AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

苦しみに耐え、幸福に至る

2018年10月22日 | しねしねシネマ
最近歳とって、もう若い頃みたいに映画情報をチェックして面白そうな作品あったら手当たりしだい劇場に赴いて観に行こうなんてことはしなくなった。
でもたまにはその作品がどんな内容の映画かも知らんと、全く期待しないで(まぁそれでもちょっとは期待するよね)、映画を観るのも悪くないんじゃないかと。

土曜日に観た『カメラを止めるな!』は、前日に姉に薦められ、まさにそういうノリで近所のイオンで1100円でやってるからと気まぐれに観に行った映画であった。
今年の夏にえらい話題になってた映画(田舎ゆえ今頃やっとこっちにフィルムが回ってきたのだ)であることは知ってたが、実は鑑賞するまでこの作品が邦画であることも、私の苦手とするゾンビものであることも全く知らなかったのだ。
なので前半の1カットで展開するチープでヒドい内容のB級ゾンビストーリーを観てる時は、ゲンナリさせられる以外のなにものでもなくて、まぁヒロイン役のアイドル女優のデニムショーパン姿がエロいなぁ~と思う以外なにも得るところがなく、途中での映像ブレのヒドさに画面酔いして気分が悪くなり耐えられそうもないのを、後悔の念とともにガマンして伏せ目がちでなんとか鑑賞していた。

37分ながら「やっと終わったぁ~、もうサイアクやった」とエンドロールが終わるの待っていると、まだストーリーが展開するようで「?」な感じで観ていると、なにこれなにこれ?てな感じでだんだんと惹き込まれていって、見事にこの大仕掛けの傑作娯楽作品に一杯喰わされた形となった。
まぁ後半は三谷幸喜の『ラジオの時間』展開ではあったが、この計算された時系列な見せ方の構成の巧さは、三谷映画の2、3歩上をいっていると思う。見事というしかない。
個人的には、タランティーノの『デス・プルーフ』の、前半のしんどい内容に耐えてこそ後半の痛快感を味わえるといった、あの感覚に似ている。

よくどんでん返し映画で、あの時のシーンやセリフには実はこういう意味があったんだよっていうのが、終盤回想シーンなどで種明かしされるが、私のように集中力も記憶力もない人間にはそんなのいちいち覚えてないってことが多いんだが、この映画は前半の1カットストーリーで、ちゃんと観客に「なにこの間?」とか、「なにこの展開?」という違和感をさりげに印象づけているところが巧いのだ。
で、それが後半の種明かしで笑い、そして感動を伴って倍になって返ってくるという。いや、実に見事だ。

だからこれね、最初B級映画とか、ゾンビものが好きな映画マニアが喜ぶ映画かなぁ~と思って観てたんだけど、私のようにあんまり期待しないで、どんな映画かも知らんかったような人が一番楽しめたんじゃないかなと思う。

まぁこの夏の興業成績が裏付けしてるように、非常にキャッチーで誰もが楽しめる映画です。




今日の1曲:『Zombie Attack』/ TANKARD
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ハエハエカカカ、バッハッハ

2018年07月18日 | しねしねシネマ
このうだる暑さの三連休はこれといったイベントはなかったが、一本の映画を観るために今まで一度も行ったことのない十三くんだりまで赴いた。

作品は『LIBERATION DAY ~北朝鮮をロックした日~』。

数ヶ月前にこの映画の上映の知らせを聞いた瞬間「絶対観たい!」と思ったので、トートバック付きの前売り券はすでにネットで入手していた。


タイトルからしてカルト的な雰囲気を醸すこの作品の内容とは、やはりカルト的な人気を誇るスロヴェニア(旧ユーゴスラビア)出身のインダストリアルバンド、ライバッハが北朝鮮から招致され、日本の植民地支配から解放されたことを祝う「祖国解放記念日」に、大観衆の前でライブを敢行するというその様子に迫ったドキュメンタリー映画。

監督はノルウェー出身のライバッハのファンでもあるモルテン・トローヴィック。
PV制作でライバッハとも仕事をしており、以前より北朝鮮との文化交流を積極的に行っていてコネがあったらしく、まぁ北朝鮮側がライバッハを招致したというより、この監督が面白いものが撮れるかもと北朝鮮側に話を持ちかけたのではないだろうかと見ている。
いずれにせよ、かなりクレイジーな監督である。

ライバッハに関しては、まぁ私正直かなりにわか。
以前にも言及したが、ライバッハの存在を知ったのは映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のサントラに収録されてた「GOD IS GOD」という曲がメチャメチャ気にいったのがキッカケ。
それからモービッド・エンジェルの『DOMINATION』のボートラで、ライバッハがミックスを手掛けた楽曲が2曲あったりする。
ただ、彼らのフルレンスを1枚買ったんだが、これがチンプンカンプンで(しかもどっかいった)それから彼らの作品には一切手を出していない。




電車を3回乗り換え、初めて十三の地に降り立った。


若者の姿はほとんど見られず、近所のオッサンオバハン連中が通りを闊歩しており、昼間っから酒を飲んでいるという感じのいかにも大阪のダウンタウンといったところ。

関西では第七藝術劇場という映画館でのみ本作が上映されていた。
ミニシアター系の映画館はだいたいわかりにくい所にあってなかなか見つけられないものだが、ここはすぐにわかった。

このかわいらしいピンク色のピンが目印だった。
    


第七藝術劇場(通称ナナゲイ)は、内部もとてもとてもアンティークでおしゃれな映画館だった。



ミニシアター系の映画館は老朽化や経営難でどんどんなくなっていく近年、こういった映画館がこんな十三くんだりにいまだ残っているのは本当に貴重。
オーナーさんが本当に映画が好きでこだわりを持って経営しているのがよくわかる。

    


場内に入ると意外と客が多くてビックリした。
隣りに座ってたおっちゃんとか、後ろのメタボリックなおばちゃん2人組とか、どう見てもライバッハとか聴いてなさそうなんだが。
キーンコーンカーンコーンと、学校のようなチャイム音を合図に映画が始まった。

作品の概要は、まぁトレーラー映像を見てもらったら、だいたいこんな感じかというのはわかってもらえるかと。



冒頭は北朝鮮の壮絶な歴史映像と、西洋のロックバンドの華々しい歴史映像が対比させるかのように映し出され、あたかも今回その無縁であった両者を繋ぐ歴史的瞬間の担い手であるのが、スロヴェニアのカルトバンド、ライバッハなのであるということを強くアピールしてるかのようである。

まぁドキュメンタリー映画なんて、だいたい監督の意図してることがあってヤラセ感も見え隠れするのが当たり前で、ライバッハなどは過去に母国でのライブを行えなかったり、ロシアから入国拒否を受けたりとスキャンダラスなことが彼らのスタイルみたいなもので、今回北朝鮮でライブを敢行するのも、なんらかのハプニングを起こして物議を醸すってのが目的だったんじゃないかと。
だから常に監視員に見張られ、「この映像はダメ」、「この曲の歌詞は相応しくない」、などの北朝鮮側の執拗でウザったい干渉シーンなんてのは想定内。
それほどの緊張感もなかったし、しかもメンバーが割と抵抗せずにすんなりと聞き入れている。まぁそうじゃないとライブ演らしてもらえないからねぇ。
つーかバンドメンバーと北朝鮮人のカラミはあまりなく、ほとんどトローヴィック監督が交渉してメンバーにそれを伝えて支持している。まぁ正直この監督がカッコつけすぎだと思った。

おふざけも多少入れてある。


リハーサルシーンがけっこうよかった。特に北朝鮮の音楽学校の女学生らとコラボするシーン。
ヴォーカルのミランが頭巾を脱ぐと、意外とやさしそうなヤツって感じで好感がもてた。
北朝鮮のコーディネーター兼通訳のリさんも、監督に色々口やかましく指示してくるが、割と面倒見のよさそうな感じが見てとれた。

劇中歌であるライバッハの楽曲もやはりカッコいい!かかる度にドーパミンが溢れてくる。
うん、やっぱCD買わなきゃって思う。

ただ、まともにライブ映像が流れたのはラストシーンの「RESISTANCE IS FUTURE」のみ。
まぁドキュメンタリーなんだし、映画の性質上これでいいのかもしれないが、私としてはライブシーンをもっと見たかった。
初めてライバッハの音楽に触れた北朝鮮の観客の各々の表情は見もの。


ライバッハによる「THE FINAL COUNTDOWN」なんかサイコーよ。



で、上映終了後、思いがけず下の階で「ライバッハ」に関するトークショーが催されるというので、せっかくなので拝聴させてもらった。
解説者は大阪のどっかのレコード屋の店長さん。意外と年配の方だった。

DVD映像付きで、なかなか面白い話が聞けたが、正直にわかの私にはちょっとマニアックすぎる内容だった。

店長自慢のライバッハコレクションもズラリ。



日本では人気のないライバッハも初期作品は日本盤が出てたみたい。




今日の1曲:『Opus Dei』/ Laibah
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サブカルクソ映画

2018年06月24日 | しねしねシネマ
今年の3月に京都みなみ会館で鑑賞した丸尾末広原作の『少女椿』のアニメーション映画は、内容もさることながら、その映像自体実在してたいこともかなり衝撃であった。
その時にいろいろネットで検索してて不覚だったのが、2年前に『少女椿』が実写化されて全国で上映されていたことを全くあずかり知らなかったことである。
先日の京都での『丸尾末広大原画展』の心構えとして、その前日に本作をレンタルでかりてようやく鑑賞。

監督・脚本は、TORICOとかいう20代くらいのファッション業界のギャルみたいな人物。
実際ファッションデザイナーとしても活動している人物で、丸尾末広の大ファンらしく『少女椿』を読んだ時「いつか自分で映画化してみたい」と長年チャンスを窺っていたなかなかの野心家みたいだ。

主役のみどりちゃん役を演じてるのは、中村里砂というモデルみたいな女優。
確かに外見的にこの少女感と目力加減がみどりちゃん役にピッタリの女優さんだなぁと。
で、この中村里砂さん、なんとあの中村雅俊の実娘さんというのにも驚いた。
中村雅俊といえば、ファンだった母親のいいつけにより、私が小学生低学年の時に一生懸命貯めたなけなしのおこずかいで買わされた人生で初のレコードが彼の作品であったという屈辱的で暗い思い入れがある。
たしか『心の色』とかいうシングルレコードで、「黄色いつばめが・・・♪」とかいうようわからん歌詞の湿っぽいラブソングだったように思う。




この有名タレントの二世を使って、このギャル監督が丸尾末広の倫理感無視の狂ったようなエログロ世界をどれだけ実写しえているのであろうかと、大変興味深かった。

オープニングは、なかなかモダンテイストな趣きで、BGMやタイトルアニメーションの使い方も非常にオシャレでカッコよかった。
監督のこれまでの経験で叩き上げた力量のなせる技なのか、周りのスタッフがよほど優秀だったのか、3週間で仕上げた割にはかなりの完成度で映像クオリティも高い。




人物設定も、まぁこの手のカルト映画において、原作のように小学生くらいの少女を起用するというのは無理があり、成人したモデルの中村里砂さんを使うのは妥当かと。
ワンダー正光役もホンモノの侏儒を使うのではなく、演技派で背が低めの風間俊介を起用したのはうまい。
だから最後の観衆がヤジを飛ばすところも「侏儒の分際で」ではなく、「バケモノ」に変更されてある。
まぁそれなりの体裁は整えてあるのは仕方なしといったところか。

劇中でみどりちゃんの衣装が常に黄色の水玉模様の洋服であるのは、まぁ原作の『少女椿』は読んでないので知らないんだが、3月に見たアニメーション『地下幻燈劇画 少女椿』の映像とは大きく異なる部分だ。
原作『少女椿』の表紙はやはりあの黄色の水玉模様の洋服に身を包んだみどりちゃんが印象的である。
やっぱファッション業界人の観点からしてもあの衣装を着てるみどりちゃんにこそ魅力を感じている部分なのであって、あの衣装を着せるのは必須事項だったのであろう。
まぁそういう点でも、この映像作品はコスプレごっこ感が強い。




見世物小屋の4人衆も、まぁよくもこんなイメージピッタリの役者たちを集めたなぁと。


特に蛇女紅悦役を演じた森野美咲さんの成り切りぶりは実に見応えがあった。
熟女の憎々しいセリフ回しもさることながら、己のダイナマイトバディを遺憾なく発揮したまさに体を張った濡れ場シーンも原作以上のものがあったのではないだろうか。
AV女優の人かと思ったら、元レースクイーンのグラビアアイドルあがりの女優さんだとか。
この紅悦のキャラが際立ちすぎたため、他のキャラは普通に見えてしまった。カナブンのキャラは単なるオネェキャラでずいぶんとかけ離れてたなぁ。
ただ、それぞれ自分たちに求められたキャラを全力で演じている熱意は感じられた。


まぁ数ヶ月前にあの強烈なアニメーションの方を先に鑑賞してしまったこともあり、それほどのトラウマ感はなかった。
この実写版はファッション業界のサブカル趣味の女監督がいろんな小道具を取り揃えて、キャラにピッタリの俳優陣を配し、ポップでオシャレにこさえたよく出来たファッションショーといったところでしょうか。
鳥居みゆきや鳥肌実などのサブカル方面からの友情出演、そして手塚眞(手塚治虫の倅)などのカメオ出演も、この監督の人脈の広さというより、丸尾作品実写化という誘引力のなせる業かと。

これはこれでこの監督らしいキラキラした表現力が成した意欲作としてよくできてると思う。
ただ、巨匠クラスを引き合いに出すのはフェアではないし的はずれかもしれないが、鈴木清順監督の『ピストルオペラ』のようなアーティスティックなアヴァンギャルドさ、石井輝男監督の『盲獣VS一寸法師』ばりのタブー犯しまくりのヤバすぎるグロテスク感には到底及んではいなかった(当たり前だが)。
ああいう映像が、観たあとにズルズルと引きずるトラウマ傑作映画となりうるのである。

丸尾作品を実写化するなら、やはりそこまで踏み込んでほしかったかと。
つか私もいい加減そろそろ原作を読もう。

今日の1曲:『あの子のジンタ 』/ チャラン・ポ・ランタン
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さよなら京都みなみ会館

2018年03月31日 | しねしねシネマ
さて、前々回からお伝えしてる通り、京都の歴史ある老舗の映画館京都みなみ会館も、本日を持って完全閉館。

京都みなみ会館は、パチンコ屋が入居していた時期もあり、外観があまりにも下品でヒドかったが、京都駅の一歩手前の東寺という場所がよくて、駐車場もタダだから、一応映画鑑賞が趣味のひとつだった20~30代の頃は車でちょくちょく通ってた。




最近イオンなどに入ってるシネコンは、確かに近所にあって便利だが、やっているものといえば中高生向けの邦画ばっかで、まぁほとんど用がない。
だから京都みなみ会館のような、ジャリ向けではない、いい作品を上映してくれる映画館が数を減らしていくのはなんとも寂しい。
まぁ完全になくなってしまうというんではなく、移転先を探しまた再開するという話なので、そこまで感傷に耽るほどのことではないとは思うが。
つか映画鑑賞そのものに興味をなくしてしまった今では、この度の閉館を惜しむ資格すらないのかもしれない。


映画好きはチラシ漁りもだいたい趣味である。



閉館間際のラクガキのクオリティーが高すぎる。



今回訪れると、今まで京都みなみ会館が発行してきたフライヤーが壁一面にズラリと敷き詰められてあった。
これらを順々に眺めながら、これまでこの映画館で観た作品を思い返してみた。



確か『オースティン・パワーズ』の試写会が当たったのがキッカケでこの映画館の存在を知ったんだっけ。
一作目公開ん時はまだその辺のシネコンでもやってなくて、こいつが世界的大ヒットをとばし、この後シリーズ『2』、『3』と一般的な劇場でも上映されるようになったが、金ばっかかけて超つまんなくなっていったのはご周知の通り。
私当時、第一作目のヒロイン役のエリザベス・ハーレイちゃんにゾッコンだったんよね。




マサラムービーブームの火付け役『ムトゥ踊るマハラジャ』を観て笑撃を受けたのもここだったな。その後調子に乗って『アルナーチャラム踊るスーパースター』を鑑賞しにいって「マサラはもうええわい!」ってなったけど。
その他、『花とアリス』、『アダプテーション』、『シティ・オブ・ゴッド』、『街のあかり』、『極悪レミー』、『SUPER』・・・・etc、後は『岩井俊二ナイト』とか、『タランティーノVSパク・チャヌク』などのオールナイトショーも何回か行ったっけ。
オールナイト上映は正直疲れるので、今の歳じゃもうムリかも。
でもそういうのしてくれる映画館てもうあまりないよね。


で、閉館までのラスト一週間は、京都みなみ会館が選ぶ(映画通が選ぶってことなのかな?)名作映画作品群を、1000円均一料金で上映していたので、木曜にちょっと気になる映画がやっていたので決算休みを利用してここでの観おさめとばかりにいってきた。




鑑賞したのは、深作欣二監督の68年のカルトムービー『黒蜥蜴』。
乱歩原作の『黒蜥蜴』を三島由紀夫が戯曲化したものを、これまた映画化したもので、女賊“黒蜥蜴”をまだ丸山の苗を名乗っていた頃の三輪明宏が演じることにより、異色のデカダンス風味が強調されたアーティスティックな作品に仕上がっている。
本作はソフト化はされてなく、以前いきつけのバーだったところ(バーの名前は“パノラマ島”)で、『黒蜥蜴』をコンセプトとした周年イベントに呼ばれた際に、ネット上で落ちてたのをすでに予習鑑賞済みであったが、35mmフィルムでスクリーンで観るのもなかなかオツなのではないかと。



うん、観返してみてやっぱ面白かった。
三輪明宏演じる黒蜥蜴は、どう観てもニューハーフの域を出ないんであるが(身体もゴツゴツしてるしね)、彼女(?)の持つ独特のナルシズム感が、黒蜥蜴のキャラクターをさらに強烈なものとしており、このいささかアホくさくキザったい男女恋愛もののストーリーを芸術的な域にまで昇華しているのだ。

「でも、心の中ではあなたが泥棒で、わたしが探偵だったわ・・・あなたはとっくに盗んでいた・・・」

最後のシーンで、思わず目頭を熱くしてしまったことを告白しておこう(俺って、だいたい二回目の方がくるんよね)。


この『黒蜥蜴』鑑賞で、京都みなみ会館最後のしめくくりにしてもよかったんだが、次上映の『恐怖奇形人間』もちょっと興味があって、乱歩ものだし、1000円だし、実は観たことなかったので、少し迷った挙句ええいとばかりに当日チケットを購入。

満員御礼。


・・・・・・・・
今週初めから風邪こじらせて病み上がりだったこともあり、さすがに2本連続のこの手のカルトムービー鑑賞は疲労がたまった。
石井輝男監督の江戸川乱歩全集シリーズのもので、『パノラマ島奇譚』をベースとした話に、『孤島の鬼』のグロテスクな部分を加味した感じ。
とにかく女の裸がいっぱいでてきて、序盤から展開がまどろっこしくて鑑賞しながら「ああ、やっぱやめときゃよかった」と。
『黒蜥蜴』は、古いながらまだ展開がスマートで、優雅なセリフまわしや音楽などで聴覚にも心地よく、アーティスティックな映像で目にもやさしいが、この『恐怖奇形人間』はコテコテというか、暗いというか、ケバいというか・・・
まぁ以前ネット上で知り合った映画マニアみたいな人に、石井監督の『盲獣』が素晴らしいとススメられて鑑賞したときにすでにこの頃の石井作品には苦手意識を持っていて半信半疑だったんだが・・・・
パノラマ島を映像化するには時期尚早の時代だったというか、まぁパノラマ島をこの時代のヒッピー文化的解釈で映像化した結果だといおうか、当時としてはセンセーショナルな映像だったとは思うんだが・・・男女がケツとケツをくっつけてるだけのをシャム双生児だと言われてもねぇ・・・・・
そして、最後のまさかの人間打ち上げ花火!!
生首に「おかあさぁぁぁ~~~ん!」のシーンには、笑いをこらえるのに必死だった。


とまぁ、自分の肌に合わないものや、奇をてらっただけの「なんじゃこりゃ?」みたいな映画もちょくちょく観たけど、やっぱ総合的にここで観た映画作品はおもしろいと思えるのが多かった。
ミニシアターっていうほどスクリーンが小さいというわけでもなかったし、なんといってもあのワインレッドのフッカフカのシートが、現在のシネコンじゃ味わえない昔ながらの極上の心地よさと空間を与えてくれた。


今までいい映画作品との出会いをほんとありがとう。

そしてお疲れ様。

また同じ「京都みなみ会館」という名で、このシックな内装でやってくれるのかはわからないが、再開してくれる日を楽しみに待っております。





今日の1曲:『かすかな希望』/ 坂本慎太郎
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犬ぢゃ!!犬ぢゃ!!

2018年03月26日 | しねしねシネマ
今週も行ってまいりました。京都みなみ会館。
今回観にいったのは、エログロ劇画家丸尾末広原作の『地下幻燈劇画 少女椿』。

丸尾作品がアニメーション化されてたって事実にも驚いたが、まぁこれがなかなか曰く付きらしく、1992年に制作されたもので、元々劇場公開を前提とした作品ではなく、当時神社境内や地下室でゲリラ興行されていたという。
で、1999年スペインのサン・セバスティアンで行われたホラー&ファンタジー映画祭で上映された後、成田税関でフィルムが没収・破棄されて以来、日本でのソフト発売・上映が禁止されていた伝説のアニメーション映画なんだとか。
まぁ丸尾作品読んでたら、そらそうなるやろとは思うが、ようは原作にかなり忠実に映像化されたってことなんだろうな。

今回は『カナザワ映画祭』というものの一環で、ギミック上映という形式、つまり劇場内になんらかの仕掛けを施してこの発禁映画を上映しちまおうという、なんとも大胆不敵で不埒な企画らしいということで、丸尾にわかな私でも怖いもの見たさについつい前売り券を購入してしまった次第である。




私の丸尾関連アイテムなんてこの程度。おもいっきりにわかですわ。
『少女椿』も昔本屋でチラ読みしただけ。



東寺駅で電車を降り、映画館に近づいていくと、駐車場の方でもうなにやら人だかりができてて賑やかな雰囲気だ。
どうやら駐車場が鑑賞客の待合場所になっているらしく、そこにちんどん屋みたいな格好した連中が場を盛り上げていて、最初はどっかの大学の演劇サークルの学生が学際的なノリでボランティアとしてやっているのかと思った。
しかしどうやらもうこの待っている時点からギミック(仕掛け)が始まってるらしく、チンチンドンドンよくわからない余興が繰り広げられていた。
やってる事が作品のイメージともだいぶかけ離れていて、正直苦手なノリでついていけなかった。



客の年齢層はかなり若めで20代の学生が大半を占めていたのではないかと。
ちょっと変わり者の行動派のやつとか、演劇やアートに興味のあるどこか意識の高い人とか、友達がなかなかできないガチの丸尾マニアとか、そういった類であろう。
ようはちょっとヘンタイな人たちだ(私はヘンタイではない)。

まぁしかし、この『少女椿』は、『アルマゲドン』観て涙流してるような健全な精神の者が観れば卒中を起こしかねないエログロな内容であり、両親を失ったいたいけな少女がオッサンに騙され、フリークやカタワモノが犇めく見世物小屋に入団させられ、そこの連中にいいようにこき使われ、あられもない虐待を受けるっていう、悪趣味以外のなにものでもないこのような作品を金払ってわざわざ観ようなんて連中がこんなにおるとは、ちょっとビックリだった。しかも割と女性が多かった。

上映予定時間より10分ほど押してやっと入場。
ちょっとした人間障害物を乗り越え階段を上がっていくと、館内はどうやら真っ暗な様子。

な、なんなんだよ・・・・・お札?



もうチケットもぎスタッフからこれ。誰も怖がってなかなか近寄れない。



会場に入るやいなや、なにかしら一種異様な雰囲気がたちこめていた。
私は一瞬、これはなにやら来てはいけないところに来てしまったのではないかという、激しい後悔の念に捕われたが、今更もう引き返せそうもなかった。



会場内は、白い帯やら赤い糸が張り巡らされており、通路を歩きにくいことこの上なかった。
座席もこの有様なものだから、来場者は困惑の色を隠しきれないでいた。



壁には妖怪変化の画がそこらじゅうに貼られていた。



ギャーーーーーッ!!!



そして、映画はなかなか上映されず、ステージ上では奇妙な人たちのアヴァンギャルドな舞踊が怪しいヴァイオリンの調べにのせて、延々と繰り広げられるばかりであった。
あの~、私ら映画を観に来たんやけど・・・・



上映開始のブザーが鳴り、演者が舞台袖にはけるとたちまち客席から拍手喝采。
暗転していよいよ映画がスタート。

いきなりドロドロとした効果音と共に、妖怪変化の静止画が延々と流れ、そこに紙芝居めいたナレーションが挿入される冒頭に、この先のアニメーション精度を疑うと同時に、まさにイメージ通りの映像、音響のレトロ感とおどろおどろしいこの雰囲気にワクワクしてる自分がいた。
これは、かなりいい作品なんじゃないかと。

まぁいつも通りの丸尾展開(て、オマエにわかやろ!)。
昭和初期テイスト&悪趣味極まりない。
虐待シーンはまぁエグいことはエグいが、ほぼ静止画でサラッと流されている。やっぱみんなあの子犬の残虐シーンにはゲロ吐きかけたかと。劇場で「うわっ!」と声を出してビックリしてる人もいらしたし、私もちょっと目をそむけたくなった。
しかし、過酷な物語の中でも、ちょっとしたシーンでのユルさや、アーティスティックで眩惑的なシーンなどで観る者を和ますところがなかなか巧みな映像作品でもある。
ねたみそねみであれだけイガみ合っていた見世物小屋の芸人たちだが、後半観客に「侏儒の分際で」とヤジを飛ばされブチ切れたワンダー正光が、「曲がれ~ぇ歪め~ぇ捻じれろ~!」と、観衆を幻術でもって阿鼻叫喚のパニック状態に陥れた時、よくぞ俺達の代弁をしてくれたとばかりに、芸人どもの間に一体感みたいなのが生まれたりする。ここは観てる側も「正光!よくやった!」という爽快な気分になってしまうのだ。

この観衆がパニックに陥いるシーンで、座席がブルブルブルっとバイブし出し、さっき上映前にステージ上にいたパフォーマーたちが客席に再び躍り出てきて、ウヂャーーっ!!とばかりに踊り狂うというギミック演出があって、実は画面にあまり集中できてなかったんだが、実はここでこの作品一番のグッチャグチャのエログロシーンが繰り広げられていることが、ネット上に落ちてた動画を見返して確認できた。
まぁでも、これがなかなか愉快だったりする。グロいことはグロいが、諸星大二郎的なユーモラスさもあって、まぁ『AKIRA』の最後の鉄夫の変化シーンに耐えられるんならそんなにキツくはないと思う。
あんだけ虐待しといてみどりがワンダー正光とともに小屋を去っていく時、激励の言葉を送ったり、涙流して別れを告げてるこの芸人どもの不可思議な愛憎関係もよかった。
あと、飛脚みたいな人物の「へっくし」のクシャミループは思わず噴き出してしまった。

それにしても、声優陣がみなイメージピッタリで非の打ちどころがなかった。
特にみどりちゃんのいたいけな声の感じと、ワンダー正光の高慢ちきなセリフ回しが素晴らしい!
まぁ生々しいみどりちゃんの泣き声は、ちょっとギスギス脳に響くものがあったが・・・

もう語りつくされてることかも知れないが、これを観たとき、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』へのオマージュを感じないではいられなかった。
山高帽のおじさんに誘われるまま、へび女、海鼠人間など、魑魅魍魎たるフリークどもが犇めく見世物小屋に入ってしまうシーンなど、まるで白うさぎを追いかけていって、狂った帽子屋や豚亀などのフリークどもが跋扈する不思議の国に迷い込んだアリスを彷彿とさせるものがあったし、侏儒の魔術師ワンダー正光の幻術によって、みどりが巨大化するシーンなどもそうだ。
『不思議の国のアリス』は実はけっこう好きな作品なので、『少女椿』にそういった要素を感じたのは、やはり私はどこかでこのエログロな作品を好ましく思っているところがあったかもしれない。
でも私はヘンタイじゃない。





バッドエンドなみどりちゃんのラストのクライマックスシーンで、再び踊り子たちが客席を跋扈し、桜吹雪が場内一杯にブワーーーッと吹き乱れ、映画は終演を迎えた。

60分にも満たない内容の映画であったが、不思議とモノ足りなさは感じなかった。
その短い時間に詰め込まれたこの眩惑的で怪しい丸尾ワールドの濃密さは、想定以上に凄まじかった。
先日観た『希望のかなた』より断然インパクトあった。この強烈さ、トラウマ感は、石井輝男監督の『盲獣VS一寸法師』を鑑賞した時の感覚に近いものがある。


是非パンフレットかなんか欲しかったが、どうやら物販はないみたいらしく、キツネ女に訊いても何も答えてくれなかった。



京都みなみ会館を出て東寺駅にトボトボ歩いて行く間も、あのみどりちゃんの歌う哀愁漂うエンディングテーマが頭の中でずっと鳴っていた。

いや、いいもの観たなぁ。




今日の1曲:『迷い子のリボン』/ 中美奈子
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アキたかも

2018年03月17日 | しねしねシネマ
昨年12月、京都MetroにてSalyuのライブを見に行った時、隣にいた若者2人が岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』のことについて話しているのが聞こえてきたので、耳をダンボにして盗み聞きしていると、先日京都みなみ会館で岩井俊二ナイト(オールナイトでその監督作品ばかりを上映するやつ)を観たことを話しており、その会話の中で信じられない情報が私の耳に飛び込んできた。

「京都みなみ会館、来年の3月で閉館するってよ」

ああ、またしても古き良き時代の昭和の遺物がなくなってしまう・・・・




まぁ追悼記事はまた後日書くとして、今年に入ってから京都みなみ会館は様々なさよなら企画を催しており、今週はフィンランド映画の巨匠アキ・カウリスマキ監督強化週刊として、最新作(といっても昨年すでに上映されたやつ)『希望のかなた』が上映されていたので、男客1100円のマンデーに仮病を使って観にいってきた。てか、これは別にさよなら企画ではなかったのかな?
もちろんこの映画館ならではのこだわりで、シネコンのようなデジタルではなく、35mmフィルム上映ってのがオツだね。 
午前中に同監督作『ル・アーブルの靴磨き』も同時上映していたが、見てない作品だったらよかったのだが、こいつは3年ほど前に近所のシネコンで見たので。




まぁ今回の『希望のかなた』も、チラシを見て『ル・アーブル~』と同様、難民救済映画らしいっていうのは観る前からわかっていた。
アキ監督はどうやら“難民三部作”として、もう一本撮るつもりだそうだ。
本作はシリアの内戦からフィンランドに亡命してきたアラブ系難民がテーマに取り上げられている。

まず、『過去のない男』であの強欲警備員(名犬ハンニバルの飼い主)の役をやっていた役者さんが主役をはっていたのでテンションあがった。
あの仏頂面はまさにアキ作品にはピッタリ。
他にも、、『街のあかり』で見かけた女優さんや、マルコ・ハーヴィストとポウカハウタなどのカメオ出演にアキ映画好きはハッとさせられたかと。

映像のコントラスト、坦々とした話の運び、親切な街の人々、役者の感情のなさ、犬、バンド演奏と、良くも悪くもいつものアキテイストがフンダンに盛り込まれた内容。
まぁ個人的には新鮮味も意外性も感じられなかったというのが正直な感想。
だって展開が読めちゃいますものね。
『ル・アーブル~』の記事の時にも言ったけど、自分の中で最初に見て衝撃を受けた『過去のない男』が評価基準となってしまっているので、どうしてもハードルが上がってしまいモノ足りなく感じてしまう。
それに今回のは『ル・アーブル~』の二番煎じ感が否めなかった。かつ『ル・アーブル~』ほどスマートでもない。


オシャレな表紙のパンフは買わずにはいられませんわな。



中身も充実。



レストランのオーナーとデコボコ従業員たちが店の再起を図って始めた見よう見まねのすし屋のシーンは確かに笑えた。
これは、日本好き(というより小津安二郎好き)のアキ監督の趣味が色濃く出た場面かと思われるが、ただ、「ここで笑ってくれよ日本のみなさん」ていう、タランティーノの『キル・ビル』にも通じるあざとさを勘ぐってしまったのは、私が日本人であるが故のことだろうか?


そもそも、フィンランドに観光に来た日本人団体客が、わざわざ外国のインチキくさいすし屋に押し掛けるかっつーの!
いやいや、それもアキ一流のユーモアですよと言われたらそれまでだが。


今回やたらバンド演奏(あるいは弾き語り)のシーンが盛り込まれていたが、バンドマン自身はあまり物語には関わってなく、ただ監督が好きな音楽を挿入したかっただけとしか思えなくて、まぁそれもひっくるめてアキテイストなのかもしれないが、少々押しつけがましく感じられた。



登場シーンこそよかったものの、犬の役割もこの物語ではあまりにも希薄すぎた。



ヨーロッパでの深刻な難民の境遇を描くという問題提起を目的としたアキ監督の意図してることや意気込みはわかるんだが、ただただ困ってる奴と許せない乱暴者、そして親切なフィンランド人が露骨に描かれているだけというか、せっかくいい味の役者さんや素材がそろってるのに、なんか活かしきれてないというか。

う~ん、期待してただけに残念な内容だった(個人の感想です)。


オススメ度:★★★





今日の1曲:『SKULAA TAI DELAA』/ Dumari ja Spuget
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姫に捧ぐ。

2017年01月16日 | しねしねシネマ
昨年スター・ウォーズ新シリーズ『フォースの覚醒 エピソード7』を鑑賞し、旧三部作ファンに媚びを売るかのようなエピソード4の焼き直し的な内容に心底失望させられ、「俺も年だし、スター・ウォーズはもう幼稚すぎてあかんな」と、密かに『スター・トレック』の方に傾きだしていた。
ただ、スター・トレックの最新作も、JJエイブラムスの手から離れ、今回は『ワイルド・スピード』の監督がメガホンをとったと聞いたとたん観にいく気が失せてしまった。
まぁSWエピソード7もJJだったし、もう誰が監督してもCGを駆使しまくりのSF映画には心動かされぬロマンのない人間になってしまったのかもしれない。


などと四の五の言いながら、SW最新作アナザー・ストーリー『ローグ・ワン』を先日観賞しにいってしまっている、幼少の頃からのSW呪縛から抜け出せない浅はかなオッサンであります。
まぁ旧三部作好きといたいしましては、今回のこの物語が、エピソード4のオープニングロールで語られている、帝国軍の究極兵器“デス・スター”の設計図を命を賭して盗み出す反乱軍のスパイが活躍する話だと聞いて、興味そそられずにはおれんかったわけなんですね。

本作ではエピソード6で登場する反乱軍のリーダー、モン・モスマが再び登場すると聞いて、実は私大きな勘違いをしていたってのもあるんです。

モン・モスマと聞いて、私が思い浮かんだ彼女のセリフがこちら。


私は今回のエピソードがこのボサンの仲間たちが活躍する話だと思ってしまったんです。
そもそもモン・モスマが言っていたのは、ルーク・スカイウォーカーによって破壊されたデス・スターが再建された二度目の出撃前のことで、そのボサンがもたらした情報とは、新しいデス・スターの位置と、その要塞内部で皇帝自らが指揮を執っているという事柄を言っていたのだ。

実際ボサンの仲間とはどっかの星の種族らしく、映画で実写化されてないクリーチャーみたいだ。



実際本作で活躍するスパイ部隊は、一体のドロイドを除きほとんどが人間。
上記の勘違いがあったものだから、この部隊がデス・スターの設計図を己の命を投げうって盗み出す話なんだと。もちろんひとりとして生還する者はいないんだと。
だから、これは壮絶な死闘を描いた内容に違いないと、半信半疑ながら期待が膨らんだのだ。

まぁ一見地味に見える部隊だが、実際見てみたらかなり味のあるキャラクター達が揃っていた。
特に惑星ジェダ出身の東洋系の2人組戦士修道士。この2人が圧倒的な存在感を放っていたように思う。
で、エピソード7で大いにコケたと思われるドロイドBB-8の汚名返上とばかりに、今回はラピュタのロボット兵を彷彿とさせる、反乱軍用に再フォーマットされた元帝国軍のセキュリティドロイド“K-2SO”のターミネーターばりに殺傷性がありながらも、冷静かつ妙に人間くさいツッコミ的役どころは好感がもてた。




で、結果的には私の勘違いのストーリー設定がなんか知らんけど見事に的中することになる。
こういう展開は確かに期待通りではあったんだが、いささか命を賭して戦っている部隊の切迫感や葛藤みたいなのはあまり描かれていなくて、割と坦々としており緊張感に乏しかった。
もうライトセーバー持ったジェダイも出てこないんだし、使命感に燃える勇敢な戦士たちとかより、もっとドロ臭くて情緒不安定な人間模様を描いて欲しかったかと。
まぁSWってのは、親子の愛情、共に戦ってる者同士の友情を中心に描いた大衆向けの勧善懲悪SF映画なので、そういう戦争映画みたいな緊張感を求めるってのがお門違いなんだろうけど。


そして、旧三部作好きとしては、最も興奮させられたのが、ローグ・ワン部隊が任務を終えてからのラスト10分。
ローグ・ワン部隊が惑星スカリフにある帝国軍の研究施設から盗み出したデス・スターの設計図のデータを宇宙に送信する。
そのデータを待ちうけていたのが、宇宙貨物船に搭乗していた反乱軍の特命を帯びたレイア姫なのである。


本作『ローグ・ワン』は、昨年の12月中旬から公開されたが、これはちょっと不謹慎な発言かもしれないが、本作を年が明けてから観にいったのは正解だった。
ラストのカットで絶句してしまったもんなぁ・・・・(いや、もちろん観賞中はずっと黙ってましたよ)


R.I.P. Carrie Fisher



オススメ度:★★★


今日の1曲:『Bridge Over Troubled Water』/ Simon & Garfunkel
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ジンバラルの友だち

2016年04月05日 | しねしねシネマ
土曜日に梅田まで『リップヴァンウィンクルの花嫁』という映画を観にいったのは、岩井俊二監督×Cocco出演という条件がそろったからにほかならない。

前世紀末に私が最も感銘を受けたアーティストがCoccoであり、10数年前に観て、最も衝撃を受けた映画『リリイ・シュシュのすべて』を撮った監督が岩井俊二。
その思い入れ深い両者が10数年の時を経て繋がった。もう観に行くしかないだろう。

Coccoはドキュメンタリー映画合わせてすでに2本の映画で主役をはっているが、私はその2本ともなぜか観る気にはなれなかった。
歌手Coccoとしての思い入れが強すぎて、ステージでもあんなリアルなCoccoが映画で演技をしてるのを観るのがなんか怖かったのだ。

岩井作品に関しては、『リリイ~』鑑賞後他の作品も何本か観てみたが、『リリイ~』の衝撃が凄すぎたのか、どれもピンとこなくて『花とアリス』を劇場で観たっきり関知してこなかったが、今回の作品は実はそれ以来だったのね。


梅田ブルグという映画館は行ったことがなく、大阪のオフィス街の高そうなメシ屋がたくさん入居しているシャレオツなビルの上階のシネコン。



で、やっぱり岩井監督は凄かった。
劇場で映画を観て、何年か振りに感情を揺さぶられた。


主役の七海を演じるのは、NHK大河ドラマ『真田丸』などで今をときめく黒木華さん(先日死んじゃったんだっけ?)。
七海は、地味で引っ込み思案でうだつの上がらない、それでいてSNSで簡単に男と付き合ってしまうような、軽率で優柔不断で周りに流されやすい平凡な女性。
パンフレットとかでは、この普通の女性を見事演じきる黒木さんをしきりに絶賛する文章が目立つが、上手い下手抜きにして、私はこの黒木さん演じるあまりにも無力で危うい感じの女性像に最初イライラを禁じ得なかった。
彼役の人と接するときの控えめでかわいらしい仕草もなんかブリっ子すぎて鼻についた。

あと前半の結婚披露宴シーン。これはダルかった。
もう友人の余興とかよくあるベタな披露宴のシーンで、なんか赤の他人の披露宴ビデオを見せられているようで、これがまたイライラするのだ。
その時私が心の中で思ってたのは「Coccoいつ出てくんねん!」ってことであった。
ただ、『リリイ』を見た人なら分かっていると思うが、これこそが岩井監督独特の手法で、こういった誰もが見たことあるような淡い風景をジックリ見せることによって、鑑賞者にリアルな感覚を植え付けるのである。
ただ、この場面でひとつシラけた箇所があったのが、『花とアリス』でも散々やらかしてたどうでもいい有名人のカメオ出演。フジがからんでるらしく大人の事情があったんだろうが、せっかくのいい作品にケチがつくのでこういうのはやめてほしかった(せめてもうちょっと人を選べよ)。


トントン拍子で幸せ街道を突き進むかに見えた七海の人生は、中盤にさしかかると音をたててガラガラと崩れ始める。それはもう残酷に。この辺もいかにも岩井テイスト。リアルにエグい。
そこに暗躍するのが、綾野剛演じるなんでも屋(なりすまし屋)の安室。このミステリアスな安室の存在は、一種クライムサスペンス的な雰囲気をも匂わせ、もう物語がどういう方向にいくのか予測不能になる。私の浅はかな想像力では、「この映画って、大掛かりで壮大なスケールのドッキリ映画ちゃうか!?」なんてことを一瞬思ってしまった。


そして後半、ようやくCoccoが登場。
(あ、こっからはCocco贔屓のオッサンの意見なんで、気持ち悪がられるかもしれんけど)
Cocco演じる真白は、七海にはないものを全部持っているといった、破天荒で天使のような存在。
そして物語は真白の登場によってグっと引き締まったものとなり、七海の人格にも精気のようなものが宿り出すのだ。

Mステなど、テレビでの挙動ったCoccoしか見たことのない人は意外に思うかもしれないが、今回初めて観たCoccoの演技は、まぁほとんど普段の素のCoccoに近い。
(Coccoは気を許した人に対しては、本当に人懐っこくて気さくにしゃべりまくる人物なのだ。)
CoccoがCoccoを演じている感じ。つまり生々しくリアルなのだ。
こういったニュアンスは本格的な役者さんには出せない味だと思う。岩井俊二監督はまさにそれを求めていたのだと。Coccoそのものを撮りたかったのだと。



劇中では、彼女の生歌も披露される。
それはCoccoの作った曲ではなく、ユーミンの曲。
カラオケバーみたいなところで歌うシーンなのだが、東京の人ごみの中で真白とはぐれてしまった七海が、喧騒の街中で必死に真白を探し求めるシーンで、そのCoccoの歌がシンクロして響いてきたときは、やはり涙を抑えきれなかった。

あと、岩井監督がTVBrossのインタビューで「Coccoが音楽活動休止する前の最後のライブでMCで言ったことがこの映画のストーリーに影響している」と言っていた。
終盤、七海と真白がベッドの上で向かい合って話しているシーンが出てきた時、ここだなってのはすぐにわかった。
もうこのCoccoの長いセリフ、ライブでCoccoのMC聞いているときの感覚となんら変わらんかったもんな。


パンフ。寿タッチなデザインがシャレてていいね。



エンドロールで初めて気づいたのだが、この映画に個人的に思い入れ深かったAV女優さんも出演していて感慨深い気持ちになった。
ほんで岩井監督、ふざけてるのか、マジなのか、今回ちょいちょい(綾野氏演じるキャラクター名見てもわかるように)ガンダムネタをぶっこんできてて、劇場で何回か吹いてしまった。


とまぁ、私の好きなものが不可思議にも詰まりに詰まった大傑作映画であった。


オススメ度:★★★★★




今日の1曲:『コスモロジー』/ Cocco
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フォースの減退

2016年01月15日 | しねしねシネマ
成人の日の月曜、近所のイオンシネマがサービス料金だったので、約1年半ぶりに劇場に足を運んだ。
祝日なので混雑を予想してネット座席予約のリザーブシートを初めて利用したが、ケツからジェットが噴射することはなかった。
でも中央ど真ん中の良席を確保することができた。

観た作品は幼少の頃からわが内なるフォースとともに見守り続けてきたSFシリーズ映画『スターウォーズ フォースの覚醒』。



まぁ『SW』シリーズは、これまでの6作品(旧三部作はもちろんリメイク版)全て映画館で鑑賞しているので、ここまできたら今さら止められるもんじゃねぇ。
よー考えたらその辺はだいたい20代の頃に観てるんやなぁ~、私ももうだいぶ老けた。
今回はルーカスの手を離れ、『スタートレック』新章でも腕をふるったJJエイブラムスが監督。

感想は一言でいうと、キング・クリムゾンの2nd。
隅から隅まで旧三部作4章『SW 新たなる希望』と展開がほぼ一緒!
SWにはすでに原本があるらしいので、それをそのまま映画化したってんなら仕方ないが、関係筋の話によると白紙の状態から脚本をこさえたとのこと。
とにかく全編に渡って旧三部作ファンを意識したかのような小道具がこれみよがしに出てくる。
ファルコン号の船内にオビワンがルークのジェダイになるための訓練に使っていた浮遊するビームボールがガラクタに混じってチラっと出てきたときは吹き出してもた。

今回は、旧三部作ばりにファルコン号が大活躍する。
笑ったのが、照準機のモニターが70年代のコンピュータグラフィックみたいなんをそのまま採用されてあったこと。
そこまであの時のファルコン号を忠実に再現せんでもええんとちゃう?
幼少の頃、TV放送の洋画劇場かなんかで観てて、ファルコン号のあの機銃席にどれだけあこがれたことか・・・
あとタイ・ファイターとXウィングのドッグファイト、四足歩行のAT-ATのド迫力、森林でのスピーダーバイクチェイス、ストームトゥルーパーの甲冑、ジョン・ウィリアムズによるオーケストレーション・・・・なにもかもが驚異的な映像世界で、もうドキドキワクワク胸躍らせて観ていた頃が懐かしい。

ただ、私ももうだいぶオッサンだ。さすがに好奇心や感性は10~20代の頃よりかは確実に衰えている。
私のフォースもかなり弱まったってことなんだろうな。
いくらSFX技術が進歩したからといって、また同じような冒険活劇を見せられてもなぁ。
旧三部作ファンへの配慮、オマージュと言いたいのだろうが、この内容では何の意外性も新鮮味もなさすぎる。

今回目新しいものといえば、新ドロイドDD-8のコミカルな動きと、おそらく今シリーズの主人公である女戦士レイの存在であろうか。
まだ正体は不明だが、あれだけライトセーバー使いこなせるんだからフォースの強い家系の生まれなのであろう。
次回あたりでその出生が明らかになるんかな。意外なところでダースモールの孫娘なんてことはないやろか。

しかし、今回の登場人物の人間関係描写の希薄さが否めない。
Xウィングのパイロットは元ストームトゥルーパー要員だった黒人とすぐ打ち解けすぎだし、その黒人と女戦士レイとのスピーディーな親密さ加減もなんか説明不足。
つまり意外性とかドラマ性が乏しいのだ。
まぁ年古りたオッサンの「あの頃はよかった」的発言かもしれんが、ルーク、ソロ、レイアのあの3人の個性がぶつかりあう絶妙なデコボコ関係がよかった。
まっすぐなルーク、利己主義でワルなソロ、気高いお姫様のレイア、彼らが苦境を乗り越え徐々に友情愛情を深めていく過程は実によかった。
やっぱ旧三部作を超えられるものはないのかしら。

まぁ今後のEP8、9のストーリー展開にも一応期待はするが、ダークサイドに落ちたソロの息子があまりにも迫力なくて、レイア婆以上に心配な私。

オススメ度:★★


今回はパンフレットもなにも購入しなかった。
いや~長年SWファンを自負してきたが、今回はほんまなんか冷めてますわ。
しかし、昨年からあちらこちらで見かけるスターウォーズキャンペーン商品のスベリまくり感はどうしたものか・・・
この旧三部作の依存具合といい、消費者をナメきってるとしか思えんのですわ。
(と言いつつ、見切り商品価格につられこいつを買ってしまったが)



つかサントリー、今回はなんでボトルキャップやらないんだ?
業界全体にもやる気が感じられない。
まぁエピソード9までキャラ出揃ってからってことかな?
ソロ爺、レイア婆のボトルキャップなんて誰も欲しがらないやろうからなぁ。

10年前、前シリーズ上映時ペプシを体調悪くしてまで飲み続けて集めたボトルキャップコレクション。



Star Wars Gangsta Rap 2


今日の1曲:『Metal Forces』/ Onslaught
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her?

2014年08月04日 | しねしねシネマ
先日『her/世界でひとつの彼女』という、いかにも女性好みの映画作品を鑑賞してしまった。

タイトルやポスターから、どう考えても私に似つかわしくないこの作品を劇場で鑑賞したのは、なにも本作がアカデミー賞で脚本賞を受賞したからではない。
理由は単純で、監督がスパイク・ジョーンズだったからだ。
といっても小生、スパイク・ジョーンズの作品を見るのは約10年振り。あの傑作『アダプテーション』以来となる。

スパイク・ジョーンズは、ビースティ・ボーイズやビョークなど、奇想天外な発想でユニークなプロモーション画を撮るMV監督として昔から好きだった。だから今回もそういうのを期待してたんだが、意外と洗練された純愛ラブストーリーだった。
まぁ恋愛対象がPCのOSってのが奇抜な設定なのであるが。

離婚調停中でシングルになって孤独感に打ちひしがれていた主人公が、ある日自分のPCに人工知能型OS“サマンサ”をインストールする。“サマンサ”は普通の女性のように会話し、データ処理の他、良き相談役、話し相手となって主人公に接しているうちに、お互いが意識をしはじめ恋にまで発展。
スカーレット・ヨハンソンが声優をつとめるセクシィヴォイスの効果もあったと思うが、これは肉体の域を超えた精神の結びつきが実に鮮明に描かれている。そしてついにふたりは会話だけでオルガズムの境地にまで達してしまう。




近いところで人間がロボットに恋をするって話が今まであったと思うが、私が思いつくのは『火の鳥 ~復活編~』での事務用ロボットのチヒロと宮津レオナとの恋だ。しかしこの場合、レオナは生身の人間がガラクタに、ロボット(無機物)が人間に見えるという視覚障害を患っており、やはり視覚的な部分で恋に発展している。



もうひとつ思い出したのが『ブラックジャック』の(手塚作品ばっかりでスンマシェン)「海賊の腕」というエピソードで、病気で義手になりヤケになっていた少年イッチンが、そのしゃべる機能を持つ義手に励まされることによって感情移入していって人生が開けるというエピソード。しかしそのしゃべる義手は実は陰で少年を慕う少女が遠隔マイクで話しかけていたものだったのだ。



今回の『her』でも内心そういう展開をちょっと期待した。最後にはスカーレット・ヨハンソンが出てきて実体のある結びつきへと開花するっていう。
「十分声だけでもめっちゃセクシーやん!やっぱスカーレットに憧れちゃう!」ってのが女性評なんやろうけど、男は浅はかなもんでやっぱスカーレットの美貌が拝みたいじゃん?

鑑賞中は退屈もせずそれなりに楽しめたんだが、正直この作品の真意みたいなもんはつかめなくて、話のオチも微妙だった。
OSなもんだから、実は二又どころか六千又くらいかけててそれは全部本当の愛でその男どもといつも同時に会話してたなんて、それでなんかギクシャクして最後はOSの方から「もうお別れよ」っていうラストの展開には正直ついていけなくて「her?」ってなってしまった。
これはもうシステムの復元するしかありませんわ。


でもエンドロールの最後で、監督の「~~に捧ぐ」のところにアダム・ヤウクの名がクレジットされていたのには少しジンとなった。

Beastie Boys 'Sabotage' Interview on 'Ciao L.A.'


オススメ度:★★★

今日の1曲:『Sabotage』/ Beastie Boys
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メタルIMAX

2013年12月14日 | しねしねシネマ
今年、ライブビューイングというか、映画館でライブを観るという体験をしたのはこれで4回目だろうか。
しかも今回はメタリカ。夏にサマソニで見たばかりだというのに・・・・

まぁ仕事場の近所のシネコンでIMAX 3D版で、噂のライブ・アクション映画『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』が上映されてたので、仕事が早く終わったらレイトショーでいっちょ見に行ったろかしらんとなったわけだが。
しかし、20:00に仕事が終わった時に映画館にかけつけたら、なんとその映画館では18:00からのが一回きりしかやってなかったので、レイトショーで見るのはあきらめざるをえなかった。ほんで先週の金曜日17:30に仕事が終わって一目散に映画館にかけつけたら、21:00に時間変更・・・・おちょくっとんか!!
3時間もどないして時間つぶせゆーにゃ!と憤慨しつつ、まぁレイトショーで安くなるからええかとチケット発券しにいったら、IMAXはレイトショー割引き対象外ときやがった。料金は3Dメガネ代上乗せされて2200円。いてもたろか!!

まぁ中学生ん時に『メタル・マスター』聴いて一発でハマって、『ブラックアルバム』で即見限り、今までさんざんシカトし続けてきたツケをここで払うって思えば2200円なんざはした金よ(えらい安上がりやなオイ)。
それにステキなステッカーも付いてきたしね。



客は7、8人程度。私はその日の発券者第一号だったので、ど真ん中の一番いい席に座れた。まぁどこにでも座っていい状況だったが。
内容は、映画撮影のためにアリーナで行われたメタリカのライブ映像と、俳優陣が演じるトリップアクションムービーとを掛け合わせたもので、ライブPVの様相を呈したものと考えてもらえばよいかと。
まぁ正直、アクション映像の方はあってもなくてもどっちでもよかったかなと。観に行ったファンの方々もおそらく「アクションはどうでもいいから、もっとライブシーンを盛り込んでくれ。だってメタリカのライブがアクションそのものなんだもの」と思っていたのではないだろうか。



冒頭でのトゥルージロが個室でベースをならし弾きしてて、その重低音で部屋全体がガタガタ揺れてる大仰なシーンからしてファンタジックな色合いがでていたが、ステージそのものは紛れもない生演奏。ラーズ役にアンソニー・ホプキンス、トゥルージロ役にベニチオ・デル・トロ?と思ったが、どっちも本人だった。
まぁステージセットがトラブってメンバーのスレスレの所に機材が落下してきたり、スタッフがステージ上を火だるまで走り回ったりの多少の演出も盛り込まれてた。
で、IMAXは確かに音はいいし好きなアーティストのライブを楽しむには極上の環境かもしれない。3D映像は最初のデモンストレーション映像の段階でちょっと興奮したが、慣れてくるとやっぱどうでもよくなってくる。
「ベストセットリスト!」と謳い文句にあるけど、“Whiplash”、“Fight Fire With Fire”をハズしてベストセットリスト?との疑念も沸くが、近年のライブでだいたいよく演奏される楽曲が約12曲ほどチョイスされていて、やっぱ初期5作からが中心。ステージセットの仕掛けが凄まじく凝っていて、棺が数個天井からぶら下がっててそれが照明やモニターの役割を果たしている。“Ride The Lightning”では電気椅子が稲妻を放って降りてきて、“Master Of Puppets”では床から十字架群がニュ~っと生え出てくる。
そして、“…And Justice”では、演奏中にあの巨大女神像が組み立てられ、クライマックスでガラガラと崩壊!こりゃ生で見れたら相当楽しいでよ。




しかし、この映画を観に行ったほとんどのメタリカファンが、映画館で悶々としたフラストレーションを感じていたのではないかと予想される。だって、モッシュもできないし、立ちあがって「ダーイ!」コールもできないんだよ。
この映画を見にいった日の朝の報道番組で、マサラムービー上映時に客が踊ることを許可してる映画館の様子が映像で流れてるのを見たが、こちら奈良のシネコンでも少し似たような現象が起きていた。
ちょっとヤンチャそうな若者がふたり来てて、もうしょっぱなからコブシを振り上げてノリノリだった。そして「Master」~「Battery」と立て続けにきたときは、ガマンしきれなくなったのか、立ちあがってドンチャン騒ぎに。上映終了後、照明が点いて彼らの方をみやると上半身ハダカだった。
そんな私も周囲に人がおらんことをいいことに、好きな曲の時はエアギター、ドラムに興じてはいた。

ただ、この映像で気になったのが、首吊りシーンがけっこう出てきたこと。いや、首吊りショットは私の好物とするところだが、心配になったのは、上映前に6歳くらいの女の子を連れている親子の姿を目撃していたからだ。しかも3Dだぜ。年端もいかぬ女の子にはあまりにも過激すぎるぢゃないか!
でも、その女の子、よっぽどメタリカが好きなのか、上映終了後ジェームズのパネルの前で親にツーショット撮ってもらっている姿は実に微笑ましかった。



しかし、改めてメタリカのライブをこうやって大スクリーンで堪能してみて、ジェームズの歌って聴かせるヴォーカルへの転身振りの見事さに少し感心してしまった。50歳を過ぎてもほとんど歌唱力が衰えてないってのが凄い。
いや、もちろん私の好きなジェームズのヴォーカルは吐き捨てスタイルだった2ndの頃までだが。まぁ3rdの時点ですでにもうあの吐き捨て声は出なくなってたし、今の声で“Ride The Lightning”や“Hit The Lights”を歌われても迫力に欠けることは否めない。だから、『メタル・ジャスティス』以降の整合感ある方向にシフトチェンジしたのは、致し方ないことだったのかなと。

ただ、私がこのライブ映像で一番感銘を受けたのは、エンディングの“Orion”。
客が退いた後の空になったアリーナのステージで、リハ形式でメンバーが椅子に座って演奏しているというものだが、このインスト曲をライブで聴いて、改めてクリフ・バートンの作曲能力の高さにうならされるのだ。
特に、終盤のベースソロ・・・・あのクリフの魂の名ソロを、トゥルージロは見事に再現してくれていた。




オススメ度:★★★

今日の1曲:『ORION』/ METALLICA
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ノルマンディー脱出作戦

2013年10月06日 | しねしねシネマ
本ブログでも、Earth Music & EcologyのCMの件で物議を醸した、アキ・カウリスマキ監督作『ル・アーヴルの靴みがき』を近所のイオンシネマにて鑑賞。
ま、この作品実は2年前に公開された映画で、今回のは国連UNHCR協会が主催する「ヒューマン・シネマ・フェスティバル2013」という、入場無料のチャリティ映画上映会での一プログラム。
いや、近所の田舎イオンのシネコンで、アキ・カウリスマキ監督の作品が、しかもタダで見れるなんて、こんなオイシイ話はないっつーことで。

今回はフィンランドではなく、北フランスの港町、ル・アーヴルが舞台となっており、まぁ国連の難民支援機関が選抜してる映画だけあって、アフリカから漂着した難民の少年と、靴磨きで細々と生計を立てている初老のフランス人マルセルとの絆を描いた、カウリスマキ流コメディ風味がほんのりと香るヒューマンドラマが描かれている。
もともとアキ監督の作品には、「敗者三部作」というのがあるくらい社会的に立場の弱い者にスポットが当てられる傾向がある。
まず、ハードボイルドな冒頭のシーンからすでに惹き込まれてしまうのだが、今回はアフリカ難民を取り扱っているということでかなり話がスケールアップするのかと思いきや、うん、いつもの坦々とストーリーが展開する色彩豊かな典型的なアキ映画だった。



難民少年の脱出作戦劇とはいえ、窮地を乗り越えた後「ヒャッホ~ウ!!」と闇雲にうかれはしゃぐバカガイジンも出てこないし、へらず口を叩く小生意気な子役も登場しない。
そこに出てくるのは素朴な町の商売人ばかり。その表情にもやはり欧州独特の哀愁を漂わせており、とにかく登場人物ひとりひとりに、なんとも言えぬ魅力がある。主人公マルセルの奥さん役の人は『過去のない男』にも出演してた女優だな。フランス語も話せるのかぁ。
話の内容は全然違うけど、各シーンに私のお気に入り映画『過去のない男』と似通ったシーンが随所に見受けられ、それほど目新しさは感じなくあまりにも事がうまく運びすぎるハッピーハッピーな展開に少し物足りなさを感じたが(まぁ私の評価は『過去のない男』基準となってしまっているので)、アキ監督作に初めて触れた方には、もの凄く斬新でシンプルで心温まる作品に仕上がっていると思う。ラストのオチなんかも見事で、劇場で感嘆の声をあげる人もチラホラと。うん、いい映画だった。
そうだ、今回もまた犬がいい味を出してたな。彼もタハティに続き、カンヌ国際映画祭でパルム・ドッグ賞を受賞したのだとか。

あと、バンド演奏シーンが出てくるのもアキ作品の欠かせない要素。
マルセルがアフリカ少年のロンドンへの密航資金繰りに奔走するシーンが坦々と映し出されるのだが、それが町でチャリティコンサートを開催してその収益金で補うというもの。それには頼りのロックシンガー、リトル・ボブの助けが必要だったが、彼は今奥さんと仲違い状態でふさぎこんでいる。その夫婦仲をマルセルが取り持とうとするのだが、これが割と簡単に事がすすみ、「え!?このシーンって、いる?」って、このロッカーのちょっと小太りの池乃めだかを彷彿とさせる風貌も相まって、思わず劇場で吹き出しそうになった。
この下りは、アキ監督本人が実在のロッカーであるリトル・ボブを個人的に出演させたくて無理矢理ねじ込んだ感が否めない。だって演奏シーンみっちり映してるもん。
ま、こういうのも含めて実にアキ監督作らしい。



リトル・ボブに関しては、70年代からイギリスなどで人気を博したル・アーヴル出身のミュージシャンらしく、地元では「ル・アーヴルのエルヴィス」と呼ばれていたとかいないとか。
ググってたら私好みのアルバムジャケットを発見したので掲載しておきます。



まぁ今回この上映会に集まった人たちは、タダだから観に来たのか、アキ作品が好きで観に来たのかは定かではありませんが、こんなハートウォーミングな話の映画を見終わった後なら、誰だって寄付したくなりますわなぁ。

オススメ度:★★★★

今日の1曲:『Libero』/ Little Bob
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3Dライブ初体験

2013年01月22日 | しねしねシネマ
京都駅前のT・ジョイとかいうシネコンで、3年前不慮の追突事故で記憶障害を負ったディジュリドゥ奏者GOMAのドキュメント映画『フラッシュバックメモリーズ 3D』の舞台挨拶があるということをタイミングよく知ったので、観に行ってきました。
3D映画は数年前に観た『アバター』以来。こいつを観たときは、飛び出す絵本程度の3D効果に一体なんの意味があるのか?と失望感にかられたけど、今回は心から3D映画を楽しめたという感じだった。
(ちなみに、『アバター』のスタッフの弁当代くらいの製作費なんだとかw)

チケ代が少しは浮くかなと思って、アバター時購入させられた3Dメガネを持参したけど、まったくもって転用不可だった。
この劇場には、座席に3Dメガネホルダーまで完備されていた!つか、単なる荷物かけか?


本作品は、昨今けっこう上映されてきてる“映像ライブ”(最近でいうとツェッペリンの『祭典の日』)の様相を呈しており、終始、演奏者に3Dが施されたもの。
GOMA氏のライブは、ダブ・イベントで過去に何回か拝見しており、ディジュリドゥの演奏スタイルそのものはわりと地味な印象を受けたのだが、本映像では、どの楽器よりもボディの長さを誇っているだろうと思われる筒状のディジュリドゥが、画面からニュ~~~と突き出てきて、それがグルーヴィな音色とともに鑑賞者に迫ってくるという、この不可思議な臨場感は、生ライブではちょっと体感できない迫力だった。
バックを固めるリズム隊「The Jungle Rhythm Section」の躍動感あるリズムセクションも凄まじくカッコよい!メンバーをパっと見て、見覚えのあるミュージシャンが2名。ドラムは近年Coccoのバックで叩いていた椎野恭一氏。カウベル主体のパーカスを務めるのは、Little Tempoの田鹿健太氏だ。
圧巻の演奏が終わる度に、映画館であることを忘れて本能的に拍手してまいそうになったのは、きっと私だけではないハズ。

GOMA氏のこの度の記憶障害という苦悩は、我々健全な者にとっては計り知れないものだが、GOMA氏がディジュリドゥを無心に演奏する姿にはとてつもない生命力が溢れており、その躍動感あふれるパフォーマンスを、立体感を持って前面に映し出し、その背後に過去の記憶や、事故後、GOMA氏が衝動的に描き始めたというサイケデリックな点描アートがフラッシュバックするという、3D効果を疑似体験的かつアートフルに施したこの斬新なアイデアは、見事というほかない。


舞台挨拶後にサイン会も催され、個人的にはなんだかレコ発イベントのノリだったな。
パンフレットには、GOMA氏の事故後の直筆の日記や点描画、映画で使用されたメモリアル写真などが掲載されている。


ディジュリドゥという楽器に関して言及すると、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの民族楽器で、シロアリに食われて筒状になったユーカリの木から作られる管楽器、ってのは今更説明するまでもないと思いますが、有名どころでは、ジャミロクワイのデビュー曲“いつになったら気づくんだい”のイントロで鳴り響いているアレです。
GOMA氏個人の作品は持ってないけど、私の所持してるものを紹介するなら、Likkle Maiさんの1stソロアルバム『Roots Candy』の1曲目“My Old Flame”で、GOMA氏のスピリチュアルなディジュリドゥの音色を聴くことができる。




フラッシュバックメモリーズ[3D]予告


オススメ度:★★★★

今日の一曲:『My Old Flame』/ Likkle Mai
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ハンニバル

2012年09月09日 | しねしねシネマ
昨日、テレビをポケーっと見てたら、earth music&ecologyのCMで、宮崎あおいがカフェで外人のオッサンとあれこれやり取りするシュールな内容のCMが目にとまった。
これを見てハッと思ったのは、その外人のオッサンがアキ・カウリスマキ監督のフィンランド映画『過去のない男』に主演してたマルック・ペルトラさんやないかと!



で、“宮崎あおい”、“フィンランド”、“過去のない男”のキーワードでググったら、どっかの芸能ニュース記事に、

「CMは全編フィンランド語で展開する北欧映画をほうふつさせる内容で、宮崎さんは挑発的な言葉で話しかけてくる男性をフィンランド語でやりこめるクールな女性を演じている。」

みたいなことが書かれてあったが、外人のオッサンについては全く触れられてなかった。
一般の方の記事で、あれは『過去のない男』の俳優だと言及していたのを読んで確信に至ったわけだけど、カフェのシックな色合いのコントラスト映像といい、センスのいいBGMといい、いかにもカウリスマキ監督の作品に雰囲気が似ている。
とかいったら、私がまるでフィンランド映画に詳しいみたいに聞こえるが、そんなことは微塵もなく、だいたいフィンランドの好きなメタルバンドといえばSTONEぐらいだし、そもそもフィンランドっていう国自体どこにあるかもよく知らない。
たまたま観たカウリスマキ監督『過去のない男』が私のお気に入り映画っつーだけで、この作品に関しては2年くらい前に当ブログで紹介しているくらい思い入れのある一本。



まぁ芸能ニュース記事には、「挑発的な言葉で話しかけてくる男性」って書いてるけど、彼はただダンディーに話しかけているだけであって、むしろ挑発的なのは宮崎あおいの方って気もするんやけど。しかも別に言いくるめてないし。
CMでフィンランド人の男が「あんたオレが昔飼ってた犬に似ているな」というセリフがあるが、これは多分『過去のない男』に出てきた“ハンニバル”っていう名の犬のことを指しているのではないかと。

ハンニバル。

元の飼い主には、家賃滞納者をかみ殺すほどの猛犬と言われていたが、メッチャおとなしくてかわいい。
彼(本名タハティ)は本作において、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られるパルム・ドッグ賞を受賞している。


CMで宮崎あおいがコーヒーに砂糖を溢れんばかりに注いでるシーンも、映画の中でマルック氏が自宅のキッチンで料理してる時に、フライパンに(塩だか砂糖だかの)大量の調味料を注いでいるシーンを彷彿とさせるのだが、おそらくこのCM自体『過去のない男』をパロったものではなかと思うのは、私の行き過ぎた憶測だろうか?


アキ・カウリスマキ監督は、実は小津安次郎や成瀬巳喜男監督などの日本映画ファンでもあって、まぁその辺の難しい映画のことはよくわからないが、『過去のない男』の終盤ではクレイジー・ケン・バンドの曲が使用されていたり、けっこう日本と関わりの深い人物のようだ(ってことを前の記事にも書いた)。
俳優のマルック・ペルトラさんも、フィンランドを舞台とした日本の映画『かもめ食堂』に出演してるとのことなので、今度また確認しようかと思う。



~訂正とお詫びとボヤキ~
ここんところ、“宮崎あおい”、“過去のない男”のキーワード検索で当ブログにご訪問して下さる方が多いのですが、もーいっぺんネットで調べてみたところ、『過去のない男』主演のマルック・ペルトラさんは、2007年12月31日に逝去されておりました。
よく見るとまゆげも太めだし、声も太すぎるなとは思ってたんですが・・・(あ~あ、またやっちまったなぁ)

markku peltola R.I.P.


私めの無知蒙昧さと早とちり記事のせいで、皆様にご迷惑おかけしました。

でも、CMの雰囲気はもろカウリスマキ監督風なんですけどねぇ。
芸能ニュース、その辺詳しく書けよ!!



『過去のない男』劇中歌。


今日の1曲:『悪魔に追われて』/ Paha Vaanii
コメント (4)
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ハスキー犬に気をつけて

2012年09月05日 | しねしねシネマ
ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』をさっそくレンタルして鑑賞しやしたぜ。

つーかこの映画って、相当古い映画っていうイメージがあって、一部のSFマニアの間だけに支持があるんだろうと勝手に思ってたんですが、それは1952年製作の『遊星よりの物体X』の方であり、カーペンターが監督したのは1982年製作の、いわばリメイク版であり上映当時はそこそこの話題作だったみたいですねぇ。
この年は、私が低学年の時に劇場で初めて見た洋画『E.T.』なんかも上映された頃だったんですね。幼少の頃からこの映画タイトルは聞いたことあったと思うんですが、当時かなりのビビリだったんで多分この類のポスター見るのも忌避しておったと思います。

まぁ先日、キャンベルJrの原作読んだので、だいたいの粗筋は把握しておったワケなんですが。
本作は、氷塊の中から解き放たれた“物体X”が、すでにノルウェー南極基地で一騒動起こした後の、シベリアンハスキー犬に憑依した姿で別のアメリカ南極基地に向かっているシーンから始まる、いわゆる原作からの後日譚という設定。
とはいうものの、登場人物の名前はほぼ原作と一緒で、ストーリー展開もかなり原作に添ったものでした。
疑心暗鬼に陥った隊員たちの心理描写や、物体Xのグロ変態シーンにいたるまで、監督が原作の要となる部分を余すことなく忠実に描き出そうという意気込みがもの凄く感じられる見事な完成度を誇ってました。
滴るゼリーの液体や、顔を歪ます装置、マペット技術などを駆使した当時のSFX特殊効果は、今となっては多少の古くささを感じさすものの、そのグロテスク効果は絶大で、80年代後半くらいから使われだした安っぽいCG合成映像や、アニメーションと区別のつかない現代の味気ないコテコテのCG映画よりはるかに強烈なインパクトがあり、この作品に対する監督のただならぬ思い入れと情熱を感じとることができました。



あと、オープニングから流れる、これから起こるなにやら不吉な予兆を感じさせる、ゴブリン、あるいはピンク・フロイドあたりが演ってそうな不穏な雰囲気のBGMがよいね~!
ボンボンッ ボンボンッ・・・・ていうあのベース音!
エンディングでも、この後の人類の行く末に暗い影を落としていく、なんともダークな後味の悪さをこのベース音が効果的に表現していますよね。
こいつが今みたいに頭悪そうなラウドロックやコア系だったら台無しだからね。

本作は主人公が若かりし頃のカート・ラッセルで、モジャ髭面が実によく似合ってました。
で、今夏上映の『遊星からの物体X ファーストコンタクト』の主人公がメアリー・エリザベス・ウィンステッド。
この二人は私のフェイバリット映画『デス・プルーフ』で共演してるってことで、個人的に感慨深いものを感じてしまったんですが、『ファーストコンタクト』は、その“物体X”が氷塊から発見されたノルウェー南極基地での前日譚が描かれてるとのこと。
つまり、原作により忠実ってことなのかな?(燃え上がる赤い三つの目とか、蠢く蛆虫のような青い髪の毛とか)。でもカーペンター監督がかなり原作に忠実に映像化してしまったからなぁ~、ちょっとこれ以上料理しようがない気もするんですが。
でもなんか気になって仕方がないので、映画館に観に行こうかと思ったんやけど・・・・

近畿圏ではもうどこの劇場もやっとらへんやんけ!
は~あ、俺の人生全てが思い通りにいかねぇな。



オススメ度:★★★★

今日の1曲:『遥かなる影』/ Carpenters
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