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 今日、55日、子どもの日に日本列島に存在する50基全ての原発の運転が止まる。42年ぶりの全原発停止は、世論が求め、政府の方針によって実現したプロセスではない。それどころか、再稼働にこだわり続け、あの手この手で「全原発停止」を回避しようとしたが、結果として不可能となった末の事態である。この先は、「夏の電力危機」のキャンペーンが展開され、「原発なしには夏は乗り切れない」と一部のメディアも声高に叫ぶだろう。

 ひるがえって考えれば脱原発への動きを牽制し、「原発をすべて止めたら集団自殺」とまで揶揄しながら、早期再稼働をはかってきた民主党政権の中枢の流れが、55日の「全原発停止」を迎えたのは、福島第一原発事故を体験した人々の理性的判断と、世論の高まりによることが大きい。「脱原発」を示して集中的な批判の砲火を浴びた菅直人前総理の「浜岡停止」以後の動きも、拙速な再稼働を抑制したと評価したい。

 先週、世田谷区内で開かれた自然エネルギーに関する市民スクールで、ドイツ人から質問を受けた。「ドイツでは、福島第一原発事故の後で世論も政府の政策も変わった。日本では、世論の変化はあるようだが脱原発への転換がはっきりしないのはなぜか」 …私もその回答を知りたいような質問だった。

 ドイツは過去に脱原発への道を踏み出した経験がある。環境政党として生まれた緑の党の歴史的誕生と地方自治から国政参加、さらには1998年のSPD(ドイツ社会民主党)との連立政権へ参加し、2000年には脱原発」は政権方針(2022年から23年までに原発ゼロ)となった。ところが、メルケル首相の下で若干の揺り戻しがあり、その期限を12年延長して原発回帰への流れが強まっていたところに、福島第一原発の事故が起きた。だから、昨年の福島第一原発事故直後にドイツは25万人のデモ、日本での最初のデモは数百人だった。

 原発事故直後の日本では、「今後とも原発依存を続けるのが現実的だ」と考える人が多数で、「原発依存から段階的な脱出」さえ多数の意見ではなかった。しかし、1年が経過してそのように考える人が多数となった。脱原発への集会やデモにも、多数の市民が参加するようになり、先日は脱原発首長会議が発足するなど自治体の役割も大きくなっている。ところが、野田政権、とりわけ野田総理自身に「時代感覚」がまるでない。民主党代表選挙における彼の「ドジョウ演説」を聞いていたが、「原発事故とエネルギー転換」への言及はほとんどなかった。

 歴史的に見れば、民主党政権が取り組むべき最優先順位は、「福島原発事故の安全な収拾と原因究明」「東日本大震災の被災地支援と復旧・復興」というふたつの非常事態であるはずだが、原子力規制庁の組織発足は先送りされたままだ。国家行政組織法にもとづく独立性をもった3条委員会にせよという自民党他野党の主張はもっともだ。この主張を、野党の言い分通りに得意の「丸飲み」が出来ないのは、経済産業省う中心とした官僚の抵抗によるものではないか。

 ところが、野田総理が生命を賭けるのは「消費税増税」であり、「TPP参加」である。どちらも、09年の政権交代選挙の民主党マニフェストにはなかったものである。持続可能な社会保障を構築することは大切な政治課題だが、結局は「消費税増税」だけを切り出しても基盤構築にはほど遠い。財務省は、東日本大震災の惨状を前に政治が緊急に動かなければならない時に、「復興財源論」を持ち出してブレーキをかけてきた。もちろん、それを突破出来なかった政治の方に責任がある。

ふたたび、ドイツの例に戻るが、最終的に「脱原発」を決めるにあたって長時間にわたる倫理委員会を開催したことに注目したい。「当面の原発依存」か「脱原発依存への転換」かは、既得権益にひたりきった官僚組織や経済団体からの現状維持圧力や、目先の事情を取り込んでの「政治判断」であってはならない。きわめて、高度な哲学的、道徳的、倫理的な判断が求められる。そもそも、地震大国日本の海岸線上に原発を次々と建設していったこと事態が、「政治判断」だった。将来の地震や津波のリスクより、目の前の経済的果実や権益を優先していった結果に他ならない。

 「子どもたちの世代にツケまわしをしない」と言うなら、原発政策の転換こそ急ぐべきではないか。大飯原発のように、福島第一原発事故で緊急事態に対処する場となった免震重要棟や、原子炉建屋への水素爆発防止の措置、ベントの際に放射性物質の拡散を防ぐフィルターの設置、津波に直撃される心配のあるオフサイトセンターの位置の見直しや放射線防護機能等、たとえ「再稼働容認」派から見ても、たくさんの解決しなければならない課題がある。それを、再稼働してから追って何年かかけて解決していくというのだから、順序があべこべだ。

 もし,このまま50基の全原発停止の期間が続き、政局、あるいは総選挙をへて「脱原発」方針が決まったとしても、私たちは子どもたちの世代に大量の「核のゴミ」を残すことになる。核燃サイクルという膨大な税金を飲み込んできた愚かな政策を停止し、六ヶ所再処理工場の破綻を認めたとたんに、私たちが直面するのは「核のゴミ」をどう処理するための途方もない時間と費用、そして管理リスクである。原発が全て止まっても、この「制御不可能」な難題を私たちは抱えていかなければならない。そんなことは考えず、子どもたちの世代が考えればいいことなのか。断じて違うと思う。

 もうひとつ、大切な点がある。311の大地震と原発事故の経験は、「大事なことはお国が決める」「偉い人たちにまかせておけば、きっと悪いようにはしない」という上意下達のヒエラルヒーが肝心の時に機能しないことを浮き彫りにした。本来なら、民主的に形成された統治機構は、311という歴史的な災害と原発事故を教訓化し、硬直し閉鎖的な一部の既得権益をシェアするものたちによって独占されていたエネルギー政策を、大転換しなければならないはずだった。しかし、過去、半世紀にわたってくくられてきた既得権益の根は頑丈だ。

 大飯原発の再稼働をめぐる議論も、政権や経済界がどう言おうと、住民の安全をあずかる近畿圏の自治体が慎重姿勢を崩していないことで、問題点を不透明なままにやり過ごすことが難しくなった。連休明けの「消費税」政局に向かう野田政権には、福島第一原発で起きたことを直視し、その不安や危険を除去することに総力をあげることを求めたい。また、エネルギー政策を自治体の現場から転換することに、より力を注ごう。

2012年の子どもの日が、次の世代への大きなプレゼントとなるように心して働きたい。

 

 

 

 

 

 



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