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『「同じ土俵」 or 「何でも反対」』 の続き    文科系

2016年07月20日 08時58分33秒 | 国内政治・経済・社会問題

『同じ土俵、例えば最近では集団的自衛権の話。これは国防の話。日本の陸・海・空の防衛に関わる話になる。つまりこれが土俵。だから、野党は与党には無い防衛のアイデアを先ず出すことが求められる。それは、戦争反対でも9条改正反対でも無い。防衛案を出す必要がある』

 さて、この「土俵」(①と述べておきましょう)に行き着くまでの日本の外交防衛戦略論争史の中には、こんな例、考え方もあったはずです。現にあった勢力と言うよりも、そういう論理という点に比重を置いて聞いて下さい。

 まず、②旧自民党の日米安保政策(従来の内閣法制局見解のような、自国隣接防衛だけに限った考え方)。次いで、③民主党新内閣が取ろうとした「米中等距離外交・防衛戦略」様のもの。そして、90年の冷戦終結前後には、「テロとの戦い」が激化する前には特に、次の④の考え方も論理的にはクローズアップされたはずです。この考え方はずっと昔からあったが、この時には最も現実的なものになっていたという意味です。アメリカでも軍事費を半減しようという意見が多数出ていたときでしたから。④自衛隊縮小から、戦力不保持へという外交・防衛戦略。③は多分、将来的にはこの④を目指していたとも、僕は観たものでした。小沢は国連警察軍にしきりに触れていましたしね。僕がここで述べた拙論「僕の9条堅持論」は、この④の一例とも言えるでしょう。日米等距離外交を含みつつ、そのちょっと先を見たつもりです。
 また、この4つは典型的な例示ですが、これらの相互間にはまた、いろんな中間形態もありうると思います。

 さて次に、この4つを例にとって、これらの「論理的な相互連関」を考えてみます。
 ③、④は間違いなく、こういう論理的前提を持っています。
「地球上から戦争は無くせるし、この目標も100年先などと言う遠いスパンのことでもないだろう。現に、世界史上、国際連盟が出来て初めて戦争違法化が起こったのは1920年のこと、ほんの百年前にも満たない話でもあるし。これがあらためて更に具体化されたのは、戦後1945年、わずか60年前のことだ」
 ここで論理として最も大切になのが、この事。このように考える人はまず、貴方の土俵には上がれないということです。攻めてくる国の可能性も貴方のような「土俵」論者よりも、外交なども含めて遙かに少なくできると観ていることでしょうし。言い換えれば、貴方の土俵とこの論議との分かれ道での是非論議をするしか無い人々とも言えます。そして、こういう論争だけが必要と考える人は、あなた方を間違いなくこう観ているはずです。「戦争は無くせないと観過ぎているのだろうし、攻めてくる国は必ずあるとも決め込んでいるのだろう」。
 こうして、貴男が言う土俵以前に論理的な分かれ道が二つも三つもあると観るのであれば、これだけが問題になるわけであって、この土俵を論ずる意味もないわけです。

 さて、これらをまとめて言えばこういうことになりましょうか。この土俵以前に、この土俵を作っている論理的大前提の分かれ道で別の選択をすべきという人にとっては、その土俵には上がれないということです。と言っても、この土俵が現に存在するということにについては、こういう見方をするということになりましょう。現実をもう少し長い目で観て、この現実そのものを換えていこうと。現に戦争が起こる可能性についても、あなた方よりも遙かにゆったりと現に構えていることですし。

 なお、以上のことのリアリティーについて最後に一言。冷戦終結の後、アメリカでも軍事費半減が議論になったと色々読んできました。あの時点が③、④方向の最近で最も現実的な時だったと考えます。ところが、あの時点から一気に世界がきな臭くなった。湾岸戦争は90年からですし、ユーゴ内戦も91年から。同じ1991年にソマリアの戦乱がありましたし、コンゴ、チェチェン、東チモールもね。そして2011年、9・11とアフガン戦争です。「それまでの均衡が崩れた隙間の乱れ」という見方もありますが、僕はこれらほとんどに何らかの画策があったと観ています。かくて、それまで100年近い「冷戦」が終わっても、米軍事予算はうなぎ登りになった。こうして僕は、その後から今の難民・英国分離までの動乱世界は、作られた物という側面が強いとも観ています。そういうことを、弱化させられつつある国連レベルも含めて抑えていくこと、これも9条堅持にとって不可欠の課題だと、愚考しています。「この国連レベル」に関して最後に一つ付け加えます。

 僕が、17日エントリー「反戦取り決め、思想の世界史的端緒を見る」に書いたことです。国際連盟規約もこの国連憲章冒頭部分も、現実の歴史的産物には違いないと考えますが、どうでしょうか。これが存在していて、冷戦が終わったときには、アメリカさえその気になればこの実現に大きく近づけたのではないかとも思ってみるのです。ところが現実のアメリカは、当時よりもっとどんどん国連憲章無視を強めてきたと見ています。だからこそ、国連総会でアメリカとイスラエルだけが賛成のような強烈な横紙破りが現に強められてきたのだとも。アメリカは総会列国から、面従腹背はあっても、もはや強烈に嫌われていますよ。

コメント (23)
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