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随筆紹介  断捨離でござる    文科系

2016年07月27日 12時38分43秒 | 文芸作品

 「断捨離でござる」     H・Sさんの作品

 信子と同居していた姑さんが死んだ。葬式の後しばらくしたある日、信子が、段ボール箱を抱えて私宅にやってきた。
「これみんな貴女にあげる」、無造作に段ボール箱を玄関先に置いた。箱の上には二枚の押し絵作品も乗せられていた。「祖母ちゃんの形見なんだけど、家に置きたくないの。押し付けて悪いけど受け取ってね」と、私の返事を聞く事もなく走り去った。

 二枚の押し絵(藤娘と潮汲み)を手に取りかわるがわる見つめた。こんな素敵な作品を作った信子の姑さんの技術の高さに仰天した。段ボール箱を開けた。十五、六個の飾り糸で作った手鞠が出てきた。八十歳の姑さんが手慰みで作ったなんて恐れ多くてとても言えない。ここまでの仕上がりなら立派な芸術作品だ。ガラスケースに入れて床の間に飾ればいいのにと私は思うのだが、長年一つ屋根の下で暮らし我慢を強いられた生活を送った信子にとっては、姑さんから解放され、やれやれという思いから姑さんの作ったものは、見たくもない心境なのだろう。こんなに美しく気品のある作品を、手放したことを、悔しく思う日がきっと来るだろう。預かっておこうと段ボール箱のふたを閉じ床の間に置いた。

 三日がたった。案の定。信子が駈け込んできて手鞠を返してほしいと言う。「手鞠はどうしたのだ。あれは誰にもやるな。家に置いておけ」と、連れ合いが信子に言いおいて仕事に出かけた。一言の相談もせず処分したとは言えば喧嘩になる。やばいと、信子は私宅に手鞠があることは、連れ合いには話さなかったと言う。
「貴女が持って来たまま手は触れていないから、御主人が会社にいる間に持って帰ったらいいよ」と、段ボール箱と押し絵を返した。「押し絵の方は、立派な羽子板があるからいらない」と言って信子は、私の手に残した。姑さんは、連れ合いにとっては実母だ。彼にとっては、背筋を伸ばし凛として気品があり身ぎれいな人で、そのうえ見事な作品を作り上げる高い能力を持った母親は、人に誇れる存在だったはずだ。その人の手が生み出した作品の手鞠は、母親と息子を繋ぐ大事なものだった。息子にとっては凛とした誇るべき自慢の母親は、嫁の信子にとっては絶えず緊張を強いられる手強い相手だということを息子が気づく事はなかった。

 姑さんから食費をもらっているとはいえ、工業用ミシンで既製服の縫製の仕事をしながら、毎日二人分の昼食を作り、午後三時には和菓子とお茶を用意する。休日はない。姑は、体が丈夫ではないからと家の中で好きなことに熱中して家事を手伝うことはしないが、掃除が行き届いていない、服装がだらしない、同じ菓子ばかり食べさせると、小言の雨。
 家族のだれもが自分の都合を優先出来るのは、信子が気を配り段取りよく家の中を回しているからだと私は受け止めていたが、信子自身もそれが自分の役割だという思い込みが強かった。家事と仕事で時間に追いかけられる生活をしていた信子は、いつも割烹着を着用していた。姑の言い分に口返答の出来ない信子は、細切れの時間を見つけては、私の家の裏木戸から声掛けをして、人目につかないように台所にいる私に会いに来た。
 舅と十二年同居経験のある私に愚痴るのが、一番気が休まると言っていた。
 三世代同居で大変なことは、忙しい息子世代が、暇を持て余している舅世代に合わせて行動しなければうまくやっていけないことだ。そうしなければならなかった理由に、私が行きついたのは、舅が亡くなり、自分の時間を持てるようになった時だ。昨日まで「明日はどこにも行かず家にいる」と言い張っていた舅が、朝一で親戚宅を訪問したいと言う。今日の段取りをしてしまった時に予定を変更させられるのは、私としては大いに困るのだが、全て舅の要求が優先された。舅はその日の体調を危惧して、体の不具合が表に出て相手に迷惑をかけることを警戒していたのだ。
「嫁と姑の日常の関わりは、何方かが亡くなるまで続くことだ」と、私は信子に話し、
「長い戦争だから、へこたれないことだよ」と、明言。二人でお茶を飲んだ。

 あの日から二十年がたった。今、近くに住む息子と息子のお嫁さんが、一言の相談もなく信子の箪笥から上等の晴れ着を持ち出し、どこかに売ろうとしている。信子にすれば、母親が大金かけて作ってくれた逸品だ。日頃は割烹着の信子が、息子の入学式、卒業式の晴れ着として着用したものだ。大事な日を信子が着るものの心配をすることなく迎えられたのも、心の中に満ち足りた思い出を作れたのも、母親が誂えてくれたこれらの逸品のおかげだ。昔、信子が姑の遺品を処分した事と同じことが、今息子たちに、してやられているのだと言ってしまえばそれまでだが、私には引っかかるものがある。

 遺品整理は、お金がかかるので困る。ゴミにかけるお金はない。そう言われる時代だが、せめて父や母が、楽しく生きるためにはこれだけの品物が必要だったのだと、息子と娘には納得してもらえないだろうかと、私は願っている。

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