銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ワシオトシヒコ、小宮悦子、ビートたけし(結核キャンペーンについて)

2011-02-16 21:57:16 | Weblog

 今、書き終えて一日経っていますが、タイトルだけを、上のごとく変えました。

副題『長谷錦一(元画廊オーナー)、増田きよみ(現画廊オーナー)、ひろせのぶこ(宮本常一の弟子)』を上の三人に足す)
 
 これも、政治ものです。それは、7000字より先に、明瞭になります。

 実は、いろいろ、中途半端になっているのですが、そのひとつ、長谷さんの個展が中止になったという件を主として、以下を書き進めましょう。

 本当は、大相撲壊滅作戦の再、再燃が一番重要です。それが突然、火曜日に再燃したのは、なぜか。実は2月14日にあげた、『お受験、出世、引きこもり + 児島百代の詩集』の中に、『私は繊細なので、詩が書けました』と言う文言があります。それを分析してさっと、大攻撃が再開されした。二月の初めの一週間徹底的に批判していて、やっと静かになったと思ったら、さっと、まったくの元戻りです。

 「私には繊細なところがある」と書いたブログは、すぐさま、井上ひさしが読み分析して、伊藤玄二郎、に伝わり、または、成岡庸司君などの、瀬島機関とかに伝わり、それがすぐさま、小沢一郎再擁立(というか、彼の復活の動き)へつながっていきます。ですから、小沢一郎氏が、もっとも、国際的軍産共同体(大昔の言葉で言えば、CIA)に近い人物であるという事の証拠と、これもなるわけです。

 こんなに、みえみえだと、なんだか、気が抜けるほどです。戦う気にもならないというほどです。いつも彼らは幼稚だといっていますが、これほど、敏感に、私の「私は繊細です」に乗っかられると、『彼らって、なんの、権威も力もないのねえ』と感じる事となります。、

 でも、ともかく、そのときに、彼らは、『勝てる』と感じて、大急ぎであれこれをやってのけたのでした。で、私は負けたというのでしょうか?

 もともと、というか、実はというか、「あなたは、勝とうと思っていたのか」と問われれば、「そうでもない」というしかないのです。彼らに勝つという事は、物量的にはできないですよね。大朝日新聞と、大NHKと、大(?)小沢派に対して、たった一人の存在である私が、勝てると思いますか?
 私には勝つとか、負けるとか、いう事はどちらでもいいのです。つまり、分析すること、考えることが必要なので、また、大切なのです。

 で、大相撲壊滅作戦のいきさつと、全体像は既に、考えて発表してあるし、それと、まったく今でも考えは変わっていないから、仕方がないので、ここでは、放って置いて別のことを考えましょう。

 で、中途半端になっている『長谷さんの個展の中止』という項目へ戻ります。

 これは、ただ、美術界のことであり、日本全体としては、小さいことです。が、私が週に二日はそこで、命を燃やしている銀座では相当に物議をもたらしたらしくて、さまざまな反応が出てきました。

 で、その個展の急な中止は、ご本人の理由は体調が悪いという事でしたが、私が原因であろうし、その原因となったのは、以下の文章だと感じます。それは、左のカレンダーでは、1月の27日付になっている、タイトルは、

野球賭博・・・再燃の新聞記事から、証明されること、
2011-01-27 03:42:33 | Weblog 


  ものです。トラックバックが利きませんので、ご興味があれば、そこへ戻っていただきたいと、普段なら書くところですが、今回は非常に重要なので、以下にそこを、自分の過去ブログから、コピペします。
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 前半部分・略
 今日も銀座で有力な情報を得ました。それは、長谷さんというおしゃれな紳士が、私を無視しましたが、それだけで、ものすごく多量のことがわかるのですが、それを、長谷さんに説明するわけでもありません。だから、ハセさんは、彼の方が、時によって私と挨拶を交わし、時によって、無視することが、結果として、どちらも大きな情報を私に与えているかということを、夢にも知らないでしょう。

 これ以降も略
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 でね。これを長谷さんに送っているわけではありません。しかも、私は、長谷さんが、これを世の中に出した一週間後から、銀座のK's ギャラリーというところで、個展をされるなどとは一切知りませんでした。だから、個展を中止させようとして書いているわけでもないのです。

 これは、本当です。月刊ギャラリーという雑誌を長く、創刊以来・取っていました。が、これも以前書いたように、そこの社長夫人から、私が連載中によく送ったクッキーの「レシピを教えてください」というメールが来て、教えてあげて、「実際に作りましたよ。子供(末っ子さんで当時、小学校一年生だった)と一緒に作りました。おうちにバニラのよいにおいが漂うのは幸せなことでした」と言うメールが来た途端に日本全国でバターが払底したので、それ以来、月刊ギャラリーとは縁を切ったのです。お気の毒でね。私と付き合わせるのが。
 で、月刊ギャラリーは、今では取っていないし、

 新美術新聞も油井一人さんという社長さんが、それこそ、長谷さんと似た役目をされているなと思うので、とっていません。で、画廊で作品を見る前の事前予習は、まったくしないのです。情報を頭にいれないのです。どんな作家がいつ、どの画廊で個展をやるかというスケデュールには関心がありません。

 だから、もちろんのこと、長谷さんが、2月3日から個展をされるなど知らないで、上のブログを書いたのです。

 しかし、自分の巫女的、能力の高さには、驚きます。これも一種のチャネリングです。長谷さんが微妙な影を、私とK'sギャラリーのオーナー増田きよみさんとの間に落としているのは知っていました。が、それを書いたのが、まさしく長谷さんの個展の一週間前とは、そんな事は夢にも知らなかったのですから。

 で、私は、長谷さんにメルマガを送っていないし、ブログのURLやタイトルを教えてはいません。増田さんは気がついて、ドキッとしたかもしれないけれど、『雨宮(私=本名・川崎千恵子)の事なんか、たいした存在ではない』と思っておられるから、それを気にして彼女が「長谷さん、やめましょう」と提案している筈はないです。

 では、どこから、長谷さんに、「雨宮舜が、かくかくの文章を書いたから、長谷さん、今回の個展は、中止した方がよいですよ」という連絡が入ったのでしょうか?

 私のパソコンは常に、しかるべき筋にハッキングをされており、それを、読むはずのない長谷さんに連絡が行きます。連絡を入れた人は、酒井忠康氏、または、油井一人氏、または、美術の窓の社長さん、または、平野和子(ギャラリーボウのオーナー)さん、それとも川島(元、村松画廊のオーナー)さん?
 ともかく、その人物は、長谷さんを、過去に教唆して、私をいじめるように動かした人物であり、そういう風に裏側で動いている人間こそ、『平家物語・黄瀬川で、一気に雪崩を打って逃走した平家武者』と同じく、びくびくしているのだと思います。

 後ろめたいところがあるから、びくびくするのです。

 がね。その人物がそういうふうにいっていても、長谷さんが、私なんか気にしないと思えば、別に個展を中止する必要はないです。私は長谷さんに対して、個展の会場でいちゃもんを付けるようなことはいたしません。

 長谷さんのいじめというのは、非常に洗練をされたもので、増田さんをテレビに出させたり、いろいろ、よい企画を持ち込んで、その結果、彼女が忙しくなって、私の個展を見にこられなくなったという形ですから、
 紳士という枠組みは崩していないのです。

 長谷さんに比べれば、ワシオトシヒコ氏とか、瀬木慎一郎氏とか、北側順一郎氏とか、は面と向かって、赤津ただし(ファックスとか、いない場所での悪口で)氏とか、故・針生一郎氏(普段は、私がいない場所である主人の診療所で私がしごとをしている真っ最中の夜中にファックスで)罵詈雑言を浴びせたのですから、ひどいひどい男性たちですが、(それらは、また、丁寧に別の日に論じますが)

 長谷さんと私との関係は優雅そのものであり、虚虚実実と言ってもいいが狐と狸の化かしあいでもあり、文句の付けようのないものなのです。長谷さんには落ち度は何もない。見かけ上にはね。

 だけど、このように、個展が中止されてしまうと、『あ、やはり、直感は正しかったのだ。あの顔には深い悪意が秘められていたのだ。それが何回も続いたので、つい『仏の顔も三度』となってしまい、「長谷さんは、わたくしをいじめるための情報運搬人となっている」という文言が、このブログの世界で登場したのでした。

 でもね、たいしたことじゃあないです。私は長谷さんを狙って書いたわけでもなんでもないし、しかも私の存在は小さいです。上に上げた美術評論家たちはそうそうたる人物です。特に思い出すのは、針生さんも赤津さんも、一時期は私のことを、べた褒めだったことです。が、すべて、どこからか、手が入って、いじめ役に回ったのでしょう。

 そうですね。針生さんから、3ミリぐらいの小さな字で、びっしりと文章を書いたはがきは何度も頂いています。赤津さんからも、べた褒めをされた手紙は何度ももらっています。こういう手紙も回収したくて泥棒は入るのだと思います。

 赤津さんなど、1999年の6月ごろまでは、「あなたを日本一の画家にしてあげる」といってくださっていたのですよ。北川順一郎さんだって、最初は非常に素直な関係で、いろいろな情報を教えてくださっていたのです。

 ワシオトシヒコさんだけは、2010年1月という、敵がもっとも、私をつぶしたい時に初めて出会ったので、ひどい罵詈雑言を井上画廊という公的な席でもらいましたが、私が、グーグルで盛んにワシオトシヒコという名前の検索を始めると、すぐ、ハッキング者から、ワシオさんに連絡がいって、「一体、何があったのだ?」と問い合わせられたのでしょう。

 急にワシオさんが「偉い人である」ということを示す極大のパンフレット等が送ってくるようになりました。ところで、そのぐーグルでの検索の際に、ワシオさんが、駿河台大学の講師だと知って、ここから、さらに3万字ぐらい敷衍しないといけなくなりました。駿河台学園の理事長の山崎さん一族とは、その亡くなった山崎文子様からご親切にして頂いているので、あれこれ、ぴんと来ることがあるのです。

 で、二ヶ月ぐらいの調査をした上で、ワシオさんに電話をかけたら、前とは打って変わって、下へも置かぬ猫なで声で、返答がありました。私の質問は、「私のこと、あれこれは、本多隆彦さん(月刊ギャラリーの編集長)から聞かれたのですか?」です。これは、敵があの奥様が優しい人である本ださんまで巻き込んでいることの証明になるから、重要な質問でしたが、ワシオさんは、非常に明るい丁寧な声で、「違います」と答えました。だけど、私は釈然とは、しないままですから、いずれ、その緊迫した、攻撃の詳細は書きます。私という人間を何も知らないのに、阻害するのは、ただ、悪い風評を仕込まれていて、それに踊らされただけに過ぎませんから。

 が、こういう攻撃が重なるから、八幡宮の大銀杏を、天が倒される事となりました。

 ワシオさんの攻撃が一月であり、大銀杏が倒れたのは、三月です。

 アメリカきささげを切ったのも伊藤玄二郎+井上ひさしの二人羽織のせいで、私のエッセイに出てきた現場を抹殺するのが目的です。が、ワシオさんが、井上画廊で、他の三人の女流画家の目の前で、悪意を持って、「この人とは付き合わない方がいいよ」というのは、それこそ、鎌倉原発の悪意だからです。酒井忠康氏が間に入っているか、ほかの人が入っているかは知りませんが、伊藤玄二郎の下半身の名誉を守るためだけの、悪口なのです。本当に生き生きとその場面を、将来、書くつもりです。ワシオさんも詩人だそうですが、私は最近、散文の人ですし、ともかく、損害が20億円を超えているので、必死ですから、すごい迫力のある文章を書きます。

 しかも、私の目的は日本と日本人を守ることにありますから、志は非常に高いです。ワシオさんがどうして、駿河台学園の講師になれたのか? そういうあたりも、書かないといけないでしょう。

 これらの美術評論家から(多分、酒井氏が統括的に教唆している)の理不尽ないじめに、本当に参っていたら、文章などかけません。私は常に、冷静であり、心の中でしっかりと、自分と相手の両方を、観察しています。「負かしてやった。僕は酒井さんに対して忠誠を誓って、手柄を立てたんだぞ」と、有頂天になっている・あ・ほ・のことを、その瞬間に頭に焼き付け、適宜なときには、それが、10年後20年後、または30年後であっても、さっと書き抜きますから、あなたの汚い側面が、永遠に記録をされて、しまいます。それは、覚悟していてくださいね。美術評論家、諸氏よ。

 でね。こういう手合いは、このご近所の大原氏と同じく、バックに権威と力があると過信して、動物帰りをしてしまう、韓国の奇誠庸選手(猿真似事件)と同じです。
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 しかしね。長谷さんは違うのです。私の見える場所で、失礼な言葉を吐いたりすることはないのです。やせていらっしゃるから、やはり、繊細なのかもしれません。

 でね。なぜ、長谷さんが使者にたって、増田さんと密な連絡を取らないといけなかったかというと、私が増田さんを大変高く評価している事に原因があります。

 増田さんのどこがすばらしいかというと、審美眼が高いことです。特に色のセンスがよい。しかも性格が円満で、かつ、弱弱しくもない。でも人の上手にも出ない。ここから先は例の「見てきたような嘘をいい」のひとつですが、学生時代も、OL時代もきっと優秀だった人です。しかし、生徒会の副会長をしたり、文化祭のサブプロデューサーをするような目立ったところはなかったはずです。じょじょにじょじょに自信を付けていった人でしょう。もともとの実力が、自信に裏打ちされて輝いてきている人です。

 後発の画廊だから、先輩たちを立てて立てて、おっとりと進んできた人ですが、そこで展示をされている作品のレベルと、お客さんの集まり具合を見ると、既に一流画廊となっています。

 特にこの五年ぐらい急速に伸びています。彼女は気がつかないでしょうが、それは、私と縁をつないでいるせいです。私は朝日新聞やテレビ朝日の重役ではないので、権威も、権力も、お金もありません。だから、普通なら、私と縁を結ぶことなど、一切メリットがないはずです。

 ところが、私の頭上には強大な敵がいます。敵とは私が文章によって真実を書く事をやめさせたいと考えている人間です。ありとあらゆる手段を通じて、ぶっ潰そうと考えています。ノイローゼにさせてやろうと考えています。で、そのやり方は、十分以上に間接的です。

 まず、誰かと私が仲良しだとみなされると、必ず、その相手方が出世をします。

 このケースでは、画廊のオーナーの増田さんには、よい作家が紹介されるとか、テレビに出るとかの企画が入るという形で、名誉やランクアップにつながる申し出でが来ているはずです。そして、そレらの企画が実行をされると同時に、いつまでも名誉や肩書き上の出世を達成できないでいる私に対する、見下した感情が芽生えるかもしれないし、(これは、他の人のケースで実際に起きています)
・・・・・また、それらの企画を実行する過程で、お茶とか、お食事を一緒にして、「あの人とは、別れたほうがよいよ」と、暗黙裡に教唆をされる可能性もあるでしょう。

 そういう事を、私と長谷さんと、増田さんの三人が話し合った機会は過去にはありませんが、長谷さんの個展が中止になったことによって、今まで、長らく直感として持っていたことガ当たったと感じます。私がブログの中で長谷さんの名前を出した事は、まったくの偶然だったけれど、ここで、悪意と悪事の流れが証明されました。彼らは、学生時代の友人と、私との仲も割きますが、美術界での信頼しあった仲の人との間柄も裂き続けます。
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 さて、その長谷さんなどを動かすのは、国際的軍産共同体です。が、テレビ朝日がその主力として働いていて、特に対私としては、小宮悦子さんの番組が利用をされます。

 この増田さんが招待をされたのも、そこだったし、結核キャンペーンも、ここで、登場しました。2008年、3月10日の夕方、ここで、初めて。それこそ、私を脅かすためでした。結核撲滅キャンペーンは、一番最初には、<ネットカフェで、最近はやっている>という文脈で起こされたのです。

 これは、本当にひどい言論弾圧の仕組みです。まず、自宅のパソコンを壊されます。で、仕方がないので、外でやろうとします。すると、図書館ではやらせないし(電源を使うのを駄目だといっていたのに、パソコンそのものを使うのも駄目だという話も出てきます。これって、文明国の東京の公共図書館ではありえない話なのですが、実際に私は普段ならいないガードマンにそういう風に拒絶をされています。

 2007年は最もひどい形で、私はパソコンを壊されていた時代です。そして、それから逃れるために、ネットカフェで仕事をしていました。今は輪廻転生、一回転してまた、自宅で仕事をしています。ネットカフェでも妨害を受けるようになったので、そこも使えないからです。つまり、敵にとって、私が文章を書くことは本当に困ることで、やめさせたいのですが、絶対にやめないし、弾圧しても弾圧しても、その縛りを潜り抜け、本を作り、文章を書き続けますので、それなら、自宅で書かせた方が、大型無線ラン機能で、全部把握できるので、安全だと考え始めた模様です。

 でも、2009年の夏までは、ネットカフェを多用していました。で、そこで結核が大流行となれば、彼女は、おびえてそこに出入りしないであろうと思ったのでしょう。これは嘘のニュースです。今、そんなに、結核が多いとは思えません。

 ただ、なぜ結核という病名が出てきたかというと、主人が小二のころ、軽いそれにかかったという事と、父も若い日に肺浸潤という診断を受けているという事を、我が家では、夫婦の間で語りあう時があったからでしょう。部屋全体に盗聴器が掛けられているのは、知っています。

 で、この結核予防キャンペーンは、私のブログが真実を語り始めるとともに、弾圧用に繰り返し使われます。電車のドアーのそばに、ビートたけしのそれ用のステッカーが張ってあるという形で、これが使われます。

 ある日、朝日新聞で、一面全面を使った、この結核予防キャンペーンが出ていて、『ナンだ。嘘っぱちだったのね』と、返ってはっきりしました。新聞の大画面にビートたけしの写真が載っているのですが、
 それは、彼の映画『アキレスと亀』のDVDリリースの大広告とすっかり同じ体裁だったからです。だれが劇場公開時にも当たらなかった映画のDVDリリースに一面全部を使って広告を出します。これは、朝日新聞社側の企画で、無料か超がつくほどお安くしてあると思います。

 ビートたけしには13億円の年収があると出ていた某週刊誌がいっていましたが、彼は国際的軍産共同体にかわいがられているから、それほどの収入があるのです。一人勝ちといっても、才能の差ではありません。

 ところで、ビートたけしについては過去に何度も分析しえいるので、ここでは詳細にはいたしません。

 で、小宮さんに戻ります。小宮さんが使役をされているのは、確かです。で、長谷さんと増田きよみさんに、この世界で触れれば、次は、小宮さんであろうと、敵からはみなされていた模様で、早速に『小宮さん、レベルアップ作戦』が図られました。

 今週のつるべが、地方を訪ねるNHK総合での、番組の共同訪問者は、小宮悦子さんです。なるほど。

 ところで、今、8240字を越えましたが、ここで、まったく新しいことを含めます。

 それは、これらの文章を読んで、皆様には相当にご批判があるだろうという事です。その第一は、「ビートたけしが、13億円の収入あるとは素敵ではないですか? あなたはないのだから、何を言っても、引かれものの小唄でしかないでしょう?」という事を言われたら、どうするかです。たしかに、ぐうの音もないと言わざるを得ないのですが、でも、誰も他人には言わない側面と立脚点で、『私も幸せであり、誇りを持って生きている』と、言わせてください。

 それから、急に大相撲の件が、すっかり、元の木阿弥に帰ってしまって、私の戦いが無に帰してしまったことですが、

 その理由としては、「はじめのほうで、前の前のブログで、自分は詩を書いていたほど繊細である」と述べているのもひとつであろうと推察しています。

 しかし、もうひとつありました。それは、月曜日の長電話が研究をされつくしたという事です。その電話は夜の10時に初対面の人からかかってきました。

 最初の切り出しは、その一時間前に私が東急(鎌倉駅前のスーパー)で、自分の本を上げたことをきっかけとしてもらったのです。

 彼女が「人間を好きですね」といってくれたわけではないのですよ。ちょっと支離滅裂な人でした。または、自分勝手な人というべきか?

 夜の10時から朝の午前一時半まで話した内容で、敵は私の弱点を知ったつもりになったのでしょう。

 彼女が『ひろせ・のぶこ』という人で、雪ノ下の4丁目に住んでいて、宮本常一の弟子で、それは、武蔵野美大の講義初日に、粗大ゴミ捨て場の鏡台の中から、化粧用の刷毛を取り出して、<鏡台を後で、取りに行こうと思って、陰に隠した時に、あまりの感動ゆえに>自分の荷物を粗大ごみ置き場に忘れてしまい、それを宮本常一さんが、もって後をついてきてくれた日以来、だそうです。

 彼女は、今年の秋にはドバイに民俗博物館を作るために行くそうです。今年はものすごく高い本が、出版されるそうです。坊ちゃんは、神楽をやっていて、夫はカメラマン。夫は彼女のパソコンも取り上げたぐらいの亭主関白そうですが、彼女は夜、3時間半もの長電話をする自由がある。

 私は夫が嫌がるので、それは、やりません。今回も傍で「切れ」といっていたのですが、初対面の人なので、電話を受け続け、話を聞き続けました。武蔵野美大の次には、芸大へ行って、その後で、国学院へも行ったそうです。宮本常一さんの研究所で働き続け、その次には、某(?)大学のスタッフとして勤務との事。

 保坂涼子さんと言う武蔵野美大出身のアーチストに触れた途端に、急に超がつくほど、機嫌が悪くなって、頭ごなしに、けなされ続け始めました。『もしかすると保坂さんに、反論を受けて、生意気だと思った過去がある。スイッチが突然異常な方向へ入ったよ』と思ったので、一切反論しなかったのです。それに盗聴をされていることはわかっていても、あらゆる自分の弱みは見せておきました。

 そこら辺りは私は、超が着くほど、勇敢なひとなのです。肉を切らせて骨をたつという、言葉があるでしょう。この場合、ひろせのぶこさんの骨を絶つ当為意味ではないのですよ。敵です。常に、覆いかぶさって、来て、自由を奪う敵に対して、あらゆる情報を与え、裸ですべてを、見せておいて、戦うと言うのが私の正義なのです。

 でもね、・・・・・三時間半の忌憚ない話し合い・・・・・これを敵は好個の材料と考えた可能性はあります。そこから弱点を見出して、それゆえに、大相撲総攻撃をもう一回繰り返しても大丈夫だと考えた可能性はあります。
 特に日経新聞の16日夕刊の第一面下欄に、『宮本常一の本の広告(農文協)』が載ったので、『なるほど、時間的にはぴったりだなあ』と思いました。

 で、今、私が考えていることは、『人生は永遠に続く。その場その場で全力を投じるしかない』という事です。では、2011-2-16~7へかけて書く。雨宮舜

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