九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

裁判員制度反対、各地でデモ 「勝手に名簿載せるな」 東京新聞の記事より(ネット虫)

2008年11月24日 12時37分53秒 | 国内政治・経済・社会問題
来年5月から始まる裁判員制度に反対する弁護士や市民らが22日、仙台市、東京、福岡市で集会を開き、繁華街などをデモ行進した。反対行動は2月の日弁連会長選で制度廃止を主張した高山俊吉弁護士らが呼び掛けた。28日に裁判員候補者名簿に記載された人へ通知が送付されるため「通知が届いたら、勝手に名簿へ載せたと抗議しよう」などと訴えた。

 約600人が参加した東京都千代田区の集会で、新潟県弁護士会の高島章弁護士は「人を死刑にする権力を国民に担わせる制度だ」と批判し、漫画家の蛭子能収さんも「自由を束縛するので反対」と指摘。

 その後、約250人が銀座などをデモし「裁くことを押しつけるな」などと声を張り上げた。

 福岡市中央区天神の公園には弁護士や市民団体メンバーら約30人が集合。大分県豊後大野市の益永スミコさん(85)は「いや応なしに集められ死ぬまで秘密を守らせる制度は戦中と同じ。もうあんな思いはしたくない」と話した。制度をPRする検察庁のキャラクター「サイバンインコ」に対抗した着ぐるみ「裁判員制度はいらんインコ」も登場。参加者と一緒に天神をデモした。

 仙台市の弁護士会館に集まったのは約90人。東北大の小田中聡樹名誉教授は「裁判官らが主導・管理する司法に国民を強制的に動員し、被告に裁判の受け入れを強制する巧妙なシステムだ」と批判した。

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ドラ戦士たち、WBC不参加あっぱれ!  文科系

2008年11月23日 23時41分05秒 | スポーツ
ドラ戦士を中心にワールド・ベースボール・クラシック欠場が続いているらしい。僕はこういう動きを待っていた。「原監督への決定経過が不明朗である」、「こういう不明朗さ、おかしさが、野球界全体の日常に満ちあふれている」と、一人のスポーツ好きとしてここでも批判してきたからだ。
例えば、このブログの10月29日と30日の拙稿がそれだから、ご参照願いたい。

新聞などは筋や道理や理性を捨てて、この不参加に非難がましいことを述べている。確かに、誰だって円満な日本代表の活躍を願っているが、横車を押した者の所業を外っておいて、「仲良くやれよ」もないもんだ。そんなのスポーツじゃない。

原日本代表監督選任はどこが不明朗であるか。もう一度箇条書きにする。
①イチローの「現役監督で本気で勝ちに行こう」という声から星野が消えて原に決まったとき、どういう基準で決めたのか。その基準が公表されていないし、誰でも納得できる明朗な基準でやったとは到底思えない。
②現役ナンバーワン監督というのなら、今年の日本シリーズ前のあの時点では去年の中日・落合だ。今年の日本一監督を待つという手もあったが、いち早く原に決めるという拙速を演じ、その後その原は西武に負けるという醜態を演じた。
③直近の日本一監督でないとするならば、「誰でもが実力を認める監督」という方法もある。原は、落合や野村よりも明らかに実績で劣るだろう。後者二人やその球団が気分を害しても当然の成り行きだ。「冷や飯気分が身にしみてきたはずの」パリーグ出身者、イチロー、松坂も落合なら納得、心から奮い立つことだろう。
④こうしてつまり、自チームの利益と大儀が合致する立場にある中日、楽天、西武などの球団は、原監督決定の不明朗さを抗議できる権利を持っているはずだ。「あれだけの戦力を集めても、セリーグ優勝アップアップ、日本シリーズ敗北の原がなぜ選ばれたのか」と。

中日、楽天、西武は、球団も選手もWBC不参加を決めればよい。岩瀬も森野も涌井も岩隈も田中将太も。横暴な巨人へのストライキだ。こんな不明朗、横暴は、日本プロ野球の日常茶飯事。これではスポーツの爽やかさも、真の力の育成も消えてしまう。実力が尊重されないスポーツ界なんて、将来ないぞ!!

巨人ファンって馬鹿じゃないの! このままでは野球ファンも馬鹿ってことになるんだけど。サッカーで一球団だけ目立とうとする横暴やったら、プロだけでなくアマや学生組織や地域組織からも批判が上がって、協会で収拾がつかなくなるはず。
野球界って、スポーツの世界、それとも1球団中心の興業、商売だけの世界?

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男女平等度、日本は「序二段68枚目」―世界経済フォーラムが発表

2008年11月22日 10時09分54秒 | Weblog
★ネット紙JANJANに「さとうしういち氏」が次のような興味ある記事を載せていました。    (ネット虫)
*********************

ダボス会議で知られる世界経済フォーラムは12日、世界の男女平等度を発表しました。今回日本は98位でしたが、近年そのランクは下がり続けています。相撲の番付に換算すると、なんと序二段の68枚目です。

 ダボス会議で知られる世界経済フォーラム(World Economic Forum)は11月12日、「世界130カ国中、最も男女平等度が高い国はノルウェー」と発表しました。以下、2位フィンランド、3位スウェーデン、4位アイスランド、5位ニュージーランドと続きます。

 しかし、残念ながら上位20カ国で我が日本=JAPANの名前がありません。実はなんと、日本は130カ国中98位なのです。07年には128カ国中91位、06年は115カ国中80位でした。すなわち日本は、男女平等に関する順位がどんどん下降しているのです。

 130か国中98位を、相撲の番付に換算すると、698人の力士中、526位。なんと序二段の68枚目です。

 もちろん「日本だけ」が昔から、こんなに男女不平等だったわけではありません。むしろ欧米のほうが、根強いキリスト教原理主義などで、女性にとって大変だった面もあるのです。ノルウェーでさえも、50年前までは女性議員率は一桁でした。

■社会参画不足の悪循環
 ここ数十年で、世界に対して日本が決定的に遅れた分野は、賃金格差の是正、そして女性の意志決定過程への参画ではないでしょうか?もちろん他にも問題はありますが、それらの根底には、経済力格差、そして意思決定への参画の格差があると思います。
 賃金格差は、例えばシンガポールよりも大きいのです。そしてこれはあくまで正社員における差です。女性の場合非正規社員が多く、なおかつ、日本の正社員と非正社員の格差は大きいので、実際はこれよりも状況はひどくなるでしょう。
 こうした構造を放置していたことが、今度は男性でも若者を中心に非正社員が増えることを許すことにつながり、格差社会を激化させたと思います。

 また下院議員(衆議院議員)の女性比率では、日本はなんと世界188か国中、138位です。
筆者が出席したある政治家の事務所開き。多くの政治イベントが「男性のえらい人」中心です。 日本の政治イベントでは、いつも雛壇には「黒い背広を着た男性のえらい人」ばかり、というのがデフォルトになっていますが、一歩引いてみると異様です(写真)。多様な意志が政治に反映されていないということの象徴になっていると思います。

 日本の場合の特長は

・女性の意思決定への参画が少ない→
・介護など女性労働者が多い分野が軽視される→
・女性のニーズが解決されない→
・ニーズが解決されないがゆえに、女性の参画が難しい→
・女性の意思決定への参画が少ない

 の悪循環が起きていると思います。一般的に女性は、介護や育児などを担う上、賃金も安いから経済基盤も乏しい。そうなると選挙に立候補、というのも難しくなります。

■少数の女性議員がさらに抑圧される議会
 そのため女性議員は少ないのが現状ですが、その少ない代表が、さらに発言を押さえ込まれているという実態があります。

 この7月、わたしは広島県内の女性議員の皆さんにアンケート調査を行いました。
 このとき「主婦業との両立が大変」といった意見や、「女性というだけで、議会内で大事なポストにつけてもらえない」という意見がありました。ただでさえ少ない女性の代表が「少ないがゆえに」さらに議会内で押さえ込まれてしまうのです。

 また女性議員が少ないと、その活動分野も、教育や福祉、子育てなどに限定されがちです。ところが、いくら、いい政策が「アイデア」としてあっても「予算」の裏づけを取るには、財政などマクロ的な分野でも活躍する女性が必要です。

■さて目標ですが? どうせなら「三段目」よりも「幕内」を狙おう!
 ノルウェーの内閣は、総理大臣は男性ですが、財務大臣、文部科学大臣、防衛大臣、自治大臣(日本の総務大臣)、運輸・通信大臣、貿易・産業大臣、
行政・改革大臣、子ども平等大臣、漁業・沿岸問題大臣が女性です。

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岩隈久志MVPを祝って  文科系

2008年11月22日 04時37分45秒 | スポーツ
日本プロ野球の記者たちが選ぶ本年度パリーグMVPに、楽天の岩隈久志が選ばれた。優勝チーム以外から選ばれるのは94年のイチロー以来だと聞く。それでも、その年210安打のイチローは2位のチームにいた。さらに、日刊スポーツはこう報道している。
「5位チームからの選出は82年の落合博満内野手(ロッテ)88年の門田博光外野手(南海)と並び、リーグ史上最も低い順位だった」

今年の岩隈はそれほどに凄いのだ。流石、プロ野球の記者たち、よく見ている。どれくらい凄いのか。改めてこの11日に載せた拙稿を再掲する。もっともこの投稿は、スポーツグラフィック・ナンバーの記事を要約した物であるが、とにかくスポーツファン、野球ファンに僕が是非知ってほしい内容なのだ。優れた才能、努力は心から讃えたいということである。


【 初めにお断りしておくが、これは、「スポーツグラフィック・ナンバー715号」のある記事の要約に、僕が調べた数字をほんのちょっと加味しただけのものである。

野球を、その新聞記事をも、もうほとんど見なくなって久しい僕はうかつにして知らなかったが、このブログ読者で野球好きの皆さんは既にご存じのことなのだろうか? それとも、パリーグの弱小球団のニュースということで、例によってあまり気にもとめられていないのか。
ただし、野球をスポーツとして見たならば、北京五輪のウサイン・ボルト並の、日本野球界で50年に1度もないような大記録を今年の岩隈が作ったことは確かだと思う。

今年、東北楽天イーグルス・投手・岩隈久志が、日本プロ野球の歴史に存在しないようなもの凄い記録を作った。遅ればせながら、僕も彼の栄誉をたたえたい。

21勝4敗、勝率8割4分、防御率1.87! これだけでも大変な記録である。自分で調べてみたら「やっと20勝」というのは近年もけっこうある。が、21勝というのは85年の阪急・佐藤義則にまでさかのぼる。この佐藤でも防御率は4.29、敗戦が11敗あって、勝率は6割6分とあった。
ナンバーのこの記事は、20勝以上していて、岩隈のように8割を超える勝率を上げた歴代投手を表にしている。1950年の2リーグ制になってから17人いる。しかしながら、「この17人の中でも、この数字は岩隈だけ」というものが存在する。他の16人は全て、年間1位か2位のチームに属し、岩隈のように5位チーム投手などは皆無であるどころか、3位以下の投手も他にいないのである。投手の勝利数や防御率は、チームの打線や守備力にも左右されるからだ。つまり、3位以下のチームの投手でこんなに勝った投手は歴代皆無なのである。この点を、ナンバーはこう結んでいる。
「岩隈は、Bクラスのチームで勝率8割以上をクリアした、最初の(20勝)投手なのだ」

弱いチームにいる岩隈がなぜ2点を大幅に切る防御率となって、多く勝つことができたのか。それについて、この「ナンバー」は一つの数字をあげていた。年間の被ホームラン数がたった3本、極端に少ないのである。この記録がまた、以下のように本当に秀逸なものと説かれている。

2リーグ制になった1950年以降で、岩隈と同様200イニング以上を投げて、かつ年間被ホームラン数が3本以下などという投手は、56年の鉄腕・稲尾和久とあともう1人しかいない。ただしこの2人の時代は、ホームランの数が今よりもはるかに少なかったというオマケまで付いている。
今年の岩隈に限っては、ボールの威力もコントロールも、あの鉄腕、「神様仏様・稲尾様」の全盛期並みと言ってよいということであろう。】
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こんな意見もあります。       ネット虫

2008年11月21日 21時56分11秒 | 国内政治・経済・社会問題
 
★田母神関係のネットを調べていたら、下記のような一文に出会った。今回の田母神氏の論文や行動について右翼系の人たちのほとんどは高い評価をしているのだが、この人は田母神氏の行動に否定的でその行動(戦い方)を支持できないと結論している。目についた主張なので紹介したい。
*******************************

 正論を表明した軍人を深い議論も経ずに短絡的に更迭するというような愚かな政府決定に対して国民の立場として抗議するという趣旨ならば大いに賛同します。
 しかし、田母神空幕長ご本人も戦う気満々らしいが、私はこの空幕長の今回の行動を全面的には支持する気にはあまりなれないのです。
 空幕長は戦う気満々なのであるならば、どうしてコソコソと上司に隠して論文を投稿するなどという姑息な行為に及んだのでしょうか。戦う気があるのならば、上司に直言すればいいし、それで埒が開かないのならば公開の場で堂々と発言の場を得るよう求めれば良かったのではないか。                   そういう場も与えられないというのであれば、言論では埒が開くわけもなく、ならば武人としてクーデターにでも訴えるべきであったのではないでしょうか。   このような抽象的な内容の論文を内規違反を犯してまで投稿して、そのために国防の重責を投げ出すような行為は軽率ではないか。まして「職を擲つ覚悟」があったとしたなら、それは確信犯であり、武人が戦場を放棄して言論の場での戦いを選択し、しかもそれによって国防の最前線から退場していくというのは、士道不覚悟ではないのか。武人なら潔くクーデターでも起こすべきであったのではないか。
 それならば田母神空幕長と共に闘い、応援したいと思いますが、そのあたりが明確でないのならば、この戦いは支持することはできません。

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改めて田母神問題の根深さ  文科系

2008年11月21日 10時48分16秒 | Weblog
本日の毎日新聞が全1面を使って、3人の専門学者の寄稿を載せている。僕もこの問題で11月16日に「田母神の品性」と「田母神をうんだもの」とを投稿したが、今日の3人の論評は、学者の視点からさらにきつい言葉で、彼を断罪する。 

「自らの行動の政治的影響を理解することも判断することもできない人物が制服のトップの一人となっていた」
「この程度の作文しか書けない人が、トップの地位に座るというのは、組織がおかしいか、教育がおかしい」
「まともな作文も書けないような人物をトップにさせないためには、広い世間との交流をさらに強めなければならない」
(以上、、東大教授・国際政治学・田中明彦)

「論文の内容自体の稚拙さ過激さにも驚かされる。何よりも単純な事実誤認が多い」
「この論文の異様さと、それが自衛隊内で受け入れられてきた事実を考えるならば、それだけでは問題の解決にならない。(中略)いったい幹部教育の場でどのような教育が行われているのか、大きな危惧を感じざるを得ない」
(以上、一橋大学教授・日本近代史・吉田裕)

誰でもがそう思うように、このような異様で非常識で大がかりな事態とは、その根は深いのだし、裾野も影響力も膨大なものだろう。これだけ異様なものがこれだけ広がっているというのがまた、異様である。彼を支えた万年与党の文教族、防衛族や、産経新聞などに巣くう学者たちなどが力を合わせて作り上げてきた異様さであり、自衛隊全体に広がっているのもまた、異様だ。しかも、その言動のひどさから言えば、自民党内でも石破茂元防衛相さえ田母神をたしなめざるをえなかったというような、そんなに突出して異様なことなのである。ものすごく腹も立ち、怖いとも思う。

このように異様な、しかし現実に広がっている深刻な問題は、マスコミはもっともっと扱い続けるべきだ。自衛隊内がこれで出世していく仕組みなんて、後への影響も甚大すぎるだろう。ほかっておけばやがてクーデターでも起こしかねないというように、大変なことになるという問題でもある。とにかく、徹底的にやってほしい。新聞社でも田母神の肩を持つのは産経だけなのだから、NHKも含めて徹底的に扱うべきだ。

同趣旨のことで話は変わるが、NHKの経営委員4名の自民党提案のうち3人を民主党が否決するそうだ。こういうことは案外大事なのだと思う。自衛隊とマスコミ一部の周辺でこんな異様な事態が進んでいるのだから、これを防ぐためには自民党一部の力さえ借りたいと思う。村山談話を認める自民党議員が貴重、味方にさえ見えるのである。内容的に認めるなら最善、立場上認めるとしても「物の分かった自民党議員」ということになる。物の分からぬ知性も品性もない、むちゃくちゃな世界がこれだけ広がっているということだから。
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田母神論文の②        ネット虫

2008年11月21日 09時45分00秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「日本は侵略国家であったのか②                                         田母神俊雄

 時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫ら1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。
 また1915年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。

 中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。

 また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出会) 」。
 このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
 実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
 ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
 そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
 しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。

 その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。

 当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。

 日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。

 結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。

 強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。

 それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。

 亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。

 日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。

 自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。

 このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。

 日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。

 子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。

 今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。

 そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。

 我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。

 日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。

 私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

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田母神論文です。 ご意見ください。     ネット虫

2008年11月21日 09時41分36秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「日本は侵略国家であったのか①」
                        田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
 日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
 これに対し、圧力をかけて約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
 これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
 コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようちょうし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
 1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて力になってきている。
 日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。

 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3 千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5千万人に増加していたのである。
 満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1 千3百万人の人口が2 千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
 その後8 番目が1931年の大阪帝国大学、9 番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
 朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
 もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
 陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。
 現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

 一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 続く

<戦争に至った正しい歴史認識> 
…かなり長いので覚悟して読んでください。

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カタール戦から、遠藤、俊輔の言葉から  文科系   

2008年11月21日 09時38分13秒 | スポーツ
カタール戦は、岡田ジャパンの画期的なゲームと言えよう。ちょうど、オシムが最後の頃、去年の秋のヨーロッパ遠征、スイス戦とエジプト戦のような。あのときもこの強豪相手に敵地で、珍しくも4点ずつ取ったのだった。思えばオシムの攻撃指導の始まりのようなゲームと記憶している。ちなみに、当時のスイスは世界20位であり、エジプトは本年もアフリカ・クラブチャンピオン・カップ決勝に出ている。あのカメルーンのクラブに負けたのだが。そんな2国から4点ずつ取った!

さて、このカタール戦、サッカーをよく知っていて、いつも厳しい犬飼協会長も「一皮むけた」と語っていた。
的をついた知性的なサッカー評論を書く相馬直樹(元鹿島、日本代表)も二つの点で高い評価を与えた。一つは、「走りながらボールを動かす」、「球際の厳しさや攻守の切り替え」。もう一つは、「連動したコンビネーションを使って崩すシーンが出てきたこと」。以上は毎日新聞の記事から抜いたものだ。

こういうゲームであればこそ、しっかりと総括をし、今後への教えを出さないといけないと思う。総括にしても、シュートとか個々の技術とかの短期的なことは脇に置いておいて、中長期的・組織的な総括でなければならない。これについて、このチームの柱二人は、こう語っていた。
まず、このチーム1の戦略眼の持ち主、遠藤保仁はこう言い続けてきた。
「このチームに言いたい。いつも走る必要はない。いつも全力で攻めてはいけない。遅攻も大事だし、緩急のリズムをつけ、ここぞという時にみなで力を集中して攻めることが必要なのだ」
攻撃のタクトを振るう俊輔はこういう。
「オシムのときから、ジャパンは良い方向に向かっている。調子の悪いときは、パス・アンド・ゴーがかみ合わないとき」
「パスを出したら動くことを再確認して今回は臨んだ。前の3人を気持ちよく攻撃させれば点は入ると思った。それをつくるのも中盤の役目」
「今度は途中出場の佐藤、岡崎らが体を張った守備を展開。これには中村も『ああいうプレーがチーム力をアップするので、みんないいプレーをしたと思う』と満足感を漂わせた。そして『(試合の)空気や流れが読めるようになってきた。チームとして何が必要なのか分かってきた』とチームの完成近しを実感」(スポニチ)

僕はもう一つ思うことがある。攻撃陣3~4人が、特にFWが凄くシュート練習を重ねたのではないか。それも小中学生でもやるような基礎的な練習の繰り返しを。そう、苦手なことこそ原点に返れね。いつもいつも。

さてそれでも、名評論家、相馬直樹は手綱をゆるめない。
「ただ、今の代表は試合ごとに好不調の波があるのも事実だ。どんな状況、相手でも自分たちの力を発揮し続けることが、W杯への切符を引き寄せる鍵になる」
そう、「パス・アンド・ゴー」は、後手を踏んだり、かみ合わなくなると、無駄走りばかりになるらしい。好悪の循環というものがあるということだろう。この悪を好に換えるきっかけを習得できれば。それが遠藤の言う「遅攻も大事。リズムの切り替えを!」なのではないか。いつも1本調子に攻めていては、悪い循環も断ち切れないだろう。
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カタール戦 「目立たぬ遠藤」に思う  文科系

2008年11月20日 14時31分52秒 | スポーツ
会心の勝利。前半19分に1点、後半2分で1点、さらに中頃に1点。ボール保持率は多分6対4以上、シュート数は3対1以上か? とにかく敵はボールを前に進められなかった。
結果において何よりよかったのは、こういうこと。敵を0点に押さえ、点を取るべき人が取ったこと。その点取りも、はじめの2点はFWで。それもセットプレーではなく流れの中から。このいずれもが、日本の弱点だったものだ。

以上すべての背景は、敵ボールへの日本のプレッシャーが組織的で、早くて強かったことだろう。ボールへの寄せがあれほど成功すると、無駄走りがないから全く疲れないと思う。そして、疲れないから、攻撃陣も後の心配なくみんなでゴールに殺到することができる。「ゴールへ殺到」。体の強さがない日本の、組織的点取りパターンである。

このゲームを評する言葉はこういうことだとおもう。
「各人の位置取りが良く、組織が最もうまく回った」

個人的に僕が驚いたのはこういうこと。本年度アジアサッカー最優秀選手の第1候補と噂されている遠藤が全く目立たなかったのだ。そして、「だからこそ彼が最大の功労者なのではないか」と、「こじつけ?」を言いたい。ガンバが勝っているときのスタイルと同じだからである。
遠藤の位置は、長谷部とともにダブルボランチの1人。攻守陣双方をつなぐ役割だ。ここで彼は何をしていたのか。その長谷部と俊輔が目立っていたから、こういうことなのではないか。
臨機応変に長谷部を攻撃に参加させ、すぐ前のテオイの俊輔を前公約通り支えた。つまり、敵を自分に引きつけるように振る舞っていたのではないか。だから俊輔と長谷部によくボールが回ったのでは? と、こういうことなのでは?

遠藤のことで噂には聞いていたが、このゲームの彼を詳しく観察していて驚いたことがある。敵と競り合うようなときに、たびたび微笑んでいるのである。あの表情はどう形容したらよいのだろうと考え込んでしまった。余裕? 敵への威圧? リラックス狙い? いや、最も合っていると思われたのはこういうことだ。競り合い、厳しいときを楽しんでいるのではないか?
「遠藤さんのあの余裕、いったい何なんでしょうね?」
敵も味方も言う言葉だ。若手などは尊敬と憧憬とを込めて。

さてさてそれにしてもこのゲーム、日本が強かったのか、相手が弱かったのか。それは無敗3勝、無失点のオーストラリアとの次戦を観ればわかる。ひょっとしたらこのチーム一皮むけたのかもしれない。岡田が、選手、遠藤に任せたから良かったのだろう。その次第は、昨日の拙稿に書かせていただいた。
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避けられて護憲ビラ持つ指の冷え   愚足

2008年11月20日 13時46分00秒 | Weblog
575の句会で知った句です。
作者によると、10人のうち8、9人は
受け取らないと分かるそうです。
目を合わさないように、少し離れて
通り過ぎるということです。

平和にために、と思ってビラを配る。
でも多くの人々は避けていく。

指も冷えますよね。

私はとても良い句だと思います。  落石

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田母神論文を読んで    愛国者たる落石

2008年11月20日 11時21分05秒 | Weblog
有名な論文をざっと読んでみました。
一番気に入った箇所は冒頭の部分。
『アメリカの軍隊は安保条約によって日本に駐留しているが、
これをアメリカによる日本侵略とはいわない』
(私はこの部分に田母神さんの長所と短所が見事に出ていると思います)
この形式論理にしたがって、以後の論が展開されている。


私見によれば論文のポイントは
一番最後のほうで触れているこの部分。
『日本の軍隊は強くなると暴走するので
動きにくくされている。
武器の使用も制限され、諸外国の軍にくらべて
がんじがらめの身動きできないようにされている。』

軍人として、日本防衛という自己の仕事に忠実になれば
当然、こう考えると思います。
仕事を一生懸命にしようと思えば、精勤的な重荷を
拭い去りたい、それが論文を貫くモチーフでしょうか?

これは良く理解できることです。
しかし問題は、そこから出てくる非侵略論です。
歴史は玉手箱ですから、どんな論でも可能です。
ですから非侵略論にも一分の正しさはあります。

しかし一部分で全体を類推するには素人の歴史家がする
楽しみで、素人に許された娯楽です。
つまり歴史を使って夢を見るわけです。

軍人は夢想家では困ります。
現実をリアルに見つめる目を持ってもらわないと
戦争に勝てません。

己を知り敵を知れば百戦危うからず。です。
田母神さんのように、己の良いところだけを知り、
相手の弱いところばかりに目をつけていては
とてもリアルな目の持ち主とは思えません。

夢想家は軍人には向いていない。
それは歴史が証明済みです。

論文の最期は『歴史を抹殺された国家は衰退の一途をたどる』
と、締めくくられています。

『歴史を夢想する軍人は国を滅ぼす』とでも
結んでおきましょうか?

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今夜カタール戦、遠藤が頼り  文科系

2008年11月19日 21時50分23秒 | スポーツ
表題のこと、本日これから深夜1時、NHKBSをみますが、ホントにそう思ってます。監督が頼りないから。岡田も流石それを自覚し始めたようで、選手だけで2回ミーティングをやらせたらしい。とてもよいことと思う。遠藤が大いに話したことでしょう。彼はこの前こう述べていたらしいし。

「今まで俊輔にどれだけ助けられたか。その俊輔が大怪我してても、90分でも、出るという。今度は俺が俊輔を支える。怪我した俊輔へは敵もぶちかましてくるだろうし」

遠藤保仁、地味な地味な、しかも大器晩成の、大、大選手になりました。観ました? 先日のアジア・クラブ・チャンピオン決定トーナメント、アデレード戦。昨年の浦和に続いて、ガンバが優勝! 詳細は、8日、16日の拙稿をご参照ください。そこにも一番たくさん書いたことですが、とにかく、遠藤の活躍が凄かったこと。もちろん彼が、このトーナメント全体のMVPでした。この活躍もあって、本年のアジア最優秀選手最終候補に日本人で中沢と二人があがっています。遠藤は間違いなく第一候補ですね。日本が今のワールドカップアジア予選を勝ち抜いていけば、本年度アジアサッカーMVPは、もう遠藤に決まりです。中田も俊輔も取ったこのMVP、地味な遠藤がこれを取れれば、僕はもう、涙が出てきそう。
中田が取ったのは20歳か21歳の時、俊輔が取ったのも20歳前半。今29歳の遠藤は、彼らのようには若くして目立つ点はなく、戦術眼が高い総合力の選手です。たぶん大変な努力家なんでしょう。代表戦も長く出られなくて失意もいっぱい味わってきたから、こういう選手が育った。そのかわり、その卓越した戦術眼が取り柄だから、個人技術でスーパーな中田や俊輔よりもチームをまとめる力は上だと思います。うん、確かに、岡田は、遠藤に全権を委任してただ座っていれば、その方がよいのだ。

さて、カタール戦です。
「日本は、いつもは攻め続けないこと。1本調子で攻めないこと」
これが鍵ですね。遠藤が以前から代表戦を評してきた警句の、受け売りです。中盤で敵ボールを奪った時こそ、この警句のようにすることね。この時、敵が下がっていたら味方でボールを十分回してから、ゆっくりと遅攻。敵が上がっていたら、数人がゴールに殺到するカウンター、速攻。それもいつもよりその回数も減らし、「集中」を大事にすることね。この使い分け、特に前者を多くし、後者時は「皆で殺到」ができるかどうか。そこが、観戦ポイントでもあると思います。これがうまくやれれば、間違いなく勝てる。

こういうことを、岡田が変な指示を出さないでいたら、遠藤が気軽に、的確にやってくれますよ。遠藤はすでに岡田の想像を超えた選手になっています。いつも彼を観ているガンバ監督・西野でさえがこう言い始めているのですから。
「遠藤はもう、僕が想像できないこともいっぱいしてくれる、そういう選手になってしまった」
西野は、監督としての経験、苦労が、岡田よりも多いです。
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テロを排す     落石

2008年11月19日 10時24分03秒 | Weblog
朝寝坊で朝刊を見てびっくり!
厚生労働省の元次官に連続テロ!?

頭に浮かんだのは浅沼稲次郎さんの殺されたテロ。
風流夢譚の出版にからんで中央公論の社長宅で
お手伝いさんが殺されたテロ。

今回の事件は官僚が標的という。
時代の空気が変わったのでしょうか?

テロ事件が起こる時は、社会が不安定になったから?
『話せば分かる』といった犬養首相の言葉も
思い出されます。

言論の自由があるのはテロでは問題は解決しないという
歴史からの教訓。

問題を悪化させるだけのテロはやめてほしい。
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マルクス思想の正しさと不足したもの 文科系

2008年11月18日 10時14分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
改めて振り返る、マルクス思想の正しさと不足したもの 文科系

これは、現代社会観についての過去の個人的な反省を含む簡単なまとめのようなものである。そういう反省のまさに「現在版」というところだ。ご笑覧願いたい。

サブプライムやその破綻、G20サミットの論議などを見ていて、老いた、ない頭で題名のことをつくづく振り返っている。およそ正統的経済学の大家と呼ばれた学者ならばその誰もが、草葉の陰から手に汗握ってG20サミットを見つめていることだろう。そんなことが脳裏をよぎった。カール・マルクスも、メイナード・ケインズも、ジョン・ケネディの経済問題顧問格であったケネス・ガルブレイスも。
G20で出された諸問題は、その本質において彼らの述べてきた核心の延長線上のものであると思う。資本主義経済諸課題の核心の捉え方が、その核心の爆発した様態とその対策に悩んでいるあり方が、諸方針の根底となる考え方そのものも。その規模こそ途轍もなく大きいものになってしまったのだけれど。何も、「蟹工船」や「超格差社会」だけを今ことさらに持ち出すこともない。彼らが資本主義社会の焦点と見たものが、まさに今爆発して世界がぜいぜいと喘いでいるのである。

根本の問題としては、人間たちの誰か諸個人がことさらに悪いというわけではない。どんな世界的に有力な諸個人からも離れて一人歩きして来た世界経済が人間たちの生活、生命をまさに根底のところで激しく揺さぶっている。「人間疎外」そのものの様相であると言えると思う。
ただ、この爆発への正しい処方箋はまだ誰も書いていないと思う。過去の「一国的対処理論」をいくらひっくり返してみても、問題のグローバルさへの具体的解決策としては「類推」的対策のようなものの域を全く出られないだろうから。つきつけられた課題ははっきりしているが、解決方向は漠然として、喘ぎながらの激しい試行錯誤が続いていくと言うほかはないだろう。

ともあれ、マルクスらの見た課題の分析内容などを最も短い箇条書きにしてみよう。
① 資本主義はその性格上、必ず資本の方が労働よりも大きくなるものだ。よって、供給の側が消費の側よりも必ず大きくなって、こうして、何を作っても売れないという事態が必ず訪れるものである。この結果が不景気、その極が恐慌と言えよう。
② これを管理しなければ、つまり有効な需要を作り出せなければ、失業、戦争、自然破壊など、ありとあらゆる人間の不幸が地球上に起こるものだ。資本主義はつまり、需要不足から暴走して人々を踏み潰す運命、必然性がある。こういう資本主義の本質とは例えば、暴動を起こすほどの飢餓が「有効な」需要とはなりえないということである。「一定の金がない国や人には食料を売れない」とか、「大きな国家批判から、社会福祉や医療もどんどん削られてきた」という意味において。
③ ケインズは、資本主義国家の管理策としてゆるやかなインフレという有効需要を作り出すことを主張し、その実践の先頭にも立った。
④ 「福祉国家」、「大きな政府」や、その後の「公共事業国家」、「軍事国家」などもこういう状況、問題把握、対策の延長という面を大きく持っている。国家予算で需要を作り出したということだ。
⑤ その次の「小さな政府」、「規制緩和」なども、「公共部門の民間部門への事業移転」と見うるから、同じく有効需要の作り出しである。これに成功すればアメリカのように、国家財政をさらに産軍複合体に注ぎ込みうるという別の大きい需要も作り出せたのだし。ただし、「福祉、医療も民間で受けられるように、みんながさらにがんばって働くようになるだろう」という理屈が、人々によって現に実行されたかどうかは、別問題である。
⑥ 月賦、その極みとしてのサブプライム、住宅バブル、アメリカに見る借金による大量消費の勧め、さらには先物買いや金融商品、そこから派生したデリバティブなど数々のマネーゲームの創出などなども、すべて新商品開発、新たな需要の作りだしという側面を持つ。ただし、その結果としてより大きな根本的難問が生まれた。マネーゲームは、他方に世界的飢餓や貧困を生み出してきたから、ますます資本の投資場所がなくなったという側面を持つ。
⑦ こうして今、⑤⑥の爆発、恐慌の到来。G20サミット新聞報道の見出しにも「(暴走した)すべての金融の規制」、「新興国含め連携 内需刺激への財政出動」。中国、インド、ブラジル、ロシアなどが、ここで世界の注目を集めているのも、経済発展が著しい人口の大きい国ということで、将来有望な有効需要国と見られているからに他ならないと言えよう。

以上をもっとも簡潔に要約すればこういうことになるだろう。
資本主義とは「よこしまな金儲けの世の中」というよりも、「世界にきちんとした需要が少なくなって資本がもうからなくなっていき、そのときに人間にとってろくな事が起こらないことが必ずある経済体制」と言える。そう言ったほうが説得力も増すと思う。
今の資本、会社というものがそれだけ投資場所を求めてさまよい、結果として世界・社会に巨大な諸困難をまきちらす存在になってしまったということだ。なんせ、証券会社数社の破綻がもとになって、世界が何千兆円という損失を出し、「100年に1度の苦境」、どん底に突入してしまったのだから。

カール・マルクスはこういう社会分析から、この体制の根本的変革を探求して、労働者とその国家掌握、つまり「空想的でなく、学問の裏づけのある社会主義」を主張するに至った。しかしながら「科学的社会主義諸国家」は周知のように、民主主義に離反し、予告したようには生産も伸ばすことができぬままに、国民から見放されるに至った。
マルクスの現状分析の核心はその後現在まで多くの学者にも認められ、正しかったと思うが、その変革方向やその変革主体などの探求は誤っていたか時代に合わなくなったかのどちらかという他はないと思う。「根拠のない将来の青写真は描かない。我々は現実社会の主要な矛盾を描き、その止揚として社会主義を提起しただけである」とマルクスは豪語したのだが、将来のことはどういう言い方をしてみてもやはり「青写真」の要素を含むと、そういうことなのだろう。
目の前のものの現状分析はやりやすくても、将来を語るのは難しい。これはちょうど、現在から過去を批判することはたやすいように見えるのと裏表のようなものだろう。それを比ゆに使って言えば、現在から過去を批判するのは容易だが、「来るべき未来」でもって現在を批判するのは至難であると、そういうことなのだろう。

「我々は科学的だ」などと豪語する「科学的社会主義者」は、やはり傲岸不遜というほかはないと思う。
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