AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

ドグラ・マグラ舞台化していた!

2019年06月12日 | 本わか図書室
いつかこの奇書について書こうとは思っていたが・・・・

ついにその時が来たようだ。


すでに絶版状態であった高取英著の月蝕版『ドグラ・マグラ』。
先日、つい丸尾末広画のカヴァーにつられてまぁまぁの値段で落札入手。

本書は、夢野久作の長編作である驚異の著書『ドグラ・マグラ』を、高取英自らが指揮する月蝕歌劇団の舞台用に書き下ろされたもの。
夢野久作の原作は660ページにもおよぶ長編なんであるが、高取氏はそれを2時間の舞台仕様の、たった140ページの戯曲として再構築するという離れ業をやってのけている。
う~ん、キチGuyだね。


夢野久作が10年間構想した末に、またさらに10年かけて執筆したという『ドグラ・マグラ』は、日本三大奇書のひとつとされており、この恐るべき書を最後まで読み通した者は精神に異常をきたすといわれている。
かくいう私は、本ブログのプロフに記しているように、過去に本書を2度読了したんであるが、今日まで精神病院に収監されたり、狂人解放治療場の住民になることもなく無事に過ごせているのは、多分頭があまり良くなかったからだろう。

現代教養文庫の表紙が秀逸。あとちくま文庫竹中英太郎画もいい。いずれも絶版。
まぁなんせ戦前に書かれた物語だからなぁ、今じゃ使っちゃイケナイ表記がバンバン出てくる。



浪人時代、創元推理文庫の日本探偵小説全集の背表紙を完成させるべく購読したのが最初。
読んでて、「これって探偵小説?」と疑問に感じながらも、今までにない壮大なスケールで描かれた、空前絶後のこの夢久キチガイワールドにズルズルとひきずりこまれていったのでした。




本作は以下のような巻頭歌で幕を開ける。




そして、一番最初の第一行が・・・・ブウウーーーーンンン・・・・・ンンン・・・・・という片仮名の行列から始まって、九州帝国大学内の精神病棟のベッドの上で目覚めた記憶喪失の青年が、隣の病室から自分のことを「お兄様・・・」と呼びかける謎の少女の声に面喰い、自分が誰だかわからないまま己の素姓を探っていくという、人間椅子の曲「どっとはらい」の歌詞でいうところの「正気の沙汰はおしまい 狂気の沙汰のはじまり」といったような、怪異と狂気に満ち溢れた目眩く物語が展開していく。

青年の主治医と思われる若林教授に案内さるがまま、青年は病院内の精神病患者に関する資料室に通される。




自分の過去をその「キチガイ病院の標本室」から探し出すよう促された青年は、そこで五寸くらいの高さに積み重ねてあった原稿紙の山を発見する。

その標題が『ドグラ・マグラ』。

その原稿紙に記されている概要は以下のようなものである。


◆「精神病院はこの世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句。
◆「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記。
◆胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文。
◆「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録。
◆冗談半分に書いたような遺言書。
◆唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像。
◆その腐敗美人の生前に生き写しともいうべき現代の美少女に恋い慕われた一人の青年が無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るに堪えない傷害、殺人事件の調査書類。


その内容は、論文のようでもあり、小説のようでもある、一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか・・・・
科学趣味、猟奇趣味、色情表現、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全編の隅々まで百パーセントに重なり合っているというきわめて幻惑的な構想で、落ち着いて読むとさすがに、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に漂っているという。


面黒楼万児とかいう人物が書きあげた『キチガイ地獄外道祭文』


スカラカラ、チャカポコ、チャカポコ・・・と、阿呆陀羅経にのせて語られれる告発文。
原作では、この調子で気が触れたかのような奔放な主張が約30ページにも渡ってクドクド記されており、これはいささか久作の悪ノリが過ぎた文章と思われ、大概の人はここでダレてしまって読むのを途中でやめてしまう傾向にある。
(『ドグラ・マグラ』は学生の頃に3人の者にススメて読ませたんだが、読了した者はひとりもいなかった)
私も読んでて確かにダルかった。


高取氏はそれをなんとタッタの2ページにまとめてしまっている。
まさにキチGuyだね。



そして、呉一郎を発狂せしめたという謎の絵巻物の存在。
そこには8世紀の唐の時代、玄宗皇帝に仕えていた若き宮廷画家呉青秀が、楊貴妃に狂った我が君主を諌めるため描いたという死美人の、肉体の腐り果てていく経過が段階的に描かれているという。
日本でいうところの『九相図』というものである。
人間椅子が「九相図のスキャット」(アルバム『退廃芸術展』収録)という曲で、その腐敗していく様を歌っているので、是非参考にされたし。

    


まぁこの高取氏の『ドグラ・マグラ』月蝕版、もう20年くらい読んでなかったこの驚異の長編作の概要を手っとり早くおさらい、吸収する要約本としては、かなりよくまとめられていて、今更「ああ、そういう事だったのか!」なんて気づかされる点もいくつかあったり。

ただ、やっぱ戯曲形式ってのはゲーテの『ファウスト』読んだ時からなんか苦手で、やっぱ舞台を意識した構成がなんか読みづらく集中できなかったりする。
忍耐力が必要とはいえ、やはり久作の原作の方が文章全体に学術的でユーモア溢れる妖気に満ち満ちていて読んでて楽しかった(片仮名の使い方とか)。


あと、月蝕版には途中、青年と若林教授とのやりとりで、ついつい作者が(若林のセリフを通して)舞台を見ている観客に話しかけるようなセリフをいう、ちょっとジョークを挟んでみましたみたいな場面がある。(ここが原作に隠されているまさに混沌とする「ドグラ・マグラ」なシーンなんであるが)
このテイストがなんか手塚マンガの雰囲気に似ているなと。
そしたら、巻末の作者の解説で、「ドグラ・マグラ」は、鉄腕アトムを作った天馬博士というマッド・サイエンティストの所業とダブるところがあって、そっから「ドグラ・マグラ」の再構築の発想を得たという。
聞けば高取氏は、手塚マンガにかなり影響を受けているらしく、あの手塚治虫の絶筆となった『ネオ・ファウスト』の続編として、『ネオ・ファウスト地獄編』という戯曲を書いて舞台化している。


高取英の舞台『ドグラ・マグラ』は、1995年万萬スタジオで上演され、翌年1996年にはロシアの2ヵ所の劇場で上演されている。
現地では熱烈な歓迎を受け、終演後500人を超える人からサインぜめにあったとか。

ロシア・サンクト・ペテルブルグでの公演の様子。



その後も『ドグラ・マグラ』は、何回も上演され、今では月蝕歌劇団を代表する作品になったという。つい昨年も上演されたらしい。
ただこの劇団は東京を中心に活動を行っているため、関西にくることはほとんどないという。

で、高取英氏は昨年急逝されたとか・・・・

なので、今後『ドグラ・マグラ』が再演されるかどうかはわからないが、これは本で読むより、やっぱり実際舞台を見てみたい。

なんとかこっちでも上演してくれるとよいのだが・・・・


アーーっ、チャカポコチャカポコ。
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丸尾地獄

2018年06月07日 | 本わか図書室
フォローはしてないが、2ヵ月に一回くらい閲覧するサブカル系の方のSNSをふと覗きにいって、当日の2日前くらいに偶然このイベントの情報を知り、京都の一乗寺くんだりまで馳せ参じた。


丸尾末廣 大原画展『麗しの地獄』 サイン会。

本人さんのツイート。



以前も言ってたように、丸尾作品に関してはにわかもいいところだし、丸尾末広先生にしても顔も知らんしそれほど特別な想いを抱いていたわけでもない。
ただ、あの丸尾画伯が京都に来てサイン会を開かれるなんてことは今後滅多にありそうもないことだし、原画も大いに興味そそられるし、グッズもいいのがあるかもしれない。
これは行かない手はないなと。


会場は京都の一乗寺にある「恵文社」という本屋さん。
なんだ、今は亡きじっちゃんの住んでた家の近所じゃないか。

車で行こうかとも思ったが、土曜なので混雑が予想されたので電車で行くことに。
京阪の終点出町柳までいって、そっから叡山電鉄に乗り継ぎ一乗寺へ。

エイデンのワンマン!?なんだかメタル心をくすぐるね。



恵文社はかなり有名な書店らしい。
イギリスのガーディアン紙が2010年に発表した「世界で一番美しい本屋10」に日本で唯一選ばれたことでも知られてるんだとか。
この一乗寺一帯がパン屋やらカフェとかが並ぶオサレな町で、まぁ言うなれば京都の下北沢といったところなんじゃないかと。

もう外装からしてアンティークでオサレ。



客層は3月に映画『地下幻燈劇画 少女椿』を鑑賞しにいった時と同様、若い女の子多め。
芸大の学生とかマンガ家志望者とかガチ丸尾好きのサブカルクソ野郎とかの類かと思われる。




サイン会に参加するかどうかは、現地に行ってから決めようと思っていた。
まだ代表作の『少女椿』を所持してなかったので、これ買って先生にサインでもしてもらおうかなと虫のいいことを考えていたが、やはり高価な画集だけがサイン会参加の対象商品であった。
ただ、この画集、見本品を手にとってパラパラやっていると、もうなんとも魅惑的で惹き込まれてしまう充実した内容で、サインももらえるんだし、こりゃもうこういった機会じゃないとこんな高価な画集なんてなかなか買えるもんじゃないしと思い、すぐさま購入を決意した。


ついに、とうとう買ってしまった。これで私も立派なサブカルクソ野郎。


この画集『丸尾画報』。今までで3回に渡り改編されていて、今回は20ページ増の『DXⅢ』発売を記念してのインストアイベントだった。
ただ、私の購入したのは『DX改Ⅱ』。理由は表紙がよかったから。
これまた赤版と通常版とがあって、最初絶対赤版だと思ってそれ取ってレジに並んでたんだが、前の人が通常版を手に持ってて、「やっぱ通常版のほうがカッコいくない?」て思ってまた引き返して、両方見比べてさんざん迷った挙句通常版の方を選んだ。


先着100名のサイン会参加券をゲットしたはいいが、順番は1時間後だった。
やっぱけっこう時間がかかるらしい。
ので、町のどっかで昼飯食うか茶でもしばきにいくしかなかった。

サブカルクソ野郎どもがサイン待ちで京都のオサレな喫茶に集うという。



時間がきたので書店へ戻る。
サイン会は書店の裏のはなれのオサレなコテージの一室で行われてた。
きっちり10人ずつコテージに入場してサインをもらうというシステムだった。



部屋に入ると、先生がいた。帽子をかぶってグラサンかけた姿で。
机の前にボーっと座ってらっしゃった。
スタッフの方が「せっかくの機会ですので、何か訊きたいことがあれば何でも訊いてもらって」とは言ってくれたものの、別に質問することもなかったし、先生を見てるととても質問に答えてくれそうな雰囲気でもなかったし、人と接するのも苦手そうな感じだった。



てっきり画集の裏の先生の肖像に銀ペンでサインしてもらえるものとばかり思ってたのに・・・・
表紙開いた赤ページのところに有無を言わさず黒マジックで自分のフルネームをなぐり書き。
う~ん、作品とは裏腹にこういうのは全然気どらない人なんだなぁ。


夕方に用事もあったのでサイン会終わったらとっとと家路に向かったが、長年京阪を利用してきて、まさか経由駅である丹波橋に停まらない電車があるとは知らず(特急でも停まるのに)、大きく乗り越して大阪京橋までいくハメになり、べらぼうなタイムロスの間、先ほど購入した画集『丸尾画報DX改Ⅱ』をじっくり堪能することにした。


まぁ私のようなクソ野郎が丸尾末広の描くアートに惹かれるようになったのは、やはり高校のときから聴いていたサブカル系のバンドやら、それキッカケに愛読し始めた江戸川乱歩などのジャケットや表紙に先生のイラストがよく起用されていて、目に触れる機会が多かったからだと思われる。

左から、新潮文庫版『江戸川乱歩傑作選』。筋肉少女帯シングルCD『元祖高木ブー伝説』。Naked City1stアルバム『拷問天国』。



画集にも掲載されていた筋肉少女帯と人間椅子の企画コラボバンド「人間筋肉少女椅子帯」のツアーTシャツデザイン。企画センスの酷さとは裏腹にイラストは絶品。



まぁ丸尾イラストなんて、こういった類のサブカルクソ野郎御用立のものが多いかと思われるが、今回原画展に赴いて意外だったのが、aikoなどのJ-POPアーティストのイラストなんかも手掛けられていたことだ。



もちろん芸能界にも先生のファンは多い。
しょこたんや鳥居みゆきなど、いかにもなサブカル系タレントがそれを表明している。
最近では上坂すみれがCDアルバムのジャケット描いてもらってたな。
チクショウ、うまいことやってんなぁ。

まぁ丸尾先生にイラストを頼めるアーティストなんて、先生のイラストが本当に好き且つそこそこ財力がないと無理やろうけど。


今日の1曲:『スラッシュ・ジャズの刺客』/ Naked City
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悪魔祈禱書

2017年11月04日 | 本わか図書室
人間椅子の20枚目の新作『異次元からの咆哮』、みなさんいかがでござんしたでしょうか?
タイトルからして、暗黒神話好きの心を騒がせる宇宙的な雰囲気が漂っており、ジャケットもねぷた絵師の三浦呑龍先生の筆による力強いアーティスチックなデザインが採用され、これは今回は久々にいいアンバイの作風に仕上がったのではないかと。ヘエヘエ。

しかし、フタを開けてみますと、「もののけフィーバー」とか、「宇宙のシンフォニー」とか、特にヒドいのが「地獄のヘビーライダー」(人間椅子史上最低かもね)など、もう曲タイトルからしてネタ切れ感満載の知性に欠けるものがズラリと並んでおり、これは今回もダメかと・・・ヘエ。
だいたい人間椅子の曲は、タイトル見たらどんな曲なのかわかりますからね。
まぁ実際アルバム通して聴いてみて、オッサンが無理してる感甚だしいギリギリ歌唱、使い古しの曲展開、タンパクで無神経なフィルとノリ・・・
楽曲がもうほとんどアルバムタイトル負け、ジャケット負けしてしまっている感があり、最初聴いたときは、モウ残念でなりやせんでしたよ。
初期、中期の頃のような、あのネットリ湿った質感の情緒に満ち溢れた人間椅子はいったいいづこへ・・・・・?
(とは言うものの、2、3周したらこれがけっこうハマってきていたりするんでげすがね、ヘエヘエ)


ところで、人間椅子の楽曲には、夢野久作の作品タイトルを拝借したものが過去にもちょくちょく存在しやす。
「あやかしの鼓」、「木霊」、「少女地獄」等。
今回の最新作にも久々に久作モノの楽曲が登場するんですが、これがわたしが唯一本作に期待できるタイトルだったわけなんですが。ヘエ。

そう、あの恐るべき『悪魔祈禱書』でげすよ。

『悪魔祈禱書』は、英国の耶蘇教僧侶、デュッコ・シュレーカーが著したもので、世界にタッタ一冊しかないという悪魔の聖書と言われており、原題は“BOOK OF DEVIL PRAYER”。




本書では、古本屋の店主が『外道祈禱書』と呼称して、1626年に英国でできた筆写本として店の一番暗い所の棚に所蔵していたわけなんですが。
店主の話によると、その写本は(昔の)百円札みたいなネットリした紙に筆写されており、黒い線に青と赤の絵具を使った挿絵まで入っているというたいそうな珍本だという。
表紙はズット大型の黒い豚だか牛だかの皮表紙で、“HOLY・BIBLE”と金文字の刻印が打ち込んであって、頑丈な生皮のケースに突っ込んであった。

そのケースの見返しの中央に“MICHAEL SHIRO”と読める朱墨と、黒い墨の細かい組み合わせの紋章みたいなものが残っているそうな。
店主の推測では、これはミカエル四郎なる日本人が秘蔵していたものであり、そのミカエル四郎こそ、あの天草一揆(島原の乱)で幕府に蜂起したキリシタンであった天草四郎ではないかしらんと。

その筆写本には、シュレーカーが己の信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句が、細かい唐草模様の花文字でしたためられていたという。
そのキチガイめいた内容からいって、この耶蘇教の僧侶さんはたぶん精神異状者かなにかだったのではないかと店主は推測している。

その内容とは、以下のようなものであった。

「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶうちに、聖書の内容に疑いを抱き、医薬化学の研究に転向してより、宇宙万物は物質の集団浮動にすぎず、人間の精神なるものもまた、諸元素の化学作用にほかならざるを知り、したがって、宗教、もしくは信仰なるものが、その出発点よりして甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する瞞着、詐欺取財手段になるを認め、地上において最真実なるものはただ一つ、血も涙も、良心も、信仰もなき科学の精神を精神とする所謂、悪魔精神なることを信じて疑わざるにいたれり」

「全人類よ。皆、虚偽の聖書を棄てて、この真実の外道祈禱書をいだけ。われは悪魔道のキリストなり。弱き者、貧しき者、悲しむ者は皆われに従え」

「世界の最初には物質あり。物質以外には何物もなし。物質は欲望とともにあり。
欲望はまた、悪魔とともにあり、欲望、物質は悪魔の生まれ変わりなり。
ゆえに物質と欲望にもっとも忠実なるものは強者となりて栄え、それらをもっとも軽蔑するものは弱者となり、神とともに亡ぶ。
ゆえに神と良心を無視し、黄金と肉欲を崇拝する者は強者なり。支配者なり」

「強者、支配者は地上の錬金術師なり。かれらの手を触るる者は悉く黄金となり、黄金となす能わざる者は悉く灰となる」

「黄金を作る者は地上の悪魔なり。かれらの触るる異性は悉く肉欲の奴隷と化し、肉欲の奴隷と化し能わざる異性は悉く血泥と化る」

というようなアンバイである。


そして、この筆写本の後半では、「人類悪」の発達史みたようなことが、これでもかとばかりに書きたててあるという。

たとえば・・・・・・
「ペルシャ王ダリオスの戦争の目的は領地でもなければ名誉でもなく、捕虜にしてきた敵国の人間に対する淫虐と虐殺の楽しみ以外の何物でもなかった」とか、「アレキサンドル大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病患者の屍体を人夫に運ばせ、メッカの辻々でその人夫らを斬倒させたという遣り口は、極端な悪魔的な精神において近代の戦争の遣り口をリード、あるいは超越していた」とか、「露西亜のピョートル大帝が、和蘭に行って造船術を習ったと歴史に書いてあるのは真っ赤な偽りで、実は堕胎術と毒薬の製法を研究しに行ったのであり、そうして得た魔力を大帝から授かったスラブ族が、その科学知識でもって六十幾つもの人種を統一して大露西亜帝国を作った」など。

さらには、「ユダヤ人が人類の全部をナマケモノにしてコッソリと亡ぼしてしまおうと画策して考え出したのが、サイコロだのルーレットだのトランプだの将棋といった遊びであり、この目的のために発明して世界中に宣伝しようとこころみた最後のものがキリスト教である」と、ここまでくるとイヨイヨ呆れてモノが言えない。

ただ、この項目の下りでは(三十行削除)、その後の筆者が師と仰ぐのはキリストではなく、悪魔に魂を売った独逸の魔法使いファウストだとする下りでは(四十七行削除)という注釈でもってハショられてるんだから、ほんとうすら寒いことこの上ないわけでございますよ。




で、するていと、人間椅子の和嶋氏が作詞作曲した今回の「悪魔祈禱書」ってェ曲は、さぞかし禍々しく恐ろしい内容なんだとお思いになられるかと・・・・ヘエ。
ところが、これが意外と最近歳古りてスッカリ丸くなってしまった和嶋氏の聖人のようなこころが顕れたかのような・・・・例えるなら、映画『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロが演じた主人公のような、正義感に満ち溢れた真面目な歌詞内容だったりするんでがすよ。ヘエヘエ。
まぁサビの部分では、「アブラカタブラ」などという、たいそう物騒でベタな呪文も飛び出すんですがね。

曲調は・・・・そうですね、7th収録の「菊人形の呪い」あるいは、ブラック・サバスの「レディ・イーヴル」タイプの、のんべんだらりとした感じですかね・・・・ヘエ。

まぁ、人間椅子は昔からよく、江戸川乱歩、芥川龍之介、谷崎潤一郎、太宰治、伊藤政則など、著名な作家の著書のタイトルをまんま拝借して曲タイトルに採用するんでガスが、その歌詞内容はというと、実はそんなにその著書の内容とは関係のないものであったりすることが、マァお家芸みたいなもんでしてねぇ・・・・ヘエヘエ。





今日の1曲:『悪魔祈禱書』/ 人間椅子
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人間椅子と本

2017年10月08日 | 本わか図書室
先日私が大阪梅田に赴いたのは、ディスクユニオンで盤漁りをする他にもうひとつ目的があった。
それは、ジュンク堂大阪本店にて『人間椅子 和嶋慎治選書フェア+パネル展』なるコーナーが展開されていたからにほかならない。

それにしても、いくら最近(音楽活動だけでメシが食っていける程度に)大ブレイクしたからといって、ジュンク堂みたいな日本最大級の一流書店が和嶋慎治氏個人を大々的にフィーチャリングした、このような大胆な企画を実施するとは・・・・
まぁ社員の中に隠れファンがいて、この売れてる時期がチャンスだと思い企画会議でダメ元で提案してみたところ、まぁ儲かってるし幹部も太っ腹な人で「そんな熱心に言うならやってみたら?」みたいなノリで予算が組まれたかと思われる。


ジュンク堂大阪本店には行ったことがなかった。
漢字で書くなや。堂島の通り歩いててどこかわからんくて通り過ぎてもうたやん。



出た!!ホンマにおった!和嶋慎治氏の等身大パネル。
ジュンク堂大阪本店の2Fにおいて、又吉なんかよりも異界的で圧倒的な存在感を放っていた。
まぁ人間椅子知らん客にとっては、「バンドもやってはる作家さん?ふ~ん」ぐらいにしか思われてなかったろう。



今回のは和嶋慎治氏の初の自伝本『屈折くん』が刊行されたことによる記念企画ということで。
ここジュンク堂大阪本店ではサイン本が売ってて、二冊目を購入した椅子ファンも多かったのでは?
そして、自作エフェクター本『歪』も。半田ごて片手にポーズが決まっておりますな。



パネル展。
このオタクっぽい連中は、中学の時のロック観賞会の面々かな(自伝本参照)?



この格好もいつ頃か不明。私が椅子のライブを初めて観たのは3rd発売前(1992年)のやつだが、こんなエキセントリックな格好ではなかったなぁ。
1stと2ndの間くらいか。



コーナーの棚には、ワジーがオススメする選書40冊がズラリと並べられてあった。
『古代への情熱~シュリーマン自伝』、『ゴッホの手紙』、『江戸川乱歩傑作選』、夢野久作『ドグラ・マグラ』、谷崎潤一郎『刺青・秘密』、ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』、ポー『黄金虫・アッシャー家の崩壊』、三遊亭円朝『怪談 牡丹灯籠』、古今亭志ん生『なめくじ艦隊~志ん生半世紀』・・・・・etc.


実は私も人間椅子にハマった高校生の頃、その影響で楽曲の題材とされた著書を片っ端から読んでいた。
当時数年間だけ刊行された『メタル・ギア』という音楽雑誌に文芸ロックと紹介された人間椅子のインタビュー記事で、彼らの詩世界をもっと深く知るための著書が紹介されててそれもけっこう参考になった。





『ラヴクラフト全集』1~5巻。
クトゥルー神話にハマったのもやはり人間椅子の影響。
私が浪人生の時読んでてチンプンカンプンやったこれらをワジーは小学生の時に熱読してたという。エパダだ。



帯欲しさに坂口安吾の『白痴』一冊だけ購入。見事ジュンク堂の戦略にハマっちまった。
最初ボルヘスの著書を買おうと思ったんやけど、780円もしよるのでやめた。
ほんま最近の文庫本は高いね。



そして、今月20枚目のニューアルバム『異次元からの咆哮』もリリースされた。
今回はヴィレヴァンでお布施。鈴研和尚の筆によるありがたい魔除けの巾着が付いてきた。


アルバムの感想については・・・割愛させていただきます。




今日の1曲:『虚無の声』/ 人間椅子
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虚無への供物

2017年07月10日 | 本わか図書室
入院生活で辛かったのは、空腹感の他に、時間を持て余すことにあった。
とにかくヒマなのである。働いてないので、まぁ寝ることすらできませんよ。
やっと寝れたと思ったら、看護婦さんに起こされるし。

入院2週間目に、主治医にいつ退院できるかと訊ねた時、「あと、2週間くらいですかねぇ」と言われた時は発狂しかけました。
「先生・・・コ・・・コンナ非道い・・・冷血な罪悪・・・ああ・・・ああ・・・ぼくはモウ頭が・・・・・」
で、もう読む本も尽きていたので、一時帰宅した時に一冊の本を持参して病院に戻った。

中井英夫の『虚無への供物』である。

“日本三大奇書”の一冊とされている、幻想探偵推理小説と呼称される超大作で、学生の時分に一度読んだんだが、内容の方は一切忘れ果ててしまっていた。
なので、このヒマな入院生活の間に、632ページにもわたる本書をもう一度内容をじっくり吟味しながら読み解いてみようかと思い立った次第である。

探究心旺盛だった学生の頃はそれなりに面白く読んでいたように思うが、物事に興味を無くしつつあるこの歳になって難解そうな本格推理小説を読むってのは、少々困難を要するのではないかと、少々躊躇いがちにベッドの上で読み始めてみた。

まぁ私が生まれた次の年に刊行された昭和の文庫本なので、字が小さくて印刷が薄いページも多々見受けられた。しかも漢字が難しく、仮名をふってくれてないところも結構あるので、読み始めは難儀したが、割と会話文も多く、読み進めるうちにけっこうズンズン読めた。


蒼司、紅司、藍司、橙司郎・・・・代々生まれた月の誕生石に因んだ名前を与えられるという慣習を持つ氷沼家に忍び寄る、呪いがかった不吉な予兆。
1954年に史実上実際に起きた洞爺丸海難事故をキッカケに、次々と起こる氷沼家の不幸。それは偶然なのか、必然なのか?
その犠牲者の中に、宝石商を営んでいながら、薔薇の新種開発に明け暮れた蒼司、紅司の父紫司郎が含まれていた。
そして、猟奇趣味の紅司が構想した『凶鳥の黒影』と題したシナリオ通り、謎の密室殺人が次々に何者かによって遂行されていくのであった・・・・



そこに、外部の3人の素人探偵たちが介入する。
女シャーロッキアンを気取るじゃじゃ馬タイプの奈々村久生、彼女にワトソン役としてアゴで使われる光田亜利夫、そして久生のフィアンセであり頭脳明晰な牟礼田俊夫。
この3人と氷沼家の藍司や世話役の藤木田老なども加わり、これから起こる殺人事件を未然に防ごうと、この5人衆が警察抜きで知恵比べ感覚で推理大会を繰り広げるというのが、この物語の大筋である。

この5人が、いずれも探偵小説マニアみたいな連中で、様々な文学や雑学にも精通しており、そんな博識なやつらが都合よく集まるか?みたいなリアリティのなさは否めないが、要は全員作者の分身みたいなもので、中井英夫の探偵趣味や猟奇趣味をひけらかした集大成みたいなものだ。
本書の構想は、作者の幼少時代に受けた両親の影響も大いにからんでいることも明白であろう。母親は読書好きで、海外の本をたくさん所有していたとか、父親は貧乏植物学者だったのに、子供たちめいめいに誕生石を買い与えていたという。

まぁこの“氷沼家殺人事件”には、目に見えぬ特殊な法則が二つあって、「色に関わることが事件解決のヒント」、「殺人が行われる時は密室殺人でなければならない」ということである。
まぁ前者はサイケな感じがして私好みでいいんだけど、後者はなんつーか面倒くさい。5人の素人探偵どもがそれぞれの推理で密室殺人のトリックなどを発表し合うのだが、文章でそのカラクリを説明されても、私は頭が悪いのでどうもピンとこない。そういう物理学めいたことは苦手なので、密室殺人を扱った推理小説は昔から好きじゃない。

密室殺人の数式とか、こういうのイヤ。



色に関しては、殺人が行われる部屋に、いちいち海外の推理小説作品が取り上げられる。ポーの『赤き死の仮面』や、ガストン・ルルーの『黄色い部屋』などである。
やっぱ色彩の持つ妖しい魔力というのは、猟奇殺人を扱った作品には魅力的な素材なのであろう。

なので、本書は欧米推理小説からの影響が色濃いというのは、まぁ向こうが本場なので仕方ない。
ただ、作者は物語の中でこうも皮肉っている。
一室での素人探偵どもの推理大会の中で、ノックスの『探偵小説十戒』にのっとって推理をすすめなければならないと主張する藤木田老に対し、亜利夫がこう反論する。
「アングロ・サクソンの思考形式に合って発達した本格推理なんてシロモノを、日本人が書いたり読んだりするほうがよっぽど滑稽じゃないか」


アイヌの蛇神伝説、『不思議の国のアリス』の“気違いお茶会”、『五色不動縁起』、シャンソンの歌詞に秘められた意味、そして、薔薇のお告げと・・・・
この“ヒヌマ・マーダー・ケース”には、ありとあらゆる眩惑的な偶然の暗号がからんでくる。
私としては、所在や出生がはっきり知れない蒼司たちの従兄弟2人の不気味な影の存在がとても心騒がされた。
ひとりは広島の原爆の犠牲者となったとされている黄司。
そして、事件発生中に生まれた橙司郎の息子、生まれつき眼の難病(夜になると眼が猫みたいに光り、そのまま放っておくとエンドウ豆みたいな緑色の皺だらけの粒になってしまう)を持つ緑司。

まぁ生まれたての緑司はおいといて、推理ゲームを楽しんでいる氷沼家以外の素人探偵どもも含め、どいつもこいつもが真犯人に思えてしまう。
動機は怨恨か?それともシャレ好きの享楽殺人なのか?


で、実は本当に目に見えない超自然的などす黒い諸力に呪われていた!?みたいな結末に、「え?結局動機は何やったんや?これってほんまに探偵小説か?」てなったのが、本書を読み終えての私の率直な感想である。
私としては、牟礼田が自作の小説の中で創作した○司犯人説が好みだったんだが・・・この結末でいいじゃんって思った。


なんかスッキリしなかったけど、まぁ退屈な入院生活のヒマつぶしにはなったといったところですわな。


今日の1曲:『BALA 薔薇 VARA』/ ガーゴイル
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「和嶋さん、何してるんですか?!」

2017年03月06日 | 本わか図書室
サンマルクカフェで読み始めた、人間椅子のギタリスト和嶋慎治氏の初の自伝本『屈折くん』をドトールコーヒーにて読了。
最新DVD映像付ライブアルバムはいまだ購入してない。いや、もう近年のライブ映像は、『疾風怒濤』以来、アルバム特典含めてけっこういっぱい出てるし、今回は購買意欲が全くそそられなかった。

それよりも!同時発売の和嶋慎治氏の初の著書の方がはるかに興味深かった。

メジャーデビューした時から人間椅子には深く関わってきたつもりだったが、なんせ当時などメディアでの露出も皆無に近く、ネットも普及してなかったし周りに人間椅子ファンもいない。ライブはここ最近までだいたいひとりで観にいっていて、会場くらいでしか人間椅子の近況は本人らの口からでしか得られなかったのだ。

一時期、人間椅子の公式ファンクラブにも入会してたけど、一年も経たぬ内に会費を振り込まなくなっていつの間にか退会処分になったし、家にある人間椅子にまつわる資料と言えば、『遺言状放送』VHS版に付属していたメンバーたちが完全にふざけて作った『大世紀末予言』(妄想と科学出版)という冊子くらいだった。




まぁ作品は購入していたものの、8年間くらい彼らのライブに足を運ばなかった時期もあったし。
だから以前からこういう本をずっと待ち望んでいたのだ。


内容はざっと帯の通り。上の方に写ってる写真は、もちろん高校時代の鈴木研一氏。


巻末には、みうらじゅん、そして2013年にキング・オブ・コントで優勝した青森県出身の漫才師シソンヌじろうらとの対談も掲載されている。
西條秀樹との食事に同席したエピソードは必読。


一応文筆家を目指していたサブカル系ミュージシャンが出す自伝本だから、さぞ楽しい内容だろうと思っていたが、わりと真面目な話が多くて、大槻ケンヂの著書のようなあることないことおもしろおかしく脚色してるタイプとはまた違う。
ま、そこは和嶋氏の人柄がそのまま出たということなんだろう。

陰気で淡いムードの幼少期から、読書と音楽漬けの学生時代話にけっこうページが割かれていて、人間椅子でのバンド活動のことはわりとサラっと流されてたような気がした。
まぁ四半世紀のバンド活動のことを語りつくそうと思ったら膨大なページ数になってしまうからどうしようもないとは思うのだが、マンガ『無限の住人』のイメージアルバムを作者本人から直々依頼された時の話などをもっと詳しく語ってほしかった。

ところで人間椅子には、「胎内巡り」、「涅槃桜」、「阿呆陀羅経」など、仏教的な楽曲が多く見受けられるが、それはなにも和製バンドのイメージに合わせてただいたずらにそういった楽曲が作られたわけではないと言うことが、和嶋氏のこの自伝本を読むとよくわかる。
何を隠そう、和嶋氏は駒澤大学の仏教学部仏教学科出身、そこの「仏教青年会」というサークルにも所属していた。
まぁそのサークルの実態は、ユーロロック研究会の様相を呈していたという話だが、やっぱ仏教の持つスピリチュアルな部分と、ユーロロックの不可思議な音像が、そのサークルに集う者の精神的な嗜好とピタリと当てはまるものがあったのだろう。
しかも和嶋氏は在学中、参禅部の門を叩き禅を組むという精神修行にも打ち込み、かなりの境地にまで達したという。
人間椅子が他の和製ロックバンドとは一線を画しており、歌詞の内容が格調高いのは、まさにこういった和嶋氏の経歴にあるのだ。

そう、人間椅子はダテじゃない!

座禅を組む和嶋氏。本書巻頭に掲載。



私の大好きだった時期の人間椅子の、デビュー~マスヒロ氏在籍時あたりのことは『暗黒編』として語られているが、その時期は安アパートで極貧生活を強いられながら情熱だけでなんとかギリギリバンド活動を維持してたなんてことは、その当時の私は知る由もなく、気が向いたらライブ会場に足を運んでは「相変わらず客少ないなぁ~、まぁだから椅子のライブはアットホームでゆったり見れて楽しいんやけどね」なんてお気楽にライブを見てたのが申し訳ない。

初代ドラマーの上館氏との決別のくだりはなんだか寂しいものを感じた。私はてっきり上館氏自ら身を退いたとばかり思っていたが、まさかのクビ宣告だったとはねぇ。
まぁ同級同郷の2人と彼らより5歳上だった上館氏とは、かなり距離感があるのではないかと端から見てても感じてはいたが、人間椅子もけっこう非情なところがあるんだなぁと。彼はまだ続ける意思はあったんだと思う。
上館氏のドラミングは人間椅子のストーナーな音楽性にめちゃくちゃフィットしてて好きだったんだけどなぁ、『遺言状放送』のライブ映像見ててもほんといいドラマーだったって思う。

和嶋氏が家庭の事情で弘前市に帰郷していた時期のくだりはなかなか興味深かった。
地元のMAG-NETというライブハウスで、仕事を手伝ったり「人間椅子倶楽部」というユル~いテレビ番組をやったり、金は儲からぬが色んなバンドの名曲をカヴァー演奏したりしておもしろいことを気ままに?やってて楽しそうだ。

『人間椅子倶楽部』


後藤マスヒロ氏という凄腕のプログレドラマーを獲得し、そのライブハウスのスタジオで、プロデューサー不在の素人同然のスタッフたちだけで自主制作に近いアルバムを作ったという。
本書には何のアルバムか書かれてなかったが、この青森産アルバムこそ、中期の大傑作『退廃芸術展』であろう(販売元はテイチク)。



バンドブームが過ぎ去りメジャーからドロップアウトされインディーズに落ちて以降も、『踊る一寸法師』、『無限の住人』、そして『退廃芸術展』と、この時期人間椅子は実に実験性に溢れた素晴らしい作品を立て続けに発表している。まさに豊作の時期だったといっていい。
これは少年誌で人気が急落し、虫プロが倒産してしまった暗黒時代と言われた時期(68~72年)に、『きりひと賛歌』、『奇子』、『鳥人体系』などの傑作を立て続けに発表してた手塚治虫の経緯と実に似通ったところがある。


後半はひたすらバンド活動を続けながら様々なアルバイトに勤しむここ最近までの極貧生活の苦労話がほとんどで、そういった生活の中で達観した人生観や、人との繋がり、いや、もっというと、この世の万物との不思議な繋がりみたいなスケールのデカい話にまで発達していき、事あるごとに「私は大声をあげて泣いてしまった」というフレーズでしめくくられるのには、なんかの宗教本、自己啓発本を読んでるかのような感覚に陥ってしまい、聖人様の説法を聞いているようでなかなかしんどいものがあった。

まぁでも、ブレイク寸前まで住んでた安アパートの大家さんとのハートウォーミングな話や、部屋に出没するねずみたちとの愛憎もつれる奮闘記など、和嶋氏の生き様は実にドラマティックに満ち溢れていておもしろい。

で、下の写真は本書の巻頭に掲載されている写真だが、これは単なるプロモ写真ではない。


和嶋氏は2013年のオズフェス出演が決まるまで、実はこの公園の木の下でギターの練習、作曲を行っていたのだという。
それは、なにも大自然に囲まれている方がインスピレーションが沸くとか、カッコつけていたわけではなく、アパートの壁が薄いため部屋でギターを弾くと隣の住民から必ず苦情の反応が返ってきたからなのだ。
ももくろの楽曲のギターを依頼されたときも、この公園でフレーズを考えたという。
あれだけの素晴らしいギターテクと楽曲を作るプロミュージシャンなのに、最近までこんなさすらいの音楽活動を続けていたのだワジーは!(泣)


あと、本書には「和嶋さん、何してるんですか?!」というフレーズが文中に3回出てくる。
そこに和嶋氏のその時その時の心境が見てとれるので、是非本書を購読して確認していただきたい。


しかし、意外と鈴木氏との絡みエピソードが少なかったなぁ。
やっぱプライベートでは昔からある程度距離を置いての付き合いなんだろうな。
だからずっと一緒にやってこれたんだと思う。
今度は鈴木氏の自伝本に期待(出さんやろうけど)。
『鈴木研一 デビュー前ドキュメンタリー』



今日の1曲:『羽根物人生』/ 人間椅子
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人殺し

2015年11月23日 | 本わか図書室
Perfume今年は結成15周年ということで、武道館4日連続公演や、現在東宝系列で上映されているドキュメンタリー映画『We are Perfume!』など、大いに盛り上げてるみたいで。
先月などはアメトーークで「Perfumeすごいぞ芸人」というテーマで取り上げられ、掟ポルシェ氏などが久方ぶりに全国テレビに出演して(誰も知らんやろな)Perfumeについて大いに囃したてていた。

そんな折りに先月本書が刊行されたので、Perfumeの写真集をブックオフで立ち読みしてもピンとこなかった私が初めて彼女たちの書籍に手を出した。
どうせなら会場限定版が欲しいと思ったが、今回のツアーは関西とばしなので諦めていたところネット通販でなんぼでも購入できることに気づき、DOME TOURの時サイズ切れで買えなかったTシャツと共にさっそく取り寄せた。

まぁ送料うかすためにこんなもんまで購入してしまったが。



本書は、帯見てもろたらわかるように、サブカル(2)週刊誌『TV Bros.』で8年にわたって現在も連載中のPerfume3人のコラム「たちまち、語リンピックせん?」を単行本化したもの。
なかなかのボリュームで、その内容量はおそるべき禁断の書『ネクロノミコン』にも匹敵する。


ブレイクし出してからのPerfumeの8年間の全活動記録を網羅したといってもいい本書。
まぁ、ツアーの裏話、PV、レコーディング制作秘話の他、彼女たちの今ハマってるものや、最近の出来事など、彼女たち特有のゆる~いノリで女子会よろしくしゃべくりあっている他愛もない会話文をちくいち読んでられないってのが正直なところだが、本書で初に明かされた連載タイトルの誕生秘話を読むと、「たちまち、語リンピックせん?」というのは広島弁と彼女たちが高校生のときの会話で生まれた造語をくっつけたもので、訳すと「とりあえず、おしゃべりしない?」という意味らしく、このコラムはもともとそういう趣旨で連載されたもので、小学生のスクール時代からの幼馴染同志ならではのタイトルの決め方でいかにもPerufmeらしい。

いろんな著名人との対談は興味深かった。
まず、Perfumeをインディーズ時代からサポートしていたという掟ポルシェ氏との対談。
何を隠そう、掟氏はまだ売れてない頃のPerfumeをブロスに紹介した張本人だとか。
担当編集者にPerfumeってアイドルがCD出したんで取り上げてもらえないかと交渉したところ、「その人たちのことよく知らないからとりあえずCD送ってくれ」って、最初躊躇されたとか。当時はアイドルってだけでなんか構えられたらしい。
そこで送ったところ、翌日「CD良かったんで2ページインタビューしましょう」ってあっさりOKが出たとか。
(その時のインタビュー記事も本書の冒頭に掲載)
本書が刊行されたのは、まさに掟氏の功績といっても過言ではないだろう。
掟氏企画のトークイベントでPerfumeがゲストで出たときの一般常識クイズコーナーで、掟氏が「格闘家の大山倍達といえば、○○殺し?」て問題出したら、かしゆかが真面目に「人殺し」って答えたエピソードは笑えた。

そんな黎明期の天然Perfumeのことまで長年の付き合いで知りつくしている掟氏。
最近はひとり打ち込みデスメタルソロプロジェクト「ド・ロドロシテル」を立ち上げ、人間椅子、DOOMとも共演を果たしている。



あとはやはり、ライブでは名前コールで盛り上がる鉄板のジューシー・フルーツのヒットナンバー「ジェニーはご機嫌ななめ」を作曲した近田春夫氏との対談。
やはり音楽的な話が中心でおもしろいのだ。
テクノという音楽がJ-POPとして成り立つというPerfumeの楽曲の妙とか、とにかく中田氏のことを作曲家としてかなり評価していた。
近田氏はPerfumeの音楽をまだ知らなかった頃に、ある日ラジオで「チョコレイト・ディスコ」が流れてるのを耳にして「これどこの国の音楽だろう」と思ったらしい。
中田氏について、ヴィジュアルを見ると結構自意識あるように見えるけど、音を聴いててこの人は「俺ってすごいでしょ」っていう押しつけがましさがなくって、そこがいいんだとか。

空耳アワーでも共演してる4者。こうやって並んで見るとただのスケベオヤジにしか見えない。



やはりブレイクし出した2007~2008年頃の記事が興味深い。
私はあの頃まだ音源もレンタルで済ませていて、Perfume3人の動向なんかもほとんど関知してなかったので。
アルバム『GAME』を3人が解説してる記事があって、個人的に好きな「Take Me Take Me」について、その曲の歌詞の短さと繰り返しに対し「中田さん(作詞作業から)逃げちゃったのかなー」って。冗談だとは思うが。

中田氏の『GAME』制作時における短い貴重なインタビュー記事も掲載されていて、そこで中田氏は歌詞に対する姿勢を語っている。

「歌詞をこんな内容にしようって作り始めることはまずありません。一番優先するのは良いメロディーを構成する要素としての言葉選び。合う言葉が見つかればそれをキーワードに文章ができてくる、という感じです。
僕が歌詞をあんまり重要視してないと思っている人も多いと思いますが、それは詞のストーリーとしてはそうかもしれません。が、歌詞はメロディーそのものの響きに深く影響するので、重要な要素だと思って作っています。」

聞きたくもない個人の恋愛体験をまくしたててるだけの押しつけがましい熱唱系のJ-POPソングとは真逆の論理といっていい。
まぁ天才じゃないとこういうのなかなかできないと思うけど。


『TV Bros.』の表紙を飾った今までのグラビアが掲載されているのもいいね。
なんや、今人気絶頂のメタルアイドルの前に、7年前すでにこのポーズやってたんや。
こんなとこまで手本にしてるんかいのー



表紙カヴァーをひっぺがすとわけのわからん構図が。
なんの冗談かと思ったら、撮影した公園の顔ハメパネルか・・・



今日の1曲:『ジェニーはご機嫌ななめ』/ Perfume
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ヘヴィ・メタルの逆襲

2012年09月28日 | 本わか図書室
ヘヘヘ・・・奥さん、いいブツが手に入りやしたぜ。

1985年に新潮文庫より刊行された伊藤政則著の、その名も『ヘヴィ・メタルの逆襲』。
絶版になって久しく、私が浪人時代にかりパクされて以来ずっと探し求めていた入手困難な稀覯書であった。
以前オークションで結構な値段で取引されてたが、この度帯付きのをお手ごろ価格でゲット。

1985年といえば、私はまだチェッカーズとか聴いてたメタルに介入する前の時代。
NWOBHMが猛威を奮いだし、アメリカでもL.A.メタルが台頭してきたまさにヘヴィ・メタル・ムーブメントが世界を席巻しつつある黄金期を迎えんとしていた頃だ。
本書は、70年代からハード・ロック、ヘヴィ・メタルの復興を待ち望んで止まなかった伊藤氏の、歓喜の叫びとも言うべき熱い想いがヒシヒシと伝わってくる渾身のメタル啓蒙書である。

私も多感期の中坊の頃に本書と出会い、伊藤氏のメタル愛熱すぎる文章に心打たれ、「メタルこそ真実である」という狂信的な理念に到達し、伊藤氏の言う「Keep The Faith(信念を保て)!!」という言葉を座右の銘とし、「メタル広めたる!!」という決意を心に誓ったものである。
(その後の時代に追従したブレまくりの私の人生はご存知の通りだ)

本書前半は、70年代のブリティッシュ・ロック黄金時代から70年代後半の衰退期、そして80年初頭のヘヴィ・メタルが復興に向かうまでの軌跡が、マスコミの怨みつらみと共に詳細に述べられていてかなり勉強になる。
特にブリティッシュ・ロック・シーンにおける黒魔術ブームのくだりはかなり興味深く、本書は私が70年代ハード・ロックに強い憧れを抱き、そしてオカルト趣味の傾向に走らせた原点的指南書でもあった。
そしてやはり、ハード・ロック、ヘヴィ・メタルはマスコミに敵視されやすく、「その歴史は賢者を装った愚か者たち(マスコミ)との血塗られた戦いの記憶である。」と伊藤氏は言う。
ま、私なんかも下敷きにメタルバンドのコラージュ写真を挟んだりしてて、教師やクラスの女子には白い目で見られてたし、親ともしょっちゅうケンカしてた。「ヘビメタヘビメタ」、「ウルサイだけの音楽」ってよく蔑まれてた。

でも今考えると、そういった偏見を持たれるのは仕方なかったのかな~って。
時代はMTV真っ盛り。アイアン・メイデンなどのド派手なライブパフォーマンスや、ツイステッド・シスターのアメリカンバカなPVがしょっちゅうお茶の間に流れてた。
現在のガテラルヴォイスが認知されるような時代ではなく、演奏力がなくてもそこそこのキャッチーさとヴィジュアルのこけおどしで十分通用する世界だったのだ。




でも、誤解されやすい音楽だからこそ、その苦渋を味わってきたミュージシャンたちの裏の素顔を知って欲しいと伊藤氏は切に願うのである。
本書の後半では、ランディ・ローズ、ロブ・ハルフォード、マイケル・シェンカー、スティーブ・ハリスなどの、そのミュージシャンたちと直に関わってきた伊藤氏だからこそ知りえる彼らの素顔やエピソードが紹介されている。
こういったミュージシャンたちの意外性や男気なんかも、メタルのひとつの魅力でもあったのだ。武勇伝とは裏腹に、彼らの奥ゆかしい素顔を知っていたからこそ、僕たちはあの頃、メタルにただならぬ憧れと敬愛の念を抱いたのであった。


本書には、このようなメタルバンドのお宝カラー写真がギッシリと満載されている。



AMERICAN UNKNOWN METAL BAND、“TSUNAMI”。彼らは今・・・・?



あと巻末には、伊藤氏が選んだメタル・アルバム50選が年代順に紹介されているが、こん中でよく聴いたのはせいぜい10枚くらいかな。
まぁ私がメタルに傾倒していったのは80年代後半であり、前半のはあんま通ってこなかったので、ピンとこないのも致し方ない。




今日の1曲:『ヘヴィ・メタルの逆襲』/ 人間椅子
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I'M ONLY SLEEPING

2011年11月16日 | 本わか図書室
片山恭一という作家の『ジョン・レノンを信じるな 青盤』という著書をブックオフの105円コーナーで見つけて読んだ。
別にこの作家のファンというわけでもなければ(どうやら『世界の中心で愛をさけぶ』の著者らしい)、私が特別ジョン・レノン好きだからというわけでもない。
ブックオフの割引券を消化しなければならなかったのと、クトゥルー本を切らしていたためだ。
あとタイトルが洒落てて、作者のあとがきをボーナストラック、解説をライナーノーツとしているところが遊び心が垣間見れてちょっとおもしろそうかなと思ったのがある。

本書はいわゆる青春小説(だから青盤なのかな)で、クトゥルー本と違って会話文も多く、ポップで読みやすい。
夢の中に度々故ジョン・レノンが現れ、問答を繰り広げるうちに自分の生き方に迷い出すロック好きの大学生の話。
正直青春小説というものには昔からあまり関心がなく、別に生活に困ってなさそうな充実した大学生活を送ってるやつの青春記をこの年で読まさされてもなんかめんどくせぇなって。
オッサンの私からしたら、「クソガキが何をウジウジ言うとんのや。四の五のいわずスラッシュメタルでも聴けや!」っていう感じ。
ただ、時代背景的にまだスラッシュメタルは出現してなかったかも。

あと、ビートルズ信者とか、ジョン・レノン信者という人種もなんとなく苦手で、この主人公のビートルズ論、ジョン・レノン論にも別にピンとくるものもなかったし、ひとりのアーティストが死んだからって私生活がこうも左右されるという感覚が理解できない。
まぁビートルズ作品はそれなりに聴いているし、“I AM THE WALRUS”とか“I'M ONLY SLEEPING”とか“RUN FOR YOUR LIFE”など、結構ジョン・レノンが気だるく歌う曲が好きだったりする。
自分は音楽にあまりメッセージ性を求めないし、音楽が世界を変えるとも思わない。
だからアーティストの思想や私生活にまで自分の理想を求めたりもしない。たしかにその言動とかに多少の影響は受けるが、いい楽曲を提供してくれればそれでいいのである。

ジョン・レノンを撃った男が、警官が駆けつけたときJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたというのはなんとなく知っていたが、その日のジョンの足取りや、現場状況までは知らなかったので、本書であの日のことを詳しく知ることができたのはまぁよかった。




今日の1曲:『I'm Only Sleeping(STEREO REMASTER)』 / The Beatles
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のほ本

2011年03月05日 | 本わか図書室
クトゥルー本を切らしていたので、去年の秋頃にブックオフの105円コーナーで見つけてまだ読んでなかった大槻ケンヂ著の『大槻ケンヂのお蔵出し~帰ってきたのほほんレア・トラックス~』というのを読んだ。
高校の頃ファンだったとはいえ、今更オーケンのエッセイなんてあんまし興味わかなかったんだが、表紙カバーがおもろかったので思わずレジに持っていってしまった。いわゆるジャケ買いってやつだ。

内容は、アウトテイク集というか、いわゆる企画モノというやつかな。
オーケンがライブで即興で語った歌詞を文字に起こした「絶叫詩集」(“いくじなし”、“高円寺心中”など)。これは読んでてかなりダルかった。
女性ファンが泣いてよろこぶオーケンのレアな写真集も満載。

そして今まで単行本に収録されなかった「お蔵出しエッセイ連発!」。
これも大半がプロレスネタで、格闘技にほとんど興味がない私としては退屈極まりなかったが、超常現象ネタでのオーケンの考察がなかなか興味深かった。
アブダクティー(宇宙人にさらわれたと主張する人々)は、性的欲求に満たされていない女性が多く、「宇宙人にさらわれて身体検査された」というのは彼女たちの性的妄想の表れなのであるという。
悪魔にとりつかれた女性が突如卑猥な言葉を吐き散らすという現象も、自分の性欲を悪魔のせいにして責任転嫁しているだけなのではないかというのである。
この話は、以前私が「イースの大いなる種族」ネタで書いたものとなんとなく似通っていたので妙に納得してしまった。

「ちょっとそこの貴女、オーケン愛の相談室」は投稿してきた女性の悩みにオーケンが応えるというものだったが、これもなかなか鋭いというか、けっこう説得力のあるアドバイスをしてらっしゃって感心してしまった。単なるウケ狙いより、こういったマジメな話の方が上手いと思うなこの人。
あと、オーケンがドリュー・バリモアに対する恋心を綴った「ラブレター」は傑作だった。

しかし、この本の前の持ち主・・・
この人の人生の参考書だったのか、この本にそうとう入れ込んでたらしく、波線引きまくりやし。
「寺山修司」についてのエッセイんところの最後のページには、なんかこの人の切実な思いが書きなぐってあった。



オーケンとAV監督代々木忠との対談のページにさしかかると波線率が激しくなり、外で読んでて他人に見られたら恥ずかしいやないか!みたいな箇所ばかりにチェックしておって、体で本を覆い隠す姿勢で読まなければならなかった。

と、私の死後、この本を見られたら体裁悪いのでここに証言しておく。



今日の1曲:『暴いておやりよドルバッキー』/ 筋肉少女帯
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撃墜王の孤独

2010年10月27日 | 本わか図書室
フラっとよったスーパーでどっかの本屋が在庫本を売りさばいてるブースがあって、そこに『零戦』のヴィジュアル本のDVD付(まぁディアゴスティーニみたいなんを思い浮かべてくれればよいかと)が定価の半値だったので思わず購入。

私は小学生の時分から、車とかには全く興味はなかったがなぜか第二次大戦期のプロペラ戦闘機にだけは心惹かれるという性癖があり、あれだけ日教組教育が盛んだった時代に教室後ろの学級文庫棚にジャガーバックスシリーズの第二次大戦のヴィジュアル本を友達と一緒にズラリと並べたりして他の学級の教諭からも白い目でみられていた(と思う)。
ちょうどこんな感じ



まぁプロペラ機なら私は敵国アメリカのグラマンであれ、コルセアであれ、友軍機ならドイツのメッサーシュミットなども好きだったが、思い入れ深かったのがやはり日本の名機『零戦』であった。

あ、わかってるとは思いますが『零戦』とは零式艦上戦闘機の略であり、世間一般では“ゼロ戦”という呼び方の方が通りはいいかと。
「この一冊で零戦の全てがわかる!!」と宣言しているように、なぜ零戦が大戦初期にあれだけ欧米の連合軍を震撼させるほど驚異的な強さを誇っていたかがそのメカニズムを通して徹底検証されている。
徹底した軽量化を図った大戦初期の零戦はほんまに強かったみたいね!
連合軍の合言葉が「零戦を見たら逃げろ!」だったらしいですから。
ただ、私はメカニック的なことは苦手なので、ラバウル航空隊が活躍する劇画タッチな実録零戦漫画での零戦の勇姿とか、海外でも伝説的な不屈の撃墜王、坂井三郎氏の生前のインタビュー記事などに胸躍らされた。

ちょっと感慨深かったのは、零戦の開発に携わった民間企業に三菱重工や中島飛行機(現在の富士重工)なんかがあり、富士重工(スバル)は零戦の栄エンジンを開発したのだという。
現在もスバルのエンジンが水平対向という独特の形式を残すのは、零戦の栄エンジンの名残だという。
つまり!スバル車は零戦のDNAを脈々と受け継いでおり、インプレッサなどは零戦の子孫といえるかもしれないってこの本に書いてあった。
そう!私の愛車もインプレッサなのだ。
適当に選んだとはいえ、あの時インプレッサに何か感じるところがあったのかもしれん。

ただ、このヴィジュアル本購入に踏み切ったのは零戦の飛行姿が拝めるというDVDが付いてたからというのもあったのだが、これがとんでもないシロモノであった。
アメリカ人が主催してるどっかのゼロ戦の復元機を飛行させてるなんかのイベントに、スタッフが観客に紛れ込み、それを手ブレまくりのハンディカメラ撮影しているだけというもの。
はっきりいって詐欺である。
だれかてプロがパッケージみたいなアングルから撮影してると思うやん!!


YOU TUBEで日本上空で飛ばしてるイベントのちゃんとした映像がありました。
これいつどこでやってたん?めっさ見たかったんやけど。



全国の零戦が展示されている場所がわかる“零戦全国巡礼マップ”なども載っていて、日本には10ヵ所も展示されてる施設があるのを知りました。

で、これは2年前にアイアン・メイデンのライヴを見に東京へ行ったついでに詣でた靖国神社の遊就館に展示されてある零戦52型を撮影したもの。ええ感じに撮れてますやろ?


そういえば、この日ライヴの最初に演奏されたのは「撃墜王の孤独」やったっけ。
(ま、イギリス空軍の歌やけど)

今日の1曲:『撃墜王の孤独』/ IRON MAIDEN
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空手チョップは負けないぞ

2007年10月26日 | 本わか図書室
先月ライヴ会場でも先行発売されていた筋少初のヒストリー本『筋肉少女帯自伝』を読み終えた。
内容は現正式メンバー4人が、各々自分たちの歴史を振り返るというインタビュー集。
そして未発表音源のCD付!これを買わない手はないだろう。

本書は、充実した筋少の裏話満載の筋少好きなら退屈しない内容となっている。
大槻ケンヂの話は60%ウソみたいだが(本人談)、ナゴム時代のケラの数々の武勇伝(ハードコアバンドの連中によく絡まれてて、電グルーヴのマリンがその盾となったりしたとか。ケラは凄い人だったみたいだ)は大変興味深く読ませて頂いた。
あとは初期筋少時代に全国の客の女の子の胸をライヴ中揉みまくってたとか(その合図で“モーレツア太郎”が始まるらしい)、20代の頃はグルーピーの子とHしまくったとか女がらみの自慢話が多くてかなりゲンナリさせられた。
橘高の話が一番ドラマ性があっておもしろく、関西出身で両親の血液型はA型なのに自分はO型だったとか、かなり複雑な家庭環境で育ったらしく、彼は本当に波乱に満ちた人生を歩んできたんだなぁ~と。
彼のギターそのものはそれほど好きじゃないんだが、オーケンと違って器がでかくてとにかく生き様がカッコいい!幼い頃久保田早紀の「異邦人」のメロディーラインに惹かれたというのが私と一緒だったので親しみを覚えました。
筋少オーディションの話はかなり笑えた。「YAMAHA中高生バンド合戦」で最優秀ギタリスト賞を獲ってた彼は、最初「なんで俺が筋少なんかに入らなきゃならねーんだ!?」とかなり見下していたらしいが、エディのピアノを聴いて「彼となら面白い音楽が作れるかもしれない」と思い加入を決意したのだとか。そして筋少加入後「三柴君は脱退しました」と後で電話で聞かされて、めっちゃショックを受けたとか。
実は筋少の歴代メンバーって、みんなこの「YAMAHA中高生バンド合戦」の連中なんだね。狭!
橘高はアルージュの全身バンド、スリージー・ラスターのギタリストで、本城はケラ率いる有頂天のギタリスト。太田もY.T.Jという常連バンドのドラマーで当時からかなり上手かったとか。そして三柴氏は“新東京正義乃士”というアヴァンギャルドなバンドに在籍していたそうな。この音源はぜひ聴きたい!

第一期筋肉少女帯メンバー


本城さんの章は少々退屈。彼は筋少出戻りメンバーやったんですな。当時有頂天とか3つぐらいバンドを掛け持ちしてたらしく、ド派手なパフォーマンスでしょっちゅうステージで気を失ったり怪我をしていたらしい。
文章からしても彼の人柄の良さが滲み出ており、ギターに対する姿勢なんかもすごくマジメ。
そしてラストは内田雄一郎の章。もうこの人は筋少の歩く歴史教科書でんな。
中学生の時に結成した筋少の前身バンド「ドテチンズ」のことや、空バカ結成秘話、三柴理氏との出会い、初期作品のレコーディング風景など、大変興味深い話が目白押しであった。
残念に思ったのが、“夜歩く”のあの歪んだベースラインを弾いてるは実は内田氏ではなく、三柴氏が指名した別のフレットレスベース奏者だったということ。

そして「未発表音源CD」だが、まぁ昔録ったライヴ音源集で、クリムゾンの「アースバウンド」ばりに音質が悪いが、筋少ファンにはたまらないディープな内容となっている。


1.これでいいのだ(89年ライヴ 芝浦インクスティック)
『猫のテブクロ』収録前の第三期筋少の貴重な初ライヴ音源。録音状態がかなり悪辣だが、凄い熱気が伝わってくる。オーケンの中間の語りがレコーディングとはかなり異なっており、こっちの話の方がディープでおもしろい。

2.パヤパヤ(85年ライヴ 渋谷La.mama)
インディーズ時代の本城、三柴が同居していた頃の貴重な音源。オーケンの受験失敗宣言がおもしろい。パヤパヤは空手バカボンヴァージョンしか聴いたことなかったけど、このアレンジはゆらゆら帝国っぽいな。

3.家族の肖像
4.日本の米(82年ライヴ 渋谷DO IN')
「サザサザサザサザサザエサ~~ン!!」
YAMAHA中高生バンド合戦での模様。演奏はかなりヒドイものがある。
MCのお姉さんと客とのやり取りが最高である。

MCのお姉さん:「ある時は有頂天、ある時は筋肉少女帯・・・」
客:「トシーーー!!(本城の名前)」
MCのお姉さん:「何がトシよ。アホかっちゅーの!」

この時は皆高校生でみおという女性キーボードが在籍してたみたいだ。

今日の1曲:『パヤパヤ』/ 筋肉少女隊
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想い事。

2007年08月15日 | 本わか図書室
今日8月15日は終戦記念日。
閣僚で靖国神社を参拝したのは、高市早苗少子化担当相ただ一人であったという。

そんな今日、発売されたのが昨年度毎日新聞に連載されていたCoccoのコラム集『想い事。』の単行本。
Coccoのニューアルバム『きらきら』もまだ購入してない私ですが、「今日買うことに意義があるんかな」と思ってこの単行本をHMVで購入。

いやいやこの単行本、エッセイだけでなく、Coccoが地元沖縄で撮った風景の写真(セミプロ級である)、そしてエッセイごとのイラストはもちろん、なんとCoccoが15才の時に描いた自画像と直筆エッセイの写真までも盛り込まれていると言う、Coccoファンにはたまらない内容となっている。
この文章からいくと、15歳の頃すでに自分のことを“こっこ”といってはりますね。そして“ひよこぶた”や今回のアルバム名でもある“きらきら”というキーワードもすでに出てきてたりする。
オオッと思ったのが、連載第一回目の「Spinning Spring」での幼少のCoccoの手を引く姉を描いた挿絵があるのですが、その元となっている写真がちゃんと本書に掲載されてたこと。いや、これはCoccoファンにはたまらんですよ。

エッセイの内容は、好きな男の子のために伸びる身長を止めようと10歳からタバコ吸い始めた事や、母親の一張羅の花柄の傘を失くした話など幼少の頃の話が結構出てきてCoccoのルーツが垣間見れて大変興味深い。
「んなアホな」とか時折関西弁が出てくるのが謎だが、やっぱ詩的で美しい文章力にはCoccoの比類なき才能が顕れておりますね。
中でも深く印象に残るのはやっぱりジュゴンの見える丘、普天間飛行場移設候補地へのやるせない想いを綴った「楽園」の文章ですねぇ。

「返還とは、次の移設の始まりで、基地受け入れのバトンリレーは終わらない」

この文章はとても鋭い・・・。

「私たちの美しい島を、“基地のない沖縄”を見てみたいと初めて、願った」

いや~心に沁みる文章である。
そして締めくくりはこうだ。

「じゃあ次は誰が背負うの?」
「夢を見るにもほどがある。私は馬鹿だ。ぶっ殺してくれ。」

痛烈だ・・・こっちが死にたくなる。

本書は英訳もついているので、是非アメリカの人達にも読んでもらいたい。

しかしこのエッセイ集『想い事。』、おそらくニューアルバム『きらきら』なんかよりずっとアートフルで深い内容かと思われる。
このエッセイ集を基に根岸氏プロデュースでアルバム作ったら、凄いのができるんじゃないか。

今日の1曲:『藍に深し』/ Cocco
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逃避夢

2007年06月16日 | 本わか図書室
みなさんは、藤谷文子って女優さんを知ってはりますか?

実は彼女、あの暴走シリーズで有名なアクション俳優スティーヴン・セガールの愛娘さんなんです。
私自身、庵野秀明監督の彼女の初主演映画『式日』を見るまでは彼女の存在は全然知りませんでしたが(いや、さんま御殿の親子スペシャルでセガールと共演してたのを見かけたと思うんですが、全く存在を忘れてました)、自分でも意外なくらいこの映画にハマってしまい、先日ヤフオクでこの『式日』のパンフレットを格安値段で落札してもーたぐらい。

しかも、庵野監督と藤谷さんの直筆サイン入り!
(真偽の方は定かではありませんが)



で、このパンフレット、中身も映画の劇中に出てくる名風景の写真集的な充実した内容で、監督やキャストのインタビューなどもテンコ盛り。

そして、なんといってもスペシャリーなのが、藤谷文子さん自身が執筆した『逃避夢』の原作が丸々収録されており、パンフの反対側から読みすすめられる仕組みになっている。
しかもこの原作にあたっての藤谷さんの直筆コメントも付されている。
こないだ初めてヤフオクで振り込め詐欺に見舞われましたが、その事すら帳消しになるくらいに、ええ買物したなと。




まぁこの『逃避夢』、原作本といっても30ページくらいの内容なので、こないだサイゼリアで1時間足らずで読了してしまいましたが、映画とはかなり設定が違いました。
まず映画では登場人物の名前はいっさい出てきませんが、原作ではいちいちフルネームが付いている。
そして、劇中に出てきた藤谷さん演じる主人公の女の子の自社ビルみたいな住処は存在せず、ほとんど男らの家に同棲状態で暮らしてる点など、全く違うリアル感のある舞台設定。
だいたい映画の小説版などを読むと、見た映画の場面とかその出演俳優を思い浮かべるもんなんですが、こんだけそういうのと全く重なり合ってこない原作本も珍しいです。


まぁ藤谷さんが17~19歳の時にかけて書いたものらしく、私が言うのもなんですが、最初は文章的にかなり読みづらいものがありました。
しかし、終盤になってくると、実に幻惑的でドロドロとした場面が盛り込まれ、彼女の心の奥に潜む“闇”の部分がモコモコ~と暗雲がたちこめるがごとくドス黒く描かれております。
母親の娘に対する醜怪ともいえる独占欲を剥き出しにしてくる描写がもの凄く真に迫っておりました。
親子の愛憎関係の極みともいえる、『ハンニバル』の原作バリに映画とは全く異なるラストの殺傷シーンはかなり衝撃的です。


この原作の通りの、また別のショートフィルムを作ったら面白いんじゃないでしょうか。





今日の1曲:『トウヒム』/ 藤谷文子
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SWITCH

2007年04月19日 | 本わか図書室
こないだブックオフで音楽雑誌を物色しておったら、めっけっちゃった!

『SWITCH』JUNE 1998 Vol.16 No.5 
特集Cocco[cloud kissing ~陽の照りながら雨の降る~]

まぁ中身は2001年のCocco活動中止時期に発行されたCoccoのインタビュー、写真テンコ盛りのSWITCHまるまる一冊Cocco大特集号「Cocco~Forget it,let it go~」に同内容のが掲載されておるので、それほど必須アイテムではなかったのですが、100円やったのでこれを買わん手はないでしょう。
ブックオフはCDに関しては妙な希少価値をつけやがるが、雑誌系はまだ全然わかっとらんので助かります。
それに中古なのに雑誌カバーのポストカードが封入されていてとてもラッキーだった。
副題の「陽の照りながら雨の降る」は昨年リリースのシングルの曲名だが、9年前すでにこのフレーズが誕生していたんですねぇ、曲もできてたんかな?

ちなみに、SWITCHで活動中止前のCococが表紙のやつをもう一冊所持しているのですが、
2000年発行のSWITCH Vol.18 No.6 特集Cocco[独りで咲く花はなくて]


こないだ本書をパラパラと読み返しとったんですが、実はこの号スンゲー貴重版だったことがわかった。
てゆーかこれ俺のために編集されたん?みたいなお宝記事満載の内容だった!
Cocco特集のほか、port of notesに、日本ダブ界のエンジニア内田直之氏のインタビュー、そしてなんと、Lily Chou-Chouのインタビュー記事まで!!ちょうどシングル『共鳴』をリリースした頃らしく、告知ジャケットもデカデカと掲載されている。
そして、ラストにはフィオナ・アップルまで飛び出してきてもう感無量!!
つーかいい時代だったんだなぁ。
今度友達に見せびらかそうかと思う。


今日の1曲:『濡れた揺籠』/ Cocco
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