AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

スグルーオ・サウンド

2012年07月29日 | ルルイエ異本
「智慧をその源泉に求めて門の彼方に入りこみ、その地に棲むものにたずねなければならぬ場合、入念に準備を調えなければならない。ヨグ=ソトースが守る門の彼方の他の宇宙について、我らはほとんど何も知らぬからである。
門を通過してこの世界に住みつくにいたったものどもについて、誰も知るものはいないが、イブン・スカカバオが述べるには、スグルーオの湾からひそかに入りこむものは、音によってその存在がわかるかもしれない。

その深淵では、世界そのものが音であり、物質は臭いとしてのみ知られ、この世界で我らの気管が発する音は、スグルーオにて美をつくりだすこともあれば、忌むべきものをつくりだすこともある。
障壁が薄くなって、どことも知れぬところから音が聞こえれば、スグルーオに棲むものに注意せよ。彼らはこの地球のものに害をおよぼせないので、ある種の音が彼らの宇宙でつくりだすもののみを恐れよ。」

アブドゥル・アルハザード著 『ネクロノミコン』より


もしあなたがブリチェスターの丘陵地帯を訪れたのなら、そこの平屋内に設置されているといわれる“異次元通信機”をぜひとも体験しておきたいところ。
ドラえもんの四次元ポケットから出てきそうな名称のこの異次元通信機は、前ブリチェスター大学教授のアーノルド・ハード氏が作製したものらしく、この装置に関しては、彼が所持(あるいは大学で閲覧)していた『グラーキの黙示録』の第9巻、2057―9ページにその設計図が載ってあるとのこと。

かれはこの丘陵地帯で奇妙な怪音現象に遭遇し、そこに平屋を建ててこの怪音現象を調査しだしたその夜から、次元の彼方に棲まう奇妙なスグルーオ人の夢を見だしたのだという。
スグルーオ人は他の次元から夢を介して意思疎通をはかる種族であり、地球においてはやはり夢の中での交信を持続させるのは困難らしく、スグルーオ人の指南するところによれば、アルハザードの禁断の魔道書『ネクロノミコン』の中に夢の中でスグルーオ人と接触を保つ方法が書かれてあるのだとか。
その方法とは“マオ典礼”と呼ばれるものである。

「スグルーオに棲むものが門を通過するのを助けるつもりなら、魔術師が“マオの儀式”として知る呪文を、ヌグ=ソスの文字とイルアーンの黒き印によって使用するのが最善である。」(『ネクロノミコン』より)



ただ、この典礼はかなりの危険性を伴なうもので、時間と空間の戸口のすぐ外で待つ、人間の作業や夢のすべてに破滅をもたらすものどもを呼び寄せるおそれがあり、接触地域の内側で音を立てると、スグルーオ人の棲む次元に引き込まれる危険性がある。

そこで、夢の中でと同じく音を目に見える形に変換してスクリーンに映し出す装置というのが、“異次元通信機”というわけだ。
ただ、この装置を使用すれば100%安全が保障されているというわけではない。

ハード教授の手記にこうある。

「スグルーオ人の意図は測り知れない。かれらは意図を隠蔽するのが巧みであり、変換装置を介して何を送りこんでくるか、予測はまったくつかない。
したがって変換装置を使用する場合、“弦を張った反響装置”を身近に備えることが賢明である。スグルーオ人に損傷を与え得る地上の武器はこれしかなく、かれらが敵対行動にでたら、即刻この弦楽器装置を使用すべし。」

万が一この装置を使用する時のために、エイトフィンガー奏法を習得しておいた方がいいかもしれない。
(エイトフィンガー奏法については、ジェフ・ワトソンのギター教則ビデオを参照のこと)


なお、ハード教授は、セヴァンフォードの楽器店でギターの弦を買い求めているところを目撃された後、消息がわからなくなっている。


弦楽器を使用したトリッキーな装置は、日本でも作製されている。



パット・メセニー氏のこの驚異的な音響装置は、スグルーオ人に対して強力な武器になりうるかもしれない。


今日の1曲:『Sentimental Street』/ Night Ranger
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マジカル・ミステリー・ツアー

2012年07月26日 | ルルイエ異本
いよいよ今週末からロンドンオリンピック開催ですか。
いや~今から楽しみですよね?
つーか昨夜すでになでしこジャパンが試合やって勝ったんすよね。
まずは勝ち点3おめっとう!

それはそうと、ロンドンオリンピックのマスコットがなかなかナイスですね!
キュクロプスを想わす大きな一つ目といい、鋭い鉤爪といい・・・いや、これはもう完全にグレート・オールド・ワンのなんらかの類ってとこですわな。
このキャラクターをデザインした人は、おそらく後でご紹介します『グラーキの黙示録』の図解を参考にしたんではないかと思うんですよね。

で、これからロンドンにオリンピックを観戦されに行く方もいらっしゃると思いますんで、今回はわたしが是非足を運んでいただきたいと思うイギリスの隠れ観光スポットなんぞを紹介しようかと。


~のどかな田園風景と不穏なアイホート信仰の残る田舎町ブリチェスター~
イギリス南東部、のどかな田園風景の広がっているグロウスターシャー州セヴァン渓谷の程近くにあるブリチェスターは、この地域で有数の近代的な町であり、同時にまたオックスフォード、ケンブリッジに次ぐ英国有数の学術機関であるブリチェスター大学のホームタウンであります。
まずはこのブリチェスター大学の図書室で、この地域にまつわる不穏な伝説について記述されている『グラーキの黙示録』などの案内書をかりていくのがよいかと思われます(かしてもらえなきゃ羊皮紙にメモメモ)。



郊外にある「魔女のすみか」から入り込むことができるセヴァン渓谷の地下迷路には、ブリチェスターとその近くにあるカムサイドという町において、狂った人間達から崇拝されている“アイホート”という名の旧支配者がパッカパッカとうろついているといいます。
腐ったパン生地のような青白い楕円形の胴体と、楕円形のゼリー状の眼、先端に蹄のついた幾つもの脚を持つこの旧支配者については余り多くのことが知られてませんが、このクリーチャーは“アイホートの雛”と呼ばれている落とし仔を引き連れてるのだそうです。
この“アイホートの雛”というのが、おそらく今回のオリンピックキャラクターのロックウェルでありマンデヴィルなんじゃないかなぁ~なんて推測ちゃうのはイケないことですか?

ウマ科?ひょっとしたら今年のオリンピックのマスコットモデルになっていたかもしれない。


またブリチェスター北部のセヴァン湖、遥か昔に落下した隕石の衝突によって出来上がった通称“幽霊湖”の底には、巨大なウニのように無数の尖った棘を生やした楕円形の体をもつ旧支配者グラーキが棲みついているといいます。
グラーキは幽霊湖から夢を送り込むことによって犠牲者を自分の元におびき寄せ、その体に生えている金属のような棘で刺し殺し、ブードゥー教のゾンビのような従者を作り出すという。
グラーキについては、19世紀の始めにグラーキを崇拝する教団によってまとめられた『グラーキの黙示録』に詳しいので要チェック。

ウニ科?獲ってごはんにまぶして食ったら美味そうだが、刺されると死ぬ。


なお、ブリチェスター郊外にある「悪魔のきざはし」という岩山には<ユゴスよりのもの>(甲殻蜥蜴みたいな種族)の前哨基地があり、頂上にはユゴス(冥王星)へと繋がっている石塔が存在しているといわれております。
この秘密の異次元通路を通って、ユゴスの漆黒の採掘都市を見学しにいくのもオツかもしれません。
なんでも、今年のロンドンオリンピックのメダルは、この星でしか採取できないといわれる<クトゥ=ル>なる鉱物資源で造られてるとかいないとか。
この秘密の通路の場所については、やはりブリチェスター大学出身のエドワード・テイラーさんが一番詳しいかと。
テイラーさんは、『グラーキの黙示録』も所持していらっしゃって、『ネクロノミコン』の内容にも詳しいそうです。<ユゴスよりのもの>をおびき出すための“ヴーラの秘儀”なんかにも通じているらしいとのこと。
ただ、彼は現在廃人同様の身となっており、カムサイド精神療養所に収容されて面会は難しいかもわかりません。

『グラーキ黙示録』

あと、ブリチェスターの四角い平地の平屋にある異次元通信機を使って、はるか彼方の次元に棲むスグルーオ人との接触を試みてみるのもおもしろいかもしれません。


今日の1曲:『Your Mother Should Know』/ The Beatles
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もう、待ち慣れました。

2012年07月23日 | ♪音楽総合♪
昨年の春にリリース予定とされていたフィオナ・アップルの新作だが、約1年待ちぼうけを食らわされ、先月ようやく私の手元に届けられた。
前回同様、約7年振りだ。

まず、フィオナ自身の筆による精神病患者が描いたかのような自画像ジャケットからして、「なんか様子がおかしいぞ」と心配になった。
そして、『The idler wheel is wiser than the driver of the screw and whipping cords will server you more than ropes will ever do...』と、2ndを彷彿とさせる長いアルバムタイトル。

日本語に訳すと、「遊動輪はネジを回す工具より賢明でグルグル巻きにするためのヒモはロープには永遠に及ばないくらい役に立つ」という意味らしい。

なるほど、ますますわけがわからない。


音源の方を聴くと、ジョン・ブライオンがプロデュースしてた頃の、フィオナの歌をゴージャスに彩ったバンド演奏やストリングスはゴッソリそぎ落とされ、楽器の音を最小限に抑えたシンプルなサウンド構成で、フィオナの歌がやけに生々しく脳髄に響く。
“Criminal”や“Fast As You Can”とかの誰にでも頭に入ってくるようなキャッチーな楽曲は皆無で、この人はホンマにアルバムを売る気があるのか?と心配してしまうぐらい個人的で内向的な作風だ。
最初聴いたときは、「わー今回はちょっと重すぎてついていけそうもないな」と思ったのだが、それでも彼女の歌声やフレーズはやはり一筋縄ではいかず、一度聴けば脳内に深く焼きついてしまう。
どことなく冷めた感じでもあり、時折エモーショナルにドスを効かせ、感情の赴くまま奔放に歌を紡いでいってる風で、ちゃんとしたひとつの楽曲として成立してしまうという、この才能にはいつもながら感心させられる。

いや、いきなり頭に蛸のせてんだから、そりゃ心配にもなりますよ。


今回特に興味深かった曲をあげるなら、どこかハズしたようなピアノの旋律に、バックの自由奔放な打楽器音がやけに強烈な#4“Jonathan”。フィオナの情緒不安定な歌がとにかくヤバすぎる。
スリリングなピアノ伴奏とドラミングが互いに挑発しあってるかのような、本作中最もロックしてる#5“Left Alone”。
まぁ本作は、前作ツアーでサポートドラムを務めたチャーリー・ドレイトンとの共同プロデュース作品ということもあり、このようなピアノとドラムの一騎打ち的な構図が出来上がったわけだ。
#9“Anything We Want”の曲中バックでずっとコンチキチンと鳴り続けてる、やけに心を和ます金物音(特典ライブDVD見たらフィオナがヘンテコな形のトライアングル式のパーカッションを鳴らしていた)なんかも実験的でユニーク。
ラストのくぐもった狂おしき太鼓の連打と、呪文のような自身の多重コーラスがループする中、フィオナが高らかに歌い上げる“The Knife”も実に美しくも原始的な躍動感がある。

こういった実験的で個人的なワザに走りがちな作品は、奇をてらったような演出のあざとさばかりが鼻につく作風に陥りがちだが、フィオナの場合あくまで自然体であり、とてつもなく洗練された完成度を誇っている。
他の凡百のメンヘラーシンガーソングライターとは明らかに次元が違うのだ。

デラックス・エディションはノート・ブック仕様となっており、中にはフィオナの手書きと思われるラフな歌詞とメモ書き、実に内面的なアートワークの数々の他、個人的な知り合いと思しき誰かの子供の写真まで掲載されている。
これが各楽曲の雰囲気と実によくマッチングしており、フィオナの精神世界を垣間見たような不可思議な心地にさせる、音楽とアートワークとが一体となったひとつの芸術作品として完成している。
うん、これはゆらゆら帝国のアルバム『し・び・れ』に近い感覚だ。



誰?



決して世間やファンに媚びることなく、それでいて突き放すでもなく、聴き手に「今の私を見なさい!」とばかりに圧倒的な迫力で迫ってくる、これほど力強くて美しい才能を、私はちょっと見たことがない。

まぁ日本人ウケはしないだろうけど(全米チャートでは3位にランクインしている)。

でも、来日祈願!!




今日の1曲:『Anything We Want』/ Fiona Apple
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ファウスト三部作

2012年07月19日 | 二酸化マンガ
前回、ロシア映画『ファウスト』の感想文を書いたので、私の性分からして、その時にちょっと触れた手塚治虫のファウスト作品三部作を紹介せずにはいられなかった。

手塚先生は生前、主人公も時代背景も全く異なる3ヴァージョンのファウスト作品を描いておられる。
第一作が先生が21の時に描いた1950年刊行の『ファウスト』。
一言で言うと、これはゲーテの原作『ファウスト』をマンガ化したもので、21歳の若さでこのような戯曲をマンガ化しようという発想自体すごいんだけど、絵のタッチはまだ初期のディズニーアニメに影響受けまくりの頃で大人が読むには稚拙すぎるし読みづらく、原作に忠実がゆえのミュージカル風なこの物語の展開は、子供が読むにしてもちとテーマが難しすぎるかと。
まぁコレクターズアイテム、または原作『ファウスト』の大まかな粗筋を知るための概要書といったところか。




第二作は、1971年作の時代劇ヴァージョン『百物語』。
これは中期手塚作品の中でも上位に入る傑作で、小学生から大人まで楽しめる作品だと思う。
主人公はウダツの上がらない下級武士の一塁半里。一塁=ファースト→ファウスト+半里=ハインリヒと、この辺の遊び心が楽しい。
ちなみに妙薬で若返った後の名前は不破臼人(ふわうすと=ファウスト)。

ここでのメフィストフェレス役はスダマという女妖怪で、一塁が切腹寸前のところで出現し、「満足な人生をすごしたい」「天下一の美女を手に入れたい」「一国一城のアルジになりたい」という3つの願いをかなえるという条件で魂の譲渡契約を結ぶものの、生まれ変わっても以前の不甲斐ない一塁のままの不破に業を煮やし、良きアドバイザーとなり献身的に尽くすという、悪魔とも思えない愛らしくて魅力的なメフィストが描かれている。




しかも最終的には相思相愛の仲になっちまい悪魔が不破の魂を救済しちまうという、原作の設定を根底から覆すトンデモ展開に!
飽くまで原作の主要な場面や話の流れに忠実に、そこに戦国時代の下克上や妖怪変化といった日本特有の要素を巧みに取り込むという見事な構成力は、やはり天才というほかない。



(『百物語』は朝日文庫の『ファウスト』にカップリング収録されております。)


『百物語』は、実は私が初めて読んだファウスト作品で、まぁ当時はこれがゲーテの『ファウスト』をモチーフにした物語って知らずに読んでて、それにハタと気づいたのは晩年の作品『ネオ・ファウスト』を読んだ時だった。
展開があまりにも一緒だったからだ。


『ネオ・ファウスト』は、近代版ファウストといったところで、舞台は学生運動真っ盛りの1970年の日本。
作品全体にアカデミックな雰囲気が漂っており、かなりコアな内容となっている。
遺伝子工学による新生物創造の研究(『ホムンクルス計画』)、五画形の魔方陣による大悪魔ルシファー召喚、ホテル・ワルプルギスでの理事長と政治家との贈賄スキャンダルなど、なかなかオカルト趣味が濃厚でこの辺が『ファウスト』という作品に興味をそそられた部分でもある。




『百物語』のスダマ同様、この物語においてもメフィストは女性であり(だから“牝フィスト”と自称していた)彼女の場合は悪魔らしく残忍な気性の持ち主なのだが、ここでもやっぱり若返った雇い主の坂根第一に惚れたり嫉妬したりと、人間の女性みたいな部分を垣間見せる。
手塚先生はこの設定が気に入ってたんかな。
サスペンス性に富み、文学性に溢れ、複雑雑多な人間模様と魔界の魑魅魍魎とが絡み合う壮大かつ緻密構成なるこの『ネオ・ファウスト』、おそらく手塚治虫の遺作と呼ぶに相応しい一大傑作となっていたことだろう。

そう、完成していれば・・・

『ネオ・ファウスト』は、第二部連載はじめで手塚先生が病に倒れ、1988年12月、とうとう絶筆となってしまったのだ!
まさにヘビの生殺しである。

ここまで読ませといて、そらないで先生!!

あまりにもムゴすぎら!!


まぁ手塚先生が晩年描いてた作品には、全くテーマの異なる未完作品がけっこうあって、ベートーベンをサスペンスタッチかつコミカルに描いた『ルードヴィッヒ・B』、日本商社マンの数奇な運命を活劇風に描いた『グリンゴ』、戦後日本のシガラミから這い出てきた青年の生き様を描いた『どついたれ』(これは早くに打ち切ったんだっけ?)と、『ネオ・ファウスト』同様いずれも引き込まれずにはおれない展開の良作品ばかりである。

しかし、これだけの濃い内容の作品を同時進行で描いてたってのが、他の作家とはケタが違いすぎるほどに創作意欲に底のない天才であったと同時に、先生の死期を早めた原因にもなったのかと思うと残念でならない。
返す返す思うことは、他の作品はいっさい手をつけんでもええから、せめて一本だけでも完結させてほしかったということである。


原作『ファウスト』第一部のラストをモチーフにしたこの場面が最後となった。



このあと、クローン人間の培養、水晶玉に映っていた絶世の美女の正体、ヒロインの兄である刑事との対決など、手塚先生の頭の中ではおそらく壮大なスケールの展開が用意されていたに違いない。


まぁ、手塚治虫ほどの創作力と構成力を持ったマンガ家(作家)は、今後現われないとは思うけど・・・・

だれかお願い!『ネオ・ファウスト』の続きかいてー!


今日の1曲:『It's Too Fast』/ Tica
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ハインリヒ!ハインリヒ!

2012年07月12日 | しねしねシネマ
昨日はオフにかこつけて、久々の劇場映画鑑賞のため、怪しい雲行きの中京都に赴く。
劇場は一度も行ったことのなかった四条烏丸にあるミニシアター京都シネマ。
京都駅一歩手前の東寺駅で降りて、そこから東本願寺の横を通って六条分歩いて四条まで行くという、中学時代からのウォーキングコースを選択(行き帰りしめて400円も違ってくるからバカにならないのだ)。
しかし、京都盆地特有のこのクソウンザリさせられるベタベタ感は久しぶりだ。


(私のつまらない映画レビューをご覧になりたくない方は、私の青春時代の軌跡と共に、夏の京都の風景写真でもお楽しみくださりませ。)


東本願寺の向こうに聳え建つは、懐かしの我が学び舎、代々木ゼミナール。



浪人時代、勉学に疲れると息抜きがてらよく訪れていた憩いの場所。境内で寝そべろうとするとすかさず坊さんがとんできて注意を受けたっけ。



四条通はすっかり祇園祭りムード。聞こえてくるは、ピーヒャラプースカ笛太鼓。



うだる暑さの中、ようやく京都シネマに到着(しかし、昔っから思うんやけど五条と四条の間って、なんであんなに長く感じるんやろ?味気なーい灰色のオフィス街だからか)。
昔タワーレコード一号店の店舗があったビルの真向かいのオサレなビルジングの3階にあって、入居している飲食店や雑貨屋もオサレでめっさ高そうな感じ。


入場したら、スクリーンはけっこう小っさめで「あらら」となった。まぁミニシアターやからこういう劇場にもたまに出くわす。ベストポジションだなと思った席に座るやいなや、後ろの初老のオッサンが「わー前に座られたぁ」と、声に出して露骨に嫌がってきやがったので、殺意を押し殺し、ひと睨みして引き止めにかかったオッサンの声を尻目に席を前の方に移動。

で、今回鑑賞した作品はロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督(巨匠なんだって)の『ファウスト』。
ロシア映画だからロシアが舞台かと思って観てたんだが、後で調べると19世紀初頭のドイツの町だった。てことはロシア語だと思ってのはドイツ語だったのね。

本作はタイトルの通り、ドイツの作家ゲーテ原作の戯曲『ファウスト』をソクーロフ監督の解釈で実写化したものであるが、文学作品の嗜みなしなしの私がなんでこんな映画を鑑賞したのかといえば、学生時代(やっぱこれも浪人の頃かな)に手塚治虫の『ファウスト』三部作を読んで感銘を受け、昔からなんやかんや興味があって無謀にもゲーテの原作本にも手をつけて読了したほどである。もちろん原作はチンプンカンプンで、もうこれはギリシャ神話とか戯曲にそこそこ精通してんとしんどい世界であった。

手塚治虫の晩年の傑作『ネオ・ファウスト』。メフィストが悪魔の契約書を交わさせるシーン。



で、この映画作品自体もいささか文学的すぎて、ファウストとメフィストフェレス(ここでは高利貸マウリツィウス)との押し問答も字幕読んでてなんだか面倒くさかった。
この町に登場する人物たちもどこか狂人めいていて、怒りっぽく、むさくるしいオッサンどもがやけにもつれ合うシーンが多くサブっぽくて辟易させられた。
いかにも中世ヨーロッパ的なグロテスクさも苦手だし、延々灰色がかったぼやけた映像が眠気を誘った。
まぁそれでも原作の概要はそこそこ把握していたのでメチャメチャ退屈というわけでもなかった。メフィストの妖術でありえざる所から酒が溢れ出す酒場のシーンや、助手のワーグナーがビン詰めのホムンクルス(ここでは人間の精子とハイエナの肝臓を混ぜ合わせたのだとか)を取り出すシーンなどには「オオー!」っと、ちょっと興奮させられた。

オススメ度:★★★


今日の1曲:『悪魔のしるし』/ Black Sabbath
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精神旅行、あるいはのっとり

2012年07月07日 | アーマの発狂日誌
Mixiをはじめてもう8年ぐらい経つけど、マイミクはここ数年でコンサートやDJイベントを通じてちょっとは増えた。
ただ、Mixiのトップページで彼らの他愛もない日常のつぶやきや、アクティヴィティ、アプリペットの成長過程などを見せつけられる度、なんともやりきれない、うぢゃ~~~とした気分に苛まれるのだ。
ジャリのプハーッ酒がうまい報告とか、毎朝自己啓発的な宣言で始まるちょっと病み気味のOLの愚痴。最近などは、行きつけのメタルバーのマスターが自分のお気に入りギャルバンドを布教し出す始末(こないだとうとうそれくくりのDJイベントまで開催しやがった)。
も、どうでもええわい!とコメントしたくなるのだが、MixiやTwitterってのはそれを言っちゃあおしまいよ的な世界で価値観も人それぞれだし、まぁマイミクさんらは比較的顔見知りの人が多くて(ただ、それほど打ち解けてもいない)、会ったらみんないい人たちばかりなのであんま失礼なことも言えない。
わたし個人としては、海外ドラマ『フレンズ』のこと。ヴォイヴォドへの敬愛の念。カルコサやカッシルダについて。リリイ・シュシュとエーテルの関係。手塚治虫先生が『火の鳥』において提唱しつづけた“コスモゾーン(宇宙生命)”と“輪廻転生”の謎について。平助の魅力。ミルクたっぷりの乳房。『ドクタースランプ』における摘突詰(つんつくつん)最強説。ベルガミノの浮きドッグについて等々、いろいろ言いたいことは山ほどあるのだが、どうせだれも関心を寄せないのは目に見えているので、その欲求をグッと押し殺して耐えているしかない。
こうして「こころあらん友もがな」と、毎夜わたしは言い知れぬ孤独感に苛まれ続けておるのだ。

そうなってくると、わたしのもう一つの局面がモラホラと疼き出してきやがるのだ。
そう、アーマ=スィンの局面である。

アーマ=スィンは、他の次元に存在しているもうひとりの“わたし”であり、時空を超えて同時に存在している。つまり、わたしはあいつであり、あいつがわたしなのだ。
超銀河系の惑星アランフィッツ=ジェラルドに棲まう魔導師アーマ=スィンは、ニンギジッダ界(地球ではトゥウィッタと呼ばれるもの)に己の精神をとばし、そこで下劣極まりない愚痴、戯言を吐き散らしている。
わたしは時々夢の中で、この馬の鼻を持つ魔導師アーマ=スィンにたちまざり、不可解な様式で建てられた建築物がつくりだす、その迷路のような通りを歩いていた。
光線外被に身をつつみ、ダーヂリンティ星、ボケカス星、ククルス・ドアンの島にも訪れた。
現存あるいは死滅した一万世界の知識を集積する図書館での、おごそかな集会にも参加した。<超古代のもの>ブオの精神もふくめ、アランフィッツ=ジェラルド星の他の精神との緊迫した会議にも出席した。

【魔導師アーマ=スィン】

てかその醜怪な容貌は馬そのもの。“うましん”とも。
驚異的な時間移動と空間飛行のいずれにも耐えうる、異常なまでに強靭な金属外被で到来し、現在は京都の最南鬼津のギルマン団地に身を潜めているという。

わたしの他次元の局面だけあって、惑星アランフィッツ=ジェラルドにおいてもアーマは交友関係が乏しく、あらゆる次元の種族と精神交換することの方が多かった。
かつて、彼もイースの大いなる種族に精神を侵食されたことがあり、精神飛ばされ先の円錐形の先住種族の何人かと親しくなり、それから精神交換することがクセになったという。

<アーマが時空を超えて交換した精神>

・プロヴィデンスに住んでいた夢想家ランドルフ・カーターの叔父クリストファーに仕えていた使用人ベニー爺の精神。
・宇宙世紀の一年戦争でザクレロを駆って戦死した、モビルアーマー乗りデミトリの精神。
・イギリスはグラスゴー出身の、あまりにもセンセーショナルな故ロック歌手アレックス・ハーヴェイの精神。
・1300年前に外宇宙より太古の奈良に飛来したといわれる、平城京のマスコットせんとくんの精神。
・昭和初期に奥様の腰掛けている椅子の中で、不可思議な感触を密かに味わっていた変態の精神。
・セミに首筋の血を吸われたことがあるという浪人時代のカナモリーの精神。
・3世紀頃、邪馬台国の防人として活躍した死後何度も同じ容貌で生まれ変わることになる異様に鼻のデカい猿田彦の精神。
・人類が滅亡する13世紀前に栄えることになるシャミエール帝国の皇帝シャーミ453世の精神。
・ジミ・ヘンドリックスの29回目の転生ニチャ・メンドリックスの精神。
・730万年まえに、土星の外衛星に棲んでいたヘソが無駄に100個もある半植物種族の精神。
・ブックオフ店員の挨拶をモットーとする、うざったいほどひつっこい礼節・謙譲の精神。
・あの伝説の第一回フジ・ロック・フェスティバルで、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの嵐の中のライブの最中、モッシュする客に踏み潰された甲虫類の精神。
・コケティッシュさが魅力のレイチェル・グリーンの精神。




近頃、考えただけでも慄然とさせられる、懸念すべきことが現実となりつつある。
惑星アランフィッツ=ジェラルドの魔導師アーマ=スィンの局面が日に日にわたし、つまりアマシン局面よりも優勢になってきているということだ。
最近、ブログ更新回数が減ってきているかわりに、トゥウィッタでの軽佻浮薄な戯言が日増しに増えていることでも、アーマの局面が強くなってきているのは明らかだ!
おかげでわたしは常日頃、アーマの精神を仮死状態にさせておく膨大な量の異質な薬物(もしくはミンティア)を持ち歩いていなければならない。

さて、象形文字が施された判読不明の羊皮紙文書の解読に取り掛かることにしよう。
惑星アランフィッツ=ジェラルドの魔導師の邪悪な精神にのっとられる前に!


今日の1曲:『PARADISE』/ CHASTAIN
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