の采配と言うのがあります。神様って、直接的に、表されるわけではないが、見事に、采配を振るって、悪事を修正なさって行かれるのですよ。

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副題6、『石井国土交通大臣が、旭化成建材の杭うち疑惑事件で、2015年度の秋に飛んだり跳ねたり、されたので、見事なほど、この日本の国土に、2016年度中に災害が噴出している。4月に熊本城が、崩壊した地震に始まり、鳥取県の地震(10月21日)、そして、福島県沖の地震(11月22日)、高速道路建設現場での、橋げた落下、福岡市の道路陥没等々。これは、安倍総理大臣の任命責任だと、思うけれど、安倍総理大臣ご自身が、薄氷を踏む状態であると、私は思っている。谷垣禎一氏が、すでに、死亡と、見ているからだ。外交的成功と、NHKは、はやすけれど、国民に還元すべきお金を世界中にばらまいているので、人気がある様に、見えているだけである』

 この章は、加筆中に、生まれた挿入に当たります。だが、私は、常日頃、こういう風に考えておりますし、神様のご支配というのは、本当に理にかなっていると、見ています。

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副題7、『今、林文子横浜市長が、最大限、活躍をする様に、仕組まれている。NHKニュースにおける報道上のテーマは、見かけ上は、福島県避難民の特にこどもへのいじめ問題だが、裏に在る、本当の目的は、林文子市長に対する、ロンダリング(洗浄化)にある。何故、彼女を洗浄化しないといけないかと言うと、この人も又、旭化成建材の、杭うち疑惑騒動へ対して、悪い方向で活躍した、鎌倉エージェント側のかわい子ちゃんだからだ。近々、私が、それについて触れるだろうと、彼等、敵さんたちが考えて居るからこそ、林文子市長の、露出が大きくなる。

 ところで、それと並行をして、彼等は、直接的な攻撃もやって来る。本日、銀座の画廊街に行って、夜の10時に帰宅をした。東急電鉄の、株主優待券が、送ってきたので、横須賀線一本ではなくて、日比谷線+東横線を利用して帰宅したので、40分ぐらい、遅くなる。こうなると、主人が布団に入ってから、私が帰宅をするまでに、2時間の差ができて来る。その間に、我が家に在る額を、斜めに動かしておくという嫌がらせが、また、行われた。

 画廊街のエレベーター、地下鉄銀座駅、及び、東横線・横浜駅、JR東日本・横浜駅、同鎌倉駅、横浜銀行・鎌倉支店、ATM設置部屋(40平米は有ろう、立派な部屋)などに、監視カメラが、在るから、それを凝視している警察が、殺人用別働隊を、動かして、この額を斜めにしたか、または、合いかぎを、そちらから、もらっている、この山の住人が、それを行ったかのどちらかだが、こういう具体的な嫌がらせを受けたことが、また、今書いて居ることが真実だと、言う事の傍証づけとなるのだった』

 でも、ひどいでしょう。主人が寝ているのに侵入をするのです。しかも、警察が絡んでいますね。では、どうしてそういう事が起きるかという事を、語らないといけません。そここそ、今取り組んでいて、邪魔が入ってなかなか、結論部分まで行かれない、柳沢昇+石川和子さん夫婦に、原因があるのです。こうではないが、いつかは、その説明に、取り組みます。

 この額を動かすという嫌がらせは、2007年ごろから始まって、すでに、30回程度は、行われている嫌がらせですが、ここ、数年間は、終わっていた嫌がらせ手法の一つです。それが、復活したのは、やまゆり園事件が報道されてからなので、やまゆり園事件に関して、私が言っていることはすべて真実だという事です。

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副題8、『やまゆり園事件の真実とは・・・・・措置入院という述語を、広く庶民の間に浸透をさせ、その次に、私のご近所住民、四、五人を糾合して、措置入院の、申し出でをさせ、私を強制的に精神表院へ収容をして、書き手として潰して行こうとするのが、真実の目的として起こされた、謀略であり、19人もの死者は、出ていない、炎上型、かつ、劇場型犯罪であった。その真実を書いて居るがゆえに、この額を動かすという嫌がらせが、再燃したのである』


 私は、やまゆり事件については・・・・・あれは、仕組まれた謀略であって、云々と、書いて居ます。上の二重ガッコ内に書いたことを、連続して少しずつ書いて居ます。植松聖は、リクルートをされて、教え込まれた通りに動いているだけであり、19人もの死者は、出ていないでしょう。ただ、大げさに、報道をされて居るだけであるとも。本当の目的は、庶民の間に広く、措置入院というテクニカルタームを、覚え込ませ、そのうえで、前田祝一氏が、中心となって、この山の中の住民、四、五人を糾合して措置入院を申し出でさせ、それを使って、私を精神病院へ、強制入院をさせて、ブログを書けない様にさせようという目的で、遂行された謀略です。

 その糾合する、四、五人の中が、前田祝一・清子夫妻、安野忠彦・智紗夫妻、白井達雄・小野寺夫人夫妻(夫婦別姓です)、柳沢昇・故・石川和子夫妻、渡辺賢司・ミカ夫妻等々だけだと、弱いと、彼等、鎌倉エージェントは、考えたのです。
 いかにも見え見えの、復讐ですから。復讐が根本に、控えて居る形の、言論弾圧ですから。

 それに加えて、もし、中間に立っているT夫妻を、こちら側に引き込むことができたら、最高だと、考えたのだと、思います。実は、数年前から、彼等悪人たちは、T夫妻を巻き込んでいました。しかし、T夫妻は、お子様が、過去に行ったリンチ事件の事で、私側に弱みを握られているという、自己認識があるので、私とは、表面的には、仲良くしてきたのです。

 私の方は、そういうことを一切飲み込んでいますが、T夫人が、この山では、一、二を争うほどの、育ちがいい人なのです。
 経済的にも豊かだったと、推察されるし、両親からの愛も、充分だったと、推察されて、きわめて品が良くて、かわいい人なのです。決して弱くはないし、バカでもない女性なのですよ。ただ、比較をして、他の、主流派連中、主婦に比べると、はるかに上等な人物なのです。

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副題9、『2016年9月26日に、行われた尾上共同事業体が、労働作業をした、高枝切とは、T夫妻を、表向きにも、自分たち側に取り込むための、策略だった。利益を与え、言う事を聞かせるという原始的な手法だったが、金銭の出どころは、税金である。いかにも、鎌倉エージェントの発案らしい悪辣案策略だ・・・・・それの、主役が伊藤玄二郎であることは、その二日後の、夕方の、柳沢昇の、三個の、捨て台詞で、ほぼ確定的に、私には、判ったのである。単純極まりない、おバカさんである、柳沢昇の存在意義、まさしく、ここにありと言うべきだった』

 私が、鎌倉エージェントと呼ぶ連中の中で、鎌倉在住の人間としては、伊藤玄遺漏がトップを担っています。しかし、この雪ノ下の、小さな谷戸で、そのトップを担っているのは前田祝一氏です。その前田祝一氏が、この山の、連中をてなずけて、自らの味方として、作り上げて行っていますが、表向きには、それを表現することができません。というのも、その、私をやっつけたいという、根本のところに、自分たちの方が悪いのだと、言う理由が隠れているからです。

 だから、渡辺賢司を味方にしている事も、その奥様のミカ夫人を味方につけていることも、表向きには、隠していて、すべての人が、バラバラに、独立して生きている様に、体裁を整えております。しかし、彼は、時々焦ることがあります。または、後ろにいる伊藤玄二郎や、まだ、本当は生きている井上ひさしたちが焦るのかもしれませんが、一気に、ことを片付けようとするのです。

 それは、今までで、三つほどあって、もっとも、汚いものは、2013年五月に、小野寺夫人を使役して行われたものです。

 それを、たびたび、コピペで使っていますが、しかし、彼等の悪辣さを、象徴する最も大きな事案なので、ここでも後注ではなくて、挿入と言う形で、入れ込んでおきます。::::::::::::: 

前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△   2013-06-11 15:31:49 | 政治       :::::::::::::

 このブログに書いた事案・程、ひどい謀略は過去に見たことがないというほどのものです。ただ、是の見かけ上の、大きさは、、やまゆり事件ほどに、大げさではないので、別にNHKが取材に来たわけでも、テレビ朝日が、取材に来たわけでもないし、テレビ東京が取材に来たわけでもありません。でも、道義的に言って、これほどにあくどい事を、普通の市井の人がするという事が、まず、考えられないほどの悪辣さです。
 まあ、小野寺夫人の方には、お子さんが居ないので、道徳的には、「その日暮らしで、やって行こう」でもいいのですが、前田家の方には、お子さんも孫もいるのですよ。そのうえ、お嬢さんの方は、リヨン大学へ留学をさせて、しかも、某有名大学の教授にして行こうという立場です。

 「それで、よくこういう事が、平気でできるものですね。頭がくるっているのはあなたの方でしょう?」と、内心でおもっております。

 この後で、渡辺賢司ほか、数軒を使った、午前10時の布団たたきという事案が起きるのですが、煩雑になるので、それは、後注1に置きましょう。

 そして、高枝切り事案です。

 ここで、午前、二時半、この続きは、明日書くとさせてくださいませ。

 ただ、書くべきことのメモを置いておきます。

 高枝切は、利益享受者が、お金を支払わないシステムが、使われたと思うが、それを、決定した、阪中英夫鎌倉市市役所吏員は、利益享受者が、税金を下してくださいと、言ってきた日時を記録しておらず、かつ、記憶にもないのだった。追及しているうちに突然に、電話で申し込んできたと、言われた。普通の市民が、税金、数十万円をもらうのに、電話で、申し込んで済むだろうか? 異様であり、嘘であろう。阪中英夫の背後にいるのは誰だ? 多分伊藤玄二郎だろうが・・・・??????

 T家の
ご主人側の父君は、元、慶応大学の教授なので、鎌倉市内の情報には、詳しいうえに、経済的な余裕があるから、他の家に比較をすると、三倍の広さの敷地を購入してある。したがって、北側に、余裕地があって、そこに、原生林を残してある。それは、税金が下りる、対象となる、危険木であるとは、とても言えない。しかも、阪中英夫は、審査にも来ていない。

 しかし、T家の原生林の樹木たちは、より北側のしかも、低い場所に位置している、近隣の住民の、日あたりを、悪くはしている。今般の、高枝切は、以前のそれとも同じで、いつも、わが家は日当たりが悪いので、園芸をするにあたって、工夫が必要でと、書いて居る私をからかい、我が家だけをのこし、置いてきぼりにして、すべての家の日あたりを良くして、それを、提案し実行して行った、前田祝一氏の、自分たち側に組み込まれている事の優位性を示すためのものだった。

 まあ、やり方がうまいと言えば言えるのだった。しかし、いよいよもって、このミステリーの主役たちの、真の姿が、把握でき始めてきたので、高枝切事案も、役に立つと言えば立つのだった。
 そして、相変わらずのバカさ加減で、前田祝一一派に協力をする小野寺夫人がリスにからかわれたり復讐されたりするのも道理な事だった。過去に、彼女が、100回近くも、かしわでを打って、リスを脅かしたことなどなおのdい。これは、音によって、脅かしたり、嫌がらせをしたりすると、効果が上がると、馬鹿の一つ覚えみたいに、案を提出したであろう、バカさんたちに、協力をするから、天に叱られたという現象の、バリエーションのひとつなのだ。

 台湾リストは、リスの中では大型の方だが、それでも、毛をむしり取ったと仮定をすると、体重は、500グラムもないであろう。したがって、脳みそは、人間の100分の一程度の重さであると、考えられる。リスは、頬っぺたの中に、餌を、入れ込んで、ふくらませることができる。したがって、小鳥一日分に当たる餌を、一遍にさらっていってしまう可能性はある。

 だけど、たいていの場合は、人間の方があきらめる。餌台の上に、小鳥用の餌が無くなったら補充をするという形をとる。リスだって、24時間底に、へばりついているわけでもないので、提供者側の、人間が、お金を費やして、餌を補充するだけだ。小野寺夫人だって、真正のバカでもあるまい。だから、普段の日に、100回も、威嚇的な、大きさの音で、かしわ手を打っているわけではない。ただ、2016年11月21日は、前夜の、連絡会議で、それが提案をされ、彼女は、やすやすと、それに乗ったのだろう。それで、高さ10mのところから、リスに馬鹿にされながら、100回ぐらい吠えられるという形で、威嚇をされて居た。リスにも感情があるという事が初めて、私に判ったのだ。総重量、20グラムぐらいの脳味噌だと、思うけれど、いや、いや、素晴らしいものでした。意気軒高とは、このことです。もし、小野寺夫人がもう一回、反転して、リスに対して、復讐に出るつもりだったら、猟銃を用意しないといけないでしょうね。バーンと鉄砲の音が、この山に響くのでしょうかねえ。それこそ、暴力の最たるものであり、驚きますが・・・・・???????


 


@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

  私の母方の祖父は、八木家の養子だった・・・・<もともとの姓は大内だとか>・・・・・のですが、養父母に気に入られなくて、母と、その兄(=私にとっては叔父)を置いて、家を出たのでした。その後、別の家(秋山家?)に新しく養子に入りなおして、・・・・<頭は優秀だったので、引く手あまただったらしいのですよ(苦笑)>・・・・・香月さんと同じ山口県内の、柳井商業(戦後は高校となる)の校長を戦前・戦中・戦後と、40年間もして居ますので、お互いに知り合いだったのだろうと、思います。更に詳しく言うと、祖父は八木家で、2人、秋山家で、7人の子供をもうけたので、総計9人もの子供のいる人だったのです。秋山家のおくさまが丈夫だったという事は言えると思いますが、まあ、明治以降の生まれで、しかも元銀行員というインテリの範疇に入る人としては、すごいですね。エネルギーレベルが高いです。私は遺伝上は、真実の孫なので、私もエネルギーレベルは、普通よりは、高いかもしれません。

 あ、もう一つエピソードを思い出しました。或る日、母が校長室に呼ばれたそうです。大体の学年で副級長をしていましたので、『何か御用を言いつけられるのかしら?』と思いながら出かけたら、校長室に実の父が待っていたそうです。高女と、商業の校長同士の縁で、お願いをして、娘を呼び出してもらったわけです。母の母、つまり、私の実の祖母は、たいへん若くして亡くなっています。小学校へ入学以前に亡くなったそうです。で、私の母と、兄は、叔父の家に引き取られています。家は、裕福だったので、学費に困るなどと言う事は無くて、着物も買ってもらえる立場でしたが、実の親の愛を知らないわけです。それを心配して、実の父親が、校長同士の縁を使って、訪ねて来てくれたのでした。

 この時のことを、母は、「照れくさくて、どうしていいか、判らなかったわ」と言っています。私は母が大正生まれの人だし、そういう表現しかできなかったと思いますが、でも、心の中では、嬉しかったのだと、思います。そして、きっと一生の宝物となって居ます。祖父にとっては、現在の奥様に気兼ねだから、自分の家に招くわけにもいかないし、母がお世話になって居る叔父の家には、無論のこと、顔は出せません。日頃の世話を放っておいて、いいとこどりをすると、思われてしまいますからね。

 だから、下関の高女の校長室を利用したのです。でも、それだけ、愛情が深かった人だと、思います。だって離婚ではないのですよ。でも、家庭内にごたごたがあったという事を、それなりに紳士面をしている校長同士で、打ち明けないといけません。だから祖父にとっては、恥を忍んで娘不憫さに会いに来たのです。ところで、一種の離婚みたいなものだけど、お嫁さんに当たる、私の実の祖母が、どうして、抵抗をしなかったかですが、それができなかったのですね。どうしてできなかったかというと、彼女の方も養女だったのです。こういう制度は、取り子取り嫁と言って、昔は、家を守り存続をさせるために、よくあったケースだそうです。で、祖母の方は、養父母と、遺伝的に血がつながっているから、家を出られないわけです。で、夫だけが家を出たのです。二人で、家出をするわけにはいかなかったのです。

 この祖父が、日吉の、私の実家に、東京出張のついでに泊まったことがあり、一緒に夕食を取った覚えがあります。上のエピソードを既に聞いていたので、山口県内の、昔の中学とか高女とかの先生同士の間では、交流があったと、思うので、香月泰男と、祖父が知遇があったはずだと、言い出しているわけです。今ほど、学校の数も多くはなかったし。

 そういえば、私の両親は、香月泰男を画家として、好きでしたね。

 ところで、ここですが、私立と、県立の間で、先生方が交流がなかったと、言えば言えるのかもしれませんが、在ったかもしれないのです。私が上に書いて居ることは、あながち間違いでもないのですよ。

 というのも、私の父と母はお見合い結婚ですが、無論のこと、先生方の間での、ご紹介だったでしょう。父も母も職業を言えば、教師ではないのですが、父方も母方も、親戚のほとんどは、明治以降は、教師をしています。その間の、お見合い話だったので、先生方は、お見合い情報の、交換は、しょっちゅう、やっているということを示します。

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副題6、『朝ドラ【べっぴんさん】では、酷寒の地で、ふろに入っている間に、着ているものが盗まれる話が出て来る。現代の、俳優が、それを演じると、立派な筋肉が見えるので、違和感はあるが、その抑留生活の過酷さは、三人の抑留経験者の芸術家の中では、一番直接的な、現れをしているのが、浜田知明の版画だと、思う。朝ドラの、脚本家は、あの版画を見て、この人物を造形したのだろうか?』

 浜田知明(1917年<大正6年>12月23日- )は、同じく芸大出身で、一時期東京で暮らしておられたが、最近は、九州で、生活をしておられます。念のために、wikipedia を開くと、99歳です。うーん。我が家の山の下の鎌倉街道を北に向かって、5分ほど、歩くと、鎌倉近美・別館と言う美術館があり、そこに浜田知明の、【初年兵哀歌・シリーズ】があります。常設展示だったかどうかを忘れていますが・・・・・いらっしゃる前に、お問い合わせをしてください。

 そして、宮崎進(1922年<大正11年>1月15日 - )さんです。浜田知明は、収容所にいる日本人たちが、非常にやせていたということを、表現する人ですが、宮崎進さんの、麻の半立体は、寒い、寒い、中で、麻袋で、着るものを作った、時期があって、その思い出から、ああいう素材を使われているのではないかと、思います。

  2016年11月21日に一部を、書き、23日に一部を書く。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3781399です。

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