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「束の間の悪夢なのか?」  文科系

2016年07月12日 13時49分54秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 現代アメリカに生きている哲学者・言語学者・反戦活動家ノーム・チョムスキーの著作「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」の最終章は、「第9章 つかのまの悪夢なのか?」と題されている。いま人類生存を脅かしている米国覇権は、束の間で済むのかという意味だ。この最終2頁ほとんどをここに転載したい。中に19~20世紀のイギリスに生きた哲学者バートランド・ラッセルの言葉が引用されているが、こちらはこういう人物である。第一次大戦中に反戦行為によってケンブリッジ大学を追われ、その後のベトナム戦争反対運動などでも有名なノーベル文学賞哲学者。チョムスキーと同様に、現代日本に満ち溢れているいわゆる曲学阿世とは正に対照的な人物お二人である。日本人でノーベル賞を受賞したのは、自然科学者では20名を超えるはずだが、人文・社会系受賞者は作家が2人、政治家が1人。学者は1人もいない。今の日本政府の姿勢だとこの傾向は改めて、まだまだずっと続き直していくのではないか。 

『 現代史を通じて、人権状況は著しく改善され、生活の一部の面では民主的な管理が行き届くようになった。こうした展開が、啓発された指導者の贈り物であることは滅多にない。ほとんどの場合、一般の人々が戦い、国家やそれ以外の権力中枢に課してきた展開なのである。楽観主義者は、歴史を見れば人権への感謝の念が深まっており、その適用範囲も拡大していることがわかると、恐らく現実的に主張するかもしれない。全く逆の動きがなくはないが、全体の傾向は本物に見える、と言うだろう。この問題は今日でも当てはまる。企業のグローバル化プロジェクトによる有害な影響が、南の集団抗議行動を導き、やがて裕福な工業社会の主要部門が加わり、なかなか無視できない存在になった。草の根レベルの強固な同盟が初めて生まれたのだ。これらは感動的な展開であり、さまざまな機会に恵まれる。そして成果を上げ、言葉上でなく政策を変えさせることもある。少なくとも国家暴力に対してはそれを抑制するだけの影響力がある。西洋の知識人が宣言している「人権改革」のようなものが国家として行われることはなくても。
 こうしたさまざまな展開は、その勢いを維持して同情と連帯というグローバルな結びつきを深められるなら、たとえ瞬間的なものでもきわめて重要だとわかるだろう。我々の未来の絶滅危惧種は、こうした大衆運動の発展を見て大いに意を決することだろう。
 今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」──世界社会フォーラムを駆り立てる言葉──という信念に捧げられ、イデロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは、誰にもわからない。こうしたパターンは歴史全体によく見られるが、今日の決定的な違いは、懸けられているのが遥かに重大なものだということである。
 かつてバートランド・ラッセルは世界平和について暗澹とした思いを表明した。
 「地球は無害な三葉虫や蝶を発生させた時代の後、大勢のネロやジンギス・カンやヒトラーを生み出すまで進化してしまった。しかし、これはつかのまの悪夢だと私は信じる。やがて地球は再び生命を支えられなくなり、平和が戻ってくるだろう」
 この予測は、ある意味で我々の現実的な考えよりも正確である。問題は、全てがなくなる前に悪夢から自分を目覚めさせられるかどうかであり、平和と正義と希望を世界にもたらすことができるかどうかだ。そして今、自分の意思で好機を掴もうとしさえすればそれができるところに、我々はいるのである。』

(「覇権か生存か」集英社新書版336~337ページ)

コメント (3)
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