AMASHINと戦慄

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手塚眞のばるぼら

2020年12月08日 | しねしねシネマ
コロナ禍がいよいよ猛威を振るう中、先月、封切2日目に早くも手塚眞監督映画『ばるぼら』を梅田のシネ・リーブルにて鑑賞。

この日は配信による舞台挨拶もあったみたいだが、鑑賞前に大阪出ついでに色々行きたいところもあったので、それには参加しなかった。


今回は予めムビチケという名の前売り券を購入し、ネット予約で座席も確保するという万全の備えで臨んだ。

ポストカード付き。



シネ・リーブル梅田は、スカイビルの3~4Fに入居しているオシャレなミニシアターで、10年以上も前に一度フランス人監督の撮ったわけのわからん映画作品を、ヴィンセント・ギャロが主演だという浅はかな動機だけで観に行き、ゲッソリして劇場から出てきて以来。




手塚治虫先生の御子息であらせられる手塚眞氏に関しては、私の好きなインディーズ映画作品に一度チョイ役で出ているのを見かけた以外は、ヴィジュアリストというよーわからん肩書を持っている方で、ようは映像関連の仕事に多く携わっている方と認識していた。
映画も何本が撮られてるみたいだが、一本も観たことがなかった。
なので、本作も公開前からなかなかの評判ではあったが、「どうなんやろか?」と、正直半信半疑であった。

手塚ファンでこの『ばるぼら』という作品が好きな人はけっこういると思われるから、まぁまず「息子が父親の名作マンガを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」くらいのBJネタのイヤ味を言われることぐらいは覚悟して撮影に臨んだかと思われるが。
まぁでも手塚治虫の息子さんだからこそ、父親の作品を自由にできる権限も資金も持っているのであって、この手塚の隠れた名作を実写化しようなんて大胆な人間もまた、この人しか出来なかったとも思える。


尚、これからこの映画を観ようと思っている方は、これ以降の私の感想文も、手塚治虫の原作も読まないで鑑賞することをオススメしときます。


まずオープニングのBGMは、シャレたフリージャズっていうのがまぁ合っている気もするけど、無難やなって感じがしないでもない。
「都会が何千という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女、それがばるぼら」というナレーションをはじめ、冒頭はかなり原作に忠実に再現されていた。
1章、2章の人形愛、獣姦シーンはなかなかうまくアレンジ、表現されていて、特に人形愛エピソードのくだりは映像ならではの猟奇的な迫力があって、その後の展開にかなり期待が持てた。
まぁ舞台設定は70年代ではなく、スマホが普及した現代ってのがちょっと残念ではあったが、それでも原作の雰囲気はなんとなく出てたと思う。
眞氏は多分、ヨーロッパ系の映画をよく観てるんだと思われる。映像の表現の仕方がなんとなくそこらへんの雰囲気が感じられた。

『ばるぼら』本予告



出演陣もなかなか豪華な役者が揃ったといえる。
まぁでも観る前から思ってたけど、美倉洋介役に稲垣吾郎氏ってのはどうなのかと。少しクール過ぎる気がした。それほどアブノーマルな雰囲気もないし。
二階堂ふみさんのばるぼらの役は、ふみさんの声質や、やさぐれたしゃべり方からなかなか雰囲気が出てた。
ただ、少し魔性さに欠けたかなと。ふみさん本人の器量ではなく、演出が弱いというか、終盤なんて美倉に従順過ぎで翻弄してる風には見えなかった。
ドルメンの関西人の側面も出なかったし、美倉の頭をビール瓶でカチ割るくらいのアクションは見せてほしかった。


この作品で今回話題になっていたのが、2人の濡れ場シーン。
確かに想定してた以上に両者ともメチャクチャ体張ってはって、なかなか激しめの絡みを披露してくれているのだが、鑑賞者の殆どの人が言っているように、そこにあまりエロさというものはなく、2人ともプロポーションが綺麗なもんで、とても優美なSEXシーンだった。まぁここは美しくアートフルに撮りたいって監督の意図だったんだろうと思うし、このシーンにけっこう力を入れていたのが見て取れる。
ただ、そこまでフィーチャーするか?っていうほど長かった。
これもヨーロッパ仕立てってやつかな?
個人的にはアートフルなヌード写真集をつまらなく思うように、この濡れ場シーンはそれほど感銘は受けなかった。
まぁ終盤では原作になかった屍姦シーンにまでチャレンジしたそのアブノーマル精神には恐れ戦いたが。


とまぁ映画では、原作にない設定や登場人物もけっこう盛り込まれていて、まず美倉の秘書である甲斐加奈子の存在。
チャランポランな美倉を見捨てず、献身的に寄り添い、堕落して狂気に陥っていく美倉を救い出そうとするのだが・・・
これだけ意味深な存在でありながら、最終的に彼女が美倉とどのような関係になるのか、全く描かれずじまいでこのアレンジに一体どういう意味があったのかと。
ただ、ばるぼらの対比として登場させただけなのかな?

そして、美倉の作家仲間である四谷弘之だが、原作では何コマかに登場するだけで、セリフもなくチョイ役ですらなかったのが、映画ではやたらと美倉に絡んできて、ぞんざいに扱われてる加奈子をなぜか気遣う。兄妹という設定なら納得もいくが、四谷と加奈子の関係については全く説明されておらず、四谷は結局フェードアウトして後半は全く出てこない。マジで何がしたかったのかと。
てゆうか、この2人の登場でなんか中途半端に湿っぽい良心みたいな要素が介入してやすっぽくなったかと。
こんなの盛り込むくらいなら、なぜルッサルカ(ばるぼらの元カレのウルカ共和国の作家)のあの国際的ハードボイルドなシーンをハショったのか??理解に苦しむ。

ルッサルカのジュードーチョップシーン、観たかったなぁ・・・



で、今回私が最も期待していた(と同時に不安でもあった)悪魔主義的シーンだが・・・・
新宿の街中やラブシーンでは、フランス映画ばりの映像美をみせていたのとは裏腹に、ちょっと陳腐としかいいようがない仕上がりでガッカリ。
やっぱ日本の映画って限界あるよなぁ・・・って悲しくなった。

まず、渡辺えりさん演じる(よく引き受けて下さったなぁ)ばるぼらの母で妊婦土偶体型のムネーモシュネーだが、監督の肉親の方は「ハマってた!」って大絶賛してたけど・・・・
「いや、メタボ大女優さんが大仏のズラかぶってるだけのコスプレですやん!!」と、ちょっと私にはギャグにしか見えなかった。
いや、でも実写化すると誰が演ってもあれが限界だったのかな。高望みが過ぎる?
あのムネーモシュネーが出てくる妖気漂うコテコテの部屋のシーンは、なんか昔のドラマ西遊記を観ている心地だった。

ブードゥー式ヌーディスト結婚式のシーンも、偉大なる母神協会の案内役メンバーまでやけに厳かで型にハマったキャラでつまらなかった。

原作では善良なサラリーマン風の男が、なにかの商談をすすめるかのように淡々と手続きをすすめていくのだが・・・



契約する段になったとたん邪悪な表情を見せるこのギャップがメッチャ怖い!
ここが手塚先生のうまいところなのだ。
契約書もこの邪悪な図を再現していただきたかった。



思うに、この映画にはルックスが端正で上等な役者さんばっか出てて、クセのあるキャラが皆無なのがネックのひとつだったかと。

呪いの人形の小道具も、なんかちゃっちかったなぁ。

美倉仕様の呪いの人形。これは是非グッズ化してほしかった。



ラストの美倉とばるぼらの逃避行も、逃げる足がモダンな高級車って時点で雰囲気ブチ壊しだし、なんやねん、あの火曜サスペンスドラマみたいな打ちどころ悪かった展開。
魔の手から逃げてるっていう切迫感も緊張感もなかったし・・・


思うにこの映画『ばるぼら』、美しくオシャレにスタイリッシュにって部分が先行しすぎてて、その上等ぶってる感じが自分には合わなかったんだと。
その割には脚色されてる部分が妙に陳腐で中途半端だったりで。
って、やはりイチャモンばっかタレてしまったが、これは原作を読み込んでる黒手塚ファンならではの感想なので、映画を全くわかってない、高望みするにも程がある人間の勝手なおこがましい意見として軽く受け流していただければと。

そもそも、手塚治虫の1年にも渡った内容の濃すぎる複雑怪奇なこの連載マンガ作品を、2時間の映画で収めようってのが無謀だったかと・・・

それでも息子さんである眞氏が、父親の残した隠れたカルト名作マンガを、なんとか映像作品として残そうとしたその意気込みと努力には感謝と敬意を表したく思う。


パンフレットはなかったが、公式読本が出てたので購入。
映画のパンフレットより200円高いだけで、中身はなかなかオシャレな作りで、眞氏と永井豪氏の対談や、原作マンガの一部が掲載されてるなど、ギッシリ詰まった充実の内容でかなりお買い得。




永井豪先生によるばるぼら



聞くところによると、大きな書店では、現在この手塚治虫の『ばるぼら』が売り切れ状態になるほど売れているらしい。
もちろんゴローちゃん効果もあるのだろうが、一部の手塚マニアしか知らないようなこの隠れた黒手塚名作『ばるぼら』が、多くの方々に読まれリバイバルされることを大変喜ばしく思うし、手塚眞監督がこの作品を実写映像化した最大の功績だと思う。

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