九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「9・11」の謎 3  へそ曲がり

2006年09月18日 13時39分23秒 | Weblog
クリーブランドの怪 

 さらに、これを裏付けるかのような驚くべき報道も存在する。オハイオ州シンシナティに、WCPOというローカルテレビ局がある。その番組「9News」が当日午前に放映したところでは、墜落したはずのUA93はそこから約300キロ離れた五大湖の1つであるエリー湖に接した同州クリープラカド市の空港に着陸したという。
「ミカエル・ホワイト市長によれば、ボストンからのボーイング767機が機内に爆弾があるという疑いのため、クリープランド・ホプキンス国際空港に緊急着陸した。市長は機体がが空港内の安全地帯に移され、乗客も退避したと述べた。ユナイテッド航空はその旅客機が93便てせあることを確認したが、乗客が何人いたかについては言明しなかっ。会社側はボストンからロサンジェルスに向かう他の175便についても『深く心配している』と語った」
 UA93はボーイング757で、767ではないが、会社自身が93便であると「確定」したことの意味は重い。そこでの着陸時間は触れていないが、「公式発表」によれば、UA93はニューヨーク州のニューアーク国際空港を午前8時42分に発着し、サンフランシスコに向かう途中、そのクリーブランド上空で9時36分に突如左先回し旋回して首都ワシントンに向かい始めたという。
「9News」のこのニュースがWCPOホームページに掲載されたのは当日の午前11時43分とあるから、実際の放映からホームページ掲載までの時間を考えれば、左旋回せずにそのまま着陸したとしてもおかしくない。
 問題は「ハイジャックされた」という定説を決定的に覆すようなこれほど重大な情報にもかかわらず、「報告書」に触れられるどころか「9・11テロに関する独立調査委員会」が関心を持った形跡すらないという点だ。
 しかも、後に引退したホワイト市長やユナイテッド航空も、さらにはWCPOも今日までこの件について一切コメントしていないばかりか、ニュース自体が04年6月以降ホームページから消えてしまった。そこには現在、見出しは残って変わっていないものの、「この記事はWCPOのホームページから削除されました。記事はAP通信からのもので、事実関係が違っていました」とだけ記載されている。
 だが、最初のオリジナルにはAP通信の表示はなく、「9News」のスタッフのレポートと明記されている。しかも3年近くも修正なしで掲示しておきながら、突然の削除が例の「報告書」の刊行1カ月前だったのは単なる偶然だったのだろうか。
 映画「ユナイテッド93」は、できとしては悪くない。だが、ストーリーが「事実」として世に広められているとすれば、危険な臭いを感じる。「9・11」は、「乗客」の美談話を真に受けられるほど単純な事件ではない。 (終わり)

 なお、この疑惑について、命を狙われながらも、真実を伝えたいとの願いから、世界中を行脚している「ジミー・ウォルター」氏のことが記載されています。
 もう1回追加してそのことを紹介したいと思っています。よろしく。

「追加」
 このテーマについて、これまでに連載されてきた内容を大幅に加筆した著書が今月になって発売されています。
  「成沢宗男」著 「9・11の謎」 - 世界はだまされた? (株)金曜日  ¥1,050(税込み)  
 
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こんな投稿も欲しい  文科系

2006年09月18日 13時15分25秒 | Weblog
1 まず、「専門性」の発揮ということ。中年以上の人には必ずこれがあるはず。「深い話」は、「浅い情勢話」や「紋切り型の政治話」よりもはるかに面白いです。2の趣も加味されれば、なお結構と思います。
2 次いで、文化のこと。ご自分のいろんな文化活動を自慢し合いませんか。「山本さん記事」のように、身近な他人のそれの紹介でも良い。こういう大切なものを戦争、「戦時体制作り」で予算なども含めて犠牲にされてなるものかと、こんな山本さんのような勢いでどうでしょう。ご本人の大切さが伝わるようにお願いしたいものです。
3 高齢者の正当な抗議。世の中に「高齢は罪」のような雰囲気、逆にそれへの抗議などが溢れています。投書欄、新聞記事などに、これが見えない日はありません。この正当な抗議が小泉・安倍に向かえば、自民党政権などすぐにひっくり返るはず。「これを許しちゃ、どうしようもない」という勢いでやりませんか。
4 良い新聞記事、本の内容紹介、読後感などもどうでしょう?これをやり始めたら、僕は投稿の種に事欠かなくなりました。

さてみなさん、こういう記事をどんどん書き合いましょう。このブログもみんなの努力の甲斐あって1日に、50人~100人の人が、400~700面も覗くようになりました。「討論クラブ」としてさらに、どんどんと豊かになっていきたいもの。
1党独裁の中国でも、インターネットだけが唯一、政府に対抗するものになりつつあります。
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九条会員「山本さん」頑張る。ドームで72キロ    まもる

2006年09月18日 00時17分11秒 | Weblog
 昭和区九条の会会員「山本さん71才」が、6日ヤクルト戦前のスピードコンテストに出場しました。
 その雄姿があくる日の「中日スポーツ」にも大きく取り上げられて記事になりました。
 記事によると、「この日スピードボールコンテストに71才の山本俊一さんが挑戦した。目標は90キロ超えで、惜しくも72キロにとどまったが、スタンドから大きな拍手を浴びた。「せめて年齢は超えたいと思っていたのでホッとしています。ドラゴンズの創設以来のフアン。今季の優勝を熱望しています・・・」の談話も載っていました。
 山本さんは、「昭和区スポーツ平和の会」でも活躍されており。今回も次の様なメッセージを皆さんに語ってみえます。
 
 私は日本プロ野球誕生と同じ1934年昭和九年生まれの七十一歳です。
 戦争当時は疎開など幾多の苦難を乗り越えて着ました。それも家族は無論親戚・地域の方々の「愛」に守られていたこと、中学時代に体験した「野球」のお蔭といつも感謝しております。
 本日、憧れのナゴヤドームのマウンドに立てる事は夢のような心地でございます。
 今は、孫のような地域の小学生達の野球指導で楽しませて頂いております。
 これも、考えてみれば「平和な時代、平和な日本なればこそ!!」と痛感しています。そして今後も心身を鍛え希望の持てる未来の為に「老人パワー」で地域のお役にたちたいと願っております。
 最後に我中日ドラゴンズの日本一といつまでも平和な日本であり続ける事と世界の平和を祈りつつ「一球入魂」。 この夢の機会を与えてくださった皆様方に改めて御礼を申し上げます。 
 夢を叶えて下さってありがとう!!!! 2006・9・6  山本俊一
 
 昭和区九条の会としても、その元気さを学ぶと共に 「スポーツ」「地域」「平和」に末永く尽くされる事を期待しております
    
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アメリカの保守主義と右翼 その4 千里眼

2006年09月17日 17時51分59秒 | Weblog
7.アメリカ保守主義の流れ
 
 アメリカの歴史は、つねに2つの思想的潮流の対立を内包しながら展開されてきた。それは「リベラリズム」と「保守的思想」との対立である。しかし、「アメリカの知的伝統の中で保守主義はまったく相手にもされなかった」(ミルトン・フリードマンの自伝)と言われるとおり、「リベラリズム」の陰にかくれて、その理論的体系も持たない保守主義は底流としてアメリカの思想界に存在するに過ぎなかった。
 一般的には、上記のように指摘されるが、これはあくまでも言論界・思想論議の上でのことで、国民意識のなかには、伝統的家族の尊重に見られるような保守的意識は根強く存在していたことは言うまでもない。
「ヨーロッパ的な階級社会ではなく社会的流動性があり、個々人が自由に人生を選択し、豊富な機会が存在し‥‥本来は保守主義が存在する機会のないリベラルな社会」である、とデビッド・ウッドアードは述べている。そんなアメリカにとって、「保守すべきもの」「守るべきもの」とは何なのか。アメリカ保守主義はこの問題から出発せねばならなかった。
 大恐慌のなかでのニューディール政策は連邦政府への権力集中をうながし、第二次大戦は戦争遂行のため連邦政府の権力巨大化をもたらし、戦後は福祉国家を旗印にさらに肥大化を続けた。それを進めたのは東部リベラル知識人を主流とするリベラリストであった。
「大学はリベラル派の学者に占められ、ジャーナリズムもリベラル思想の影響を強く受けていた」と、保守主義者は言う。
 保守主義者は、巨大な連邦政府の出現に危機感を抱き、アメリカが建国の理念から逸脱し始めたと認識した。そのアメリカの現状は、神の存在を否定し、国家が個人を支配し、もはや絶対的な善悪の判断基準のない「道徳的相対主義」の国家に堕したと考えた。国家の個人領域への介入は、やがて個人の自由と選択を規制する「全体主義的傾向」へ発展するのでないかという警戒感を保守主義者は抱いたのだ。
 保守主義者は共通の言葉と理論を持たず、思想運動としても政治運動としても統一的活動をすることができなかった。が、この危機感を受けて、1950年代からアメリカで本格的な保守主義の理論構築の試みが始められた。「アメリカ保守主義の祖」とされるリチャード・ウイーバーを経て、1953年にラッセル・カークの著書「保守主義の心」で初めて、アメリカにおける保守主義思想が体系化された。続いて、保守主義を主張する論文・著作が相次いで出版されるようになった。カークは保守主義思想を体系化するとともに「保守主義の六つの規範」を提唱した。この思索的、哲学的内容は私の理解能力を超えているので、ここで述べることは避けたい。
 しかし、こうして社会的影響力を獲得してきた保守主義者の社会問題・政治問題に対する提言はきわめて単純で理解しやすい。次の投稿で触れる。 
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「9・11」の謎 2  へそ曲がり

2006年09月17日 07時31分47秒 | Weblog
 現場で消えた残骸

 その最大の原因が、墜落現場とされるシャンクスピルの旧炭坑近くに残された大きな穴だ。すでに何種類もの写真が公表されているが、深さが1.8メートルある。UA93のボーイング757-200は、長さ47,3メートル、両翼が38メートル、尾翼を含めて高さが13.65メートルに達するが、航空機の胴体部と両翼が垂直に落ちて地面に跡を残したような形状になっている。だが、次のような指摘が出ているのをどう解釈すればいいのか。
① UA93は43,490リットルの燃料を積めるが、事故発生時にはまだ34,000リットル以上を残していたと推定される。ところが現場付近の木立は燃えた跡があるが、なぜか穴周辺にはそれが見当たらない。
② 通常なら大型機が墜落して出来た穴なら周辺の土が吹き飛ばされるはずだが、事故直後の写真やビデオの映像を検証すると、穴の周りには雑草が生えている。そうするとこの穴が、本当に2001年9月の墜落で生じたものかどうか不明になる。
③ 穴には、巨大な翼や胴体部分の残骸が一切残されていない。後になって、穴からエンジンが1機分パワーショベルで掘り出される場面の写真が政府によって公開されたが、多数の残骸が散乱する航空機事故の現場としては絶対にあり得ない光景だ。
④ UA93は墜落直前、150メートルという低空を自足800キロで航行していたと推測されるが、ボーイング757は垂直に下降したり機体を反転するといった危険な動作は、予め組み込まれたコンピューターによって不可能になるように制御されている。仮に伝えられるような「テロリストと乗客の格闘」によって操縦が困難になっても同様で、穴の形状が示すような垂直落下という状態は考えられない。
 したがってこの穴が、UA93の墜落現場と即断定するのは困難だろう。しかもそこから出てきたというエンジンを含め、機体番号と一致する残骸があったかどうかはこれまでの航空機事故の慣例に反して一切公開されてはいない。極言すれば、「格闘」があったかどうかどころか、UA93が墜落したという事実自体を裏付ける物理的な証拠すらきわめて乏しいのだ。
 アメリカン航空などて22年のパイロット歴を誇るG・スタニッシュ氏は「訓練の一環であらゆる航空機事故の現場写真やビデオ、スライドを見せられてきた」経験から、この場所でまともに製造された757機が激突した証拠が残されていないという報道に接し、「こんなことがあり得るのかと仰天した」と言う。
 なぜならこうした事故現場には「常に広い残骸の散乱場所が残される」からで、そのため、「本当にこの穴が伝えられているような757機らよって生じたものなのか」という疑問を投げかけている。  (つづく)
 
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オシム監督は、敗者からも学ぶと(保守系)

2006年09月17日 02時16分56秒 | Weblog
歴史は、勝者のものだけでしょうか?敗者とて、歴史に登場して語る資格があると思います。敗者が故に、敗者たる理由があります。オシムが言うように敗者であれば、今度こそは勝者になるという道があるはずだと言っていました。
文科系さんのは、ある意味では勝者の歴史を語るばかりです。
貴方とはアメリカニズムなどでは見解が一致するのですが、こと天皇制や日本国を語ると、いらいらされます。それは何故でしょうか?
貴方の日本という国へのトラウマは何故生じたのでしょうか。
それが私には理解できないのです。
私と貴方、そう年齢で、大きい差がないように思います。でも何故こうも異なるのでしょうか。この日本が嫌いですか。貴方も私も戦争へ行った経験もありません。
人を銃で殺したこともありません。日本は、アホのようにこの馬鹿げた憲法を守ってきました。いや守れただけです。
その事の本質的な問題に貴方は思いを致していないと思います。
へそ曲がりさんにいたっては、結構戦後日本の恩恵に預かりながら、自国の戦前の日本をアメリカが裁くように裁いています。
もういい加減にしたらどうかと思うのです。
どうして日本という国は、反省好きなんでしょう。これでは国際政治の社会ではやっていけないのです。反省すればするほど、シナや韓国・ロシアは付け上がってくるのです。それが理解できなのでしょうか。
その危険性にへそ曲がりさんも文科系さんも気がついていないのです。
お互い冷静になりませか?
また週刊金曜日は、左翼の雑誌です。というか共産党を見限った雑誌です。
そんな雑誌を見つけるのは至難の業です。
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「9・11」の謎 1  へそ曲がり

2006年09月16日 08時33分13秒 | Weblog
 最新の「週刊金曜日」に「9・11の謎 Part 4」という記事があります。2ページという長さですが、興味深い「謎」になっていますので、3回に分けて全文を紹介します。

 ユナイテッド93の真実

 各地で、米ワーナーブラザーズ配給の映画「ユナイテッド93」が上映それている。「9・11」事件でハイジャックされたという4機のうちの1機で、ペンシルバニア州シャンクスビルに墜落したとされるUA93便をモデルにした作品だ。
 この映画の宣伝用サイトには「錯綜する軍や政府と対照的に、団結してテロリストに立ち向かった乗客たち。鳥肌が立つほどの感動を覚えた」(『週刊朝日』編集長 )といった「メディアからの賞賛の声」がいくつか掲載されている。だが、これは監督したポール・グリーングラスによると「事実の正確な描写」による「真実性が備わった映画だという。
 すると、製作した側も「感動」した観客も、ストーリーが「事実」に基づいているという前提に立っているようだ。そして彼らが「事実」だと思っている根拠は、ブッシュ政権の発表やそれと大差のない2004年7月に刊行された「9・11テロに関する独立調査委員会」の「報告書」の類だろう。
 だが現在米国で顕著なのは、これらがほとんど信用できないとみなす世論の増大である。日本でもおなじみの人気映画俳優チャーリー・シーンが今年3月、「自分は陰謀論者ではない」としながらも、「19人のアマチュアがカッターだけで4機の旅客機をのっとり、目標の75%に追突したなんて話は、それこそ陰謀くさい。(本当かどうか)多くの疑問が湧いてくる」とラジオ番組などで発言し、全米で多くの反響を呼んだ。
 さらにこの直後に実施されたインターネット上のアンケートでは、「政府が『9・11』の真相を隠していると主張するチャーリー・シーンの発言に同意しますか」という項目に対し、回答を寄せた53,927人のうち実に83%が「イエス」と表明している。日本の「メディア」も「鳥肌」を立てる前に何が「事実」なのかを自身で検証する姿勢が必要なのではないか。
 「9・11」はすべてが「公式発表」では説明不可能な多くの謎に覆われているという点に特徴がある。UA93も例外ではなく、未だ証明もされていない。
 「テロリストに立ち向かった乗客」という美談がかすむほどに、「そもそも何が起きたのか」という事実認定の段階から迷路に入っていく。  (つづく)
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映画「蟻の兵隊」のご紹介。          まもる

2006年09月16日 02時08分09秒 | Weblog

今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。
                                                                      ※このほかネットで「蟻の兵隊」を検索すると沢山の支援のサイトが載っていました。名古屋での上映はと調べてみると8月5日から二週間開かれていました。

 今後の予定としてアンコール上映が 11月18日(土)よりシネマシスコールで予定されています。 電話 452-6036に問い合わせてください。

※また ご覧になった方がみえましたら是非、感想を送ってください。

     
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いじめのトラウマ? 文科系

2006年09月16日 00時02分49秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
いじめのトラウマ

今から50年前、僕は小学校3年でこの大都市へ転校してきた。そして、三河弁丸出しへのあざ笑いから始まって小学校卒業まで、男集団からイジメられた。以来、多数や強者の、少数や弱者に対する暴力には泣けるように腹が立ち、後先かえりみず後者を守ろうとする癖がついたようだ。事実そう行動したことも幾度かあったし、この癖が後の人生方向を決めたのかなと思い当たることもある。そんな癖の視点でなのだろうか、先の対アメリカテロ事件の今後に関わって、どうしても言いたいことがある。
10年前からアメリカはイラクを蹂躙している。フセインがクウェートを侵略したから、彼を懲らしめるのだと。僕はあの頃、何日も何日も一方的に大小の弾丸が地上に飛んで行くテレビ映像を、例によって泣けるような気持で見つめていた。そしてこの場面を、世界を味方につけた超大国による一方的な蹂躙だととらえた。あの時10歳のイスラムの子は今20歳。イスラム同胞が大国にいじめられたという理由で、イスラム圏の旧戒律「眼には眼を」を自分の後の人生全てに替えた者が出ても不思議はない。一般市民が超大国に殺されたことに彼が納得できる理由など何もないのだ。
「弱者が、ブッシュの息子に返す『眼には眼を』。決死のやり方以外に成功は見込めまい。その結果市民に及ぶ災いを抗議されたら『父ブッシュに文句を言ってくれ』と僕は一蹴しよう。父ブッシュが10歳の僕を、『気の毒なことだがフセインに抗議せよ』と一蹴したのと同じように」
これが、彼らの言い分だろう。
さて、アメリカは次にアフガンを蹂躙すると言う。「眼には眼を」の人生をさらに多く生み出そうと宣言したのだ。さらに、法律を変えてこの超大国サポートを手厚くしようなどと、世界2番目の大国となった日本政府がまたぞろ言い始めた。さらにさらに、中日新聞などがこれに同調して、「日本は、湾岸戦争のように金だけ出すのでは、世界から孤立する」(130億ドルも出したのに「もっと熱心にいじめに加わらないと、自分がいじめられるよ」)などとけしかけている。(例、9月19日「テロとの戦い6」)

どこかおかしくないか?! それとも涙が出そうになる僕がおかしい? いじめのトラウマかな?
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アメリカの保守主義と右翼 その3 千里眼

2006年09月15日 23時07分51秒 | Weblog
5.福音派とキリスト教原理主義
 
 前回の投稿で福音派についての記述を終えるつもりであったが、急ぐあまり、教義そのものについての記述も省略して、きわめて不十分であったと反省しこの稿を起こした。
 百科事典「ウィキペディア」によると、キリスト教原理主義は「キリスト教のプロテスタントの中の福音派右派の思想」とある。福音右派とあるが、福音派と考えてもさしつかえない。つまりこの記述では、キリスト教原理主義=福音派として扱っている。この「ウィキペディア」の記述は日本版だけの記述で、ヨーロッパ版では、決してこんな記述にはなっていないであろう、と私は思う。長くなるからここではそれに触れ得ない。キリスト教原理主義の概念の方が福音派より広い概念である。狭くアメリカの福音派に限定するのはどう考えてもおかしい。ただし、アメリカにおいてはイコールと考えることはできよう。
 福音派の教義の核心は、「聖書を文字通り一字一句が真実で、過ちは決してない」とし聖書至上主義の立場を取っていることにある。したがって創世記の物語もそのまま、世界の歴史そのものと捉えている。この教義の核心は次の5つに整理できよう。① 聖書の無誤謬性、② イエス・キリストは処女から生まれたこと、及びその神性、③ 購いの教義、④ イエス・キリストの復活、⑤ イエス・キリストの再臨、を信ずることにある。
  
6.布教活動と政治活動
 
 福音派は、アメリカにおける他のキリスト教諸派と異なり、政治活動に熱心である。さらに福音派は布教にきわめて意欲的に取り組む。
「アメリカを、キリスト教倫理を根本にすえる国家に作り変える」という理想を掲げ、政治の世界と社会の底辺に積極的にかかわっていくという姿勢を持っているからである。
 福音派は4万2千の協会が属している南部バプティスト連盟(1960年から2000年にかけて、信者数は1000万人から1700万人へ) ペンテコステ派(200万人から1200万人へ)などいくつかの教派に分かれている。さらに特徴的なのは無協会派のビリー・グラハム師、その子供で後継者のフランクリン・グラハム師の大衆伝道の活動である。きわめて意欲的に全国にわたって集会を組織遊説し、さらにはテレビを積極的に利用して、意欲的に大衆伝道に身を捧げている。アメリカで最も有名な牧師になっていて、NHKの特集番組にもこの活動が取り上げられたので記憶している方もいるであろう。
 さらに、連日テレビに登場し時事解説や分かり易い説教で人気のあるテレビ伝道師パット・ロバートソン師もいる。彼は、破産したテレビ局を買収し、それを基にキリスト教放送網を作り上げたのだ。このような活発な伝道活動のなかで、信者数は1960年以降急速に増大してきているのだ。
 2004年12月の「ニューズウイーク」の実施したアンケート(18歳以上の1009人対象)によると、「イエス・キリストは、処女マリアから、人間を父親とせず生まれた、と信じますか」という問いに、79パーセントが「はい」と答えている。「聖書にあるすべての記述は、文字通り正しく実際にあったことであると思いますか」の問いに、55パーセントが「はい」と答えている。この数値をすべて福音派の成果であるとは私は思わない。が、次の図式は成り立つと思っている。「はい」と答える人々の増加(保守的意識の広まりとあいまって)→それを基盤に福音派の広がり→「はい」と答える人々のさらなる増加。

 政治活動の面でもきわめて積極的である。政党は組織していないが、さきほどのロバートソン師が福音派の政治組織「キリスト教連合」を創設した。その会員は1994年段階で200万人を組織し、各種選挙で共和党を支持して積極的に活動していた。2000年代にはいるとこの「連盟」の活動は表面では目立たなくなるが、それに代わって、共和党の下部組織のなかに浸透し共和党を下から支える活動を展開している。この力がブッシュ再選の原動力となったのだ。ロバートソン師は「35万の信者が熟達した活動家になった。そして、現在は共和党の中枢を担っている」と豪語している。
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自虐史観の反対は、他虐史観  落石

2006年09月15日 08時43分24秒 | Weblog
遊就館の展示を支えている歴史観を支持する人達は、
これまでの歴史観を「自虐史観」として批判しています。
アジアへの侵略を反省することは自虐だという考えです。
自虐の反対は他虐。他虐史観、これこそ自虐史観を批判する
人々の史観でしょうか?

遊就館の展示にはありませんが、日本の戦争は、じつに
多くの人々、「他」を「虐」めてきました。
今も、韓国、中国、台湾、フィリッピンなどアジアの人々が
遊就館の展示をみれば、虐められてきたことを思い出すでしょう。
東條英機さんは「わが子孫は、100年は何もいうな」と、
遺言したそうです。
この話を聞いた時、それなりの見識を持っていると思いました。
そういう意味で、遊就館の展示は、被害を受けたアジアから見れば、
「これしか道はありませんでした」という言い訳と、
「あなたのためにしたことです」という独りよがり、
と批判されても仕方の無いものを持っています。

靖国神社から千鳥が淵墓苑にまわってみました。
こちらは数人の人が訪れているだけで静かな佇まい。
緑も豊かです。
死者が静かに眠れるのは、どちらでしょうか。

   


日本人の多くは先の戦争で加害者であったという事実を
直視することを避けてきました。
東京裁判が行われるなかで、軍部にだまされた被害者だった
という意識が強くあります。
中国・韓国などとの国交が正常化した頃から、
加害者としての国民のありかたが、再び問われるようになったようです。

国民は、経済大国となって誇りを取り戻していましたが、
成長がストップして共有可能な夢を失っています。
小泉さんは、国民をばらばらにする政策をすすめ、
ひとつの纏めるためにナシュナリズムに飛びつきました。

この複雑な状況のなかで、戦争体験から切り離された若い世代が
遊就館を訪れて、何を感じ、何を得て帰るのか?
21世紀の日本の針路に大きく関わってくることだけは
間違いないでしょう。


    靖国神社見聞記  終り



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私の原点は怒り 中日新聞の記事に触れて  千里眼

2006年09月15日 05時04分44秒 | Weblog
 
 最初に中日新聞の記事を引用しよう。「5回目の9・11を前にした8日、米国の上院情報特別委員会が、イラク攻撃の根拠の一つだった旧フセイン政権とアルカイダの連携をあらためて否定した。『大量破壊兵器』説に続き、戦争理由の虚構があらわになった。開戦を支持した日本政府の責任も厳しく問われるはずなのだが」という書き出しで始まる。
 「『特別委』の報告書では、大量破壊兵器の存在を再び否定したうえ、フセイン元大統領が国際テロ組織アルカイダと結ぶどころか、脅威と感じ、‥‥ザルカウィ容疑者(今年6月死亡)を捉えようとしていたことなどを指摘。ブッシュ政権が唱えたイラク戦争の大義を全面的に否定した。元来、アルカイダと旧フセイン政権の連携は専門家の間では“噴飯モノ”だった」‥‥途中カット
 「大量破壊兵器をめぐっては、小泉純一郎首相が2003年6月『大量破壊兵器はいずれ見つかるとおもう。フセイン大統領が見つかっていないから、イラクにフセイン大統領は存在しなかったと言えるか』という、“迷答弁”を披露した。」
 「だが、米国が“虚構”を認めてしまった後は『武力行使を支持したのはイラクが12年間、国連安保理決議に違反を続けたからだ』(04年10月の衆院本会議)と説明。あれほど強調していた『大量破壊兵器の脅威』はいつの間にか消えていた」‥‥途中カット
 「安部晋三官房長官が11日‥‥『今の段階でも、あの時の判断は合理性があった』と、旧フセイン政権とアルカイダの関係には触れずに正当性を強調」‥‥途中カット
 「政治評論家の森田実氏は『そもそも米英は国連安保理決議が取れず、勝手な理屈で攻撃した。日本もイラク戦争支持の根拠として、1991年の湾岸戦争を認めた当時の安保理決議を持ち出したことからして“空理空論“。こんなでっち上げを国会論戦で打ち破れなかったことは、日本政治の深刻な退廃だ』‥‥以下略

 私は、この中日新聞の解説内容に一字一句残さずすべてに同感する。当時の怒りの対象になった内容については、今でも鮮烈な印象となって記憶のなかに残っている。外国のことは別として国内に限ってその一・二を列挙すると、
* 小泉首相が国会答弁でも記者会見でも、「国連決議」に基づいてアメリカが出  兵したと繰り返えしていた。これは全く逆で、出兵に必要な国連決議を取れな  いので、国連決議を無視して勝手に出兵したという歴史事実をすり替えていた  のだ。
* 共産党をはじめとした野党の国会での追及の弱さのために、この小泉首相のこ  の態度を許してしまったこと。
* 公明党冬柴幹事長の「自衛隊の派遣を認めないことは、テロに味方するという  ことだ」という発言。そのときの彼の顔を今でも思い浮かべることができる。

 イラク戦争の大義がすべて否定された今となっても、おのれの間違いを絶対に認めず、強弁・詭弁を繰り返す彼らを見ていて思う、これほど厚顔無恥な人々に日本の政治を任せなければならないとは。
 アメリカに追随して、派兵した諸国の指導者のなかで、今なおイラク戦争は正義の戦いで派兵したことは正しいとしているのは、わずかにイギリスのブレア首相と日本の小泉首相の二人のみとなった。ブレア首相は労働党からも総すかんを食い、その退陣も間近になっている。ただ一人小泉首相のみ終わりを全とうしようとしていることについて、世界はどう見ているのだろうか。
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昭和区九条の会の活動の紹介。 ②    九条ひかる

2006年09月14日 18時25分45秒 | Weblog
 この前、九条バッチ(九条の条文を書いた缶バッチ)をつけて地下鉄に乗った時、隣の席の初老の女性が、「九条の会って、どんなことをするところですか?」と尋ねられた。
 私は、大江健三郎さんなど9名の著名人が、憲法を守るためにつくられた団体です。戦争を再びしないために署名、街頭宣伝、憲法の勉強会、大きな集い、など全国にある5100余の「九条の会」や会員が、無理をすることなくそれぞれができることで憲法や平和な日本を守るための運動をしています。
 と説明しました。
 その方は「そうですか、それはご苦労様です。本当に世の中キナ臭くなりましたものね。もっと多くの方々が参加するといいですね」
 と言われて地下鉄を降りていかれました。
 私はその方をガラス越しに会釈しながら、「九条の会」への加入をすすめなかったことを後悔していました。
「昭和区九条の会」の事務局によれば、郵送での加入申し込みが12日には2名、13日には会員さんの紹介で1名の方が入会されたそうです。
 区内の保育園の「九条の会」では結成の日に新たに20数名が加入され、50名余の父母・OB、職員で楽しく、「九条守れ!」の運動をすることにしているそうです。
「昭和区九条の会」の活動を紹介しますと、昨年は「抹茶を頂きながら戦争を語る会」「731部隊と憲法を語る」「ライブ・ライブ・お笑いぶ」などを行いました。特に「・・・お笑いぶ」では若手のプロ歌手や南山大学の落語研究会にも出演していただき、久しぶりに若者がいっぱいの「つどい」でした。「つどい」後、鶴舞公園で花見に繰り出し遅くまで語り明かすなど、楽しく、賑やかな活動を行ってきました。
 また、7月9日の「結成一周年のつどい」では、中日ドラゴンズの佐藤元社長の記念講演、高校生による群舞、オペラ歌手による「平和コンサート」など多彩な内容でした。「つどい」にははじめて見る顔が多数参加され、九条を守ろうという意識の広がりを感じました。
 次回には、愛知県下の「九条の会」の活動をご紹介いたします。

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話題の遊就館   落石

2006年09月14日 10時20分31秒 | Weblog

靖国神社に参拝をすませた人達は遊就館に向かいます。
入場料800円。
明治15年に軍事博物館としてスタートしており、
ゼロ戦や戦車の実物の展示、グッズ販売コーナーがありますが、
メインは戦争の展示。戊辰戦争から太平洋戦争までの歴史が、
写真やパネル、映画などが紹介されています。

最後の部屋には、軍神の写真がずらりと展示されていました。
ひめゆり記念館でも戦死した女学生の写真が並んでいましたが、
写真というメデイアが死者を蘇えらせる力を持っていることを
実感させるコーナーでした。

ざっと一回りした印象は、日本は明治維新の1868年から
敗戦の1945年まで、ずっと戦争をしていたんだ!というものです。
ひとつの戦争が次の戦争を呼び、その戦争がまた、次の戦争の原因となる。
そして1945年の破局に至る。
そのことを分からせてくれる展示でした。

戦後のおよそ60年を、コインの表とすれば、
そこには平和の姿が描かれていますが、
裏は悲惨な戦争だったのです。
昭和天皇の服装は、戦後は背広、戦前は軍服でした。

展示コーナーの一角で、昭和12年の上海事変当時のニュースを
再編集したものを映写していました。
日本は、西欧から石油などの軍事資源が輸入できなくなるために
宣戦布告をしませんでしたが、
映像が伝えているものは、まさに中国との戦争です。
戦線が広がっていき戦火を逃れて、中国の人々が難民となって
避難してゆく様子が映し出されました。
その後に次の様なコメントが続きます。

 日本軍の所為か?
 戦火のためか?
 なぜ?
 蒋介石の失政である!

このロジック、今、どこかで聞いたことがありませんか?

  

アメリカのイラク戦争で兵士たちが精神的な傷害を受け
後遺症に悩まされていると報道されています。
日本の兵隊も同じ様な精神的な傷害を受けたようです。
ある兵士は突然、奇声をあげ、敵の方に突進していったとか、
塹壕で震えていて気が付いたらいなかったという話を
聞いたことがあります。
日本では、まったく表には出てきませんでした。
おそらく報道規制があったのでしょう。
映像に登場する兵士たちの顔が、イラクで戦っている米兵の顔に
だぶってきました。

  


遊就館の名前の謂れは、中国の荀子。君子は遊ぶに必ず士に就く。
君子たるもの、高潔な人物に就いて交わり学ぶ(遊ぶ)ものである、
という一節からきているそうです。
ちょっと歴史的な皮肉ですね。

                  つづく



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親王様誕生を祝して、公立学校i国旗掲揚の通達!!!   まもる

2006年09月14日 09時51分24秒 | Weblog
 市民ネット「JANJAN」を愛読しているのですが、この記事には驚いた。
 他のメディアでは書かれていないように思います。
 なにしろ、教科書問題で一躍有名になった所ですが、こんな事が続けられているとはビックリデス。
 まるで 戦前にタイムスリップしているみたいな錯覚は私だけか。
 以下は 記事からの抜粋です。書いてくれた石川記者に拍手。
=====================================
国旗が掲揚されたのは9月7日~9日の3日間。杉並区教育委員会の庶務課長名で、杉並区立中学校の校長宛てに出した「親王様ご誕生に伴う国旗掲揚について」の事務連絡によって事実上強制されたものだ。6日の校長会で口頭で話があり、その後事務連絡として各学校にメールで流されたようだ。これを受けて、杉並区内ほとんどの公立学校(小・中)で「国旗」が掲揚された。

 これに対し、「杉並区教職員組合(以下・杉教組)」や「都教組杉並支部」の両教組から抗議・要請文が杉並区教育委員会へ提出されている。また、多くの区民からも疑問の声が上がっている。

 皇室の出産をめぐって「国旗掲揚」を教育委員会が各学校に指示したことはかつてなく、学校現場も困惑の色を隠せない。学校現場からの声によって、事態が明らかになった。

 「従来、皇室関係の何かがあると、上部の役所(総務省、文科省、都教委など)の文書を付けて教職員に知らされるのが常でした」と、ある教員は語る。まさに今回に限っての特異な事態だ。

 「学校とは本来、生命の誕生は人間誰しも平等に祝福されるべきことを教える立場。公の学校が『皇族であること』『男子であること』を理由に、国旗を掲揚して祝福を強制することに対して、現場の教師や保護者たちは心を痛めています」。Aさんはこう指摘する。

 また、多くの教員、保護者が、「何で杉並だけそんなことするの?」と疑問を呈している。

 公権力のこのような振る舞いに、杉教組は9月8日付けで区教委宛てに「抗議・要請」の文書を送った。国旗の掲揚を「明らかに公立学校が保持しなければならない政治的中立性を欠いた対応」、「皇太子家の愛子様出産に際しての対応とは明らかに異なった対応であり、男女平等の観点からしても不適切な措置」と批判している。

 また、(1)杉並区教育委員会が、「親王様ご誕生に伴う国旗掲揚について」の事務連絡を出すにいたった経過を明らかにされたい、(2)皇太子家の愛子様出産に際しての対応と比較して、異なる対応をした理由を明ら かにされたい、(3)今後このよう な対応をしないこと、の3点を要望している。

 一方、都教組杉並支部は同じく9月8日付けで、「一天皇家の祝い事について、『国旗』を掲げて、祝う意思を強制されることは、憲法が掲げる国民主権や思想・良心の自由の理念にも抵触する行為」として、文書の撤回を要請している。

 なお、杉並区は役所内に、9月12日までの日程で、記帳所を設置したことを区のHPで宣伝していた。区庁舎には垂れ幕までおろしたという。批判の声が多かったのか、12日午後8時現在では、すでにHPのトップからはずされている。


(石川梓記者)   
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