ずいぶん久しぶりに、随筆を載せます。ご笑覧ください。
随筆 「年をとっていく」
このごろ思い出すのが、亡くなった母のこの言葉だ。
「私のどこが八十のおばあさんに見える。言ってみなさいよ!」
きっかけなどは忘れてしまった。母の何かを「年寄りの冷や水」扱いして、「八十のおばあさんが」という表現を僕が使ったのは間違いない。一瞬の間をおいて重く押し出され、やがて涙混じりという、そんな抗議だった。いまでも不気味な印象が残っているほどだ。友達に念の入ったワルサをしたらいきなり強烈なパンチがほほに飛んできたという体験が高校時代にあったが、そんな感じ。小さな雷に打たれたような気分になったのは、母の言いたいことがすぐに分かったからだ。当時五十前の僕に、なぜ分かったのか。
七十六歳で僕の家族と一緒に富士山に登った時、その体力には驚かされた。我が家で旧友たちと月例体操サークルを続けてきたその賜物らしい。六十の手習いの三味線では、八十近くまで出ていた発表会によくかり出されたものだ。NHKの俳句教室が送ってくる小冊子に母の名前が小さく出たものを指さし見せられたりもした。毛糸の丸い敷物が数枚、刺繍入りのテーブルクロスなど、手製の手芸品はまだ全部残してある。
いつだったかふっと、老後の僕が母と同じことをやっていると気づいた。ランニング、ギター、同人誌活動。春夏秋冬一回ずつ我が家で開いているギター仲間たちとのギター・パーティーは、母の「体操サークル」? 気兼ねなくやれるように連れ合いの手は一切借りずに買い物をし、料理をし、ワイン、アルコールを選ぶ。「これは味覚、母の手芸は視覚。まー、同じ五感の遊びだ」などと、このごろ思い出し笑いが出たりする。
母を真似た意識は皆無である。母が僕を、生まれたときからずーっとこのように育ててきたというのが真相だという気がする。子どものころに煙も出されなかったものを、老後に燃やし直すということはあるまい。いや、あるぞ。生真面目男の老いらくの恋。これは昔から激しいと聞くが、まーこれは置くとして、偉大な母の力を噛み締めている。
さて、こうやって営々と育み、備えてきた僕の老後から、まずランニングが抜け落ちようとしている。父から受け継いだ不整脈と闘いながら苦心惨憺で続けてきたのだが、そろそろ限界なのか。ここ二ヶ月近くジムを中断して、家で階段登りなどをやりながら未練ったらしくまだ様子を見ているところだ。ギターも新曲の暗譜が五年前と比べてさえ二、三倍の苦労になった。ひどいときは、布製のプランターに水をまいて「早く芽が出ろ柿の種」、そんな無力感だ。切れかけの電球のように、波もあるのである。励むほどにその振幅が一方に傾いていくのが分かる生活は、今、幸か不幸なのか。僕は幸と考えることにしている。不幸とだけ思えば全部をやめているだろう。四捨五入すると七十になるが、七十にはともかくとして、僕は果たしてこんな言葉を、母のように必死に吐くだろうか。
「俺のどこが八十のじいさんに見える? 言ってみろよ」
随筆 「年をとっていく」
このごろ思い出すのが、亡くなった母のこの言葉だ。
「私のどこが八十のおばあさんに見える。言ってみなさいよ!」
きっかけなどは忘れてしまった。母の何かを「年寄りの冷や水」扱いして、「八十のおばあさんが」という表現を僕が使ったのは間違いない。一瞬の間をおいて重く押し出され、やがて涙混じりという、そんな抗議だった。いまでも不気味な印象が残っているほどだ。友達に念の入ったワルサをしたらいきなり強烈なパンチがほほに飛んできたという体験が高校時代にあったが、そんな感じ。小さな雷に打たれたような気分になったのは、母の言いたいことがすぐに分かったからだ。当時五十前の僕に、なぜ分かったのか。
七十六歳で僕の家族と一緒に富士山に登った時、その体力には驚かされた。我が家で旧友たちと月例体操サークルを続けてきたその賜物らしい。六十の手習いの三味線では、八十近くまで出ていた発表会によくかり出されたものだ。NHKの俳句教室が送ってくる小冊子に母の名前が小さく出たものを指さし見せられたりもした。毛糸の丸い敷物が数枚、刺繍入りのテーブルクロスなど、手製の手芸品はまだ全部残してある。
いつだったかふっと、老後の僕が母と同じことをやっていると気づいた。ランニング、ギター、同人誌活動。春夏秋冬一回ずつ我が家で開いているギター仲間たちとのギター・パーティーは、母の「体操サークル」? 気兼ねなくやれるように連れ合いの手は一切借りずに買い物をし、料理をし、ワイン、アルコールを選ぶ。「これは味覚、母の手芸は視覚。まー、同じ五感の遊びだ」などと、このごろ思い出し笑いが出たりする。
母を真似た意識は皆無である。母が僕を、生まれたときからずーっとこのように育ててきたというのが真相だという気がする。子どものころに煙も出されなかったものを、老後に燃やし直すということはあるまい。いや、あるぞ。生真面目男の老いらくの恋。これは昔から激しいと聞くが、まーこれは置くとして、偉大な母の力を噛み締めている。
さて、こうやって営々と育み、備えてきた僕の老後から、まずランニングが抜け落ちようとしている。父から受け継いだ不整脈と闘いながら苦心惨憺で続けてきたのだが、そろそろ限界なのか。ここ二ヶ月近くジムを中断して、家で階段登りなどをやりながら未練ったらしくまだ様子を見ているところだ。ギターも新曲の暗譜が五年前と比べてさえ二、三倍の苦労になった。ひどいときは、布製のプランターに水をまいて「早く芽が出ろ柿の種」、そんな無力感だ。切れかけの電球のように、波もあるのである。励むほどにその振幅が一方に傾いていくのが分かる生活は、今、幸か不幸なのか。僕は幸と考えることにしている。不幸とだけ思えば全部をやめているだろう。四捨五入すると七十になるが、七十にはともかくとして、僕は果たしてこんな言葉を、母のように必死に吐くだろうか。
「俺のどこが八十のじいさんに見える? 言ってみろよ」