AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

人間椅子レコ発ライブ ~もっとずっと一緒に居たかった~

2013年09月28日 | コンサート
先週の秋分の日、阿倍野まで人間椅子「レコ発ツアー ~萬燈籠~」大阪公演に当然のように行ってきた。
今回は、オズフェスト出演で想定をはるかに上回る反響があったらしく、東京公演1日目は即日ソールドアウト。この大阪公演も10日足らずで完売という、前代未聞の事態に発展した。
だから、今回油断してチケットを取り逃した常連の椅子ファンの方も多かったのではないか。

まぁ阿倍野なんて、最近では人間椅子のライブくらいでしか用はないのだが、2年振りに訪れて改札を出た時点で、町の風景はおそろしく様変わりしていた。

まず、駅を出るとこいつがデデーーン!!と立ちはだかる。



窓ふきのひと、たいへんそうだなぁ。



阿倍野を見はるかすあべのハルカスの高いテラスにたたずんでいる間に、夢をたち切られること三度におよんだ。


ひととおりあべのハルカス見学をし終わり、あべのキューズモール内の小っこいライブハウスROCKTOWNに向かう。
ハルカスの斜め向かいにあって、歩道橋も連結しているのですぐ行けて確かに便利になった。

キューズモールに到着すると、なんと!3階にまでおよぶ黒山の人だかりができていた!
オズフェス効果スゲェ!!人間椅子万歳!!
この信じられない光景を見て、私は感激のあまり、自然と目頭が熱くなっていくのを感じていた。
いや、男子たるもの、ここで涙を見せてはいけない(きゅっきゅきゅー、きゅっきゅきゅー)。




ん?だれだこいつら?前座か?



どうやら人だかりの正体は、人間椅子のチケ争奪戦にあぶれてしまって、あきらめきれず会場まで来たけどダフ屋も見あたらないので、仕方なくアイドルのタダ見ライブでも見てから帰るかと思った人たちの集まりであったようだ。


まぁ大阪での休日における満員御礼は今に始まったことではなく、2年くらい前にもこの怪現象は起きている。
来年はおそらく会場が変わるであろう。



今回のセットリストはこんなかんじ。

OP.此岸御詠歌
01.黒百合日記
02.地獄変
03.桜爛漫
04.桜の森の満開の下
05.ねぷたのもんどりこ
06.十三世紀の花嫁
07.膿物語
08.衛星になった男
09.洗礼
10.黒猫
11.蜘蛛の糸
12.新調きゅらきゅきゅ節
13.青森ロック大臣
14.人面瘡
15.針の山

-En.1-

16.愛の言葉を数えよう
17.ダイナマイト

-En.2-
18.地獄風景


オズフェスト効果が絶大だったとはいえ、ライブはいつも通りの雰囲気。
つか、こじんまりとした曲ばかりだったせいか、いつもよりやや短めに感じた。2時間半の長尺セットに慣れきってるせいかもしれない。
まぁノブ氏の使用しているドラムセットがワンバスからツーバスに、そしてタムも1個から2個に増えたことから、少しは豪勢になったことが窺えた。
当然ながら、前半は新譜から中心で、今回はライブ映えする(そう意図して作られた?)楽曲も多いせいか、なかなかの盛り上がりをみせていた。
「ねーぷたーのもんどりこー!!ヤーレヤーレヤーヤー!!」と、大合唱の嵐。大阪の一空間を見事、青森色に染める。“新調きゅらきゅきゅ節”での「きゅっきゅきゅー、きゅっきゅきゅー」「ぶんがちゃっちゃぶんがちゃっちゃ」も非常に楽しい。
この時私は、「きゅっきゅきゅー」のところで、思わずきゃりーの“インベーダーインベーダー”の4本の指を手首にあてがうあの振り付けをしそうになったが、それじゃあBABYMETALの“イジメだめ”とかいう曲でXジャンプする輩どもと同類じゃないかと、なんとかそれを思いとどまった。
しかし、相変わらずワジーのギターは冴えまくってるね。“桜爛漫”における津軽三味線奏法は見事というほかない。確かに彼がMCで言っていたように「こういうフレーズはさすがのスリップノットでも思いつかない」だろう。
続けざまに桜シリーズとして披露された、ワジーがワウを効かせまくる“桜の森の満開の下”で、私はすでにピークを迎えていた。
久しぶりに“黒猫”や“青森ロック大臣”(この曲の前だっけ?一瞬サバスの“Hand of Doom”をメンバーがジャムりかけたの)も聴けてよかった。“洗礼”はライブでは初めてかも。

あと、今回ノブ氏が筋金入りのダムマニアであることが発覚し、大阪にある日本最古のダムまで知っていて、日本屈指の日野日出志マニア振りといい、また違ったヘンタイ面を垣間見た気がした。




今日の1曲:『洗礼』/ 人間椅子
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グラーキの黙示録 その他の恐怖

2013年09月09日 | ルルイエ異本
昨夜、期限切れ間近のドリンクバーの無料クーポンを消化すべく、仕事帰りにガストに寄った。
店内はちょうど夕食時で家族連れなどで喧々としており、ひとりドリンクバーでまったり過ごすには環境が劣悪だったが、私には春に手に入れた耳栓代わりのi-phone(ただし電話、メール機能は使用不可にしてある)と、そして2ヵ月前に購入して忙しさの中なかなか読むことができなかった扶桑社刊行の『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待』があった。

このアンソロジーは、クトゥルフ神話にまつわる英国作家の作品が4編オムニバス形式で収録されており、コリン・ウィルソンの表題作をはじめ、ブライアン・ラムレイの作品が一点。そして、ラムジー・キャンベルの長年未訳であったブリチェスターもの2作品「ムーン・レンズ」、「湖畔の住人」が収録されていることがなによりも心騒がされる。
「ムーン・レンズ」は先月すでに読了しており、シュブ=ニグラスの化身にまつわる奇譚だが、これはラヴクラフト御大がもし読んだなら、床に投げ捨てていた(もしくは大幅に添削していた)であろう陳腐極まりない内容であった。
その夜、ドリンクバーのホットミルクをすすりながら私が熟読したのは、本オムニバス大本命の「湖畔の住人」。そう!いよいよあの淡水のオールド・ワン、“グラーキ”が登場するのである。

ま、話は病んだ画を得意とする幻想画家が、霊的インスピレーションを求め人里離れたいわくつきの土地に引っ越し、そこで毎夜不気味な出来事(悪夢、物音など)に見舞われるといったよくあるパターンの話。今回の舞台はイギリスのセヴァーンヴァレーの湖畔。
その土地の朽ち果てた一軒家に、前の住人が残した手記や書物などが見つかり、その中のひとつが、あのおぞましい『グラーキの黙示録』という訳だ。

『グラーキの黙示録』は全部で十一巻あり、原本を旧式のルーズリーフに複写したもので、さながら許可なく写し取った海賊版といったところ。しかし、これが世に出た唯一の完全版らしい。
本書には、グラーキの生態のほか、「ヴルトゥームはまだ幼年期にある」という種族のことや、吸血鬼の起源や、月の裏側にある黒い都市を歩きまわる青白い亡霊のこと、スグルーオ人との交信を可能にする異次元通信機のことなどが詳しく述べられているという。
『グラーキの黙示録』は1800年頃から勢力をのばしはじめた異教徒たちの間で代々書き継がれ、1865年頃、欠落のある九巻本の海賊版が出版されたものの、組織の外に出ることはなくほとんどが信者の手に渡り、その九巻本も今ではほとんど入手困難だという。
問題の異教団体はセヴァーン湖に棲んでいる何かを崇めていた。その崇拝している対象については、詳しい説明はあまりない。玉虫色の生物という描写があるだけで、イラストなどもついていなかった。トマス・リーによる図を参照のことと脚注があったが、イラストははぎ取られてしまったらしい。鋭い棘を生やしているという説明が繰り返され、それについては何人もの人間が詳しく語っていた。
実は、私はこの湖に棲んでいる何かの似姿の図を、偶然立ち寄った書店の棚にあった『クトゥルフ神話超入門』という書物の中で目撃しているのだ!

    

地球にグラーキが出現した経緯については、周辺の住民の話によると、数世紀前、宇宙空間をさまよっていた隕石とともに地球に落下してきたというのが通説になっている。あのセヴァーン湖は、その時の隕石落下によってできたクレーターに数世紀に及び水が溜まったものだという。
一方『グラーキの黙示録』には、「さまざまなエジプトのミイラにあの棘が埋め込まれているのが発見されているので、古代エジプトのセベク神殿やカルナック神殿の司祭たちが<タグ=クラターの逆角度>と呼ばれる呪文によってグラーキの潜む小惑星を呼び寄せグラーキが大昔から地球に飛来していた」と主張する異端の説も書かれている。

『グラーキの黙示録』には、グラーキがいかにそこに棲む民をゾンビ化させ、おのれの僕と化していくかがこと細かに記されている。
グラーキはまず、湖に近づいてきた者に睡眠中、波動を送って夢を見させ、疑似体験をさせるのだという。その夢にはある異教団体の入信儀式の光景が映し出される。
グラーキ崇拝に参加する新人は入信の儀式をおこなう決まりで、魔女のしるし伝説にも似た、独自の信教上の段取りを踏まねばならなかった。
新入りは(望むと望まざるとにかかわらず)グラーキが水の底から現れるまで湖畔で信者たちに捕えられている。グラーキは棘のひとつを生贄の胸に突きたて、怪物の体内からそれを経由して体液が流し込まれる。生贄となった新入りが注入を拒んで棘を抜けば、どうにか人間として死ぬことができるが、もちろん怪物はそれを許さない。注入された体液は全身にまわると棘は抜け、刺さった部分から出血することはない。グラーキの脳から発生する電波が磁力の働きにより、生贄の人間は生きながらも完全に怪物に操られてしまうのだ。
『グラーキの黙示録』によると、怪物が電波を発していないときは、生贄はわずかながら自発的に行動できるという。半分死んでいるような状態が60年もたつと、強い日光にさらされたときに<緑色崩壊>が起きるような体質になってしまう。
あと、ハイチのゾンビ話も、グラーキの僕になった初期の信者が太陽の光を浴びたときの恐ろしい姿がもとで誕生したものではないか、とも書かれているそうな。

近年のゾンビ映画ってのは、ほとんどが米軍かどっかの組織が秘密裏に開発した人間をゾンビ化させる生物兵器のガスかなんかの漏出が原因で発生するという設定が主流である。私は学生の頃深夜テレビでたまたま放映していた『バタリアン』を鑑賞して以来、この設定に嫌悪感を抱くようになり、ヴァンパイアやゾンビ映画自体嫌いになってしまった。あのしつこさが面倒くさいというか。
でもこのラムジー・キャンベルの『湖畔の住民』を題材にこのグラーキ設定で、サム・ライミあたりが監督して映画撮ったら、斬新で面白いものが出来るんじゃないかなぁ~なんて、ガストのドリンクバーのマズい煎茶をすすりながらボ~っと考えていた。


すると突然、外からドーーン!!という音とともに、奈良の夜空に張り裂ける邪悪な光をガストの禁煙席の窓ごしに目撃した。
なんのことはない。それはただの打ち上げ花火であったが、もうとっくに夏も終わっているのに、このような奈良市内の街中で、いったいどこの酔狂めいた私設団体の仕業なのだろうと不審に思えてならなかった。
しかし、しばらくして、窓の外の夜空に舞いあがったものが、棘々とした不気味なウニ状の形に変化したとき、(ちょうど『グラーキの黙示録』の記述の箇所を読んでいたこともあって)それをあの<湖の住人>と錯覚し、私は人目もはばからず、こう叫んでしまったのであった。


窓に!窓に!



今日の1曲:『Zombie Ritual』/ Death
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ラストサマー

2013年09月01日 | 名所ガイド、巡礼記
仕事帰り、三条通り上の高架を車で走っていると、私のかつてのサイクリングコース(イトーヨーカドーへの近道)平城宮跡の方から普段とは違う、なにか心騒がせられる菫色の仄かな光が放たれていた。
その光は天空に2本まっすぐにのびており、外宇宙―うかがいようもない悪意にみちた宇宙の諸力がおぞましいまでにまったく呪わしい焦点を結ぶところまでとどいているかのようだった。

気づいたら、外灯に引き寄せられる蛾のごとく、私は平城宮跡の方向に車を走らせていた。
車を停め、朱雀門の方に近づいていくと、門前には物々しい警備員が数人立っていた。
どうやら平城京天平祭という、古の光の祭典が執り行われているようだった。
おそるおそる警備員の前を通り過ぎると、別に引き止められることはなかった。なんや入場無料か。


朱雀門



これがどないしたっちゅうねん。



ロマンチックあげるよ。いらん。



またあんたか。



木。



仕事でヘトヘトだったのにもかかわらず、湿気でベトベトの汗をかきながら早駆けで宮跡内を巡ったわりには、これといった収穫はなかった。
その後に寄ったブックオフの半額セール(2日目)の方がはるかに収穫は多かった。




そんなこんなで、私の虚無的な夏が終わろうとしていた。





この曲、当時は単に芥川龍之介の小説をネタにした歌だと思ってたが、よー聴いたら平安京のことを唄ってることがわかる。
「羅生門」は平城京の大門羅城門のことも指すが、歌詞に「あれは鳥辺山の僧 阿弥陀願い我が身焼く」と出てくることから、平安京の方であることがわかる。鳥辺山とは京都の鳥辺野の異称で、平安時代から火葬場があったところ。
ラストの展開で、青龍(西)、白虎(東)、朱雀(南)、玄武(北)と東西南北の門を護る四神がちゃんと出てくるところが深い。

人間椅子の曲はやっぱ、ためになるねぇ~~


今日の1曲:『羅生門』/ 人間椅子
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