九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

17日、NHKスペシャル(証言 アブグレイブ刑務所事件)

2008年11月16日 23時17分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
★番組の紹介です。

NHKスペシャル
2008年11月17日(月) 午後10時00分~10時49分
総合テレビ

「微笑と虐待」
     ~証言 アブグレイブ刑務所事件~

2003年にイラクで起きたアブグレイブ刑務所虐待事件。兵士たちが笑顔でイラク人収容者を虐待している様子を写した写真は世界を驚愕させた。事件発覚後に行われた軍法会議では、虐待・拷問は兵士たちの自由意志で行われたと認定。写真に映っていた、もしくは撮影した7人は全員が有罪、降格の上、軍を放逐された。しかし、虐待を命令したとされる軍上層部は罪に問われなかった。アブグレイブ刑務所がいつからどのようにして虐待の舞台になっていったのか、なぜ兵士たちは満面の笑みを浮かべて虐待・拷問に加わったのか、番組では、虐待をした女性の元上等兵、虐待写真を内部告発した元憲兵、そして刑務所の最高責任者だった元准将から生々しい証言を得ることに成功した。彼らの証言から浮かび上がってきたのは、アメリカがイラクの民主化という「善意」とテロとの戦いという「理想」を掲げる一方で、密かに進行していたアメリカ軍の狂気そのものだった。新たに得られた3人の証言や記録をもとに、アブグレイブ刑務所虐待事件の知られざる真相に迫る。
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「村山談話」とは          ネット虫

2008年11月16日 18時50分48秒 | Weblog
★前航空幕僚長の田母神俊雄氏が当該談話を否定する論文を発表し、航空幕僚監部付に更迭された。
 今回の事件で再び政府の統一見解として踏襲されている村山談話がクローズアップされている。村山談話とはどんな内容なのか確認してみた。
                                                      戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話とは、1995年8月15日の戦後50周年記念式典において、第81代内閣総理大臣村山富市が閣議決定に基づき発表した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明であり、一般に『村山談話』として知られる。日本が戦中・戦前に「侵略」や「植民地支配」を行ったとし、公式に謝罪したものである。以後の政権にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解としてしばしばとり上げられる

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 内閣総理大臣談話    戦後50周年の終戦記念日に当たって
                          平成七(1995)年八月十五日   内閣総理大臣   村山富市

 先の大戦が終わりを告げてから、五十年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸団との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。                     政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をばかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後五十周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から五十周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖(よ)るは信(しん)に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

★久しぶりに読んでみたが、極めて謙虚で正しく大戦を評価し、反省の気持ちを表わすとともに、平和への決意を世界の諸国、とりわけ近隣諸国に訴えていて格調が高い歴史的な談話であると思う。
 田母神氏は、この談話のどこが気に入らず、敵対するのであろう?
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田母神を生んだもの 文科系

2008年11月16日 17時28分00秒 | 国内政治・経済・社会問題
田母神を生んだもの 
産経新聞は、いかにこの事件の「当事者」であったか   文科系

落石さんが本日の拙稿にコメントで述べたことは至言である。「田母神の言動は思想的なクーデターである」と語られた。思想クーデターの証拠、ひどさは本日この前の拙稿でまとめさせていただいたが、「田母神=クーデター」論者は何も野党的な人ばかりではない。元防衛相・石破茂氏までが新聞記者を相手にしてこう語ったと毎日新聞に報道されている。12日朝刊から抜粋すると
【 「政治が何もしてないかのように言うなら旧陸軍将校によるクーデター『2・26事件』(1936年)と何も変わらない」(毎日新聞11月1日付朝刊)。日本の現代史上最大のクーデター事件と同列の視座で語っているところに、石破さんの強い危機感がにじむ 】
なお、こに記事の冒頭では同じ石破茂氏のこんな言葉までが紹介されていた。
【 「今年5月のことです。田母神さんに言いました。『いいですか。あなたは一個人、田母神俊雄ではありません。私の幕僚です。政府見解や大臣見解と異なることを言ってはいけません。いいですね』と」 】(同上紙)
こういう当たり前の近代国家の基本精神を犯した罰として「田母神氏が防衛相からの辞職要求を拒否するほどに増長したのは、文民統制上、二重の汚点として記録されるべきだ」とも、まとめられている。(同上紙別記事)

さて、こうであれば彼はクーデター首謀者という犯罪人でもあるのだから僕は呼び捨てにしたのであるが、これほどまでに田母神を増長させてしまった原因は一体何だったのか。二人の首相経験者の庇護だということはひとつはっきりしている。田母神は森元首相の名前をあげたが、もう一人は安倍元首相あたりなのだろう。自民党の一部がそれほどにひどくなっているわけである。
さて、この思想クーデターに預かってそれ以上にひどい土壌となったのが産経新聞であると知った。本日16日毎日新聞の「社説ウオッチ」によって。その内容を抜粋してみたい。
【 この政府見解を真っ向から否定する歴史認識を航空幕僚長が発表することは不適当であり更迭は当然だという点で5紙は一致している。
しかし、産経は違った。(中略)正常、異常の判断が他紙とかけ離れている。
続いて4日、産経の客員編集委員が署名記事を通じ、アバグループが募集した懸賞論文の審査委員の一人だったと自己紹介。田母神氏の作品が高得点と分かった瞬間に『今回の事態を予感した』などと書いた。
(中略)15日の論説委員コラムは、もっとはっきり言い切った。田母神論文が論拠とした事実の信頼性が薄いことを認めつつ、それは重要でなく、問題は村山談話の当否だと述べている。
こうした経過が暗示しているのは、産経が今回の騒動の少なくとも事実上の当事者として、村山談話見直しキャンペーンを張っているという構図だ。これが他紙との論調の隔絶につながっていると見ても的外れではあるまい 】

読まれたとおり、産経新聞ご一統こそ、田母神俊雄の生みの親の少なくとも一人である。このことは、新聞界では周知の事実らしい。
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テスト投稿です。       管理人

2008年11月16日 11時48分18秒 | Weblog
 投稿者の方から、「投稿画面入力に不具合があるのでは」という指摘をいただきましたので、テスト投稿をしました。

 管理人のPCからは、異常が見つかりませんでしたが、他のみなさんで不具合がある方は下記へ連絡ください。

★連絡先・・℡052-731-1251 近藤 またはktimusah@ams.odn.ne.jp
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保守系氏の「憲法前文」は?   まもる

2008年11月16日 08時41分42秒 | 国内政治・経済・社会問題
  保守系氏「憲法前文」  一部抜粋

 日本国民は、恒久の平和を幻想とし、人間相互の関係を支配する利己的な現実を深く自覚するのであつて、戦争をを欲する諸国民の不正と偽善を認識して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、軍備を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭が地上から永遠に無くならないことを深く自覚し、国際社会において、畏怖される地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれず、平和のうちに生存することの不可能なことをを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念し、他国を無視しているのであつて、政治道徳の法則は、利己的独善的なものであり、この現実に対処することは、自国の主権を維持し、他国に優位な関係に立たうとする各国の国是であると信ずる。

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田母神の品位   文科系

2008年11月16日 02時43分19秒 | 国内政治・経済・社会問題
田母神、この人物の人間としての品位のことであるが、それは極めて低い。また、彼の言動は犯罪的だとさえ思う。田母神と呼び捨てにできるほどに。

まずなによりも、このこと。
名古屋高裁の判決について、「そんなの関係ねー」と語ったこと。これは立場上犯罪と断定して良いと思う。
国家の3権というものを、その「3権分立」という近代国家の基本精神を、一体何と考えているのか。行政府の高官が司法の決定をあざ笑う。こんなことが許されると考えているのだから、恐ろしいことなのだ。なんという野蛮なセンスだろうか。これを語るのが最高級の軍人であるというのが、この怖さをさらに倍増させる。国家の暴力装置に関わる人間が、近代法の基本をあざ笑っているのだ。

次が、「日本の国をよく語ったら怒られた」という表現に内包されている、野蛮で非知性この上ない発想、センス。「歴史的事実はどうでも良いって言っちゃなんだが、それはまー先ずは脇に置いておいて、なによりもともかく軍人たるものには日本を良く思わせること」と、こう語っているのである。
この田母神のセンスは、このブログの誰かさんのこういう発想、思想?と全く一緒。
「歴史的事実? そんなものは脇に置いとけ。国家がその生存競争に勝ち残っていくことだけが肝心。そのためには、青少年教育では特に、何が何でも国を美しく見せねばならんのだ」

3つ目がこれ。
彼は内閣総理大臣の対外表明を全く無視した論文を公表した。この態度は、日本国民が選挙で選んだ国会、それをもとにした「議院内閣制」で形成される内閣、この両方をコケにした態度である。この与党や内閣に反対する人々も含めて、国民、国会、内閣をコケにしたということである。論文で堂々とそういう意見表明をするというのは、個人的にどこかで喋るという言論の自由とは全く別の次元のことなのに、この二つの区別も付かない発想、思考、センス。国民、国会、内閣を公然と、大々的にコケにしたという自覚の欠片もないのである。

以上三つの意味において、公、法という精神がこれだけ欠けた、野蛮かつ非知性的な高級役人というものは、何と語ったら良いのだろうか。今の日本国の中の、一体何がこんな化け物を生み出したのであるか。
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今年度アジア・クラブチャンピオン・ガンバ大阪をたたえる   文科系

2008年11月16日 01時35分50秒 | スポーツ
4日間、連れ合いと沖縄へ旅に出ていて、この12日にガンバがアジア・サッカークラブ・チャンピオンになったことを那覇の宿で知った。オーストラリア代表・アデレードユナイテッドとの第2戦を、その最後30分ほどを、深夜のNHK衛星放送で偶然、辛うじて観ることができたのである。5日にあった第1戦が3対〇、この第2戦が2対〇と、会心の勝利だ。なお、第1戦については、当ブログ11月8日に拙稿を書かせていただいているので、興味のある方はそちらもお読み願いたい。

またなお、この決勝戦の相手、オーストラリアのアデレード・ユナイテッドは準々決勝で日本の鹿島を1対1と1対〇で破ったチームである。鹿島の監督は「非常に強いチームだった。守備が屈強であって、よく走るチームでもあり、競り負けてしまった」と講評していたものだ。こういうチームを相手にして上記のような会心の勝利なのだから、ガンバの強さが特別に光って見えるのである。
アデレードの監督の敗戦講評が、潔くもあって、ガンバの強さを際だたせていたし、また非常によく的をついたものだとも思った。
「ガ大阪の選手はピッチのどこにでもいた。15人を相手に戦ったような気分がした。すばらしいチームだった」
この講評は僭越ながら、8日に僕がここに書いた第1戦の講評と同じである。
「本当に、遠藤って凄いねー。ガンバの選手たちがみんな位置取りが良かったのも、遠藤が模範と、そんなことまでを想像してしまった」
つまり、選手たちがさりげなく走って、さりげなく良い位置にいるから、相手監督にとっては「15人を相手に戦ったような気分がした」ということなのだろう。

次にこういうガンバの柱とも言うべき遠藤選手が、第2戦の前に語った言葉。これは、毎日新聞の記事から抜いたものである。
「守りに入ることは100%ない。流れの中で引くことはあっても、基本的な(攻めるという)姿勢は何も変えない」
「(第1戦に3対0で勝っているのだから、第2戦は)引き分けでもいいと思ったら危ない。第2戦も勝ちに行く」
ガンバは、この大会全体でも、遠藤が語ったように攻勢的な成績を残している。1次リーグが4勝2分け。得点14失点8。予選勝ち上がりの8チームで各2戦ずつ戦う決勝トーナメントが、5勝1分け。得点13失点3である。サッカーとしては特に堂々た攻撃的な成績と言える。

さてこの結果により、今年12月のクラブW杯争奪戦にアジア代表としてガンバが出場することになる。対戦する各地域勝者はこんなふうだ。ヨーロッパがマンチェスター・ユナイテッド(イギリス)。南米が、ブラジルやアルゼンチンのクラブに競り勝ってきたLDUキト(エクアドル)。北中米カリブ海がパチューカ(メキシコ)。アフリカがアル・アハリ(エジプト)とコットン・スポーツ(カメルーン)との勝者など、である。

これはちょっと軽口ではあるが、最後に一言。
「野球のアジア代表決定戦は、予選もなくて、わずか4国の対戦? それなのに、日本代表の西武が韓国代表に負けて、台湾に辛勝? 弱いねー!! 大丈夫なの?
まー、監督が原じゃ、それも巨人の横車が匂うような不明朗な選ばれ方をしてきたことだし、その実力を大リーグ日本選手に信用されそうもないのだし、今年は駄目なんじゃない?? 大体、原が監督やってイチローや松坂が来てくれるの? 落合なら喜んできてくれるだろうけどねー。イチローにしても松坂にしてもセリーグ、巨人の『大きな顔』に良いイメージを持ってないんじゃないのかなー」
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