AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

BJ展 ~店外編~

2024年10月06日 | 名所ガイド、巡礼記
京都でのブラック・ジャック展は本日まででしたっけね。


実は伊勢丹の向いの自由通路の特設スペースでも、京都市立芸術大学の学生さんらが手掛けたブラック・ジャック二次創作作品が展示された『DESIGH & ARTWORKS展』が展開されていた。




BJのキーワードを散りばめたクリスタルななんか。



面白かったのがブラックジャックのマントの中身を想像して再現したもの。




手術器具等は当然の常備品であるが、メスとか薬瓶とかはブラック・ジャックの場合、護身用に使われることも多い。

少年時代、ダーツで鍛え上げた彼のメス投げは百発百中。



ヒョウタンツギの絵の入った領収書とか遊び心があっておもしろい。
ブラック・ジャックは医師の免許は持ってないが、一応車の免許は持ってたのね。




いつしかピノコがBJに送ったラブレター?実はいつも大事に懐に入れてるって設定?
『元気な女の子の育児』ってタイトルの本も、ピノコの育て方に悩んでるBJが読んでそうという発想だろうな。
注目すべきなのが表紙の女の子の絵。
これって、るみ子さん(手塚先生の娘)じゃない?(『マコとルミとチイ』参照)
ピノコはるみ子さんがモデルなんじゃないかと、ファンの間でよく語られているので。




あと細かいなーっと思ったのがマント右下のてるてる坊主。
私の大好きなエピソード「てるてる坊主」に出てくるやつと思われるが、BJのポケットには患者さんに手渡すためのてるてる坊主がいっぱい入ってるらしい。




まぁかさばるのでこんなにいっぱいのてるてる坊主をポケットに忍ばせるのは無理があると思うが。



オーストラリア出張記の資料も秀逸。



第117話「ディンゴ」で、BJがオーストラリアの荒野で新種のエヒノコックスに寄生され、その経過を日記にしたためてた。




最終的には自分で自分の腹を切開して手術するんだよね。



荒唐無稽さ満載ながら、医師免許を持ってた手塚治虫先生だからこそ創造しえた傑作医療マンガ(恐怖且つヒューマンコミックス)『ブラック・ジャック』。
展示場には通りすがりの女子高生なんかも足を止めて熱心に閲覧してた。


50年前のマンガながら、ブラック・ジャックは、この先まだまだ(きっと永遠に)若い世代に読み継がれていくことだろう。

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BJ展再び ~京都編~

2024年10月01日 | 名所ガイド、巡礼記
昨年、高速バスに飛び乗り、本木ヒルズの森タワー52階まで赴いたブラックジャック展。

その約1年後、うちから電車で4、50分で行ける京都伊勢丹7階にてはんなり開催。
そこに、またのこのこ出かけていった私の目的は、東京で売り切れてて買えなかった以下の2品を会場内の特設ショップで購入するためだったからにほかならない。


京都駅は昨年春のCoccoライブ以来だっけ?



伊勢丹名物階段イリュージョン。
しかしいつ来ても観光客クソ多いな。



京都でのブラック・ジャック展は、六本木のまぁ70%くらいの規模の内容で、BJの家の手術台に寝そべったりのアトラクション等はなかった。
原画展は一応閲覧して回ったが、東京で散々見たので早めに切り上げた。
まぁどうせ原画は撮影NGなのでレポしようもない。
とにかく私のお目当てはBJ特設ショップにあったのだ。
京都にはそれ以外用事はなかったのですぐ帰った。

なので、今回入手したBJグッズを以下に紹介して、この記事を〆ようかと思う。


どうしても欲しかった・・・・
ブラック・ジャックのバイスクルトランプ!
2000円以上はするかと思ったが、意外とお求め安かった。
京都のショップには数十個積まれてて、売り切れる気配は微塵もなかった。




やはりダイソーの200円BJトランプとはワケが違うね。
カード全部にBJの劇中で出てきたキャラクターたちが描かれている。
”ブラック・クイーン”こと、桑田このみ先生もちゃんとクイーンのカードにおさまってるね。




しかし、BJ読み込んでないとなかなかわからないマイナーなキャラが目立つ。
UFOの絵のやつなんか俺でもちょっと思い出せないぞ。
つか手塚治虫やヒョウタンツギ、椎茸先生、イウレガ星人とかがなかったのがすこぶる納得がいかない。




ヒョウタンツギは箱の封シールに使われてたけど。




まぁでも手塚先生はブラック・ジャック連載時、コミックが発売する度にこうおっしゃられてるんですけどね。





あとBJ50周年こじつけドリップコーヒー。
封を破らず保存しておきたいので、一生飲まないとは思うが。




3袋も購入したのは、いつか誰かにあげたらよろこぶだろうと思って。



ついでにブラック・ジャック黒カレーも。
これは宝塚北サービスエリアにも売っていて、以前そこを訪れた時は買うのを躊躇ってしまった。
今回は他にあまり買うものもなかったので、その日の晩飯にと購入。

まぁ200円以下のレトルトカレーよりは美味であった。
ブラックジャック黒カレーはどう作ってもうまいのだ。

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アジコのライブ

2024年08月10日 | コンサート
実はAJICOはそれほど好きだったワケじゃない。

2021年にAJICOが20年ぶりに再始動しだした時はちょっと気になった。
一応2001年に出した唯一のフルアルバム『深緑』を所持していたし、当時はそこそこ聴いてたので。
3年前は『接続』っていう新EP出してそれに伴うツアーも敢行しており、一瞬「行こうかな」とは思ったものの、気づいたら時が過ぎ去っていた。

で、2022年、大阪泉大津の野外フェス『OTODAMA』に出演するというので、これは願ってもないチャンスとばかりに行くことを決意し、初にAJICOの生ライブを拝むことができた。
ただ、その時は『接続』も聴いてなかったし、なんか『深緑』からの好きな曲も全然演ってくれなくて、尚且つ持ち時間も短くて不完全燃焼という感じだった。
これはやっぱ2021年のワンマンに行くべきだったと深く後悔。

ところが今年の春、いつの間にかまた最新EP『ラヴの元型』をリリースしていて、ワンマンライブも決定していた。
ただ、私はその情報に気づくのが遅く、CDはすぐに取り寄せたものの、チケットはすでにソールドアウト。




自分の不甲斐なさを呪いながら、もう一生AJICOのワンマンは観れないのかなぁ~と悲観に暮れていると、なんとすぐに追加公演が決定!
今度は抜かりなく先行予約にエントリーし、見事に当選。整理番号も100番台。e+さんやっと手数料に見合う仕事してくれはったなぁ~と。




当日、会社を早退して電車に乗って会場に向かう。
その日は炎天下で、家から最寄り駅まで歩いた時点で全身汗でグッチョグチョ。

会場は千日前ユニバース?
もちろん味園ユニバースのことなんだが、いつのまにか会場名変わった?




この昭和の退廃的なテイストをまんま残した元キャバレー施設であった味園ユニバースの入居する味園ビル。
残念ながら、老朽化のせいか、コロナ禍の影響のせいか、今年いっぱいで閉鎖が決定、解体が検討されている。
なので、ひょっとしたら今回のAJICOのライブで見納めになるかもしれん。
大阪出身のUAも、それで今回この会場を選んだんじゃないかと。


客層は若い人もチラホラ見かけたが、全体的にアラフォーアラフィフ。
正直アウェイ感は否めなかった。周りから聞こえてくるのは、ZAZEN BOYSとかブランキーとかの話。
私の前にいた人なんて、ケータイの待受画面がチバユウスケ氏の遺影。
世代は一緒くらいだが、20代の頃、私はその辺を通ってないからなぁ。


そういえば、通りすがりの外国人旅行者と思しきカップルが、スタッフにスマホ見せながら「当日券は売ってる?」みたいなやり取りをしてやんわり断られてたな。
ポスター見てネットで調べてなんか興味持ったんだろう。入れてあげたかったな(誰かチケット余ってへんか~)





味園ユニバースは、数年前の坂本慎太郎くんのライブ以来。
最初に訪れた時は、この煌びやかな珍宇宙空間にテンション上がったものだ。




味園はステージが低く、見づらい印象があった。
今回は良番だったので3列目のポジションを確保できてよかった。
右端だったが、ステージ全体を見渡せる位置でいい塩梅。
床のエフェクターなども丸見え。




開演時間ちょっと過ぎたくらいにメンバーが登場。
みんな結成してからだいぶん歳とったはずなのに、姿を見ても全然衰えを感じさせない。
もちろん演奏面もしかり。

不覚にも一曲目の「金の泥」は知らない曲だった。
ブランキー?SHERBETS?
家帰って調べたら、シングル「波動」のカップリング曲だということがわかった。

そして最新曲「ラヴの元型」が演奏される。
ベンジーのあのかき鳴らすイントロギターリフだけで鳥肌が立つ。
そして目の前では左右に揺れながらぶっといベースを弾くTOKIEさんの姿!
もうほんとカッコよすぎる!!



そして、OTODAMAの時は曲の存在をあまり知らなかった「ぺピン」がきた時も、椎野氏の力強い太鼓の音も相まって鳥肌立ちまくりだった。
OTODAMAの後、シングルを入手したが、これはブランキーのセルフカヴァーでライブver.しかないっぽい。
1番はUAが歌って、2番をベンジーがリードで歌い出したら客がワーーーっと歓声を上げるってのはお決まり事になってるのかな?




途中、謎のダジャレコーナーってのがあって、まぁこれはUAの発案だと思うんだが、ベンジーはそれに付き合ってあげてる感が面白かった。
UAが下らないダジャレを発表すると、ベンジーはあのまんまの口調で「ありがとう」っていう、「もう気が済んだ?次の曲いっていい?」って感じの軽いあしらい方が本当に面白くて笑えた。
UAもそんなベンジーを遠慮なく関西のノリでイジりまくるので、ベンジーがメンバー紹介でUAを「手に負えない人」と言っていたのが理解できた。
まぁUAは地上波でダウンタウンの松っちゃんに向かって「おもんない」って言い放った最強の人だからなぁ~

で、そのユル~いコーナーからの「波動」には、皆ちょっと心の準備が追いつかない感じではあったが、それでも場の空気をガラっと変える魔力ある楽曲なので、すぐに陶酔感に浸れる。
なんつってもこの曲の間奏部分が素晴らしいTOIKEさんの絶品のアップライトベースワークを至近距離から拝めたのは至福の極みというしかなかった。

演奏始まってるのにUAがステージから消えたかと思ったら、客席フロアの真ん中にUAが現れて脚立立ててその上で彼女の持ち曲「悲しみジョニー」を熱唱するというサプライズ。
破天荒というか、サービス精神旺盛というか。
いや、あの時彼女自身、キャバレーの女王の気分に浸っていたんじゃないかなぁ。


リズム&グルーヴ感がムサクサカッコいい「Garage Drive」、和気藹々な「フリーダム」など、『深緑』からの好きな曲はほぼ演ってくれたし、再始動後にリリースされた2枚のEPからもだいたい演ってくれた。
オシャカッコいい疾走感の「キティ」とか、絶妙なポップナンバー「L.L.M.S.D.」など、再始動してからのAJICOの楽曲は実にバラエティに富んでいてクオリティが高く、よって2時間に渡るライブも楽曲が充実しているから中弛みすることがなく、それほど思い入れのなかったAJICOではあったが、想定以上にフルでライブを楽しむことができた。


ちょっと褒め過ぎかな?(だいぶん褒め過ぎ)





しかし、アンコール最後一発「ラヴの元型」を再演奏するとは思わなかったなぁ。
「いや、さっき演ったでしょ?」って、一瞬戸惑った。
昔Salyu × Salyuのライブで、アンコールがあまりにもひつこくて仕方なく出てきてくれて、曲も用意してなかったから1曲目に演った同じ曲を演ってくれたっていうケースはあったが。

まぁAJICO史上最もわかりやすくキャッチーなノリノリナンバーなんで、味園ユニバース最後のステージをオーディエンスと共に盛り上げるにはもってこいのナンバーってことで、ぶちかましたのかな?



終演後。



この珍フロアもこれで見納めかな。



このカウンターで最後にオーダーしたドリンクは700円のebian。



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林檎 VS のっち

2024年06月02日 | まったり邦楽
あんだって!?

リンゴとノッチがタイマン張っただと?




真相はこうだった。

「椎名林檎さんのニューアルバム『放生会』(ほうじょうや)にPerfumeのっちが参加決定!!
かねてから椎名のファンであることを公言していたのっち。ストーリーズでは、「恐れ多くも参加させていただきました! こんな夢より夢みたいなことありますか!!!?? 大好きな林檎さんに狙い撃ちお誘いいただきました。嬉しい」とオファーをもらったことに大興奮。」




「Perfumeメンバーがソロで音楽活動することは結成25周年目を迎えたグループ活動の歴史の中でも初となり、「わたしひとりで参加するなんてこと林檎さんじゃなきゃなかったです。借りてきたのっちを是非お楽しみください」と椎名からのオファーだからこそと明かした。」

確かにのっちは2007年、ちょうど「ポリリズム」がリリースされた頃から、九州のローカル音楽番組で椎名林檎の熱烈なファンであることを公言していた。
あの時は「もう共演なんてしたら、死んじゃいます!」って無邪気にはしゃいでたな~

2007年、福岡深夜音楽番組『チャートバスターズR!』にて。


ところで、林檎の方はPerfumeには、いつからどのような印象を持っていたのだろうか?
SNSから拾ってきた彼女のライナーのコメントによると・・・

「のっちにはほんとうにこの20年くらい、事あるごとにアプローチし続けてきました。私のプログラムを聴いてくださっていると伺っていたものの、私のほうがよほどあきらかにしつこくしてきている・・・」

20年前からってマジか?
その頃って、Perfumeまだインディーズ時代で、「モノクロームエフェクト」とか、「ビタミンドロップ」とかやってた頃だぞ。

ちなみに林檎に関しては、20代の頃はそれなりに聴いていて、CDも何枚か持ってる。



で、直前まで情報が伏せられていて、林檎とのっちのコラボが実現したというビックリニュースが発表された時は、林檎の姐御一体なにが狙いだ?まさかプロディジーにおけるリロイ・ソーンヒルみたいな立ち位置の参加じゃないだろうなぁ~・・・なんて思いつつも、楽しみに待ってた。

そしてその2日後、アルバムリリースと同時にYOUTUBEにて公開されたMVを試聴したわけだが・・・・


正直「初KO勝ち」って曲タイトルはピンとこなかったが・・・

アヴァンギャルド、オルタナ、博多弁、サブカル要素フンダンのアクの強い、見事なコテコテの林檎ソングである。
いや、バック演奏もスキのないスタイリッシュさだし、想定以上にカッコいい!

MVは、映画『ファイトクラブ』、あるいは『スナッチ』での闇ボクシングの様相を呈した、いかにも林檎らしいゴージャスでアヴァンギャルドな内容となっている。


初めの歌い出しは、「林檎?」と思いきや、なんとのっちである。
林檎ファンの方とか、「ポリリズム」「チョコレートディスコ」くらいしか知らない人とかは、ディーバに歌い上げるのっちの歌声に驚いたかもしれないが、長年Perfumeを聴き続け、エフェクト掛かってても3人の歌を聞き分けられる(ライブでは生歌も聴いている)自分ですら普段より拡張されたのっちのこの歌声にはビックリして、逆に「林檎め、のっちの声になにを仕込んだんだ?」と訝しむくらいであった。

まぁでも林檎が歌い出すと、その野太く響く歌唱テクニックは圧倒的である。
掛け合いの方式を採っているが、正直林檎ひとりで歌っても十分に成立する楽曲だなと。
歌詞内容からなんとなく読み取れるのは、林檎ののっちへの熱い思いとか、熱烈なアプローチそのまま。この人ほんとにのっちのことが好きなんだなって。
歌の冒頭、そして最後のフレーズものっちのリードで終わらせる辺り、粋な計らいというか、わざとらしいくらいにのっちに花を持たせている。


それにしても、自己主張しない、洗練された3人の調和で成り立っているPerfumeからひとり離れ、真逆といってもいい自己主張の激しいアクの強い林檎の楽曲を、いつもと違ってディーバに歌い上げるという行為は、のっちにとってはとても勇気のいることだったと思うし、一歩間違えればとてもカッコ悪く恥ずかしいデキに成りかねない恐れもあった。
でも、そんな杞憂や違和感を全く感じさせない、のっちの歌がすんなり溶け込むスタイリッシュな楽曲に仕上がっていて、さすが林檎の姐さんと感服した次第である。


今回のコラボ、のっちにとって、憧れ続けていたアーティストとレコーディングしたり、MV撮ったりと、ほんと刺激的で夢みたいな経験だったと思う。
畑の違う林檎と共演するなんて、恐れ多くて夢にも思ってなかったことだろう。
それが、まさか林檎姐さんの方からの熱烈なラブコールである。
Perfumeファンの間でも、容姿端麗、ダンスのキレの良さがカッコいいと定評ののっち(もちろん歌が上手いらしいことも以前から知っている)。
「いや、私がプロデュースすれば、もっとのっちのカッコよさが引き出せる!」「アンタ、そんなもんじゃないだろ!」という、なかばスケバンめいた林檎のゴリ押しといったところなんじゃないだろうか。
本人もTV番組などでのっちとすれ違う度に、「ソロ活動しないのか?」「ヤスタカ以外の曲は歌わないのか?」と、野暮ったいことを投げかけていたと公言している。
事務所からそんなことを言われても、のっちは首を縦に振らないだろう。
う~ん、憧れのアーティストであったが、ちょっとタチの悪い姐御大先輩に目をつけられたって感じ?


まぁ、のっちをプロデュースしたのが、つ♂くとか秋元とか小諸とかではなく、林檎でよかったとは思う。
この曲は後でいいからシングルCDとして出してほしいな。
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空洞です

2024年04月14日 | まったり邦楽
今週、ゆらゆら帝国のベーシストであった亀川千代さんが亡くなったことがSNS上で知らされた時、かなりのショックを受けたのは、なにも私ばかりではなかった。

その日(4/9)、SNS上は想定以上に騒然となっていた。




90年代後半、突如メジャーに躍り出たゆらゆら帝国は爆発的人気を博していたが、同時代のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYのように、華やかな舞台とは無縁といってもよかった。
ロックフェスにわざわざ足を運ぶような人間でなければ、バンドの存在さえ知らない人も少なくないかと。
テレビなどの露出も少なく、十分集客見込めるのにも関わらず、大きくてZeppクラスの箱でしかライブを演らない(だからチケットなかなかとれない)。

ゆらゆら帝国は、14年前の2010年に解散しているが、今回の亀川氏の訃報を受け、SNSではまるで今回が本当のゆらゆら帝国の終わりであるかのような騒ぎであった。
ゆら帝のライブの思い出話や、各々の思い入れのある曲のMV、ライブ映像を貼り付けたりと。
「一度だけでもゆらゆら帝国のライブに行きたかった・・・」っていう、おそらく現役時代のゆら帝を知らない若い世代にもファンはけっこういると思われる。

ミッシェルやブランキーのような、酒、タバコ、タトゥーといった男気溢れるスタイリッシュなカッコよさとはまた違う、なにかしらヤバい麻薬のようなサイケでイビツ感溢れる異次元のカッコよさ・・・

亀川氏の、ベースプレイはもちろん、あのどこか他者を寄せつけない異様な存在感は、ゆらゆら帝国の突出した音楽性において、なくてはならない要素だったのは間違いない。



私が初めてゆらゆら帝国の音に触れたのは、確か社会人になって1年目の頃であったろうか。
それまで洋楽かぶれだった私は、SSTVで突如流れたこのMVを観て、脳天をぶっ飛ばされたような衝撃を受けることになる。
え!?日本でこんな音出すバンドがいたのか!!と。

今でもあのちゃんのラジオのオープニングで流れてるんだって。


もちろん坂本くんの足の動きも気になったが、ぐるんぐるんとうねりまくるベースラインを弾き出す亀川千代氏の存在感も目を見張るものがあった。
細身長身で黒づくめの衣装、そして前髪ぱっつんのサラサラロングヘアー(姫カット)。
私はしばらくの間、亀川氏のことをずっと女だと思い込んでいました。


ゆらゆら帝国の単独ライブは、なかなかチケットがとれず、私がようやく最初に観たライブは、1999年の大阪市立大学の学園祭“銀杏祭”でだった。




『太陽の白い粉』を発売した時だったかな。「すべるバー」とか演ってたっけ。
この時は端の方だったが、亀川氏のプレイを至近距離で拝むことができた。
最後、亀川氏がベースを思いっきりバゴーーンっ!!って鳴らさはったので、スピーカー付近にいた私は軽く音風に煽られたのはいい思い出です。





そして、坂本慎太郎くんのシンプルだけど、心に沁みる哀悼の言葉。



ゆらゆら帝国に亀川氏が加入した当時、坂本くんは「水木しげるの漫画のキャラクターに出てきそう」って、喜んでいたのだとか。


坂本くんの描いた亀川千代。



実はゆらゆら帝国解散後の亀川氏のその後の活動を全く知らなかった。
すみません・・・

冬苺、不失者、The Stars・・・etc.といったバンドでベースを弾いていたそうです。




ご冥福をお祈りします。



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