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マルクス思想の正しさと不足したもの 文科系

2008年11月18日 10時14分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
改めて振り返る、マルクス思想の正しさと不足したもの 文科系

これは、現代社会観についての過去の個人的な反省を含む簡単なまとめのようなものである。そういう反省のまさに「現在版」というところだ。ご笑覧願いたい。

サブプライムやその破綻、G20サミットの論議などを見ていて、老いた、ない頭で題名のことをつくづく振り返っている。およそ正統的経済学の大家と呼ばれた学者ならばその誰もが、草葉の陰から手に汗握ってG20サミットを見つめていることだろう。そんなことが脳裏をよぎった。カール・マルクスも、メイナード・ケインズも、ジョン・ケネディの経済問題顧問格であったケネス・ガルブレイスも。
G20で出された諸問題は、その本質において彼らの述べてきた核心の延長線上のものであると思う。資本主義経済諸課題の核心の捉え方が、その核心の爆発した様態とその対策に悩んでいるあり方が、諸方針の根底となる考え方そのものも。その規模こそ途轍もなく大きいものになってしまったのだけれど。何も、「蟹工船」や「超格差社会」だけを今ことさらに持ち出すこともない。彼らが資本主義社会の焦点と見たものが、まさに今爆発して世界がぜいぜいと喘いでいるのである。

根本の問題としては、人間たちの誰か諸個人がことさらに悪いというわけではない。どんな世界的に有力な諸個人からも離れて一人歩きして来た世界経済が人間たちの生活、生命をまさに根底のところで激しく揺さぶっている。「人間疎外」そのものの様相であると言えると思う。
ただ、この爆発への正しい処方箋はまだ誰も書いていないと思う。過去の「一国的対処理論」をいくらひっくり返してみても、問題のグローバルさへの具体的解決策としては「類推」的対策のようなものの域を全く出られないだろうから。つきつけられた課題ははっきりしているが、解決方向は漠然として、喘ぎながらの激しい試行錯誤が続いていくと言うほかはないだろう。

ともあれ、マルクスらの見た課題の分析内容などを最も短い箇条書きにしてみよう。
① 資本主義はその性格上、必ず資本の方が労働よりも大きくなるものだ。よって、供給の側が消費の側よりも必ず大きくなって、こうして、何を作っても売れないという事態が必ず訪れるものである。この結果が不景気、その極が恐慌と言えよう。
② これを管理しなければ、つまり有効な需要を作り出せなければ、失業、戦争、自然破壊など、ありとあらゆる人間の不幸が地球上に起こるものだ。資本主義はつまり、需要不足から暴走して人々を踏み潰す運命、必然性がある。こういう資本主義の本質とは例えば、暴動を起こすほどの飢餓が「有効な」需要とはなりえないということである。「一定の金がない国や人には食料を売れない」とか、「大きな国家批判から、社会福祉や医療もどんどん削られてきた」という意味において。
③ ケインズは、資本主義国家の管理策としてゆるやかなインフレという有効需要を作り出すことを主張し、その実践の先頭にも立った。
④ 「福祉国家」、「大きな政府」や、その後の「公共事業国家」、「軍事国家」などもこういう状況、問題把握、対策の延長という面を大きく持っている。国家予算で需要を作り出したということだ。
⑤ その次の「小さな政府」、「規制緩和」なども、「公共部門の民間部門への事業移転」と見うるから、同じく有効需要の作り出しである。これに成功すればアメリカのように、国家財政をさらに産軍複合体に注ぎ込みうるという別の大きい需要も作り出せたのだし。ただし、「福祉、医療も民間で受けられるように、みんながさらにがんばって働くようになるだろう」という理屈が、人々によって現に実行されたかどうかは、別問題である。
⑥ 月賦、その極みとしてのサブプライム、住宅バブル、アメリカに見る借金による大量消費の勧め、さらには先物買いや金融商品、そこから派生したデリバティブなど数々のマネーゲームの創出などなども、すべて新商品開発、新たな需要の作りだしという側面を持つ。ただし、その結果としてより大きな根本的難問が生まれた。マネーゲームは、他方に世界的飢餓や貧困を生み出してきたから、ますます資本の投資場所がなくなったという側面を持つ。
⑦ こうして今、⑤⑥の爆発、恐慌の到来。G20サミット新聞報道の見出しにも「(暴走した)すべての金融の規制」、「新興国含め連携 内需刺激への財政出動」。中国、インド、ブラジル、ロシアなどが、ここで世界の注目を集めているのも、経済発展が著しい人口の大きい国ということで、将来有望な有効需要国と見られているからに他ならないと言えよう。

以上をもっとも簡潔に要約すればこういうことになるだろう。
資本主義とは「よこしまな金儲けの世の中」というよりも、「世界にきちんとした需要が少なくなって資本がもうからなくなっていき、そのときに人間にとってろくな事が起こらないことが必ずある経済体制」と言える。そう言ったほうが説得力も増すと思う。
今の資本、会社というものがそれだけ投資場所を求めてさまよい、結果として世界・社会に巨大な諸困難をまきちらす存在になってしまったということだ。なんせ、証券会社数社の破綻がもとになって、世界が何千兆円という損失を出し、「100年に1度の苦境」、どん底に突入してしまったのだから。

カール・マルクスはこういう社会分析から、この体制の根本的変革を探求して、労働者とその国家掌握、つまり「空想的でなく、学問の裏づけのある社会主義」を主張するに至った。しかしながら「科学的社会主義諸国家」は周知のように、民主主義に離反し、予告したようには生産も伸ばすことができぬままに、国民から見放されるに至った。
マルクスの現状分析の核心はその後現在まで多くの学者にも認められ、正しかったと思うが、その変革方向やその変革主体などの探求は誤っていたか時代に合わなくなったかのどちらかという他はないと思う。「根拠のない将来の青写真は描かない。我々は現実社会の主要な矛盾を描き、その止揚として社会主義を提起しただけである」とマルクスは豪語したのだが、将来のことはどういう言い方をしてみてもやはり「青写真」の要素を含むと、そういうことなのだろう。
目の前のものの現状分析はやりやすくても、将来を語るのは難しい。これはちょうど、現在から過去を批判することはたやすいように見えるのと裏表のようなものだろう。それを比ゆに使って言えば、現在から過去を批判するのは容易だが、「来るべき未来」でもって現在を批判するのは至難であると、そういうことなのだろう。

「我々は科学的だ」などと豪語する「科学的社会主義者」は、やはり傲岸不遜というほかはないと思う。
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裁判員制度は国民にとって危険で迷惑?    まもる

2008年11月18日 09時22分44秒 | 国内政治・経済・社会問題
 いよいよ来年5月の実施に向けて、今月から裁判員候補者に通知が郵送されているそうです。まだまだ先の話と思っていたこの制度が始まったわけです。

 とても重要な改革なのほとんど議論されることもなく始まってこれでいいのかと不安です。
 我が家でも妻は「絶対いやだ。」と言うし息子は「面白いじゃん」と言うし
私は疑問と好奇心゛半々の状態です。

 国は裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。

 と言っているがみんなどう考えているのだろうか?

 このブログの読者の方々にも是非聞いてみたいものである。
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