AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

臨時ニュースを申し上げます

2024年03月31日 | しねしねシネマ
恥ずかしながら、ご報告します!

アカデミー賞獲ってさらに盛り上がってる『ゴジラ-0.1』、劇場まで観に行ってまいりました!
(ほんと恥ずかしながら)


ゴジラ映画は、20年くらい前に、ゴジラ好きの友人に誘われ一度劇場まで観に行ったことあるんだが、映画のタイトルも内容も全くもって覚えていない。
米制作の初(?)のゴジラ映画『GODZZIRA』も昔映画チャンネルで観て、「ほとんどジュラシックパークやないけ!」と、もう論外のシロモノであった。
全世界で愛される日本のゴジラは誇りには思うんだけど、ウルトラマン怪獣が大好きだった幼少の頃まで遡ってみても、ゴジラというものを好きだった試しが本当にない。
近年では、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』が、シン感覚のゴジラ映画として騒がれていたので地上波で観てみたが、「面倒くさいな」と思っただけだった。

私の所持しているゴジラ関連アイテムはせいぜいこれくらい。すいません。



前世紀から今世紀にかけて、ゴジラ映画ってのは日本ではもちろん何本も、ハリウッドでもちょくちょく作られてて、正直昨年『ゴジラ-0.1』が話題に昇ったときも、「また作ったん?」と全くもって興味が沸かなかった。

じゃあなんで観に行ったのかって?
それはやはり昨年からメディアがめちゃくちゃ騒いでて、YOUTUBEとかでも絶賛の嵐で、おまけに今年アカデミー賞で「視覚効果賞」?みたいなの獲っちゃって、まぁ徐々に感化されていって、今度こそ劇場で見応えあるかもってなったから。
今回は私のようにゴジラに興味ない人でも結構心動かされた人多かったんではないでしょうか?

このトレーラーもよくできてる。なんかスゴそうだもん。



で、劇場で観てどうだったかというと・・・

やっぱ私ってゴジラ萌えする感性がないのなってのがわかった。

まぁ観てる時はそれなりに楽しんでたと思う。
まず、第二次世界大戦末期~終戦後っていう時代背景がよかった。
いきなりゼロ戦が飛んでて、日本のある島の飛行場に不時着する時点でかなりワクワクした。
基本的にはゴジラが大暴れ、大破壊する映画であるが、人間ドラマにも尺が割かれてて、日本の終戦後ドラマ特有の湿っぽく暗い雰囲気の、でもどん底から這い上がり、団結して皆で知恵を絞ってゴジラに対抗するという、そういう展開は正統な流れではあるんだけど、ちょっとベタベタでクサかった。
つか、あの焼け野が原でなんで赤子抱えた女子が大勢の男に追いかけられてるの?赤ちゃん泥棒?
キャストもよく見る売れっ子の豪華顔ぶれであざといなと鼻についたものの、役柄は各々ハマってて、そのカタにハマったキャラを見事全力で演じ切っている。

そして、今作の大スクリーンでのCGゴジラのアクションはどうだったかというと、まぁ想定内という感じだった。
いや、賞獲ってるし、凄い技術なんだろうけど、個人的にVFX不感症になってしまったもので。
こういったモンスターVFX映画の感動は、スピルバーグの『ジュラシックパーク』がピーク。
あれを30年前映画館で目撃した人たちがいまだに羨ましく勝ち組だと思ってる。
海でのあのチェイスシーンもテレビで何回も映ってたので、劇場であんま興奮できなかった。


もう一つ、『ゴジラ-0.1』を劇場まで観に行こうと思った決定的な動機がある。

それは、劇中で震電が飛ぶって聞いたから!

このことは、トレーラーでもメディアでも全然取り上げられてなかった気がする。

震電ってのは、大戦末期に、一般市民を虐殺しまくり日本を焦土と化したアメリカの爆撃機B-29を迎撃するために旧日本軍が開発した局地戦闘機。
開発試行途中で終戦を迎え、実戦には使われることのなかった幻の戦闘機である。




小学生の頃、軍事マニアの父の影響でガンプラから徐々に第二次大戦時のプロペラ戦闘機にハマり始めた私は、震電のフォルムを見て衝撃を受けた。

いや、後ろ前、逆やん!!

昔作った震電のプラモはすでにないが、設計図は残ってた。


ほかの日本軍の戦闘機は、正直あまり区別がつかなかったが、震電はもう独創的すぎて一目でそれとわかる。

劇中で倉庫に格納された震電が映し出された時はさすがに興奮した。
そして離陸して大空に飛び立ったときは、ほんとマジで感動した!
まぁそこはCGなので多少迫力には欠けたが、おそらく震電が映像化されたのは、映画史上今回が初めてだろう。

実戦で投入されずに破棄、解体されてしまった幻の戦闘機・・・
それが実は一機だけ極秘に破棄されずに残ってて、それをゴジラ撃退作戦の為に投入するという・・・
これは本当にロマン溢れる素晴らしいアイデアだ!

聞くところによると、この山崎貴監督、そうとうの軍事オタクみたいだ。
この撮影にあたって、レプリカの実物大の震電まで作ってしまったというのだから、相当の拘りである。
ひょっとして震電を飛ばしたいがために、この時代背景のゴジラ映画撮ったんやないかと勘ぐってしまう。
山崎監督はインタビューで、『シン・ゴジラ』の対抗策として、「真逆にした」と語っていたらしいが、それは震電の機体と掛けたんじゃねえかって。

このレプリカの震電、今現在福岡県筑前町にある大刀洗平和記念館にて展示されているらしい。
これはちょっと観に行きたい!




いやいや、自分のゴジラに対する思い入れが薄かったためにこのような感想になってしまったが(これがクトゥルー邪神なら絶対絶賛してる)、それは置いといて・・・

ゴジラという日本の誇るべき鉄板のコンテンツで、全世界から大絶賛される最高のエンタメ映画を見事に作り上げ、そこで「日本にはゼロ戦だけではなく、震電っていう独創的なマイナー戦闘機があったんだぞ!」っていうことを世界の人に知らしめてくれたことは、本当に快挙というほかない!

ありがとう!山崎監督!


Blue Oyster Cult: Godzilla
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カモンベイベー、イート・ザ・リッチ!

2023年07月30日 | しねしねシネマ

先月、あべのハルカスで絵金展を観覧した帰り、ちょっとミナミに立ち寄ってシネマートに赴いたのは、映画『金持を喰いちぎれ』のスペシャル「Eat The Rich」Tシャツ付き限定前売り鑑賞券を購入したかったからにほかならない。

モーターヘッドのTシャツ着てるキャラのTシャツ。



映画『金持を喰いちぎれ』は、1987年に公開されたイギリス映画で、我が敬愛すべきモーターヘッドのレミー・キルミスター様がご出演なさった作品。
映画のテーマ曲「Eat The Rich」を担当したのもモーターヘッドで、何を隠そう、実は中坊の頃このミュージックビデオを観て私はモーターヘッドにハマったのであって、非常に思い入れ深い曲なんです。

オリジナルサウンドトラック。



で、この映画に憧れのレミーが出演しているということで、中学生の頃からこの映画が気になって気になってしゃーなかったわけです。




で、1987年の初公開時(日本では1989年に公開されてたらしい)、内容の過激さに映画史上空前の空振りを記録したという英国の社会派ブラックコメディ『金持を喰いちぎれ』が、デジタルリマスター版で今年7月にリバイバル公開されるという情報を聞いたときは、ちょっとビックリした。
レミー以外にも、多数の著名ミュージシャンがカメオ出演してて、なんとポール・マッカートニーが出ていることは知らなくて驚いた。

まぁ正直Tシャツゲットできたので、映画はたぶん疲労感溜まりそうな雰囲気が滲み出てるし、わざわざ電車賃払って観に行かんでもええかなぁ~なんて思ってたんですが、せっかくお金払って鑑賞券買ったんで、レミーの演技も確認したく、今月のこの猛暑の中、大阪のシネマート心斎橋まで観に行ってきた。




客は私含め、10人いたかいないかくらい。若い子はいなかったな。
劇場側としては、レミー目当ての客が観に来ることを期待したんだろうが、私のようにメタラー丸出しのバンドTシャツ着てる人も見当たらなく、今の時代においても空前の空振りを記録した感があった。

せめて“レミー”を販売してくれ。



売店では、パンフの他、映画のオフィシャルTシャツも売っていて、Eat The Richのカラー柄のやつだったけど、私が買ったTシャツ付前売り鑑賞券と一緒の値段。
最近のTシャツの値段って、ほんと高いったらありゃしない。


映画の内容だが、想定はしてたけど、ほんと80年代特有のお下劣さ満載のドタバタハチャメチャコメディ。
あの時代のメタルバンドの頭の悪そうなミュージックビデオを延々と見さされてる感覚に近いものがあり、ほんとゲンナリさせられた。
登場人物たちのキャラも欧米特有のマッチョイムズと全然エロく感じない破廉恥感。そんな連中の泣いたりわめいたり怒ったりのよくわからん絡みを終始見せつけられる。
レミーの役どころは、なんか政府の工作員といった趣なんだが、大した活躍もなくとにかく中途半端。
ポールはというと、どうでもいい場面でどうでもいい役で映ってた。正直どういう役どころだったか全然覚えてない。


まぁこの映画、とにかくモーターヘッドの曲をフィーチャーして、レミーを出演させてぶっ飛んだロックンロール映画を作ろうと企画されたタイアップ映画だったのだろう。

劇中ではモーターヘッドのナンバーが随所に流れて、まずオープニングでテーマ曲の「Eat The Rich」が間髪入れずに流れる。
そしてレストランでは、たまたま店のバンドマンが突然倒れて、そこに居合わせたレミーが代奏を引き受けるという。
それをレミーに知らせにいったのがワーゼル。一応セリフがあった。
そして当時のメンバーで「Doctor Rock」が奏でられる。




それからも流れる曲は、当時最新アルバムであった『Orgasmatron』からの楽曲が殆ど。
「Built For Speed」と「On The Road」(これはシングル「Deaf Forever」のB面曲)両方流れたんだけど、両者は曲名違いの同じ曲。
「On The Road」はHear 'n Aid『STARS』にも収録されているライブ音源で、私にとってモーターヘッドとの出会いの曲でもあり(初聴は拒絶反応しかなかったが)、思い入れのある曲。

ちなみに、映画ではモーターヘッドにカムバックしたばっかのフィルシーが出ててドラム叩いてるけど、主題歌以外はピート・ギルが叩いている音源である。




まぁいくらレミーが出てるからって、この映画作品がDVD化されても購入する気はさらさらないけど、ロックバーとかでBGVとして流しとくにはいいんでないかと。
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体感ジャズアニメ

2023年04月16日 | しねしねシネマ
ビョークを東京まで観に行って、値段の割にはクソ窮屈で乗り心地の悪い夜行バスに揺られて帰って来た翌日の朝、最寄り駅の側のイオン内を通って家に帰るんだが、そういえば今日は映画の日だったなと、イオン4階のシネコンに今どんな映画やってるのかフラっと見に行ってみると、2月下旬頃から上映されてとっくに終わってると思っていたアニメ映画『BLUE GIANT』がまだやってるじゃないか!

SNSなどでかしゆかや矢野顕子さんらがこの映画にコメントを寄せていて気にはなってたんだけど、最近マンガを読まないので『BLUE GIANT』がどんな作品か全く知らなくて、どうなんだろうと思いつつ、時が過ぎてしまっていた。

ビョーク遠征で疲れてたけど、これは今日観に行かない手はないなと、足早に家に帰り、18:00からの回に備えて安眠に就いた。

zzz........


ガバっと目覚めたら、なんと17時半!!
やってもうたーーーっ!!!
でも大丈夫。家からイオンまで車で3分で行けるから。


まぁアニメ映画といったら、だいたいガンダム関連の作品くらいしか観ない私が、いくらご贔屓にしてるアーティストが薦めたからといって、なんでこの聞いたこともないアニメ映画作品を観に行く気になったのかというと、それはやはり、かの上原ひろみさんが音楽を担当していたからにほかならない。

音楽のいい映画は、だいたい、いいものだ。

サックス:馬場智章。ドラム:石若駿。



上映開始から1ヶ月も経ったにもかかわらず、この田舎イオンシネコンにしてはなかなかの客入りで意外だった。
どうやらこの映画、口コミなどで話題となり、徐々に動員数を増やしていってるそうで、上映期間も延びたっぽい。
つーか10年前から連載され、いまなお続く大ヒットマンガらしいね。




ストーリーは、語弊があるかもしれませんが、わかりやすく言うと『BECK』のジャズ版と言ったところか。
話運びからして、最初はそんな印象を受けた。

高校卒業後、一流のサックスプレイヤーになるため上京し、鍛錬&情熱だけでグイグイ目指す道を突き進んでいく主人公の宮本大。
幼少よりピアノレッスンを受け、すでにセミプロ級の腕を持つことでやや傲慢さが鼻につくピアニストの沢辺雪祈。
大の同級生で、大に誘われいきなり初心者からジャズバンドを組まされ、劣等感に苦しみながら努力を積み重ねていくドラマーの玉田俊二。
そんなデコボコな3人が結成したトリオバンド“THE JASS”が、憧れのライブハウス(BLUE♪NOTEならぬ)“SO♪BLUE”の舞台を目指して、お互い触発され、ときにはぶつかり合いながら、上へ上へと突き進む過程を描いた物語。




『BECK』と違い、青臭い恋愛ドラマやサスペンス性もなく、話自体はほんとよくあるバンドマンのストレートでシンプルな物語展開ではある。

ではなぜ観ていてこんなにも熱くなれるのか?

それはやっぱり音楽がカッコいいからとしかいいようがない。
ちゃんと音楽で観る者を唸らせる・・・
そこが『BECK』とは全然違うポイントであるかと。


ジャズミュージックは門外漢だが、上原ひろみさんの書き下ろしの楽曲はやっぱ良いね!ちょっとプログレ入っちゃうし。
これはおそらく上原さんの楽曲が先にあって、そこからアニメーションの作画がなされたと思われる。
部分的ではあるが、あんな複雑な楽曲にピタっと演奏シーンのアニメーションが合ってるのが素晴らしい。
特にドラムのフィルインとか正確で目を見張るものがあった。
おそらくこういうのはCGでやっているのかと思われるが、その正確リアルさがちょっとアニメっぽくないというか、人の演奏の動きとかがなんかゲームCGっぽい。

あえてツッコむところはというと、玉田が初心者にしてコンプレックスをバネにあんなにもジャズドラムを叩けるようになれるんかと。
まぁマンガの世界なので、今年WBCでの大谷の事もあるしそこはいいとして、いくら防音対策としてエレドラムを使用して練習してても、カタカタ音は響くし振動もあるし無理だと思うんだよね。一軒家ならまだしも安アパートでは通用せんかと。
ドラムとはなんと個人練習しづらい楽器パートであることか。


それにしても、最後のステージのシーンは本当に興奮させられた。
演奏終わった瞬間思わず拍手しそうになったもんな。
矢野顕子さんもSNSで言ってたけど、思わずパチパチと2回手を打ったらしく、でも劇場では誰も拍手しなくてシュンとなったって。
気持ちわかるわー。日本人はまだそういうところ恥ずかしくて無理な民族なんだ(CG少女相手にサイリウムは振るくせに)。
でも終盤のタッチ展開では、方々から「ええっ!!」って驚嘆の声は上がってたな。みなかなり物語に没入してはったのかがわかる。
まぁ工事現場でバイトしてる時点でフラグは立ってたけど。


で、サントラ買っちゃいました。



まぁでもやっぱサントラだねって内容。
29曲も収録されてるけど、劇中の場面場面で流れる2~3分弱の小曲が大半で、全体を通して聴くにはちょっと退屈。
劇場であれだけ興奮したTHE JASSのメインナンバーもCDで聴くと、「あれ?」って感じ。

やっぱ劇場マジックというやつなんだなー。
物語が音楽を、音楽が物語を、互いに引き立たせ合う相乗効果を生み出し、『BLUE GIANT』はまさに、絶妙な傑作音楽映画と成り得たのだ。


なので、まだ観てない方は是非とも臨場感溢れる大音響の劇場で!
まだまだ絶賛上映中らしいので。


特に最近の若いの、ギターソロになったら飛ばすとかいう最近の論調を根底から覆す激熱の作品だ!


アナログ盤も買っちゃった!
・・・というのはウソで、LPケースに入ったカッコいいパンフなのだ。
オサレすぎ!
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愛は吐息のように

2022年07月17日 | しねしねシネマ
バブル期の昭和の80年代に幼少期を過ごした私を夢中にさせた、MTVで流れる洋楽のPVや、ハリウッド映画の中で展開される目くるめく華やかな外タレ文化。
もうなにもかもがカッコよくて楽しくて、日本の芸能界とのレベルの違いをまざまざと見せつけられた感じだった。

小学生高学年くらいから洋画観たさに電車に乗って京都市内の映画館(スカラ座や東宝公楽)にもよく足を運ぶようになって、トム・クルーズ主演の『トップガン』もそういった流れで劇場に観に行ったと記憶している。

ハリウッド映画なら何観てもほとんどおもしろかったんだが、ただ、中には子供心に微妙なものもいくつかあった。
『ネバーエンディングストーリー』がそうだったし、シュワちゃんの『コマンドー』もアホすぎるなぁ~って。
そして『トップガン』もその微妙な作品のひとつであった。


で、今年36年ぶりに『トップガン』の続編が公開されるって聞いたときも、ビタ一文心を動かされなかった。
子供の頃につまらないと思った映画の続編がおもろいわけないやろって。


ところが!個人的にYOUTUBEチャンネルを運営してる割と信頼のおけるガチの映画批評家さんらがこぞってこの続編である『トップガン マーヴェリック』を大絶賛しているではないか!




「そんなはずはない!」と思いながらも、そこまで言われるとさすがに気になってくる。
映画ってのはやっぱ、当たり前だけど観てみないとわからないからなぁ~

なので土曜の晩にレイトショーの安いので、まぁ戦闘シーンでちょっとしたアトラクション的な体感が楽しめるだろうというノリで観に行った。


で、どうだったかというと、「時間を無駄にした」という感じ。

まぁどうせ土曜日の晩に家にいてもYOUTUBE映像をダラダラ観てるだけやから一緒やろうと思われるかもしれないが、少なくとも映画代はういた。
つかユーチューバーみたいな連中の煽りを受けて、まんまとこんなドハリウッド映画を観に行ってしまった自分が腹立たしかった。

もちろん本作品は、典型的なハリウッド映画のノリを、頭をカラッポにして観るってのが正しい楽しみ方ってのはわかる。
続編としてもそれなりによくできた作品で、前作で訓練中に亡くなった相棒の息子が出てきたりして、その確執や葛藤なんかもちゃんと描かれている。
まぁ誰が考えてもああいう展開にはなるだろうが。

この映画に全く感銘を受けなかったのは、トムがダメってわけじゃなく、監督がダメってわけでもなく、やっぱ自分自身に問題があるかと。


とにかくこの物語に出てくるのは、西海岸でリア充生活を送ってる金に困らない超エリートばかり。そしてみなスタイリッシュで美男美女。
訓練生の女戦闘機乗りまで美人ときたもんだ。軍人ばかりが集うゴージャスなバーで男どもに交じってワイワイ楽しんでいる。
そのバーを経営してる50くらいのシングルマザーの美魔女が、どうやらトム演じる元エースパイロットのアメリカ海軍軍人マーヴェリックの元カノらしく、離婚した夫からの慰謝料が莫大だったのか、自家用車がポルシェでプライベートヨットまで所有している。
で、マーヴェリックはまたムラムラときて、彼女とよりを戻そうとさりげなく近づいていくんだが、女の方もさりげにかわしながらもモンモンとした様子。
この時点で「アホか」と思ってしまう私はもう心の歪んだ負け犬なんでしょうね。


この映画をつまらないと思った一番の要因としては、私が幼少の頃よりジェット戦闘機というものにあまり興味がないってのがある。
フォルムもそうなんだけど、今回観てても思ったけど高性能すぎてつまらない。
そのことと直結して“死”というものがあまり感じられないのよね。
訓練生たちも始めから終わりまで誰一人死にそうな雰囲気がないし、とにかく緊張感に欠ける。
訓練の一環としてビーチでアメフトって、おバカアメリカン青春ハイスクール映画かよ!

いざ敵機との戦闘シーンでも(どこと闘ってるんだか・・・)米機はどれも一撃では撃墜されないから、被弾してもどうせ椅子ごと脱出して助かるんでしょって感じでほんまにセコい。
敵機にロックオンされて絶体絶命の場面でも、絶対友軍助けにきてくれるパターンは、もうハリウッド映画の伝統芸といったところで安心して観ていられる。
とにかく予想を裏切らない。

まぁミッション的にもやってることは私の大好きなスターウォーズ旧三部作とほとんど一緒なんだけど、なんでこんなに感動できないんだろう?
それはやっぱ敵の顔が見えないからなのかもしれないな・・・敵の脅威というものが全く感じられんのよ。

え?だから、そういう映画じゃないって?
イケメンが敵をコテンパンにやっつけて(イケメンの敵は我々の敵、メリケンの敵も我々の敵)、「カッコいいー!!気持ちいいー!!」っていう映画だからって?
な、成程・・・・


あと、個人的にダメな要因としてあげられるのは、音楽かな。
つか1作目をリアルタイムで観たのは小学生の頃だとずっと思い込んでたんだけど、公開年を見るとどうやらもう中学生になってたわ。
中学生の頃といえば、80年ポップスとはすっかり縁が切れて、メタルにどっぷり浸かっていた時期。
最新作でもためらいもなく冒頭で流れてたケニー・ロギンスが勇ましく歌う「Danger Zone」などの主題歌に心躍らされるわけがない。
もう毎日メタルのことばっかり考えてて、映画自体に興味なくしていた時期でもあったんだよね。

ただ、同じ頃に観た『スタンド・バイ・ミー』は内容も音楽もすごく感動したんだけどね。
スターウォーズにしたってジョン・ウィリアムズによるオーケストレーション効果が絶大で、有無をいわさず心揺さぶられる。
もう『インロック』に載ってるようなポップミュージシャンの軽い音楽が使われてるような映画なんてクサくてダサいってなったんだろうね。

まぁメタルに狂った中二病発症中の中坊なんて、そんなもんですわ。


もういい歳なんだから、そろそろこんなセレブ俳優によるリア充ハッピーハッピームービーでも楽しめる器の大きい人間にならないといけませんよね。
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IMAXでビートルズ

2022年03月07日 | しねしねシネマ
先日、職場近くのイオンに寄ったら、入口にビートルズのドキュメンタリー映画『GET BACK ルーフトップ・コンサート』の宣伝ポスターを見かけ、どうやら2月上旬くらいからIMAXで上映されとったみたいで、またアンコール上映されるということで、仕事終わりに鑑賞してきた。


まぁ高校生の時なんとなくかじってた程度で、それほど熱心なビートルズファンってわけでもないので、昨年末辺りからやけにこの映像作品が話題に昇ってたのにも関わらず、興味深くはあったがそれほど気にもとめてなかった。
だからこの映像が、実は半世紀にも渡って封印され続けてきた57時間以上にもおよぶ貴重ドキュメンタリー映像であったことなんかもよくわかってなくて、ちょっとしたフィルムコンサートのようなものだろうというノリで観に行った。
まぁあまりビートルズのライブ映像とか観たことないし、大スクリーンで拝めるんならなかなか見応えあるんやないかと。


ディズニープラスで三部作に分けられ配信された長丁場のドキュメンタリー映像で、劇場版はライブシーンはそのままに、それを1時間に編集したもの。



客は少なめながら、奈良にしては結構入っていたように思う。
やはり私より年寄り目の方ばかりだったが、それでも60年も昔のバンドのコンサート映画を、この奈良でも観ようっていう人が結構いるのは、ビートルズの普遍的な偉大さの顕れだと思う。
若者の姿は皆無だったのが寂しかった。今の若者は洋楽自体聴かないっていうしなぁ。


冒頭ではビートルズ結成時からの軌跡を追ったダイジェスト映像が流れる。
そして、1969年の1月30日、ロンドンのアップル社の屋上で突如行われた、ビートルズの4人が揃う最後のライブとなった“ゲット・バック・セッション”という名のゲリラライブの模様が、ノーカットで展開される。

いや、確かに半世紀前の映像で、この色鮮やかさと編集力は感動もんである。
まず、メンバーが屋上に登場するシーンが映し出され、セッティングやメンバー間の音合わせの様子も克明に記録されていて、とにかくビートルズの面々がカッコいい!
特にカッコいいなと思ったのが、ひとり派手な真っ赤なジャケットを着たリンゴの佇まい。
この頃のビートルズってのは、デビュー当時のギャーギャー騒がれてた頃の、マッシュルームカットのアイドルバンド時代とはワケが違うからね。

そして、またこのビルの屋上っていうロケーションがいいよね。
板張りの特設ステージに、機材やシールド、様々な配線がゴチャゴチャと設置されていて、その周囲をラッキーな関係者のオーディエンス達が取り囲む。
この感じは、ポーティスヘッドのPNYCローズランド・ニューヨークの様相を彷彿とさせるものがあった。
ポールが当時煙たがってたというジョンのパートナーであった若かりし頃のオノ・ヨーコの姿もカメラが克明にとらえていて、彼らの演奏姿をじっと見守ってるその堂々とした聡明感溢れる佇まいがなかなか印象深かった。ちょっと柴咲コウさんに似てるなと思ったのは私だけだろうか?


まず演奏されたのは「Get Back」だったが、連続でまたも「Get Back」が演奏される。
そこで「あ、そうか、最初のはリハだったんだな」と納得したんだが、このコンサートで「Get Back」はなんと計3回演奏される。
で、このライブで録った音源はそのままアルバム『LET IT BE』に収録されるということで、これはライブであると同時にレコーディング作業でもあるので、その場で3テイク録っておいたんだと理解したが、さすがに3回目はウンザリさせられた。
おかげでこの曲べつにそんな好きな曲じゃないのに、鑑賞後数日間は頭の中でずっと流れてた。

他、演奏されたのは、私の記憶が正しければ「Don't Let Me Down」、「Dig a Pony」、「I've Got A Feeling」、「One After 909」・・・だったかな。
「Don't Let Me Down」以外はアルバム『LET IT BE』に収録されている。
上記の曲の中では、ビリー・プレストンの軽快なオルガンが心地いい「One After 909」の演奏シーンが和気藹々感があってよかった。
つか私ってやっぱジョンの歌う曲に惹かれるんだな。

この分割画面編集も実に効果的。



この映像の面白いのが、演奏シーンと同時に映し出される、たまたま居合わせた街頭の人々の当時のインタビュー映像。そこで賛否両論、様々な意見が交わされている。
ライブも全然やってなかったし、小難しいことをやりだしてデビュー当時と比べてファンも減ったのか、そこまで興奮してる人やはしゃいでる人もおらず、みな冷静に傍観してる感じ。ていうか姿は見えないし未発表曲ばかりなので、どちからというと戸惑ってる感じ。
近くのビルの屋上に上がって見学してる人達も当然いて(意外と少ない)、彼らからの声援に応えるメンバーの姿も微笑ましかった。

それにしても、これは当時のロンドン市民にとってはかなりセンセーショナルな出来事だったのではないだろうか?
日本で言うなら、渋谷のタワーレコードのビルの屋上で・・・・ええ~っと・・・・・だめだ、比べられる日本のアーティストが思いつかねぇ。


そしてこの“騒ぎ”の通報を受け、駆けつけた警官2名の様子もカメラがずっと追っていて、演奏を止めさせようとアップル社のビルの中に入ってからも「屋上にあがらせろ」と言って、そこのスタッフになんとなく誤魔化され、下でずっと待機させられイライラしてる様子とかもバッチリとらえられている。
ついに警官たちが屋上まで来て、これがけっこう緊迫するシーンで、今にもライブが中断されそうで観てる側もハラハラさせられる。
普通なら、演者たちも気が気でなくなり、演奏もストップしてしまいそうだが、マネージャーにやいやい言う警官を横目で気にしながら、メンバーは全く演奏を止める気配はない。途中でアンプを切られても、「何しやがる!」って態度で自分でスイッチを入れにいく一番大人しいイメージのジョージの反抗的な態度も印象深かった。


ライブシーンが終わり、後はスタジオでのレコーディング風景が中途半端に編集収録されていて、尻つぼみ感ハンパなかった。
約60分しかない映画ってのを知らなくて、割高のIMAX特別料金払ってるだけに正直モノ足りなかった。
ディズニープラスの三部作の予告映像では、興味深いレコーディングシーンけっこうあったので、そっからもう1時間くらい編集して収めてくれてもよかったんじゃないかと。

色々特典もろたけど。



まぁしかし、ビートルズ最後の貴重なフルライブを、いい映像と音響で体感できるってのは、ガチのビートルズファンにとってこれほど贅沢なことはないんではないかと思うので、わたしが言うのもなんですが、ファンの方は是非。
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共鳴

2022年02月06日 | しねしねシネマ
先日、ビルボードで突如ライブを行ったリリイ・シュシュ。

今回は、岩井俊二監督の2001年の映画作品『リリイ・シュシュのすべて』が、昨年の秋に公開20周年を迎えたことを記念してのサプライズライブだったといってよいだろう。





映画プロジェクトからインターネット小説へ。
そして再び映画化と、紆余曲折を重ねた「リリイ・シュシュのすべて」。
前作からたっぷり時間をかけて造り出された、岩井俊二待望のMovie。
BBSで語られた世界の映像化とは・・・

(ファンサイト『Lily Berry』より)


私は訳あって近年はこの映画に関することには距離を置いてたんだが、確かに昨年あたりから映画『リリイ~』に関する企画がチラホラ行われているのはSNSなんかで耳にしていた。

YOU TUBEにあがっていたこれなんかもそうで、私もリリイのライブに行った後に視聴したが、当時の裏話なんかが聞けて大変興味深かった。

「リリイ・シュシュのすべて」 20年目の告白・小林武史 × Salyu × 岩井俊二 special talk



つか、ニューヨークで行われたリリイの初のライブの客の中にビョークがいたって、マジか!


岩井俊二監督といえば、一般的に一番知られてる作品は1995年作の『スワロウテイル』だと思われるが、まぁ岩井監督の出世作といったところで、彼はこの作品で売れっ子監督の仲間入りを果たしたと言ってもいいだろう。
と同時に、岩井監督が本作の中で構想したYEN TOWN BANDのテーマ曲も国内で大ヒットし、『リリイ~』を観るまで岩井氏の存在を知らなかった私でも、この映画のタイトルとテーマ曲はよく耳にしていた。

一方『リリイ・シュシュのすべて』はどちらかというと、一般的にはそれほど知られてるとは言えず、私自身、公開当時は邦画にはまだまだ興味が薄く、全くと言っていいほど関知してなくて、その2年後くらいにリリイ・シュシュの名前をなんとなく聞くようになったという感じ。
で、当時昵懇にしていた女性に車の中で音源を聴かされ、ビビっときてすぐさま映画『リリイ・シュシュのすべて』のDVDをレンタルして鑑賞したという後追いの塩梅だった。


それはまさに衝撃の映像作品で、そっからいわゆる“リリホリック”状態となった私は、レンタル期間中、毎日のようにとり憑かれたようにこの映像を鑑賞するハメとなる。

わざわざオフィシャルサイトからDVD特別版も取り寄せた。
リリイ・シュシュのMVや、メイキング映像なども収録された『呼吸』の2枚組。



もちろんリリイ・シュシュのアルバム『呼吸』も即購入した。



そうなってくると、他の岩井作品も気になり出すってのは必然で、『スワロウテイル』も真っ先にレンタルして鑑賞したんだけど・・・
日本版マッド・マックス?みたいないわゆる近未来もんで、そこに「バンドやろうぜ!」的なノリを加えたアーティスティックぶった設定の、煮詰まったマンガ家が描いたような子供っぽい内容に、「岩井監督もこんなハリウッド的で無邪気な空想を持ってたんだな」と、まぁ『リリイ~』を観た直後だったこともあって、その質の落差に辟易したのを覚えている。


岩井監督が、「自分で遺作が選べるなら、これを遺作にしたい」と、某サイトで発言していたことや、「20年目の告白」の映像の中で、両映画の音楽の作り手である小林氏が「YEN TOWN BANDを超える衝撃を世界に与えた」と言っているように、やはり『リリイ・シュシュのすべて』には、「すごいものを作ってしまった」という自画自賛的な、作り手の並々ならぬ思い入れが感じとれる。


YEN TOWNは既存の人気アーティストから構成されたものに対し、まだデビューもしてなかったSalyuという無名の新人歌手を起用し、監督、あるいはそのインターネット小説の読者によってイメージ作りされた架空の絶対的カリスマシンガーである<リリイ・シュシュ>、それをちゃんと音で具現化してしまったところにこのプロジェクトの凄さがある。


インターネット小説を書籍化したもの。
すべてBBSの書き込み形式で、リリイ・シュシュの経歴やそれぞれ相関関係の細かい設定なども施されていて、映画とはまた違った面白さがある。



このインターネット小説の舞台となったファンサイト<リリホリック>も、いまだ存在する。
http://www.lily-chou-chou.jp/holic/


Salyuは映画が公開される1年前の2000年、本意か不本意か、その小説上の“リリイ・シュシュ”の名義でシングルデビューを果たすことになる。
HEY!HEY!HEY!やMステなどの大衆向け音楽番組にも出演したりと、それなりに売り込もうとはしていたみたいだが、それで世間一般に名が広まったとは考えにくい。




そして2001年、満を持して映画『リリイ・シュシュのすべて』が公開される。
Salyuはこの映画で演技をしているわけではなく、歌声の提供の他、中学生たちに神格化されたカリスマ歌手という象徴としてのリリイ・シュシュ役で出てくる。
なので、アルバムジャケット、そしてライブ会場外のスクリーンで流れるPVでチラっと映るのみ。




まだまだベールに包まれていた頃の、Salyuの存在を知らない鑑賞者は、「リリイ・シュシュってホンマに存在してるんか?」と、ますますこの作品に仕掛けられたミステリアスで幻惑的なギミックに没入していってしまうのである。


映画『リリイ・シュシュのすべて』は、誰もが楽しめるという映画ではないと思う。
好き嫌いは分かれるであろう。

この作品の主なテーマは中学生のいじめ。
思春期によくありがちな人間関係のこじれ。異性への興味。暴虐暴走。残忍性。
それがとても生々しくリアルに描かれているというか、それを延々と見さされるといった感じ。
おそらく気分が悪くなったり、「二度と観たくない」ってなる人も少なくないかと。

まぁハッキリいって「いじめ、ダメ!絶対!」とかの流行りのフレーズがほんとアホらしくなるほどに、<14歳のリアル>が残酷なまでに突きつけられ、考えさせられる。
いじめはフィリアの言うように、「人間という虐待を好む種族が、健全な環境で、健全に暮らし、健全に弱者を弄んでいるだけ」なのか。
いじめられていた経験を持つ星野の場合のように、人間の持つ一種の自己防衛本能なのか。

そんな絶望的で過酷な世界の中で、リリイ・シュシュの音楽は、時には「救い」「癒し」になり、時には「逃避」「解放」という名の自殺ソングにもなり得るのである。




ドビュッシーのピアノの旋律も、この映画では実に効果的で、青春時代の淡さというか、ノスタルジックなあの頃の感情を掻き立ててやまない。




そして、この時期特有の、いわゆる“中二病”という、カリスマ的存在への傾倒による自己特別視と承認欲求(私の場合、それはヘヴィメタルだった)。
私自身、ええ歳こいてこんなクソブログをシコシコ書いてるのは、未だに中二病が抜けてない証拠以外のなにものでもないわけです。

だからこの映画や主人公に“共鳴”してしまうのです。

そして、共鳴してくれる人をひたすら待つのです。


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ラストナイト・イン・キョートー

2021年12月31日 | しねしねシネマ
今年もあと数時間、この一年もあっという間に終わっちまった。

今年最後のしめくくり記事は、なんや映画の感想にあいなったわけだが、まぁ一昨日駆け込み鑑賞してきたばっかで、その作品がことのほか面白くて、こんな感情を揺さぶられたのは『カメラを止めるな!』以来かと思われる。
もう観終わった瞬間「ザッツ・エンターテイメント!!」と叫びたくなったくらい。

それは、エドガー・ライト監督の『ラストナイト・イン・ソーホー』というイギリス映画。

この作品、とくに話題になってたというワケでもなく、監督の名前も主演女優の名前も全然知らなかった。
まぁ洋画自体が昨年の夏に観た『エレファント・マン』4K復刻版以来で、すでに映画鑑賞に興味をなくしまくってる私がこの作品を観に行く気になったのは、長期休暇でヒマだったという他に、なんかフォローもしてない著名人のツイートが舞い込んできて、この作品を大絶賛していてなんとなしに面白そうだなと思ったからに過ぎなかった。

一番近いところで、MOVIX京都で上映されていたので、電車に乗って河原町は三条くんだりまで赴いた。
劇場に着いて、目的の映画のポスターを探したがどこにもなく、人気俳優多数出演の邦画ポスターが殆どのポスター枠を占めていた。
若者の洋画離れはいよいよ深刻化しているということなんだろうな。




レイトショーだったので客は4、5人くらいだと想定してたら、20人くらいだったかな、意外と入ってた。
男女半々くらい。みなだいたい一人身。

物語は、いきなり主人公の女の子が「サウンド・オブ・ミュージックかいな」みたいなノリでミュージカル風に登場するところから始まる。
そこでまず男性諸君は、この主演女優の無邪気なダンスとチャーミングな容姿に惹き込まれてしまうであろう。
バックで流れていた音楽は、どうやら60年代のイギリスで流行ってたと思しき懐メロナンバーで、この主人公エロイーズは、田舎でくすぶっているファッションデザイナー志望の女の子。
ロンドン・ソーホー地区にあるファッションカレッジに入学が決まり、オールディーズのレコードとポータブルアナログプレイヤーをカバンに詰め込んで下宿先に持ちこむほどの60年代カルチャーオタク。そこにまた好感を持ってしまうという。

ただ、彼女にはもうひとつやっかいな素質があって、それは見ちゃいけないものが見えてしまうという、第6感的な能力。

エロイーズは下宿先で、その部屋に住んでいたのであろうロンドンで歌手を目指していたサンディの夢を毎晩見続けることになるのだが、その夢の中で時には自分自身がサンディとなったりしてシンクロを繰り返し(ここでの鏡を使った万華鏡的映像トリックは見事というほかない)、60年代ロンドンの煌びやかなエンターテイメントの世界へとタイムスリップしていく。

この60年代イギリスのオールディーズをフィーチャーした目眩くスピード感溢れる一種ミュージカル仕込みの展開は、もう観ていて本当に心踊らされるものがあり、鑑賞者自身が60年代のスウィンギンロンドンを疑似体験させられてるかのような感覚を覚えるという、ある意味トリップムービーの様相を呈している。
もちろん私はイギリスのオールディーズには全く詳しくないが、ジョージ・ハリソンが80年代ソロで歌ってたこの曲ってカヴァーやったんやということは気づいた。




そのサンディの夢は、エロイーズの現実の世界でも影響を帯び始め、地味な存在だった彼女は、サンディと同じブロンドの60年代ファッション風のヘアスタイルにするなど、カレッジでもそれが逆に注目され、徐々に頭角を現し始める。
が、それと同時に奇妙なことも起き始め、どうやら昔のサンディを知ってるくさい謎の老人に付きまとわれるようになり、ここからクライムサスペンス要素も加わり始める。

やがて、憧れだった60年代ロンドンの華やかなエンタメ世界の夢には、顔を背けたくなるような裏の黒い部分も徐々に見えてくるようになり、それはいわゆる枕営業とか(男の論理が支配する世界とでもいおうか)そういった類のものだが、エロイーズがサンディを通して垣間見たものは、それよりもっと過酷な実状であった。
まぁこの部分がこの映画がR-15である由縁であろう。

そして、下宿先の部屋でサンディが巻き込まれた陰惨極まりない惨劇が、エロイーズの心を徐々に徐々に蝕んでいく。
まぁこっからはゾンビ映画ばりのホラー展開になるわけだが、ちょっとやり過ぎやろというくらいひつこくて正直ゲンナリさせられるんだが、結末は『ショーシャンクの空』ばりに見事。


最初から最後まで息をつかせない、もう本当にいろんな映画要素、そして現代にも通ずる業界への問題提起なども込められた感もある、且つ整合感をも伴った完成度の高いよくできた娯楽映画だと思う。

一番近い映画でいうと『パーフェクトブルー』ということになるのかもしれんが、個人的には『ムトゥ踊るマハラジャ』に通ずるテンコ盛りのエンターテイメント性を感じてしまった。




いや~、年の瀬の最後にいいもん観たなぁ~って感じ。



映画鑑賞前、四条通りで再びROBITくんを見かけて、そのパフォーマンスを観て幸せな気分になれたのもよかった。
(思わず投げ銭してしまった)




前回彼を見たのは確か今年の春、和田ラヂヲ先生のサイン会に行ったときだった。
なんかヴィジュアルが私の大好きなBUCKETHEADに似ているのもあって、親近感を感じるんだよなぁ。

握手を求めてきた女の子に消毒を施すROBITくん。



それではよいお年を。
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手塚眞のばるぼら

2020年12月08日 | しねしねシネマ
コロナ禍がいよいよ猛威を振るう中、先月、封切2日目に早くも手塚眞監督映画『ばるぼら』を梅田のシネ・リーブルにて鑑賞。

この日は配信による舞台挨拶もあったみたいだが、鑑賞前に大阪出ついでに色々行きたいところもあったので、それには参加しなかった。


今回は予めムビチケという名の前売り券を購入し、ネット予約で座席も確保するという万全の備えで臨んだ。

ポストカード付き。



シネ・リーブル梅田は、スカイビルの3~4Fに入居しているオシャレなミニシアターで、10年以上も前に一度フランス人監督の撮ったわけのわからん映画作品を、ヴィンセント・ギャロが主演だという浅はかな動機だけで観に行き、ゲッソリして劇場から出てきて以来。




手塚治虫先生の御子息であらせられる手塚眞氏に関しては、私の好きなインディーズ映画作品に一度チョイ役で出ているのを見かけた以外は、ヴィジュアリストというよーわからん肩書を持っている方で、ようは映像関連の仕事に多く携わっている方と認識していた。
映画も何本が撮られてるみたいだが、一本も観たことがなかった。
なので、本作も公開前からなかなかの評判ではあったが、「どうなんやろか?」と、正直半信半疑であった。

手塚ファンでこの『ばるぼら』という作品が好きな人はけっこういると思われるから、まぁまず「息子が父親の名作マンガを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」くらいのBJネタのイヤ味を言われることぐらいは覚悟して撮影に臨んだかと思われるが。
まぁでも手塚治虫の息子さんだからこそ、父親の作品を自由にできる権限も資金も持っているのであって、この手塚の隠れた名作を実写化しようなんて大胆な人間もまた、この人しか出来なかったとも思える。


尚、これからこの映画を観ようと思っている方は、これ以降の私の感想文も、手塚治虫の原作も読まないで鑑賞することをオススメしときます。


まずオープニングのBGMは、シャレたフリージャズっていうのがまぁ合っている気もするけど、無難やなって感じがしないでもない。
「都会が何千という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女、それがばるぼら」というナレーションをはじめ、冒頭はかなり原作に忠実に再現されていた。
1章、2章の人形愛、獣姦シーンはなかなかうまくアレンジ、表現されていて、特に人形愛エピソードのくだりは映像ならではの猟奇的な迫力があって、その後の展開にかなり期待が持てた。
まぁ舞台設定は70年代ではなく、スマホが普及した現代ってのがちょっと残念ではあったが、それでも原作の雰囲気はなんとなく出てたと思う。
眞氏は多分、ヨーロッパ系の映画をよく観てるんだと思われる。映像の表現の仕方がなんとなくそこらへんの雰囲気が感じられた。

『ばるぼら』本予告



出演陣もなかなか豪華な役者が揃ったといえる。
まぁでも観る前から思ってたけど、美倉洋介役に稲垣吾郎氏ってのはどうなのかと。少しクール過ぎる気がした。それほどアブノーマルな雰囲気もないし。
二階堂ふみさんのばるぼらの役は、ふみさんの声質や、やさぐれたしゃべり方からなかなか雰囲気が出てた。
ただ、少し魔性さに欠けたかなと。ふみさん本人の器量ではなく、演出が弱いというか、終盤なんて美倉に従順過ぎで翻弄してる風には見えなかった。
ドルメンの関西人の側面も出なかったし、美倉の頭をビール瓶でカチ割るくらいのアクションは見せてほしかった。


この作品で今回話題になっていたのが、2人の濡れ場シーン。
確かに想定してた以上に両者ともメチャクチャ体張ってはって、なかなか激しめの絡みを披露してくれているのだが、鑑賞者の殆どの人が言っているように、そこにあまりエロさというものはなく、2人ともプロポーションが綺麗なもんで、とても優美なSEXシーンだった。まぁここは美しくアートフルに撮りたいって監督の意図だったんだろうと思うし、このシーンにけっこう力を入れていたのが見て取れる。
ただ、そこまでフィーチャーするか?っていうほど長かった。
これもヨーロッパ仕立てってやつかな?
個人的にはアートフルなヌード写真集をつまらなく思うように、この濡れ場シーンはそれほど感銘は受けなかった。
まぁ終盤では原作になかった屍姦シーンにまでチャレンジしたそのアブノーマル精神には恐れ戦いたが。


とまぁ映画では、原作にない設定や登場人物もけっこう盛り込まれていて、まず美倉の秘書である甲斐加奈子の存在。
チャランポランな美倉を見捨てず、献身的に寄り添い、堕落して狂気に陥っていく美倉を救い出そうとするのだが・・・
これだけ意味深な存在でありながら、最終的に彼女が美倉とどのような関係になるのか、全く描かれずじまいでこのアレンジに一体どういう意味があったのかと。
ただ、ばるぼらの対比として登場させただけなのかな?

そして、美倉の作家仲間である四谷弘之だが、原作では何コマかに登場するだけで、セリフもなくチョイ役ですらなかったのが、映画ではやたらと美倉に絡んできて、ぞんざいに扱われてる加奈子をなぜか気遣う。兄妹という設定なら納得もいくが、四谷と加奈子の関係については全く説明されておらず、四谷は結局フェードアウトして後半は全く出てこない。マジで何がしたかったのかと。
てゆうか、この2人の登場でなんか中途半端に湿っぽい良心みたいな要素が介入してやすっぽくなったかと。
こんなの盛り込むくらいなら、なぜルッサルカ(ばるぼらの元カレのウルカ共和国の作家)のあの国際的ハードボイルドなシーンをハショったのか??理解に苦しむ。

ルッサルカのジュードーチョップシーン、観たかったなぁ・・・



で、今回私が最も期待していた(と同時に不安でもあった)悪魔主義的シーンだが・・・・
新宿の街中やラブシーンでは、フランス映画ばりの映像美をみせていたのとは裏腹に、ちょっと陳腐としかいいようがない仕上がりでガッカリ。
やっぱ日本の映画って限界あるよなぁ・・・って悲しくなった。

まず、渡辺えりさん演じる(よく引き受けて下さったなぁ)ばるぼらの母で妊婦土偶体型のムネーモシュネーだが、監督の肉親の方は「ハマってた!」って大絶賛してたけど・・・・
「いや、メタボ大女優さんが大仏のズラかぶってるだけのコスプレですやん!!」と、ちょっと私にはギャグにしか見えなかった。
いや、でも実写化すると誰が演ってもあれが限界だったのかな。高望みが過ぎる?
あのムネーモシュネーが出てくる妖気漂うコテコテの部屋のシーンは、なんか昔のドラマ西遊記を観ている心地だった。

ブードゥー式ヌーディスト結婚式のシーンも、偉大なる母神協会の案内役メンバーまでやけに厳かで型にハマったキャラでつまらなかった。

原作では善良なサラリーマン風の男が、なにかの商談をすすめるかのように淡々と手続きをすすめていくのだが・・・



契約する段になったとたん邪悪な表情を見せるこのギャップがメッチャ怖い!
ここが手塚先生のうまいところなのだ。
契約書もこの邪悪な図を再現していただきたかった。



思うに、この映画にはルックスが端正で上等な役者さんばっか出てて、クセのあるキャラが皆無なのがネックのひとつだったかと。

呪いの人形の小道具も、なんかちゃっちかったなぁ。

美倉仕様の呪いの人形。これは是非グッズ化してほしかった。



ラストの美倉とばるぼらの逃避行も、逃げる足がモダンな高級車って時点で雰囲気ブチ壊しだし、なんやねん、あの火曜サスペンスドラマみたいな打ちどころ悪かった展開。
魔の手から逃げてるっていう切迫感も緊張感もなかったし・・・


思うにこの映画『ばるぼら』、美しくオシャレにスタイリッシュにって部分が先行しすぎてて、その上等ぶってる感じが自分には合わなかったんだと。
その割には脚色されてる部分が妙に陳腐で中途半端だったりで。
って、やはりイチャモンばっかタレてしまったが、これは原作を読み込んでる黒手塚ファンならではの感想なので、映画を全くわかってない、高望みするにも程がある人間の勝手なおこがましい意見として軽く受け流していただければと。

そもそも、手塚治虫の1年にも渡った内容の濃すぎる複雑怪奇なこの連載マンガ作品を、2時間の映画で収めようってのが無謀だったかと・・・

それでも息子さんである眞氏が、父親の残した隠れたカルト名作マンガを、なんとか映像作品として残そうとしたその意気込みと努力には感謝と敬意を表したく思う。


パンフレットはなかったが、公式読本が出てたので購入。
映画のパンフレットより200円高いだけで、中身はなかなかオシャレな作りで、眞氏と永井豪氏の対談や、原作マンガの一部が掲載されてるなど、ギッシリ詰まった充実の内容でかなりお買い得。




永井豪先生によるばるぼら



聞くところによると、大きな書店では、現在この手塚治虫の『ばるぼら』が売り切れ状態になるほど売れているらしい。
もちろんゴローちゃん効果もあるのだろうが、一部の手塚マニアしか知らないようなこの隠れた黒手塚名作『ばるぼら』が、多くの方々に読まれリバイバルされることを大変喜ばしく思うし、手塚眞監督がこの作品を実写映像化した最大の功績だと思う。
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新鮮な体験と共に

2020年10月25日 | しねしねシネマ
Perfumeが『Reframe』なる催し事をやっているのはなんとなく知っていたが、その内容がどういうものなのかは殆ど把握してなかった。


『Reframe』は、Perfumeの20年来の戦友、演出・振付でお馴染みのMIKIKO先生、インタラクションデザインアート集団のライゾマティクスらが、今までPerfumeが創り上げてきたパフォーマンスを新たな視点から再構築(Reframe)し、最新技術を駆使して構成されたライブプロジェクトで、2018年にNHKホールで初めて敢行された。

普段のライブでは立ち上がって声援を送る観客たちも、本企画では着席して鑑賞。
Perfume・・・というか、あ~ちゃんのお家芸である長時間のMCや観客を煽るといったパフォーマンスも一切ない、Perfumeとしては非常に珍しい厳かすぎるステージ。
公演終了後、あ~ちゃん曰く「こんなに何も言われない(歓声がない)のはインディーズ以来!」だったとな。

『Reframe 2018 NHKホール』



昨年、それをさらにスケールアップさせ、“LINE CUBE SHIBUYA”として新しく生まれ変わった渋谷公会堂のこけら落とし公演として再演された。




そして結成20周年を迎えた今年の9月に、それを劇場版で『Reframe THEATER EXPERIENCE with you』と題して、2週間限定で全国ロードショーされてたんだが、それも完全に見逃しており、残念な気持ちを抱いていた。

ところが、それを兵庫県の塚口サンサン劇場という映画館が、今更ながら上映してくれるという大変ありがたい情報をキャッチしたので、先週の土曜、秋の冷たい雨が降りしきる中、尼崎まで観に行かせてもらいやした。

それにしても、ガラケーを卒業して1年ちょっと経つけど、スマホを持ったら知らない土地でも道に迷うことは絶対ないと堅く信じていたのに・・・見事に迷ってしまった。
確かに塚口駅で降りたんだが、なんか映画館などありそうもない寂れたところで、マップに載ってる付近の店が全然見あたらない。
と思ったら、鉄道会社を間違えてたんだな。JRの駅と阪急の駅と。
私は30年前にも尼崎で同じ過ちを犯してたりする。
予約して席とってたから焦った焦った。危うく映画見損ねるところだったぜ。




上映時間ギリギリに着いたので客層がどうだったかは全然わからなかったが、先月梅田のシネコンに観に行った人間椅子の映画の4、5倍は入ってたかと。
何と比べてんだ!って感じですけど、まぁソーシャルディスタンスがなければもっと入ってたんじゃないかな。

本作品はライブをそのまま丸ごと上映するというものだが、以前やった海外でのライブを日本の劇場に生中継で配信してみんなで盛り上がろうぜってのとはちょっと違っていて、最新技術を駆使したデジタルテクノロジー映像と、Perfumeの寸分違わぬ驚異的なライブパフォーマンス、そして中田ヤスタカ氏の卓越した極上のエレクトロサウンドを特別音響仕様で、大スクリーンでじっくりと堪能するといった、1つのヴィジュアルアート作品としての趣があったかと。
もちろん本ライブの抽選に外れて生で見れなかった人たちにも、このアーティスティックなPerfumeの世界を味わってもらおうという配慮もあったと思う。

副音声上映と書いてあって、なんのこっちゃいと思ってたんだが、どうやらスマホでリンクしてイヤホンで視聴したら副音声でライゾマティクスのスタッフ、Perfume3人らの解説が聴けるという仕組みのものらしかったが、まぁ事前にこのシステムを知っていたとしても利用はしなかったであろう。

映画「Reframe THEATER EXPERIENCE with you」オンライン舞台挨拶で解説してくれてます。



オープニングはのっけから『Cling Cling』のB面曲「DISPLAY」から始まるという変化球!
いや、本プログラムにはまさにうってつけのスターティングナンバーであるかと。
この攻めた冒頭に、私と同じく興奮したファンは結構多かったのではないだろうか。
この曲に注目してないのはMマガの連中くらいだろう。

このプログラムで度肝抜かれたのが、あ~ちゃんの独唱で始まる曲があったこと!
エフェクトされてないあ~ちゃんの歌唱力は以前から定評があったが、これほどプロフェッショナルに歌う崇高なあ~ちゃんの姿を観たのは今回が初めてで、ちょっと感動すら覚えてしまった。
この曲が実は「VOICE」で、このままこの雰囲気で行くのかなぁ~と思ったら、しばらくしてちゃんと後の2人が加わりいつもの「VOICE」になった。

3人によるマイクチェック「ワンツーワンツー」から始まる、その場で声をRECして多重ループを構築していくという演目もあって、これはSalyu × Salyuのライブ演出を彷彿とさせるものがあり、なかなか感銘を受けた。

それからも、Docomoの5Gのプロモーションでも見せつけた「FUSION」、ここぞというときの定番曲「Edge」などのバキバキのダンサブルなテクノナンバーでは、その場にいた鑑賞者やスクリーンの中の観客の殆どが立ち上がって体を揺らしたい衝動をジッと堪えていたに違いない。
ここら辺の曲では特別音響設備の重低音が脳髄にガンガン響いて実にいい塩梅。

「無限未来」での、3人が照明と社交ダンスしているかのような光の演出も良かったし、本編ラストの「Dream Land」では、帳カーテンだけの実に幻想的な演出に、本当に夢の国にいるような感覚に陥り、ドームツアーで聴いた時よりグッとこみ上げるものがあった。




「チョコレイトディスコ」や「ジェニーはご機嫌ななめ」みたいな、ポップで皆で盛り上がれる曲が皆無な代わり、そのアルバムのツアーでしか演奏されたことのない裏名曲みたいなのがけっこう演奏されてるのもよかったし、確かに3人のMCがないのはちょっと寂しいが、個人的に苦手なPTAのコーナーがハショられたライブってのは、以前より私の望むものであった。

まぁPerfuemのアーティスティックな部分だけを切り取ったというか、とにかくユルい部分がなく、この厳かなテクノロジー演目がいつものライブみたいに2、3時間続いたら多少肩が凝ったかもしれない。
これまでのPerfumeの楽曲のポーズをとりながらメドレー式に紹介していく部分はちょっと退屈だったかな。それなら1曲の楽曲フルでもっと攻めてほしかった。


本編が終わり、やっとあ~ちゃんのユル~いMCがあって、その後にアンコール的にお披露目された新曲「Callanger」は、Perfumeこれからもガンガン攻めまっせ的な宣言も込めて演奏されたものに違いない。

いやいや、この幻想的でアートライブともいえる『Reframe』は、一度生で拝みたいものである。


ところで、今回訪れた塚口サンサン劇場は、そこいらのシネコンと違って、「ザ・映画館!!」な、昔からこの街に根付いてるかのような温かみのあるよい雰囲気の映画館だったので、ちょっと探索してみることにした。

最初スクリーン1つの典型的なミニシアターって勝手に思ってたんだが、どうやら地下にもあと2つスクリーンがあるようだ。
劇場のスタッフに映画のチラシはどこにあるかと尋ねたらB1Fにあるというので降りてみた。




どうやらB1Fは休憩室(兼イベント広場?)になっていて、壁にはこれから上映される作品のポスターがベタベタと貼りめぐらされていたんだが、部屋に入ってふと右側の壁を見ると・・・・

私が狂喜するような映画の特大ポスターがデーーーーンと貼ってあるではないですか!!




まぁ実は『Reframe』始まる前に映画『人間椅子 バンド生活三十年』の予告が流れて(横の人プって笑ってたな)、その時この映画館で上映されることを知って、それでチラシがあるんじゃないかとノコノコ階下に降りて行ったのであるが。




それにしても、なんというやる気に満ち溢れた劇場なんだと、オジサン嬉しくなっちゃったよ・・・
それに比べて、先月観に行った梅田のナントカいうシネコンのやる気のなさといったら・・・上映一週間前に訪れたんだが、チラシ一枚も置いてなかったがな。

塚口サンサン劇場さんで無事ゲット!感謝!



B2Fもあってそこは売店となっていて意外と規模デカい。

2年前訪れた十三の第七藝術劇場といい、この辺の阪急沿線はホント映画愛溢れる素敵なミニシアターが多いな。
こういう映画館はずっと残っててほしい。


なんか、段ボールで作った戦車とか飾られてあった。いいね。
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エレファント・マン

2020年08月22日 | しねしねシネマ
映画の日だったこともあり、『カラー・アウト・オブ・スペース』観た後、同館でデヴィッド・リンチ監督の名作といわれる『エレファント・マン』の4K修復版も上映されていて、その怪しげなチラシデザインに以前からずっと気になっていた作品だったので、ついでに観ることにした。


まぁ、私が今まで観たデヴィッド・リンチ監督の作品といえば、ヤクやりながら撮ったとしか思えないような意味不明のものばかりだったので、この『エレファント・マン』も、得体のしれない悪夢のような怪人が主人公に強迫観念のように迫ってくるサイケでサイコな内容なんだろうと心の準備を整えて臨んだのであるが。


いきなり象が映し出されて、なんか悪夢にうなされてる様子の貴婦人が重なり合うという映像が出てきて、こりゃ冒頭からきてるなと。
おそらく象と女性が交わるという構図を表してたんだと思う。

で、これから先、どんな狂った映像を観さされるんだろうと身構えてたんですが、これが意外と普通にマジメなお話で拍子抜け。
まさかデヴィッド・リンチがこんなストレートなヒューマンドラマを撮ってたなんて、ちょっとビックリでした。


1980年作品だが全編に渡ってモノクロ仕立てで、舞台は19世紀のロンドン。
主演はアンソニー・ホプキンスで外科医の役。アンソニーはハンニバル・レクター三部作でしか演技を知らんのやけど、やっぱ若い頃から知的な役柄が似合う役者だったんだなと。
声はハンニバルと一緒、当たり前だが。
当時の術式の場面も出てきて、うわー昔って白衣もマスクも着用せんと、普段着みたいな格好で普通の部屋で手術が行われていたんだなぁ~ってもの珍しかった。
19世紀の頽廃したロンドンの街風景なんかも情緒があってモノクロ映像なもんだから、なんだか本当に19世紀に撮られた映像なんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。
修復されてない映像を観てないからアレですけど、たしかに映像はものすごく綺麗で、80年代の古臭さは全く感じられなかった。


話はロンドンの場末の見世物小屋で、外科医のフレデリック・トリーヴスがたまたま奇怪な容姿の男を目撃したことから始まる。
興行師は彼をエレファント・マンと呼んで、大衆の面前で見世物として商売をしていたのだ。
フレデリックはその畸形人間を哀れに思ったのか、医学的な観点から興味を抱いたのか、彼を自分の勤めてる病院に引き取ろうとする。
そして、彼を手厚くもてなし人間としての尊厳を取り戻させようとするのだが・・・・


実はこの『エレファント・マン』、パンフレットによると、19世紀に実在したジョゼフ・メリックという畸形患者をモデルにしたものらしい。
実際、見世物小屋で虐待されていたかどうかはわからないが、慈善病院として創設されたロンドン病院の一室をあてがわれ生涯介護を受けていた患者だったとか。




まぁ以前から『ブラック・ジャック』や『きりひと賛歌』などの手塚治虫の医療マンガを読んでたので、こういったホルモンの異常かなんだかのフリークスもんの話は馴染み深いものがあった。
特に、顔が犬のように変形してしまう”モンモウ病”という奇病を扱った『きりひと賛歌』と今回の作品はわりと重なるものがあった。

手塚治虫中期の傑作医療マンガ『きりひと賛歌』。



犬の容貌になり果て、見世物小屋に押し込まれた主人公。
それでも「おれは人間だ!!」と抗い続ける。



チラシにもあるこのスリップノットを彷彿とさせるエレファント・マンの片目仕様の覆面はおそらく創作だろう。
これはスターウォーズの制作スタッフに依頼して作ってもらったものらしい。
ちなみにリンチ監督は、当時ジョージ・ルーカスに『スターウォーズ』の監督を依頼されていたのを断ったとか。




最初、覆面姿で無言でヨタヨタ歩くメリックの姿はほんとうに不気味で、いつ何をしでかすんだろうかという得体の知れなさを醸し出していたのだが、その覆面の下の肥大した醜い素顔を曝け出したとたん、とても哀れでどうしようもなく憶病で、しかも善良で実に繊細な心の持ち主であることがわかってくる。
実際どんな酷い仕打ちにあっても全くの無抵抗なのだ。
この悲惨な運命をもう諦めて受け入れているかのようなメリックのまなざしが、ほんと哀愁に満ち溢れていて印象深いものがあった。


後半で、病院の強欲な夜警がメリックを利用して一儲けしようと、見物料をとっていきつけの酒場の客たちを引き連れてメリックの病室を訪れ、そこで酒を無理やり飲ませたりして乱痴気騒ぎを繰り広げるのであるが、この場面を観て、石井輝男監督の同じフリークスを扱う『盲獣VS一寸法師』での虐待乱痴気シーンを思い浮かべてしまった。
江戸川乱歩の原作にこのシーンがあったかどうかは忘れてしまったが、石井監督はひょっとしたらこの『エレファント・マン』の映画を観て着想を得たのかもしれない。

サーカス団の団員仲間に無理やり酒を飲まさされ、たらい回しにされる一寸法師。



あと、見世物小屋の興行師の下で働く子役の存在感が印象深くて、たぶん天才子役なんだろうなぁってパンフを見たら、彼はなんと近年大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』の監督を引き継いで一躍脚光を浴びた40年前のデクスター・フレッチャーその人だったりした。

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ナナナ

2020年02月09日 | しねしねシネマ
岩井俊二監督最新作『ラストレター』を鑑賞。


封切前に、たまたまCMで流れたこの曲に、「誰これ?」ってなったのがキッカケ。



ググると、もうすぐ公開される岩井俊二監督の最新作の主題歌だとか。
しかも楽曲を手掛けたのが小林武史氏ときた。

またしてもリリイ・シュシュの仕掛け人コンビにひっかけられた塩梅である。
しかもリリイ・シュシュとは異なり、今作にはこの主題歌を歌っている森七菜なる新人タレント?が役者として出ているというので、興味をそそられずにはいられなかった。
 
いつもならちょっと電車賃かけないと観れない岩井監督映画だが、今回のは近所の田舎のイオンのシネコンでもやっていたのは珍しい。


松たか子、広瀬すず、 福山雅治、神木隆之介、豊川悦司、中山美穂と、錚々たる面子が揃っていて、なかなか金がかかってそうだが、その割にはそれほど話題にはなっていなかったような。
私自身、この手の役者が出ているような邦画にはあまり縁がないのだが、岩井作品、良さ気な主題歌というだけで観る動機としては十分だった(単純やなぁ)。


『リリイ・シュシュのすべて』の主人公(というか監督が撮りたかったもの)は“音楽”、『リップヴァンウィンクルの花嫁』の主人公は“Coccoそのもの”、というのが個人的な解釈であるが、今回『ラストレター』の主人公はというと、岩井監督の生まれ故郷であるという“宮城”であったかと。


まずは、宮城県の清涼感あふれる大自然がスクリーン一面に広がる壮大で美しい映像が観る者を引き込む。
そして場面は一般家庭のよくある葬儀風景という、まずは主要人物の血縁関係者に不幸があったという設定から物語が始まる。
広瀬すずが出演してる映像作品を観るのは今回が初めてだったと思うが、ティーンエイジの喪服である制服姿がものすごくハマっていていい塩梅。

とまぁ出だしは上々で、けっこう期待がもてた。


ただ、そっからの物語の設定、展開がビックリするほどデタラメ感甚だしくてイライラした。
まぁ岩井作品って、イライラするシーンてのは付きものみたいなもんなんだけど、今回のはヒドかった。

冒頭のは誰の葬儀だったかというと、広瀬すず演じる鮎美の母、遠野美咲だったわけだが、その美咲の妹(つまり鮎美の叔母)が松たか子演じる裕理。
この死んだ美咲は娘の鮎美に瓜二つという設定で、遺影に写ってる写真も広瀬すずにほんのり化粧した姿。
ただ、この遺影の写真は若い時のもので、最近の写真は全然残ってないという設定。



で、その美咲の高校時代の同窓会に妹の裕美が出席することになって、姉の訃報を伝えに行くという理由だったんだが(そんなもん出欠のハガキか電話で言えよ)、会場につくやいなや、姉の同級生たちに姉と見間違われ、取り囲まれて「久しぶりぃぃ~~」なんて囃されて(どうやら学年のアイドル的存在だったらしい)、引っ込みがきかなくなって、そのまま美咲として振る舞うという。

ええっ!!??どう見ても、松たか子と広瀬すずの顔を見間違わへんやろ!!
もうこの設定が謎過ぎて意味がわからず、ちょっと物語についていくのが困難になった。

そしてこの同窓会で、福山演じるイケメン小説家が現る。
乙坂鏡史郎という人物で、名前もなんかイケメン。
彼は高校時代に美咲と恋仲にあった人物で、どうやら彼も裕美のことを姉の美咲と勘違いして話しかけてくる。

ちなみに、回想シーンで高校時代の裕美を演じるのが、森七菜。
この時点で広瀬すずと全然似ていない。


で、森七菜が30年後に松たか子になって、広瀬すずと見間違われる。


もう混乱するしかないやろ!!

後に裕美が「姉の振りをしてました」と打ち明けた時に、イケメン作家が「最初から気付いていたよ」って告げたときは、「そらそやろ!!」と大声でつっこみそうになるのをなんとか心の内に押しとどめた。

つかほかに妹役いただろ。例えば広瀬アリスとか。
まぁ姉と妹が逆になってしまって、それはそれでまたややこしいか・・・・


『式日』のお返しとばかりに出演しはったんやろうけど、庵野監督の要素もあんま必要とは感じなかった。
上(トップ写真)の垂れ幕の一枠に加える程の演技もしてなかったし、それほど重要キャラというワケでもなかった。
裕美の旦那役で出演してはって(しかも職業売れっ子イラストレーター?)、妻とイケメン作家とのSNSのやり取りを発見してちょっとした修羅場があるのだが、そこはドロドロとした展開には発展せずコミカルに描かれてて、基本ほのぼのとした家庭風景が映し出されてるのであるが、そこがまた庵野氏の当たり障りのない演技も手伝って観ててイライラした。

そこからなんやかんやあって、ややこしい手紙のやりとりが始まるって展開なんだが、ここはなんか退屈だった。


高校時代の美咲と裕美と鏡史郎との三角関係の感じから、本作はわりと『花とアリス』に似た感覚の作品であったかと。
青春時代の淡い恋の記憶とほんのりとした切なさ、そしてなんとなくいい話的な。

確かに、監督の宮城へのノスタルジックな思い入れの強さもヒシヒシと伝わってくるし、やっぱそういう風景を使って場面を切り取るのが非常にうまい。
そのロケーションの良さもあってか、ここぞという場面でキッチリ泣かされるんだが、広瀬すずの反則的なかわいらしさに、この泣かんとしゃーないやんみたいなありふれた物語設定は、岩井作品としてはフェアじゃないなと思った。

エンドロールで流れる主題歌マジックもさして効果なく、その辺のシネコンでやってる時点で気付くべきだったが、私のあまり好きじゃない方の岩井監督らしい薄味の作品だった。
そん中でも、豊川悦司の毒マムシ的なやさぐれ男の役とセリフは強烈だったし、みぽりんのサバサバした下町の水商売女役もこの映画にはいいスパイスだった。

まぁ人件費はめちゃめちゃかかってそうだが、この内容なら宮城復興キャンペーンのボランティア作品として500円くらいでやってほしかったかと。


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ストームトゥルーパー・オブ・デス

2020年01月16日 | しねしねシネマ
「すべて、終わらせる」

おうおう、小学生ん時からのSW呪縛を早く終わらせてくれ!とばかりに、もう年末に近所のイオンシネマでスターウォーズ最終章『スカイウォーカーの夜明け』鑑賞してきましたよ。
これにてSW全シリーズ劇場コンプリート。

ほんまよう付き合いましたわ。




まぁ今シリーズがSWの完結編だったワケですが、言うてしまえばもうエピソード7の時点で終わってましたね。
前作のエピソード8なんて、どんな内容だったかもあまり覚えていないほど印象の薄い内容で、当ブログで感想すら書かなかったと思います。
(じゃあなんで観に行くの?って、だからSW呪縛としか言えないのです。まぁようはアホなんです)

なので今作は、女ジェダイのレイとシスの弟子カイロ・レンて、どんな関係になったんやったっけ?みたいな状態で鑑賞していて、あまり話の内容についていけてなかったというか、ついていく気すらなかったように思います。
最後、2人なんかチューとかしてたけど、もう勝手にせいって感じでした。
レイが誰の子孫だったかが解き明かされた時も「ふ~ん」てなもんです。
つか、いつの間にか話がRPGみたいなことになってて、なんか『ロード・オブ・ザ・リング』を観てるような感覚に陥りましたね。
こんなSWについてこいっていう方が無理ってもんですわ。


今作を鑑賞して思ったのは、スターウォーズって結局、子供騙しのアメリカンおバカ映画だったのねっていう事。
まぁ旧三部作の頃からアメリカ映画のバカバカしさが基本にはあったが、それでもジョージ・ルーカスの熱意やロマンってのもすごく感じとれる内容だった。
今まで誰も観たこともないすんごいエンターテイメントSF大作を作って世界をビックリさせてやろうっていう。

今シリーズは、ディズニーの企画倒れの無計画な金儲けとしか思えず、ただただCG技術があがっただけの、旧三部作おなぞり蛇足物語といったところだったか。
帝国軍もレジスタンスもそろいもそろって新キャラの内面的な個性の薄さが浮き彫りにされて、そのせいか、日本の食品会社もエピソード7以降、SWキャンペーンキャラクター商品展開をほとんど行わなかったように思う。


エピソード7の頃、キリンがちょっとだけやってた。まぁ大ゴケしたんでしょう。
これ、誰が欲しい?



エピソード8の時はまたキリンが参入してたが、結局旧三部作頼み。



とにかく、今回の帝国軍はホンマにグダグダすぎてビックリした。

まぁストームトゥルーパーたちは、相も変わらずやさしいですよ。
撃っても致命傷を負わせないし、形勢有利になって至近距離まで詰め寄って撃ったら絶対仕留められるのに、相手を殺さず生け捕りにしはる。
仲間があんだけバタバタ殺されててもだよ。

つか全編通して思うことは、ストームトゥルーパーの可哀想さですよ。
クローン兵士だからいくら殺されても心が痛まない存在として扱われている。
彼らだって仲間同士で昨夜見たテレビの話をしたりと、感情はあるんだよ。




SWの脚本家は、一度手塚治虫の『火の鳥 ~生命編~』を読んだ方がいい。

テレビ局がクローン人間狩りゲームをTVショーとして企画する。



そして、それを企画したプロデューサーが恐ろしい目にあうのだ。



「また『火の鳥』の話がはじまった!」
「オマエの手塚マンガのゴリ押しはもうええって!」
と思われた方は、下の画像を見るよろし。

『火の鳥』もアニメ上映当時、フォースと共にあったんだよ。



・・・・まぁ、話を戻そう。

で、今回も激しい銃撃戦の後、レジスタンスの仲間たちはその場で殺されずストームトゥルーパーたちに一旦やさしく捕えられ、すぐさま銃殺刑に処される場面になって、将軍クラスの敵キャラが突然裏切って彼らを助けます。
最初あまりにも意外過ぎる展開に一瞬、「ええっ!!」てなったんだが、その将軍が突如寝返った理由が、「カイロ・レンが嫌いだから」って、しょーもなすぎて座席からズリ落ちかけました。

まぁ本作でこういうのをちくいち指摘していったら、枚挙に暇がなくてキリおまへん。
惑星を丸ごと破壊できる大砲を備えたスターデストロイヤーをあれだけ配備しときながら、全然動かず、じっと敵に撃たれるのを待っているだけという、ラストの戦闘シーンの呆気なさといったらなかったなぁ(話の展開的には『ジェダイの復讐』とほぼ一緒)。


こんなストーリーにフォースなど感じられるワケがない。


あ、あと一点。
エピソードⅣでもそうだったけど、SWの法則として、ヒゲもじゃのデブ男のXウィングパイロットって、絶対に敵に撃墜されて死ぬ。
今回もそのキャラのパイロットが出てきて、「あ、このデブ死ぬな」ってすぐ思ったもん。




まぁここ数年間で外伝を含め、いろんなSWシリーズ映像作品を鑑賞してきたけど、結局一番フォースを感じれたのは、やっぱこいつらでしょうな。

Galactic Empire -「帝国のマーチ」



Galactic Empire - 「スター・ウォーズのテーマ」



このインスト・プログレッシヴ・メタル・バンドGalactic Empire、一度来日してたみたいなんだが不覚にも見逃していた。
また普通に来日してほしい。

最近は、ギターのタイファイターパイロットが抜けて、カイロ・レンが加入したみたいで、そのせいか楽曲、MV共になんかフォースの力が弱まったというか、つまらなくなってた。
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さいなら平成 ~あま選平成邦画名鑑~

2019年04月30日 | しねしねシネマ
平成最期の日。

夕方頃なんとなく思い立って、すべての予定をキャンセルし(ブックオフとイオンに行こうと思ってたんやけど)、急遽やっちゃいました。

個人的平成邦画ベスト10。
これ書き終えるまで平成の世は明けま10。

急ごしらえもええとこなので、もうムチャクチャです。
まぁ自分やっぱり洋画中心やったので邦画はホンマに全然観れてません。
なのでかなり無理があったかなぁと。
でも鑑賞した作品が限られてるので、絞り込みは案外早かった。
観ておもしろかったなぁ~って思えた邦画作品で、思いついたやつをパッパッパっと。

つかほんま偏りまくってて、2000年~2001年にめっちゃ集中しています。
つまり邦楽にはまりだした頃です。
だからその時好きやった邦楽アーティストがけっこう関係しているかと。

まぁとにかくご覧になってください(今回も年代順で)。



1.『リング』 1998年 監督 中田秀夫


貞子フィーバー、そして呪いのビデオブームを巻き起こした日本ホラー映画の金字塔的作品。
とにかく終始めっさ怖かった!ビビりまくっていた。
今にも出てきそうでなかなか出てこないという、迫りくる見えないものの恐怖。
ラストのブラウン管からの出現は、やりすぎ感が否めないながら見事なホラー演出であった。
まぁそれ以降、同じ手法のホラー映画がゴミのように世に出まくって、そっから抜け出せない日本ホラー映画界の発想力の欠乏ぶりは残念というほかなかったが。
エンドロールで流れるHIIHによるEDMナンバーの「きっと来る~~きっと来る~~♪」っていう歌詞も不気味に怖い。



2.『黒い家』 2000年 監督 森田芳光


保険金がらみのサイコパスホラー。
原作者が元生命保険会社の営業マンだったこともあって、前半のその辺の話が小難しくてウトウトしながら鑑賞してたが、中盤からのシリアルキラー展開に目がパチリンコ。
なんつっても大竹しのぶの己を捨てた(それとも素?)怪演ぶりに度肝抜かれた。
この人はやっぱりすごい。
「乳しゃぶれ~~~!!」



3.『ユリイカ』 2000年 監督 青山真治


陰惨な事件に巻き込まれ、心を閉ざしてしまった者たちの、再生への道を探る逃避行的ロードムービー。
3時間超えの、永遠に続くんやないかっていうくらいユルユルと展開する、登場人物がなかなか台詞をしゃべらないモノクロ映像の果てしなき物語。
で、このなんともいいようのない空気感と、人と人との距離感の微妙さがやけにクセになってくる。
さりげに国生さゆりや尾野真千子がチョイ役でいい味出してたり。



4.『式日』 2000年 監督 庵野秀明


庵野監督といえば『エヴァ』とか『シン・ゴジラ』とかが有名だが、私が唯一ハマったのが本作で、これがなかなかの異色作。
スティーヴン・セガールの娘(しかもこの映画の原作者でもある)と、なぜか岩井俊二が中心になって話を回す一応ラブストーリー映画なのかな?
最初「なんやねん!この面倒くさい女」ってなるんだが、これが不思議とだんだんクセになってくる。
ここでも大竹しのぶさんが素みたいなほんといい演技してる。
ラスト絶妙なタイミングで流れるCoccoの「Raining」が見事物語のシメを飾る。



5.『リリイ・シュシュのすべて』 2001年 監督 岩井俊二


これでもかっていうくらい過酷で陰湿で救われぬ展開、でもその分崇高な音楽によってとてつもなく癒される(浄化される)、そういう映画ではビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が最強だと思っていたが、本作はそれを超えた感があった。こっちはなんか、すごくリアルだから。
ドビュッシーのピアノ曲が実に効果的に使われており、この映画はとにかく音楽がいい。



6.『ピストルオペラ』 2001年 監督 鈴木清順(RIP)


この作品も、かなり新感覚な衝撃を受けた、私にとってはMVに近い映像作品だった。
こういうのはその辺の監督が撮ると、ただ奇をてらっただけのサブカルクソ映画に陥りがちだが、巨匠クラスの監督が撮ると、やはり破壊力、アヴァンギャル度がハンパない。
演劇風舞台アートと演出、そしてエゴラッピンやらこだま和文やらTICOらのダブがかったBGMが絶妙にシンクロした、実に芸術性溢れる目も眩むような映像世界。
江角や永瀬などのメジャーどころの演技は多少難アリだが、それすらも払拭させてくれる彩(エイジャ)でおなじみの山口小夜子さん(RIP)、韓英恵さんらの不可思議な存在感、そしてなんといっても平幹二朗氏(RIP)のまさにプロフェッショナルな台詞まわしが秀逸。



7.『盲獣VS一寸法師』 2004年 監督 石井輝男(RIP) 


正直初期の石井監督の乱歩ものは苦手なのだが、本作のエログロナンセンス映像にはなんともいいようのない衝撃を受けた。
本作は、数々の乱歩映像作品の中でも最高峰にあたるかと思われる。
平成の世じゃ考えられないくらいタブー犯しまくりの昭和B級テイスト、そして全編に渡って妖気漂うイビツな雰囲気のヤバさがハンパない。
一寸法師役には実際の侏儒の役者さんを起用してるし、裸女もいっぱい出てくる。まぁこの辺の倫理感のなさ加減はインディー作品ならではってとこか。キャストの顔ぶれといい好き放題やってる感じ。
一種異様な名状し難い妖しい音響効果もたまりましぇん。



8.『フラッシュバックメモリーズ 3D』 2012年 監督 松江哲明


交通事故により、重度の記憶障害を患ったディジュリドゥ奏者GOMA氏の、事故後の苦悩や、突如開花した点描画の不思議なアート活動を追ったドキュメンタリー映画。
まぁ本作はGOMA氏の人物像や、数奇な運命に見舞われたGOMA氏の家族との絆を追ったドキュメントとしても非常に興味深いが、音楽好きにとってはGOMA & The Jungle Rhythm Sectionによるド迫力のプロモーションライブ映像が最高に楽しい。
それを3Dでヴィジュアル的に楽しませるといった監督の奇抜な発想が実に功を奏していて、本作でようやく3D映画の効果というものを楽しめ、生ライブでは体感できないその手法の意義というものを感じることができた。
まぁその後、さらに映像に生ライブをも融合させた4Dとか実践しはるんやけど。



9.『リップヴァンウィンクルの花嫁』 2016年 監督 岩井俊二


正直『リリイシュシュのすべて』以外の岩井監督作品はおもろいと思ったことがなかったのであるが、この作品でまたしても「やってくれた」と思った。
本作はちょっとクライムサスペンスな趣もあって、相変わらず過酷なことは過酷なのだが、なんだかほんのり淡いボーイズラブならぬガールズラブが描かれていて、黒木さんとCoccoの対照的なコンビが絶妙なハーモニーを生み出している。
とにかく、Coccoファン、ガンダムファンは必見。



10.『カメラを止めるな!』 2018年 監督 上田慎一郎


平成最期に心底「やられた」と思った傑作映画。
そして、不覚にもなんかハッピーな気分にもさせられた。



というワケで、なんとかかんとか書きあげました。

ほんじゃ、ま、そういうことで、さよなら平成!

みなさんよい令和元年を!

フジウルクォイグムンズハー


今日の1曲:『平成朝ぼらけ』/ 人間椅子
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ダブ映画

2019年02月10日 | しねしねシネマ
フォローしているTicaの武田カオリさんが珍しく何回も宣伝リツイートしてたのが気になって、『SAVE THE DAY』というフィルムライブ的映像作品を、大阪一週間限定上映の最終日に心斎橋のシネマートまで仕事終わってから一目散でかけつけすべりこみ鑑賞。




昨年6月渋谷WWWにて、ダブプロジェクトSILENT POETSの25周年を記念し、“SILENT POETS SPECIAL DUB BAND”として初めてのフルバンドセットで豪華客人を迎えての一夜限りのスペシャルライブの模様を収録したもの(チケットは即ソールドアウトになったらしい)。




恥ずかしながら昨年本ライブが渋谷で行われていたことも、SILENT POETSの存在すらも知らなかったが、サポートを務める面子が私が20代後半~30代にかけてちょっとカジってよく聴いてたダブ系バンドの名手たちが名を連ねており、ざっと紹介すると・・・・

Guitar : 小島大介 (Port of Notes) | Bass : Seiji Bigbird (LITTLE TEMPO) | Keyboards : YOSSY (YOSSY LITTLE NOISE WEAVER) | Drums&Per : 小谷和也 (PALMECHO) | Trumpet : 坂口修一郎 (Double Famous) | Trombone : icchie (YOSSY LITTLE NOISE WEAVER) | Sax : 春野高広 (LITTLE TEMPO / ex SILENT POETS) ・・・・etc.

YOSSY&icchie夫妻に関してはDETERMINATIONS、BUSH OF GHOSTS時代によく関西の場末のライブハウスまで足を運んだもんだが、聞くところによるとicchieは今じゃミスチルのツアーメンバーに抜擢されるほどビッグな存在になってるとかいないとか。

そしてゲスト陣にはこだま和文, 武田カオリ(Tica), asuka ando・・・・etc.

あと5lackはよく知らないんだが、このライブで披露された曲は確かCMでよくかかってた曲で聴きおぼえがあった。



映画冒頭にジャマイカ人ぽい外人のDJさんが出てきて、Silent Poetsの魅力についてペラペラと捲し立てるのだが、最初てっきりこの人がこの映画を撮った監督でドキュメンタリータッチ構成なのかなと思ったが、その人はそれっきりで、あとはガッツリ(フル?)ライブシーンが映し出され、ダブサウンドの音響に沿った神秘的なグラフィック映像や、NHKの『プラネットアース』ばりにクオリティの高いネイチャーな映像をシンクロさせるという趣向。

正直Silent Poetsの楽曲は、まぁ生演奏だからそれなりに肉感的でいいんだけど、全体的にシリアスすぎてちょっと気分が重くなってくる。
ストリングスが入るところなど、オシャレな映画のBGM的な音楽で洗練されすぎてるというか、ビョークの『Vespatine』ツアーの映像を見ている感覚に近いあの寒冷地然とした冷たさを感じた。
まぁこの時期に見るにはちょうどいいかもしれんけど。

で、asuka andoさんの歌うアップテンポなレゲエナンバーや、5lackの捲し立てるアッパーなヒップホップナンバーでようやく気分が上がれるという。
こんなこというとファンの方に「オマエはSilent Poetsを何もわかっちゃいねぇ!」と誹られるかと思われるが、まぁその通りです。


そしてTicaの武田カオリさんが他のゲストよりもちょっと多めにフィーチャーされていて、映画タイトルにもなっている”SAVE THE DAY”も彼女が歌っている。

劇中で、カオリさんが神々しく歌う「Asylum For The Feeling」にめっさ感銘を受けたのだが(プロモ映像とのシンクロがまたよかった)、レコーディング音源はどうやらカオリさんの声質に似たタイプの外人さんが歌っているようだ。

区別つかないくらい似てるけど、個人的には武田カオリさんの歌声の方が深みがあっていいと思う。




このライブはやっぱ生で見たかった。
まぁ鑑賞後久々に音源購買意欲は湧いた。


今日の1曲:『Asylum For The Feeling』/ SILENT POETS
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ガリレオフィガロ

2018年12月02日 | しねしねシネマ
音楽にほぼ興味のない母(79)が、珍しく今秋みながこぞって感動した!と絶賛の『ボヘミアン・ラプソディ』に興味を示してたので、近所のシネコンに観に連れていってあげることに。
前日の報道番組でこの映画の話題にふれてて、どうもフレディの歌う「Bohemian Rhapsody」の歌メロに感銘を受けたみたいだ。
やっぱフレディの歌声は万人を惹きつける普遍的な魅力を持っているのだろう。

私とてかつてクイーンにはただならぬ感銘を受けた者のひとりであり、ほとぼりが冷めて映画館が空いてきたら観にいこうとは思っていた。
クイーンを聴くキッカケとなった曲は、まさに本映画のタイトルとなっている「Bohemian Rhapsody」で、中学の頃この映像で初めてクイーンの楽曲に触れて、かつてないほどの衝撃を受けたのであった。

BAD NEWS - Bohemian Rhapsody (official music video)



ただ、よくいる「なにがなんでもクイーンが最高!!」みたいな人種ではなく、ちょっと苦手な部分もあるし、一応70年代の作品はほぼ持っているけど、80年代のクイーンの作品になると全くといっていいほど手をつけていない。
紙ジャケリマスタシリーズも一枚も買ってないことからも、やっぱ自分にはそれほどじゃないんだろうな。

フレディ・マーキュリーの訃報はリアルタイムで耳に入ってきた。
姉(長女の方)が突然部屋に入って来て「フレディ死んだって!!エイズやってんて!」と知らされ、「ええーーっ!!(やっぱり)」となったのは覚えている。
まぁでも、それほどショッキングだったワケではなくて、「ボヘミアン~」かけながら喪に服すということもしなかった。
受験勉強で忙しかったし(全部スベったけど)、その頃はキング・クリムゾンなどのプログレに夢中だったので。


そんな薄っぺらい私のこの映画に対する感想ですので、ハッキリいってなんの参考にもならんと最初に言っておきます。
ただ、この映画を大絶賛しているクイーン好きのオッサンたちがこぞって言ってるように、クイーンファンはもちろん、クイーンを全然聴いたことない人でも、「I Was Born To Love You」がクイーンの代表曲だと思っている窮極のにわかさんでも、誰もが感動できる内容の映画!っていう意見は、それはちょっと言い過ぎでねべがと。

まぁメチャクチャ非難浴びる覚悟で言ってしまうと、ロックスターを扱ったよくある伝記映画かなと。
実はフレディがインド系英国人であることは、この映画を観て初めて知ったことであるが、その見た目の人種的コンプレックスをはねのけ、歌や詞、楽曲作りの才能を武器にのしあがり(元々裕福な家庭に生まれ育ち、教養もハンパなかった人みたい)、人気ロックスターの地位にまで昇りつめ、取り巻きの思惑などによるメンバー間の対立、そして繊細が故の孤独感、バイセクシャルというどうしようもない性的趣味の葛藤・・・・と、ある程度フレディという男の素性を知っていれば、この映画の内容は想定の範囲内であったかと。


この作品で話題になってたのが、主役フレディ・マーキュリーを演じるラミ・マレックの成り切りぶり。
誰もがこの役者の演技を大絶賛してて、確かに若い頃のフレディ(口ひげ生やす前)の姿なんかは特徴をよくとらえているなぁ~と感心してしまった。
フレディにとどまらず、他のメンバーもなかなかのクリソツぶりで、特にブライアン・メイ役がそん中でもハンパなかったかと。
あと、晩年のフレディのゲイ友達(と思われる)までソックリさんを起用しているという徹底ぶり。




クイーン大好きのオッサンたちが口をそろえて称賛してるのが「フレディの繊細な内面がよく表現されていてすごい!」っていうところ。
まぁ私はあんまりフレディ個人の性格も知らんかったし、映像も全然チェックしてなかったので、そういう所は未知の部分ではあったけど、あれだけの楽曲とエモーショルな歌声を聴けば、彼がいかに繊細であったかなんてことはなんとなくわかるし、まぁ繊細じゃないとあんな曲は書けんだろう。


映画の日ということもあって封切から3週間目にして劇場はほぼ席が埋まってて、まぁその大半がいかにもロック好きそうなオッサンたち。
私の隣の席の人も私より10くらい年上のオッサンだった。鑑賞している最中、クイーンの名曲が流れるたびにリズムをとったりしてて、まぁその鼻息の荒さからも興奮しているのがヒシヒシと伝わってくる。
ズンズンチャ!ズンズンチャ!の例の曲の場面になると、腰掛けてるシートが軽く揺れ出すのであるが、それはギミックでも最近流行りの4DXでもなく、後ろに座ってるロックオヤジによるものだ。
うん、気持ちはよくわかる。私とて映画館のあの大音響で「Somebody To Love」のコーラスや「地獄へ道連れ」のベース音を聴くと、口ずさんだりエア楽器したくなったりしたもん。
フレディが恋人メアリーに捧げた「Love of My Life」が流れたときも、学生の頃の女々しく淡い時代がよみがえったりなんかしてウルっときたし。

そして、クライマックス。あの1985年のウェンブリー・スタジアムで行われたライブ・エイドでの伝説のパフォーマンスが展開される。
己のやがてくる冷酷な運命を受け入れ、覚悟を決めたフレディの渾身のパフォーマンス。
彼のピアノ伴奏から始まる「Bohemian Rhapsody」が力強く歌われる。

「みんなさようなら 僕は行かなくちゃ

あなたたちを残して真実に向き合わなければならない

ママ(どちらにせよ風は吹くけど)

僕は死にたくないよ

時々思うんだ、僕なんて生まれてこなければと」


もちろんこれは彼がエイズに犯される前に書かれた曲だが、あたかも自分の運命を悟っていたかのようなストレートで痛烈な歌詞である。
この時フレディの運命を知っていた者(メンバーたちなど)は、どんな気持ちでこの歌を現場で聴いていたのであろうかと、今思うとウルっとくるものがある。

クイーン好きの批評家オジさんたちはこぞってこの場面で泣いたらしいけど、なぜか不思議と泣けなかったんですよね。
まぁこの曲は学生時代に散々聴いてきたし、カラオケでもよく熱唱してたし(カラオケ大嫌いで邦楽を全然聴いてなくてレパートリーがなかったもんで)もう飽きてたんかなぁ。
この映画がストレートでよくデキすぎてるってーのもあったと思う。ここでそうきたか!!という意表つく場面もなかったし。
いや、ま、そういう映画じゃないけど。

伝説のライブ・エイドの映像を散々観てきてるような筋金入りのクイーン好きとは、まぁ明らかに温度差はあると思う。
あの最後のライブシーンで感動しない方がどうかしてるぜ!!と言われても仕方がない。
なんか、あんま好きな曲演ってくれてなかったし、全部で4曲くらいだったかなぁ、それをガッツリフルで見せられてなんかビデオコンサートみたいになってた。
あれはクイーンの曲そんな知らん人には長すぎたんとちゃうか?私も長すぎると思った。
聞き違いかもしれんけど、あのライブの20分間を完全再現!って言ってる人がいて、後でYOUTUBEで確認したけど私の好きな「愛という名の欲望」の演奏シーンあったっけ?




あと、映画と関係ないけど、ロックバーなどによく置いてあるこの「クイーン・ボヘミアン・ラガー」なんであるが、これのラベルの絵柄ってようみたら『華麗なるレース』ですやん。
ラベルにはガッツリ「Bohemian Phapsody」ってクレジットされてあるけど、これでええの?




まぁどちらにせよ風は吹くけど。


今日の1曲:『'39』/ QUEEN
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