AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

悲しみのマクドナルド

2022年02月21日 | ♪音楽総合♪
2月9日、イアン・マクドナルドが逝ってしまった。


といっても、ロックファンの方で、どれくらいの人が彼の存在を知っているのか、ちょっと見当がつかない。
まぁ私が所持してるもので、彼が参加してた作品は以下の通りである。




ロックを聴きだした十代の頃、キング・クリムゾンの代表曲といってもいい名曲『21世紀の精神異常者』を初めて聴いた時の衝撃は、凄まじいものがあった。
これだけサックスが暴れまくっているロックなど、それまで聴いたことがなかったからだ。
ハマった!というわけではなく、どちらかというと戸惑いだった。
「え?これはジャズ?ロック?」とにかく、今まで体感したことのないこのいわゆる“プログレッシヴ”なロックに、とてつもない魅力を感じるとともに、ちょっと自分には難解すぎるなという印象を受けた。




キング・クリムゾンの1stアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』も、しばらく私を戸惑わせる内容だった。
1曲目であれだけド派手に暴れまくっといて、その後はやたらと幻想的で牧歌的で荘厳でインプロめいた楽曲が続く。
このオーケストレイションめいた幻惑的な音は、メロトロンっていう得体の知れない楽器で奏でているんだとか、「Moonchild」における「なんなの?この後半のわけのわからんクラシカルな即興演奏は?」とか。
でも「風に語りて」や、表題曲における流麗なフルートの音色がやけに心に響くんだよなぁ~なんて思ったり。

ブレイク後の、エンディングのフルートソロが秀逸。



つかこのキング・クリムゾンってバンド、メンバー何人いるんや?それともみんなゲスト演奏者?
で、よくよく調べてみると、サックスやフルートやメロトロンやヴィブラフォンの演奏は、どうやらイアン・マクドナルドって人がひとりでこなしてるんだってことがわかり、このアルバムにおける彼のマルチな貢献ぶりにぶったまげたのを覚えている。




イアン・マクドナルドは、クリムゾンの前身バンドGiles,Giles & Frippに、当時付き合っていたジュディ・ダイブルと共に途中参加することになるんだが、ちょっとしたジャズ/フォークバンドだったGG&Fに広がりと彩りを持ち込んだのは、このマルチな楽器の才能を持つイアンであり、彼の加入が壮大なるプログレッシヴバンドへと発展するキング・クリムゾンへの道筋を作る機動力となったのは間違いないかと(しかも、彼の親戚筋からの資金援助もデカかったらしい)。

イアン参加のGG&Fの音源は、『The Brondesbury Tapes』で聴くことができる。
クリムゾンの名曲「風に語りて」のオリジナルヴァージョンが、ジュディが歌うのと、イアンが歌う2ヴァージョン収録されている。




『クリムゾン・キングの宮殿』で衝撃デビューを飾ったイアンであったが、その後のツアーの重労働に耐えかね、「私がクリムゾンを抜けるから辞めないでくれ」というフリップの強い要請をも振り切り、マイケル・ジャイルズと共にバンドを去ってしまう。

その後にジャイルズと共に作った作品が、まんま『McDNALD AND GILES』。

クリムゾンを脱退してよっぽど開放的になったのか、なんやねん、このリア充ジャケ。


この作品、イアンのマルチな技が随所に光っているものの、全体的に極めて牧歌的で、クリムゾンで見せたマジックはすでにない。
これがリア充の作る音楽なのかと。私には馴染めなかった。


イアンは一般的によく知られている作品にも何枚か参加していて、たとえばT.REXの『電気の武者』がそう。




他にも、英米混合の産業ロックバンドFOREIGNERの創設メンバーだったりする。
フォリナーは80年代にシングルヒット曲も飛ばしていて、私自身幼少の頃より馴染みはあったし、ベストを含めイアン参加の初期作品も何枚か聴いたんだが、そこにイアンが参加してる意義というものを一片たりとも見出すことは出来なかった。つか好みじゃないので。




そして、イアンが再びクリムゾンのもとで、超名盤『RED』の超名曲「Starless」のクライマックス展開で、豪快なサックスソロを響かせていることは、クリムゾンファンの間では周知のことであるかと。




やっぱイアンは、クリムゾンにおいてその才能を遺憾なく発揮できるプレイヤーなんだと。イアンに一番ふさわしい場所はクリムゾンなんだと!誰もがそう思ったんじゃないかな。
ただ、キング・クリムゾンというのはよっぽどやっかいなバンドだったのか、居心地の悪すぎるバンドだったのか、ロバート・フリップは、イアンが『RED』のレコーディングにゲスト参加した時も彼にキング・クリムゾンを譲ろうとしていた。
その時はイアンも乗り気だったとかいないとか。だが、それも実現には至らずクリムゾンはアルバム発表後、突如解散してしまう。

もし、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォード、イアン・マクドナルドの四者が同籍するスーパークリムゾンが実現し、70年代後半に躍動していたら・・・・

もう、想像するだけで震えが止まらないのである。


彼がこの世を去って、もう10日以上が過ぎてしまった。
今頃は向こうで、かつてのクリムゾンメンバーと再会して、セッションを楽しんでいるかもしれない。
ジュディ、イアン、グレッグ、ウェットンが順番に歌っていく「風に語りて」なんて、これは想像するだけで楽しい。


さて、虚しい妄想はこれくらいにして、最後に、イアンがプロデューサーとして元Carved Airのダリル・ウェイと共同制作した、彼のもの哀しげなエレピがフィーチャーされた、まさにイアンに捧げられた曲「悲しみのマクドナルド」で、彼の冥福を祈ることとしよう。

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コ・コ・コ

2022年02月14日 | まったり邦楽
Perfumeの楽曲の中で、今となっては世間一般的に一番よく知られている楽曲といえば、おそらく「チョコレイト・ディスコ」なのではないかと。

バレンタインデー特集とか、チョコレートなどのスイーツが番組で紹介されると、未だBGMで流れる確率が一番高いナンバーといっても過言ではない。

この楽曲がリリースされたのは、今から15年前のバレンタインデーと、思えば随分と時が経っている。

実はこのナンバー、Perfumeが大ブレイクするキッカケとなった「ポリリズム」より先にリリースされており、一聴したら一発で頭に入ってくる、テーマもはっきりしてて、これだけわかりやすくポップでキャッチーなナンバーであるにもかかわらず、発売当時それほど売れてなかったってのは信じ難い話である。




その要因として、レコード会社の売り方がヘタクソすぎたとしか考えられんのです。

まず、マキシシングルなのに、「チョコレイト・ディスコ」でもない『Fan Service [sweet]』とかいうわけのわからんタイトル。
これには楽曲の作り手である中田氏も出来あがったものを見てビックリしたという。
なんや、売れてないアイドルの一握りのファンのためだけに向けられた限定アイテム?って感じで、これで知らん人がこの得体の知れない白いものにどうやって興味を示すと言うのか?

まぁ世間一般的にも、この白い外装の箱型のものが「チョコレイト・ディスコ」のシングルであることを知ってる人は少ないであろうし、ブックオフなどでもほとんど見かけることはない。
実際生産枚数も少なく、再プレスもされずで、Perfumeのメジャー作品の中ではおそらく一番入手困難なアイテムであるかと。

バレンタインのギフトボックスをイメージしたケースなのかな?
CDとDVDが一枚ずつトールケースに収められてある。フォトブック付。



収録曲は「チョコレイト・ディスコ」と「Twinkle Snow Powdery Snow」。
DVDにはそれぞれのビデオクリップが収められてある。 



Perfumeは前年に、それまでのシングルを全網羅した、一応1stアルバムである『Complete Best』を発表しているが、いきなり「ベスト」ということで、関係者やファンの間ではもうこれで活動中止になるのでは!?という不穏な空気が流れていたという。

そういった状況にも関わらず、楽曲そのものは売れる可能性を十二分に秘めているというのに、リード曲のタイトルも冠さず、こんなベールに包むようなパッケージで、当時のスタッフは本当にPerfumeを売り込む気があったのかと、疑問を禁じ得ない。


「チョコレイト・ディスコ」のビデオクリップを、たまたま木村カエラが目撃してなかったら?
彼女がラジオでガンガンかけまくってなかったら?
NHKのCM制作の担当者がそのラジオを聴いてなかったら?


そう考えると、ほんとうに運命というのは、アイアンバタフライエフェクトのようなものだなぁ。
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2022年02月06日 | しねしねシネマ
先日、ビルボードで突如ライブを行ったリリイ・シュシュ。

今回は、岩井俊二監督の2001年の映画作品『リリイ・シュシュのすべて』が、昨年の秋に公開20周年を迎えたことを記念してのサプライズライブだったといってよいだろう。





映画プロジェクトからインターネット小説へ。
そして再び映画化と、紆余曲折を重ねた「リリイ・シュシュのすべて」。
前作からたっぷり時間をかけて造り出された、岩井俊二待望のMovie。
BBSで語られた世界の映像化とは・・・

(ファンサイト『Lily Berry』より)


私は訳あって近年はこの映画に関することには距離を置いてたんだが、確かに昨年あたりから映画『リリイ~』に関する企画がチラホラ行われているのはSNSなんかで耳にしていた。

YOU TUBEにあがっていたこれなんかもそうで、私もリリイのライブに行った後に視聴したが、当時の裏話なんかが聞けて大変興味深かった。

「リリイ・シュシュのすべて」 20年目の告白・小林武史 × Salyu × 岩井俊二 special talk



つか、ニューヨークで行われたリリイの初のライブの客の中にビョークがいたって、マジか!


岩井俊二監督といえば、一般的に一番知られてる作品は1995年作の『スワロウテイル』だと思われるが、まぁ岩井監督の出世作といったところで、彼はこの作品で売れっ子監督の仲間入りを果たしたと言ってもいいだろう。
と同時に、岩井監督が本作の中で構想したYEN TOWN BANDのテーマ曲も国内で大ヒットし、『リリイ~』を観るまで岩井氏の存在を知らなかった私でも、この映画のタイトルとテーマ曲はよく耳にしていた。

一方『リリイ・シュシュのすべて』はどちらかというと、一般的にはそれほど知られてるとは言えず、私自身、公開当時は邦画にはまだまだ興味が薄く、全くと言っていいほど関知してなくて、その2年後くらいにリリイ・シュシュの名前をなんとなく聞くようになったという感じ。
で、当時昵懇にしていた女性に車の中で音源を聴かされ、ビビっときてすぐさま映画『リリイ・シュシュのすべて』のDVDをレンタルして鑑賞したという後追いの塩梅だった。


それはまさに衝撃の映像作品で、そっからいわゆる“リリホリック”状態となった私は、レンタル期間中、毎日のようにとり憑かれたようにこの映像を鑑賞するハメとなる。

わざわざオフィシャルサイトからDVD特別版も取り寄せた。
リリイ・シュシュのMVや、メイキング映像なども収録された『呼吸』の2枚組。



もちろんリリイ・シュシュのアルバム『呼吸』も即購入した。



そうなってくると、他の岩井作品も気になり出すってのは必然で、『スワロウテイル』も真っ先にレンタルして鑑賞したんだけど・・・
日本版マッド・マックス?みたいないわゆる近未来もんで、そこに「バンドやろうぜ!」的なノリを加えたアーティスティックぶった設定の、煮詰まったマンガ家が描いたような子供っぽい内容に、「岩井監督もこんなハリウッド的で無邪気な空想を持ってたんだな」と、まぁ『リリイ~』を観た直後だったこともあって、その質の落差に辟易したのを覚えている。


岩井監督が、「自分で遺作が選べるなら、これを遺作にしたい」と、某サイトで発言していたことや、「20年目の告白」の映像の中で、両映画の音楽の作り手である小林氏が「YEN TOWN BANDを超える衝撃を世界に与えた」と言っているように、やはり『リリイ・シュシュのすべて』には、「すごいものを作ってしまった」という自画自賛的な、作り手の並々ならぬ思い入れが感じとれる。


YEN TOWNは既存の人気アーティストから構成されたものに対し、まだデビューもしてなかったSalyuという無名の新人歌手を起用し、監督、あるいはそのインターネット小説の読者によってイメージ作りされた架空の絶対的カリスマシンガーである<リリイ・シュシュ>、それをちゃんと音で具現化してしまったところにこのプロジェクトの凄さがある。


インターネット小説を書籍化したもの。
すべてBBSの書き込み形式で、リリイ・シュシュの経歴やそれぞれ相関関係の細かい設定なども施されていて、映画とはまた違った面白さがある。



このインターネット小説の舞台となったファンサイト<リリホリック>も、いまだ存在する。
http://www.lily-chou-chou.jp/holic/


Salyuは映画が公開される1年前の2000年、本意か不本意か、その小説上の“リリイ・シュシュ”の名義でシングルデビューを果たすことになる。
HEY!HEY!HEY!やMステなどの大衆向け音楽番組にも出演したりと、それなりに売り込もうとはしていたみたいだが、それで世間一般に名が広まったとは考えにくい。




そして2001年、満を持して映画『リリイ・シュシュのすべて』が公開される。
Salyuはこの映画で演技をしているわけではなく、歌声の提供の他、中学生たちに神格化されたカリスマ歌手という象徴としてのリリイ・シュシュ役で出てくる。
なので、アルバムジャケット、そしてライブ会場外のスクリーンで流れるPVでチラっと映るのみ。




まだまだベールに包まれていた頃の、Salyuの存在を知らない鑑賞者は、「リリイ・シュシュってホンマに存在してるんか?」と、ますますこの作品に仕掛けられたミステリアスで幻惑的なギミックに没入していってしまうのである。


映画『リリイ・シュシュのすべて』は、誰もが楽しめるという映画ではないと思う。
好き嫌いは分かれるであろう。

この作品の主なテーマは中学生のいじめ。
思春期によくありがちな人間関係のこじれ。異性への興味。暴虐暴走。残忍性。
それがとても生々しくリアルに描かれているというか、それを延々と見さされるといった感じ。
おそらく気分が悪くなったり、「二度と観たくない」ってなる人も少なくないかと。

まぁハッキリいって「いじめ、ダメ!絶対!」とかの流行りのフレーズがほんとアホらしくなるほどに、<14歳のリアル>が残酷なまでに突きつけられ、考えさせられる。
いじめはフィリアの言うように、「人間という虐待を好む種族が、健全な環境で、健全に暮らし、健全に弱者を弄んでいるだけ」なのか。
いじめられていた経験を持つ星野の場合のように、人間の持つ一種の自己防衛本能なのか。

そんな絶望的で過酷な世界の中で、リリイ・シュシュの音楽は、時には「救い」「癒し」になり、時には「逃避」「解放」という名の自殺ソングにもなり得るのである。




ドビュッシーのピアノの旋律も、この映画では実に効果的で、青春時代の淡さというか、ノスタルジックなあの頃の感情を掻き立ててやまない。




そして、この時期特有の、いわゆる“中二病”という、カリスマ的存在への傾倒による自己特別視と承認欲求(私の場合、それはヘヴィメタルだった)。
私自身、ええ歳こいてこんなクソブログをシコシコ書いてるのは、未だに中二病が抜けてない証拠以外のなにものでもないわけです。

だからこの映画や主人公に“共鳴”してしまうのです。

そして、共鳴してくれる人をひたすら待つのです。


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