AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

Who's Bad?

2012年11月27日 | やっぱりメタル!!
いやしかし、今に始まったことやないけど、ここんところビッグアーティストの何十周年記念盤リリースが目立つような気がしますが、マイケル・ジャクソンの世界に衝撃を与えたアルバム『BAD』も25周年記念盤がリリースされ、なんでもDVD付き4枚組みのデラックス・エディションなんですって?いやはや豪勢ですなぁ~

まぁ私の場合、25年前といやぁすでに80年ポップスには全く興味を失ってて、スラッシュメタル真っ盛りの頃。
実はこの時代、“スラッシュ・メタル界のマイケル・ジャクソン”と呼ばれる人物がイギリスにいたことをみなさんはご存知ですか?
そう、NWOBHM期から活躍していたSATAN~BLIND FURYを母体に、スラッシュブームの波に乗り現れたPARIAHのヴォーカリストさんです。
といっても、このヴォーカルが黒人だというわけではなく、歌の随所に「アオ!」という奇声を乱発したり、ムーンウォークをしながらヘドバンをかますといった器用な芸を売りにしていたわけでもない。
ただ、名前が本当に同姓同名の“マイケル・ジャクソン”だということ。

Michael Jackson


今回紹介するのは、そんなPARIAHの88年作の1stアルバム『THE KINDRED』。
バンド自体の演奏力は月並みながら安定感がありそれほど疾走しなくて、スラッシュメタル的にはすこし物足りない気もするが、NWOBHMの流れを汲んだスラッシュの典型的な形で、楽曲がそれなりにシッカリしているので、このジャリジャリとしたチープさに湿った質感も映えていい塩梅のスラッシュサウンドに仕上がっている。
マイケルのヴォーカルは、漢メタル然としたドスを利かせながらも野太く歌い上げるタイプのもので、時折初期チャック・ビリーのようなシャウトをかます。
サビでは男くさいコーラスも加わってこの時代ならではのスラッシュ美学を踏襲しているが、やはり楽曲の作りはどこか“正統派”の香りを色濃く残している。なので普通にヘヴィ・メタルとしても十分に楽しめる作品である。

しかし、全10曲収録されてるのにジャケ裏にもディスクにも9曲目までしかクレジットされてないって、意図的なものなのか、単なるミスなのか。

フーッ



今日の1曲:『Promise of Remembrance 』/ Pariah
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今日の魔女信仰

2012年11月24日 | ルルイエ異本
悪魔主義的ドゥーム・メタル・バンドの重鎮たるElectric Wizardのすでに廃盤で入手困難であった2007年作の6th『Witchcult Today』を入手。

エレクトリック・ウィザードは、カテドラルのリー・ドリアンが主宰するRise Aboveレコードのお抱えバンド。
全編に渡ってズルズルと引き摺るような濁ったギターサウンドが渦巻いており、古色蒼然たるヴォーカルスタイル、おどろおどろしい楽曲センス共に懐古趣味も甚だしい70年代ハード・ロック・スタイルを貫いている。まぁ私もこの手のバンドはどちらかというと好んで聴く方なのだが、このエレクトリック・ウィザードに関してはなかなか琴線に触れてくる要素が見当たらない。
根幹にあるのはブラック・サバス直系のヘヴィネスなのだが、サバスほどの表現の自由さや拡がりは持ち合わせていないし、さほど個性も感じられない。
ブックレット内の黒魔術儀式の写真といい、かつてサタニックなハード・ロックを求めて止まなかった若かりし頃に、バンド名やジャケットに惹かれ購入してしまったBlack Widowの『悪魔と魔女と生贄』に近いものを感じた。雰囲気はそれなりに出せてはいるものの、表現力が安直というか、アイデアに乏し過ぎるというか。
まぁ徹底した重苦しいドゥーム感、悪魔主義を貫いた結果なのであろうが、せっかくオルガン奏者とかいるんやったらそれをもっと効果的に活用して欲しかったかと。


もう容貌からしてヤバすぎるな。ちなみにドラマーのショーン・タラーは、実際悪魔崇拝儀式で毎晩7時間叩いていたという経歴の持ち主だそうだ。



日本盤はヘビー・サウンド・ロックの(帯より)「リーフハウンドレコード」からリリースされており、帯にはレトロな字体で『今日の魔女信仰』というステキなタイトルに、曲全てに邦題が付けられていて70年代的アナログ感を演出してくれている。まぁそこまでやるんやったら紙ジャケにしてくれよと言いたいところだが、今回は別にそういうのが目的じゃない。

実は私があまり好みではなかったエレクトリック・ウィザードのこの背徳的作品をどうしても手に入れたかったのは、本作に“DUNWICH”(邦題「忘却の村」)というタイトルの曲が収録されていたからにほかならない。

ホラー映画マニアのジャスが、1970年に映画化された『H.P.ラヴクラフトのダンウィッチ・ホラー』というタイトルから拝借したとのことだが、ブックレットの謝辞リストにラヴクラフトの名前がクレジットされており、元々ラヴクラフト小説のファンであったのだろう。




まぁ“DUNWICH”を「ダニッチ」と発音する方が正しいのか、「ダンウィッチ」と発音する方が正しいのかと、闇黒神話論者の間で長年議論され続けたテーマであった。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集5』では「ダニッチの怪」のタイトルで掲載されているが、人間椅子の楽曲のタイトルを含め、ハヤカワ・ミステリのアンソロジー『幻想と怪奇2 英米怪談集』などの古い文献では「ダンウィッチの怪」のタイトル表記であり、スペル的にもこっちの方が妥当なのではないかと。
で、今回のエレクトリック・ウィザードの“DUNWICH”を聴いてみると、やはり「ダンウィッチ」と聴こえるので、それを確かめられただけでも本作を長年探し求めた(といっても3年程度か)甲斐があったというものである。


そうだ、この曲をかけながら今度、『ネクロノミコン』に載っていたドゥホウ=フナの呪文、イルからヌフングルまでの呪文を試してみよう。




今日の1曲:『忘却の村』/ Electric Wizard
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宗教都市

2012年11月19日 | 名所ガイド、巡礼記
親父が検査入院のため、車で奈良は天理のよろず相談所病院というところまで赴いた。
天理と言えば天理教。
町全体がなにかしら宗教的な閉鎖感に覆われており、この地に下り立ったときのアウェイ感はハンパなかった。


これでも病院ですか?


母が入院説明を受けている間、せっかくなので天理周辺をブラブラすることに。
よそ者と悟られないように、キョロキョロしたりとかできるだけ目立つ振る舞いは避けるようにした。
でないと捕えられ異端審問にかけられるやもしれん(とかいいつつ写真とか撮っとるの俺だけやんけ)。

病院のすぐ裏手には大規模な敷地の天理教教会本部が・・・・・こ、こわすぎる。



教会周辺や商店街では、老若男女このようなはっぴを着てる人をちょくちょく見かける。
なんという敬虔なる信仰心・・・・父は退院後、改宗させられて帰ってくるのではないだろうか・・・



で、あっちが高等学校。



で、こっちは天理大学。ようゆわんわ。



天理スタミナラーメン。


今日の1曲:『孤独の旅路』/ Renaissance
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魔女よ、誘惑するなかれ

2012年11月17日 | ルルイエ異本
前回の『みなせゼミの名状し難き夏休み』の記事で、アーカムの魔女“キザイア・メイスン”についてちょっと触れたので、もう少し言及しておこうかと思う。
みなせゼミ民俗学探索パーティの一員である眼鏡美人の古物商、信濃川さんが「アーカムの魔女といえば、アセナス・ウェイトかケザイア・メーソンかというぐらい有名な魔女です。」と言っていたことからも、この魔女がいかに畏怖すべき存在であるかが窺い知れることだろう。

アメリカ合衆国はマサチューセッツ州に実在する田舎町セイレムは、1692年の魔女裁判で有名な土地。
200名を越える住民が魔女の嫌疑をかけられ逮捕され、獄死したものを含め死者の数は25人にも上ったという。(ウィノナ・ライダーが告発人役を演じる映画『クルーシブル』でもその時のことが克明に描かれてるのでご参考までに。)
ほとんどの者が無実の罪であったらしいが、キザイア・メイスンはこの逮捕者の中のひとりで、一時はセイレムの刑務所に投獄されたが、死刑宣告後、まんまと脱獄に成功してアーカムに落ち延び、とある駒形切妻造りの屋根裏部屋を隠れ家として暗躍していたという。それ以来、この屋敷は<魔女の家>と呼ばれるようになる。
キザイアの独房の壁には、赤いネバネバした液体で描かれた特異な曲線や角度が残されており、当事者であるコットン・マザー(『不可視世界の驚異』などの著書で魔女狩りを扇動した聖職者)もこの脱走劇の謎を解くことは出来なかったという。
キザイアは脱獄前、高等刑事裁判所にてホーソーン裁判官に、「ある種の直線と曲線をもってすれば、空間の壁を抜けて、そのむこうの別の空間に通じる方向を示せる」ことを告げている。
あと、<暗黒の男>と呼ばれる存在との契約のこと、その存在に“ナハブ”という別の新しい名前を授かったことも語ったという。
この<暗黒の男>こそ、『ネクロノミコン』でほのめかされている<ナイアルラトホテップ>の顕現にほかならない。

また、キザイア・メイスンは“ブラウン・ジェンキン”という人間くさい名前を持つ使い魔を飼っており、おぞましくも己の血を吸わせて育てていたという。
ブラウン・ジェンキンは、大型の鼠くらいのすばしっこい毛むくじゃらの生物で、鋭い牙を持ち、髭を生やした人間の顔をしているという。あらゆる言語を話し、なにかにつけて鼻をこすりつけてきたりと、とにかくタチが悪くおぞましい存在だという。

<魔女の家>は実在する。傾斜した屋根裏の外壁と内壁の間には、三角形の空間があるという。


ミスカトニック大学の理数系の学生ウォルター・ギルマンは、かつてキザイア・メイスンの隠れ家であった切妻造りの屋根裏部屋に下宿しており、その部屋の壁と天井にやけに不規則な傾斜を見いだし、その壁と天井のおりなす奇妙な角度になにかしら数学的な意味合いを読みとってから、測り知れない太古から連綿と伝えられる魔術伝承と高等数学とを結びつける、ある種の直線と曲線による空間移動の可能性を解き明かそうと躍起になっていったのだった。
彼は大学の付属図書館で恐るべき『ネクロノミコン』や断片だけが残る『エイボンの書』、ルドウィク・プリンの『無銘祭祀書』などを調べるうちに、すでに空間の特性ならびに、既知の次元と未知の次元の繋がりに関わる自らの象徴的な方程式に関連をもつ空恐ろしい手がかりを見いだしていたのだ。
深みにはまった彼は毎晩悪夢を見るようになり、夢の中でキザイア・メイスンが執り行うおぞましいサバトの闇黒の儀式に立ちあったり、怒号する果てしない薄明の深淵や、隆起をもった樽状のグロテスクな小像の並ぶ欄干のテラスに立っている妙な夢の情景にうなされるようになる。
そして、ある夜ギルマンは、屋根裏部屋のベッドの上で心臓をえぐられた変死体と変わり果ててしまうのであった。
床には人間の手に似た小さな血の足跡が残っていたという。

実は私の住んでる部屋の天井の壁にも、奇妙な角度をもった出っ張りが見いだされる。
幸い私は高校卒業が危ぶまれたほどに昔から数学が大の苦手なので、そっからキザイアの移動した空間などを見いだすことはまずないだろう。
まぁ1階に住む迷信深い住民が哀れっぽい祈りを唱えはじめたり、南天の海蛇座とアルゴ座のあいだにある一点に引き寄せられそうになったら、せいぜい気をつけようかと思う。

念のためお札と警護は配してある。


今日の1曲:『魔女よ、誘惑するなかれ』/ Black Sabbath
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己の正気度を試せ!

2012年11月15日 | ルルイエ異本
いやいや、また読むクトゥルー本がなくなっちまって、とうとうこんなもんに手を出してしまった。
表紙からしてなんかヤバい方向に行ったのかと誤解を受けるかもしれないが、これもレッキとしたクトゥルー読み物の一種でエロマンガではない。

『みなせゼミの名状し難き夏休み』という、「クトゥルフ神話TRPG」のリプレイ本である。
といっても、なんのこっちゃわからんかと思われますが、実は私もこの手の分野には携わったことがない。 
「TRPG」とは、“テーブル・トークRPG”のことで、4~5人の人間同士が実際卓を囲って競うアナログなロール・プレイング・ゲームのことらしい。
「クトゥルフ神話TRPG」の最大の特徴として、ライフ値とかの代わりに“正気度”(SAN値とも)というものがあり、神話的恐怖に直面したり、宇宙的恐怖の真理を理解してしまう度に<正気度>ロールを行わなくてはならず、出た目の数によってその“正気度”が失われていくといった具合だ。
一度の喪失量の度合いによっては一時的狂気に陥ったり、<クトゥルフ神話>ポイントが加算されたりするところなんかは、実にクトゥルー的で興味深い。

で、本書はTRPGのシナリオライターである著者が、ゲームを進行していく<キーパー>(ゲーム機でいうところのCPU?)となってゲームを実際にプレイしている現場の実施模様や会話を記録し、ゲームの進め方やルール、シナリオの作り方、プレイテクニック、クトゥルフ神話用語などを解説していくという趣旨のものであった。
だから、ちくいちコロコロ・・・って、サイコロをころがさないと話が進まないので、テンポも悪いし、もちろん緊張感もクソもない。
まぁ、もともと読み手に宇宙的恐怖を体感させるのが目的のテキストじゃないから仕方ないけど。
しかし、このTRPGってのは、<キーパー>のさじ加減次第みたいなところがあって、なんかシナリオライターの自己満的なきらいがあって、読んでてこういったゲームは私の肌には合わないようだ。まぁゲーム機でもRPGもんは辛気臭くて昔からやったためしがない。


現場では実際このようなダイスを振ってプレイされているのかと思うと、心騒がされるものがある。


本書には、計3話のクトゥルフ神話TRPGのリプレイが収録されており、舞台はいずれも日本なので、日本の民俗学とクトゥルフ神話を巧く掛け合わせたちょっとしたジャパネスク・クトゥルフ・ストーリーを味わうことができる。

第一話「水底の早贄」では、ラムジー・キャンベルが創作した“グラーキ”ものを題材に、四国は高知県のダム湖を舞台にしてクトゥルフ神話を展開させており、日本ではグラーキもんは未訳なので、ちょっとはその雰囲気を窺い知ることができる。
『グラーキの黙示録』や、エジプトの神官が使用していたという「タグ・クラトゥアの逆角度」なる未知の小道具なども飛び出しなかなか雰囲気を盛り上げてくれている。
ま、でもこの話の概要からして、キャンベルの原作も単なるゾンビものなのかなと、グラーキものに対する期待感が半減してもた。



第2話「湖あふれる海」は、福岡の港町を舞台にした“ディープ・ワンズ”もので、題材としてはありふれているものだから、展開も大体予想がつく。
ただ、『太平記』に言及されているという“安曇磯良”がクトゥルフの落とし仔であるという設定にして、日本神話とクトゥルフ神話とを巧く掛け合わせているところはおもしろかった。

第3話「仮面の送り火」では、秋田県の田舎町でキザイア・メイスン(ここではケザイア・メーソンと表記)というアーカムの魔女(ラヴクラフトの『魔女の家の夢』参照)を蘇らせて暗躍させるといったマイナー路線で攻めてくるところは大変興味をそそられた。
秋田の鹿島信仰と結びついた“ういか様”と呼ばれる巨大藁人形が実はニャルラトテップの化身で、最終的にはニャルラトテップの第二形態である“血塗られた舌の神”に変貌するという展開はおもしろかったが、しょうもない小道具であっけなく倒されるのには尻つぼみ感が否めなかった。まぁでもリプレイ本にこれ以上の宇宙的恐怖を求めるのは野暮というものである。

まぁ私みたいなものぐさ人間の場合、ゲームのシナリオそのものを読むのが一番だと思うのだが、ヤフオクでもシナリオだけを出品してるのを見かけるけど、高価でなかなかな手が出せない。
この著者のHPをチラっと覗いてみたんだけど、どうやらアニオタ系の人種のようで、まぁ実はTRPGを入り口にクトゥルー神話にハマっていく人も多く、この方面の人らってやっぱ萌えアニメ好きの人種が多いのかなって。
実際近年の日本におけるクトゥルーブームはニャルラトテップをパロった萌え系アニメが要因であるようだし、ソッチ系の人ってもともと緻密な性格なのか、暗黒神話に対する造詣もハンパなく深くて、シナリオとか書かせたらすごい知識とセンスを発揮するのかもしれない。
本書の表紙も若干の色気というかエロを漂わせているが、著者によれば発行元である新紀元社側から挿絵で使うお色気サービスシーンは必ずひとつ盛り込むようにと要望されたらしい。
つまり企画側がそういう体質なんだろう。

今日の1曲:『唐変木のためのガイダンス』/ キリンジ
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エッセンシャル・ゴッドフレッシュ

2012年11月06日 | コンサート
いや、先週記事書いてたらムラムラきちゃって、あんま行く気なかった日本初上陸のGODFLESH大阪公演のチケ買っちまったんですよね~、Loppiの前で10分ぐらい悩んでたんだけど。

当日は気温がようわからんくて、とりあえずロンTの上にいつものDEATHTシャツを着て、ユニクロのフリースを羽織るといういでたちで心斎橋に向かった。
ことのほか温暖で歩いてたら汗ばんできて、半袖でもいけるんじゃないかという暖かさだった。


ぱびゅぱびゅ!


会場は東心斎橋のCONPASSという小さな箱で、場所からピンときたんだが7~8年前にインディーのダブ・バンドを見に1度来たことがあった。
前座のDEAFHEAVENというバンドの演奏が既に始まっていたが、ハードコアとブラックメタルのハイブリッドという紹介文からして私の趣味ではなかったので、チラっとのぞいてから待ち合いブースで間違ってオーダーした飲めないハイボールをチビチビやっていた。

あ、そうだ。ひとつ訂正させて下さい。

前記事で軽率にも「女子供を寄せつけないGODFLESHの音楽」みたいなことを書いてしまったけど、会場ではプロモーターの娘さんとおぼしき3歳くらいの女の子がキャッキャと走り回っていたし、なかなかキレイどころのおネエちゃんも3人くらい見かけました。
メタルライブでいつも見かけるような客も知り合いもおらず、やっぱどこか客層の毛色が違う。若干若めだったかな。20年以上も前のバンドなのに若い層にもけっこう支持があるんだね。


で、ヘタしたら全然楽しめないかもと、さほど大きな期待感もなくなんとなく臨んだ今回のGODFLESHの初ライブですが・・・・・・
いや、観に行って大正解だった!

一発目“鼠の如く”のハンマービートと轟音リフが鳴り出した瞬間、全身に鳥肌が走る。いや、こういう感覚は久しぶり。目の前でジャスティンが咆哮してる。凄いモノを見てる気がした。
そっから名盤『STREETCLEANER』からのキラーチューンが惜しげもなく連続で披露される。ええっ!前半からこんなにとばしてええの!?
こちらも身体全体を使っての大振りのヘドバンをやるのは久々だったので、序盤から首筋がヤバいことになっていた。いや、このグルーヴ感を生で浴びせられたら自然と身体を揺らさずにはおれんのですよ。
ガンガンビートの“TINY TEARS”では久々にヘッドバンギンを心から楽しめたって感じ。
2ndの『PURE』の楽曲はサウンド的にあまり気に入ってなかったが、生音で演られるとレコーディングにはなかったグルーヴが生まれてた。ちょっとレイジのライブ感覚に近い感じ。
ステージの壁全体にヒエロニムス・ボッシュの宗教画や、『サドカイ教徒の勝利』あたりから抜粋したような背徳的挿絵が映し出される演出も、GODFLESHの音楽と見事にマッチしており実に効果的だった。



ジャスティンは、MCを一切挟むことなく時折MACを操作しつつ、ただ一心不乱にギターを掻きむしり、その大柄な身体を揺らし続ける。そして衰えを知らぬ咆哮!いや、カッコよすぎる。
一方、ドッシリとした構えで弦を弾き続けるジョージは、ほとんどアクションをとらない人だが、機械的なリズムマシーンに合わせて正確に刻むウネりにウネりまくるそのベースラインは、箱全体にとてつもないグルーヴ感をもたらしていた。
しかし、写真でもあまりまともに見たことなかったこの二人の人相・・・・音楽やってなかったら、異常殺人犯になっとったんとちゃうかーゆーぐらいヤバいよな。

GODFLESHの文字がバックに映し出され、最後のキメに入るジャスティン。アンコールも一切なし。
キメきったのだ!


あの狭い空間ならではの箱中に充満するドライヴ感!!これは一種のダンスフロア・アクトである。
今年見たライブの中でベストアクトかもしれない。




今日の1曲:『TINY TEARS』/ GODFLESH
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拷問デジタル

2012年11月03日 | やっぱりメタル!!
元NAPALM DEATHのギタリスト、ジャスティン・ブロードリックが88年に結成したのが、このインダストリアル・バンドGODFLESH。
ちなみにジャスティンは、NAPALM DEATHでは1st『SCUM』のA面のみのレコーディング参加で、あのトータルタイム2秒で有名な“YOU SUFFER”のギターを弾いてる張本人である。
このGODFLESHが、今月まさかの初来日って聞いたときはビックラこいた。

GODFLESHのサウンドに出会った当時は、まだロック一直線の頃で打ち込み系にはほとんど免疫がなかったんだが、冷酷なまでに打ち出される無機質なドラムマシーンの連打に、重くのしかかるヘヴィリフ、そして不穏に渦巻くこのノイズギターの不協和音に、言いしれぬ不健全なケミストリーを感じ、こういうのもアリだなと思った。
まぁ情緒不安や体調の優れぬときに聴くと、ストレスの溜まる音の責め苦以外のなにものでもない音楽だが、残忍非道な気分に浸りたいときや、献血で血を抜いて気持ち良くなったときなどに聴くと、この拷問めいたデジタルビートのジワジワ感と、神経を逆撫でにするノイズギターのカオティックさにだんだん恍惚感を覚えること請け合いである。

思えば、PANTERAや『ブラック・アルバム』を引き金に、メタルが暗黒時代に向かわんとしていたあの頃、“聴覚刺激”をモットーとするイヤーエイクは、実に多種多様なバンドを次々世に送り出していた。
特にNAPALM DEATHからの卒業生による新プロジェクトにはユニークなものが多く、各々が極端なまでに異質なサウンドを追求していた。ビル・スティアの残虐ゴア・バンドCARCASS、ミック・ハリスのインプロヴィゼーション・ユニットのPAINKILLERなど。
リー・ドリアンのCATHEDRALなんかもそうだが、スピードを極限まで極めた者が挙句の果に行き着いたのが、超スローで息苦しいほどのダークさであるっていうのもおもしろい。GODFLESHもそのダークさ加減ではCATHEDRALに退けをとっておらず、ドラムマシーンを導入してまで徹底したヘヴィさを追求するそのなりふりかまわぬ姿勢がカッコいいなと思った。
当初はシアトルを発祥としたグランジなどのダークでヘヴィなサウンドがもてはやされていた時代だが、米産のはどこか垢抜けていてカチっとしたまとまりがあってなんか馴染めなかった。やはり土地柄のせいであろうか。
GODFLESHは「MINISTRYへのイギリスからの回答」なんて言われていたが、MINISTRYほどの人気が出なかったのは、やはり健全な心の者が聴くにはあまりにも病的なカオティックさと、女子供を寄せつけぬ過酷さがそのサウンドに内在していたからであろう。
本質的なものは、NAPALM DEATHの頃からちっとも変わっていないのである。



今日の1曲:『STREETCLEANER』/ GODFLESH
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ぱみゅぱみゅ

2012年11月01日 | まったり邦楽
あんあん・あ・あ・あん、 ぱびゅぱびゅ!!

はじめ、バイトマガジンのCMでこのきゃりーぱみゅぱみゅを目撃した時は、「またケッタイなんが登場したけど、なんでもこれが世界から注目を集めてるんだって?そっかー、ほっとこほっとこ」てな感じだった。
ところが深夜の音楽番組でたまたま見かけたPVの曲を聴いて「この感じは好きかもな」と思ったら、プロデューサーが中田ヤスタカ氏でなるほどなと。
店で見かけたCDの帯やポップ書きにも「中田ヤスタカプロデュース!」という文字だけがフューチャーされてて、やはりヤスタカブランドの本国における信頼度は絶大なのかと。

で、先日きゃりーの初フルレンスアルバム『ぱみゅぱみゅレボリューション』をレンタル。
Perfumeでは、エレクトロサウンドと同化させることによってアーティストの個性を抑え気味にしたのに対し、今回中田氏はきゃりーのガーリーなキャラを全面に引き出したかのような曲作りに徹している。
アーティスト名もそうだけど、楽曲もだいたい擬音語で成り立っており、ほんわかパッパーな歌が多く、歌詞も単純明快で楽しければOKみたいなノリで、それがまたきゃりーのキャラと見事合致している。
#4“みんなのうた”とか、ほんまにNHKの教育TVかポンキッキ用に作られたような楽曲で、オーディエンスをなめてるのかと思ったが、きゃりーのファニーなヴォーカリゼーションの実に心地よい響きがクセになってくる。CMで聴いた時はこれはないなと思ってた#5“きゃりーANAN ”も、全体像はヤスタカ節全開の凝りまくったブレキングナンバー。ただ、歌はただのバイトマガジンの営業ソング。
こういった深い意味のない音の響き、フレーズの気持ちよさが、言葉の通じない外人にもウケが良くワールドワイドな人気を博しているんだと思う。
まぁ、音楽とは元来そういうもんじゃないだろうか。

きゃりーぱみゅぱみゅ個人に関しては、媚び売りでもなく、ケツや胸を強調するでもなく、本人や作り手が“Kawaii”だけを突き詰めた結果、このようなポップモンスターが作り出されたって感じであろうか。テレビで見かけた限りでは装飾を除いてそんなに自己主張も激しくなく、けっこう常識人な印象を受けた。
彼女の歌の技量に関しては、“Drinker”など、わりとオーソドックスな楽曲でもソツなく歌いこなせる素養も持ち合わせてるようで余計な感情表現もなく、淡々とした歌の天然質な響きから自然と醸し出されるこのガーリーな雰囲気は、小島麻由美などにも通じるところがあり、私は昔からこういった女の子女の子したアーティストを好む性癖があって、やっぱヤバい人間なのかもしれない。

たしかネオ・ジオン軍にこんなヤツいなかった?


アルバム全体としては、オモチャ箱をひっくり返したような粒揃いの良質なポップチューンが矢継ぎ早に展開されて、7曲目までの流れはほんとうに秀逸である。
ただ、それ以降は徐々にネタ切れ感が濃厚になっていき、このほんわかポップなノリに食傷気味になってくる感は否めない。
#9“スキすぎてキレそう”はPerfumeのボツ曲っぽいし、ラストの“ちゃんちゃかちゃん”などは、クイーンの“MORE OF THAT JAZZ”と同じ走馬灯的手法を採用するといった工夫が施されてはいるが、人によってはおちょくられているようにしか聴こえないだろう。

ぱびゅぱびゅ!!



今日の1曲:『CANDY CANDY』/ きゃりーぱみゅぱみゅ
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