銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

中目黒の事件、長谷さんの個展の中止、・・・・・前篇

2011-02-11 02:47:05 | Weblog

 まず、皆様も関心をお持ちであろう、中目黒の紳士の殺害犯が逮捕されたそうですね。それは、よかった。まだ、たくさんの不思議さを含んだ事件ですが、私がほっとしたのは、『自分が、フライングをしないでよかった』ということ。

 逮捕がなさそうなので、この事件について推理しかかっているところでした。例の厚生事務次官殺しと似ていると思っています。あちらは、『変だ。諜略ではないか』とパソコン内メモ書きをしたら、犯人が自首してきました。ただ、一晩で杉並と埼玉の二つの場所で事件を起こした犯人は、車を持っていないそうです。変ですね。返り血を浴びて電車に乗る? 
 佐賀大学出身で、理系で、犬好きだという男性でした。動機は中学時代に保険所に犬を持って行かれたからですって。でも、インターネットや書物の中には、「嘘だろう。真犯人はほかにいる」という意見もあります。私もそれに近い意見を持っています。

 で、似たような事件で不可思議なのがもうひとつあって、それは茨城の県議選挙で、市民派の無所属候補が、しつこい妨害にであって、挙句の果ては保冷車で候補者のおじがひき殺されるという事件です。単純に考えれば、ライバル候補が頼んだとなりますが、普通は、日本の選挙でそこまでしませんよね。ライバル候補が自民党だったみたいなので、一種の自民党たたきの諜略ではないかと、思います。犯人は黙秘権を行使しているのだそうです。そうなると真相がわからないので、本当に厄介です。

 今度の目黒の殺人事件も一種の委嘱・殺人だったりして。だって、大原道夫さんという被害者は、相当に立派な人物みたいですから、殺される動機がありません。恨みを買うようなところはないみたいです。今日グーグルの検索をしましたが、たくさん項目が見えました。東大卒、大手、製紙会社勤務の過去ありですって。それは、王子製紙だったりして。
 ここで、ちょっとスピンオフをさせて頂くと、「ちょうど王子ホールについて書こうとしていたところですが」といわせていただきたいです。小さいけれど、お客さんが音楽好きだということがよくわかるホールです。便利なところにあるし(銀座の松屋裏)、有楽町からも歩いて五分です。ここの催しをときどき、NHKのハイビジョンでも流していますし。

 そして、奥さんもご本人も「犯人には面識がない」とおっしゃっていますよね。不思議極まりないです。でも、諜略的犯罪であろうという、推理を展開しないでいるうちに、犯人が捕まってよかった。『大原光孝という名前を出させないがために、私を脅かすために、同じ名前の、まったく無関係な人を殺したのだ』などと、勝手な推理を展開したら、フライングになるところでした。ほんの、2,3日の差でした。よかった。

 まあね。ごく最近も、我が家の洗面所の前の版画の額が、今度は右側だけ、三センチ下がっていました。そこは肩や手が当たるはずもない場所で、かつ、右側だったというのが笑っちゃいます。常に左側が下がっていると、このブログの世界で昔、いっていますので、今度は右側を下げたというわけです。それが脅かしに成る? いえ、その頭脳レベルの幼稚さには、笑っちゃうほどですよね。

 浅野家の令嬢という未婚の女性の携帯を利用して、人の頭に水をぶっ掛けようとする策謀もあり、それを、実際には成功していないのに、成功したと浅野家が、電話で触れ回ったらしくて、前田夫人が大喜びをしてご主人にたしなめられていた(それは、ここの特殊な地形のせいで、何でも聞こえてくる。特に夏だったから、言葉さえ明瞭だった)と前にいいましたでしょう。

 大原家もそのときにはしゃいでいました。これら名前をわざと書いた家族は、我が家のアジサイ畑が盗まれたときの役員だったから、常に自分たちの罪が発覚するのを、おびえていて、私に引越しさせたいと思っていて、ばかげたことを繰り返すのです。悪事に加担しいない人たちは、この水撒き事件は何も知らされたいなかったみたいで、静かでした。が、悪辣な安野夫人が手出しをしますので、平均の立場ではなくて、そちらに見方をします。
 私は、それらを眺めながら、哲学の勉強をしているというわけです。

 ところで、いったん整理に入ったあとで、ここで、急に容れたいことを思いつきました。で、スピンオフをして、心理学的な論考に入りたいです。子供への愛とはなにかということ。それをどうしてここで入れるかというと、

 この水撒きの件をつくろって、修正するために、鎌倉市議の早稲田ゆきさんまで後日、呼ばれたのですが、そのときに前田夫人が、嬌声を上げて「浅野さーん、大丈夫よー』と叫んだのです。多分、これで、お宅のお嬢さんが、そのことでとがを食う恐れはなくなったということなのでしょうが、

 そんな声を聞いたら、前田夫人がどれほど、ご自分のお嬢さんに対してさえ、愛情がないかと思い出してしまいますね。それは、以前に書きましたが、浅野家そのものにも大問題があります。まず、お嬢さんが年齢の割りに幼すぎます。

 うちの子だったら、「いやだ、お母さん、そんなことはやりたくないわ」とはっきり言うでしょう。それなりに道徳観を持っています。人の頭に策略を利用して水をぶっ掛けるなんて素敵じゃあないです。

 断るに決まっています。それを彼女は断れません。私は勘がするどいので、後ろから無言でぴたっとついてくる彼女の気配に、奇妙さを感じて、水をぶっ掛けた当の安野家の前で、一瞬、すっと止まったので、水には一滴も触れませんでした。目の前を落ちて行っただけです。で、浅野家の令嬢と二人で、山をあがっていったら、30メートルも向こうから、『成功したー』って、浅野夫人が、娘に問いかえるのですよ。それじゃあ、策略があったと自白しているのと同じでしょう。でも、それさえも気がつかないほどの、おばかさんなのです。そしてお嬢さんのほうはお嬢さんで、私が一滴も水にぬれていないのに、「失敗した」とは、親にいえないのですよ。

 親がたぶんですが、強烈なヒステリーなので、のびのびとは育っていないのです。主人が八幡宮に、浅野さん(夫)が社務所で噛み付いている現場を見たといっていました。南隣だった石井さんも盆栽か何かのことで噛み付かれて、けんかに成ったら、負けた浅野家が警察を呼んだのだと聞いています。それで、石川和子女史もまねをして、気軽に警察を呼んだのでしょう。警察も駄目ですね。ばかげたことで出動しては。ストーカー行為を防げないのに、ヒステリー家族の味方はするのですから片手落ちです。浅野家の南隣の石井家が引越して行ったのは、ひとつにはそれが原因だと感じています。

 我が家でも、超理不尽なことで噛み付かれて、温和な主人が、仕方がないので、謝罪をし、その狂気を鎮めて、やっと逃れて帰ってきています。そういう歳月の積み重ねから来るものか、お嬢さんは、学校でも「変な子扱いで、いじめられているのだ」と大原さんが私に教えてくれました。

 大原さんもそんなことを、軽々と私に告げるくらいだから、軽いというか、なんと言うか、愛情とは何かをまるで知らない人です。ただ、ご本人がご養子だとあとで、聞いて、大体理解ができました。甘やかされて育ったので、真実の愛とか何とか複雑なことを、知らないのです。けんかをしたり、葛藤を正面から見つめることで、真実が手に入るのですかが、格好だけを取り繕った家庭からは、そういうごく、上質なものは生まれません。

 だから、この件で、水ぶっかけが、成功したと聴いたら大喜びをする人間となりました。文章で示すと、あのサッカーアジア杯での、奇誠庸選手の猿真似と同じレベルですが、本人には何の自覚もないのでしょう。

 前田家は本当のお子さんですが、夫人には、上の男の子に対する偏愛があります。まったく親しくはないのに、山を伝わってくる音だけで、私にそれが、わかってしまうぐらいだから、相当に根深いものでしょう。ご自分のお嬢さんに対してだって、真実の愛情がないのだから、ましてや人の娘さんに対して、真実の愛情がないのも当然です。

 安野家は、略奪婚だと昔から私がいっていますでしょう。それは、お子さん方への態度でわかってしまったことです。どんなにお芝居が上手でも、ちゃんと見る人の眼は節穴ではないのですよ。愛情とは、スマートにかっこうをつけるだけで、生まれるものではありません。小さいときから、・・・叱る段階、・・・喧嘩するとか反抗させる段階と経て、毎日が、修行と修練の日を経て行くのですが、ともかく、それは別の言葉で言えば、毎日が戦争だともいえます。それをへて、やっとこさっとこ、子は育つのです。
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 さて、ここで、やっと鎌倉の雪ノ下から、銀座へ戻ります。
 最近は銀座も私にとっとは美術の勉強の場所というよりも政治学やら、哲学の勉強の場所となりましたが、それは、後半の長谷さんの話でも見事に示されます。

 まあ、この山の人(特に上に名前を挙げたひとたち)は本当に幼稚ですから、額を普段とははんたいの右側を下げたら、脅かせると思っているかもしれません。ともかく、留守番ロボットでも買って留守中の記録を撮りたいですが、それを買っても、ITを使ってあるものは、大型無線ラン機能で、すぐ壊されるので、無効だと思っています。

 洗面所前ではなくて、寝室の額は、数週間前に、数センチ、これは普段の手法どおり、左側だけが下がっていました。まさか、<大原さんとか安野さんが、合い鍵を渡されていてこれをやっている>とまでは思わないけれど、「あの家の宝物は、額の類です。彼女は額をいじられると、神経を参らせると思いますよ」と、大原さんが我が家のオープニングハウスに来た後で、上(安野家や、石川和子宅、または、柄沢斉氏)へ告げたのは確かでしょう。だから、私への弾圧用には、大原さんは、相当に大物扱いだと言う事となります。
 それが私には、わかっているから、この中目黒おn大原道夫氏殺害も、例の、国際的軍産共同体の可能性があると、考えたのです。でも、納得ができる動機があれば、その疑いが晴れます。

 この額の件はこのブログの世界でなんど書いてもやめません。
 それも、日本人離れした発想です。日本人、特に士族のたしなみを知っている私なんて、恥を知りますが、この連中は、恥というものには、まったく無関係です。

 特に大切な、昭和7年伊勢崎町で撮影という父の写真を入れた小さな額も盗まれています。しかも、それに気がつかなかった私に、わざわざ芦屋から、その盗難を示唆する電話が入りました。芦屋から、神経を痛めてやれという、諜略です。

 この芦屋夫人は、画家ではありませんが、この時期には、酒井忠康氏が、鎌倉や逗子に在住する画家たちを、激しく教唆して動かしていることが、私には既に、わかっています。

 福島県でつかまった木村という犯人が、大原道夫氏に、なんらかの因果関係があったのだと告白してくれるのを望みますが、本当は、彼は<黒髪だけは持っているものの、日本人ではない人間で、木村というのも>偽名で、かつ、黙秘権を行使したら、真相は闇の中で終わりますね。どうなるかなあ?
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 さて、大相撲の八百長騒ぎですが、新聞とテレビ上げての大騒ぎは、一応静まったみたいです。1999年にニューヨークの美大で大学院の講義を取っていたときに、先生が、マックルーハンを教えていて、「日本ほど、マスコミが発達している国はない」とおっしゃったのですが、それが、大きく裏目に出たケースです。

 昨日、日本のニュースキャスターとしては最も上品な人、大越さんまで引き合いに出して、「この件で騒ぐマスコミの姿勢が、異常なのだ」と論じました。大越さんびいきの人はあの文に憤慨なさったかな? だけど、テレビ朝日のキャスターやら民法のキャスターを引き合いに出すのは、いうまでもなく、バカらしいことだからやめておきました。大越さんは上品で誠実な人だからこそ、そういう種類の人まで巻き込まれる、勢いの恐ろしさを強調のひとつとして、言っただけです。

 29日にこのニュースの初発が起こってから、すぐ書けば今日11日の福祉大相撲の中止もなかったかもしれないし、春場所の中止もなかったかもしれないと思うと残念です。だけど、油断はまったくできません。彼らって、もぐらたたきゲームのモグラみたいなもので、たたいてもたたいても、復活しますから。
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 さて、世界をぐっと小さなところへ、移動をさせます。銀座の画廊のお話です。私自身は徹底的に、社交を廃して画廊を回っているのですが、普通の人々は偉い美術評論家を含めてそうではありません。美術を楽しむと同時に社交的な部分を満足させることも重要です。

 これについて、パーティの写真だけで個展をする杉田和美さんをいつか論じないといけないけれど、今日は今、午前四時過ぎでつかれきっているので、それは飛ばして、
 長谷錦一さんという紳士へ入ります。

 この人は銀座の画廊街のパーティで大変目立つ紳士です。まず、お洋服の好みがいい。昔画廊を経営なさっていたそうです。絵の具で汚れる、絵描きではないので、いつもジャケットか、スーツですが、ホームスパン系のツイードのよい生地で、よい仕立てのものを着ていらっしゃる。

 大変目立つ人ですが、私がお話を交わしたのは、ギャラリー汲美のオーナー磯良(いそらと読む)さんの追悼パーティの席でした。磯良さんは、人格が高潔だったので、慕う人が多くて、追悼のパーティは、画廊で、ほぼ二週間近く続きました。画廊を、ビルの持ち主から借りて、それ用の家賃を払っている間ずっと、追悼パーティが続いたのです。

 で、普段は社交性皆無で、銀座を歩き回っている私も、その追悼パーティだけには、二回、訪問をしました。で、二回目かな。その日は、しばしとどまり、磯良さんの思い出をほかの出席者と語り合いました。私は、長谷さんと、親しく会話を交わしたのです。

 月日の経つのは早いもので、あれから、五年は既に経っているのではないかなあ?

 ともかく、その後も、長谷さんとは、何度も画廊街で出会い、目礼を交わす間柄です。
しかし、やがて私は『変だぞ』と思うようになりました。非常に頭のよい方で洗練されておられるから、面と向かって意地悪をされるわけではありません。このご近所の画家、大原光孝さんの子供っぽい攻撃やいじめなどとはまるで違った世界です。

 だけど、私だってバカじゃあないです。やがて、この人も重要な情報運搬人であり、この人のせいで、私は銀座の画廊街で相当な不利をこうむっていると感じるようになりました。あと、3,4人同じような役目を果たしている人がいます。

 でもね、それで、長谷さんに喧嘩を売ったりはしませんよ、ただ、私の方は一切に、気がつかない振りをしているだけです。

 しかし、攻防が、緊迫してきました。一切は鎌倉発です。だけど、鎌倉発と見せないために、新聞やテレビニュースが使われ、それから、銀座の画廊街も使われます。で、私もとうとう、長谷さんが、情報運搬人であり、それで、私は苦しめられていると、描いてしまいました。

 毎回、毎回、一万字以上書いていますので、どこでそれをさらしたかを探すのが大変ですが、この2週間以内です。たぶんですが、1月27日に出会っていますので、それ以降です。私は大変敏感な方なので、その日の長谷さんの顔つきひとつで、普段よりさらに異常だと感じました。

 NHKの空き家特集が、22日に放映され、敵は、それで、私を完膚なきまでやっつけるという見込みをもっていたでしょう。だけど、私はまったく反対方向へ出ました。『その番組がどれほど、悪辣なものであるか』を世間に公開したのです。

 敵は、主役が精神病院に入っているひとだけに、心底では心根がとても優しい私が、それをおもんぱかって、世間に対して論を張るとは夢にも思ってはおらず、ただ、私が弾圧のサインだけを受け取るだろうと思って、この番組を作ったと感じています。

 K藤Nこさんという方の精神障害をも明らかにして、さらに具体的に、彼女が過去に母君の遺体を放っておいて、新聞沙汰になったこともあると、公開しました。しかも、『空き家は、彼女のお宅だけ、一軒を取材していて、息子さんにまで(モザイクがかかってはいるが)、取材に向かっているので、これは本当に悪辣だ』と、言い切っています。

 しかも、上に上げた杉田和美さんの個展は、二週間続いていて、その中に、三枚ほど、酒井忠康氏の写真が入っています。その個展で『ざまあみろ、こっちの方がえらいんだぞ』というサインを見せて、さらに追い込んでやろうという目論見だったと思いますし、ほかにも気がつかないうちに、いろいろ図られている可能性は感じていました。やっつけてやりたいと思うのは、

 それだけ、見事に真実をうがった文章を書き続けているからです。

 で、彼らは、負けたというか、失敗したと思うからこそ、それなりの情報を回しているなあと、私は感じました。その回っている情報がどんなものかが、見事に長谷さんの顔に出ていました。

 そのときに、『ああ、長谷さんが原因で、私は金銭的価値になおせば、700万円ぐらいの損失をこうむっているなあ』と感じました。で、そろそろ、『この真実をブログで書いてもいいわね。天はお許しくださるでしょう』とも感じました。作用・反作用の法則は自然なことです。すべては、瀬島隆三の悪から始まっていますが、先にやられていて、具体的な損失が明白なのは、私の方です。

 どうも、成岡庸司君(瀬島隆三の配下とみなせる)、木村某氏(成田豊氏の配下とみなせる)、小沢一郎氏、(神奈川県知事の上司とみなせる。上水道工事や、そのほかの工事を神奈川県の名前で行っているので、松沢知事は、加害者のひとりとなっている、が、その実質的な上司である)、伊藤玄二郎、いのうえひさし、酒井忠康氏らは、自覚があって、さまざまな策謀をしているというか、発案をしているのに、閻魔帳を付けていないらしくて、自分たちが、どれほど、たくさんの回数、恐ろしいたくらみを、こらしたかを忘れている模様なのです。

 だけど、その案を実行をさせられる末端の手合い、たとえば、この場合は長谷さん、とか、ご近所の手合い、美術関連では大原さんなどは、もっと、具体的な生活をしているので、見破られやすいのです。はっきり言えば、善人だからなおのこと、わかるという類。悪人だって、その裏側は、すぐ私には、わかりますが、善人だとなおのことわかりやすいです。

 ええとね。今、日本時間で午前四時半です。で、今から寝ます。というのも前のブログ、つまり、この1月27日以降のどこで長谷さんの名前を出したか、それが、大相撲の八百長とどういうタイミングで、かかわっているかを調べないと、これから先が描けません。

 また、長谷さんと同じような働きをしている人、およびその影響かにあるがゆえに、私に振りを負わせた画廊に関しても、ここで、一挙に公開しておいた方がいいかな?

 もう<画家として立つ>とか、<版画家として、生きているうちに、名望を得る>というのを捨ててしまったので、何を書くのにも、遠慮はないのです。だから、はっきりとここで記録をしておきましょう。しかし、そのためには、相当に健康で、頭をすっきりさせておく必要があります。ので、いったん、ここで、終わりとして、次へ続くとさせてくださいませ。2011年2月10日の深夜から11日にかけて描く。雨宮舜

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