棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

伝承抒情詩--不思議な民族音楽

2008-04-22 18:09:52 | 海外紀行文
バスのなかで不思議な音楽をきいた。
尺八の音に似た竹笛による伴奏で、歌とも語りともつかないものだった。
女性によるミナンカバブ族の言葉による朗詠は、一種の伝承抒情詩と思えた。
愛惜をおびた調べに、人々は涙し、また笑いこけていた。
同席のオヤジサンの説明によると、民族の誇りを歌い上げた、勧善懲悪的なものらしいが、言葉の壁で、rasiiとしかいえませんが。
かろうじて「サラング」と言うrasiiのですが、残念ながらネットでもわかりません。

観光用の民俗音楽ショーがあると聞き、常設小屋にでかけた。
地元連が10数名、欧米の観光客が20名ほど。客席はガラーンとしていた。

ショーは模擬結婚式の様子から始まり、楽器演奏、歌、踊り、そして不思議な調サラングとなった。
楽器の構成は数種類の金属打楽器・大小の竹笛だが、他の種族の音楽とはあまり似ていないきがした。
なにより、背後での踊りはきびきびとしてテンポが速い。
ゆったりとした踊りが多いンイドネシアで、特異な位置にある気がする。

手作りのパンフレットには「竹笛演奏によるメランコリックな語りと歌」とあるだけで、意味までは記載されていない。
歌のゆったりとした調子と、踊りの激しさが正反対でありながら、不思議な調和があった。
静と動を併せ持つ感性に、他の民族には感じられなかった、ハイセンスな心を感じた。

残念ながら音楽テープは、手に入れることができないでいます。
どなたか、ご存知の方はお教えください。

春爛漫の谷

2008-04-22 12:10:37 | 山郷の暮し

雲一点とないスカッ!とした朝。
我が家の桜が一声に「おはよー」と叫ぶように、勢ぞろい。
気温はポカポカと上がり「百彩の谷」を囲っていた、丘のような山も、茶色から、淡い緑色へと変わってきました。
鶯が鳴き、耕運機の音が心地よく響き、谷は光と色と音に溢れています。

時がたつにしたがい、鮮明な光は春独特の、明るいのだがベールを通したような、けだるい柔らかな光と変わってきました。
桜は今が盛りと、正に絶好調の様子です。
「めじろ」だと思いますが、雀よりふた周りほど小さな小鳥が群れなして、蜜を吸いに来ています。

観ているだけで、晴れ晴れとした気分にさせてくれますが、今描いている桜は、このような桜ではないのです。
大声で歌い上げなくとも、エネルギーはたっぷりと内在いている。
そおです、人で行ったら還暦を過ぎたあたりでしょうか。
内から発する輝きを表したいのです。

製作の合間の気分転換に・・

ミナンカバブ族の神話

2008-04-21 18:34:22 | 海外紀行文
「お家はしっかり守るから、ムコ殿たちはしっかり出稼ぎをして来なさい」
男たちは故郷に錦を飾らんと、インドネシアの政財界での成功者も多く、他民族のなかでも特別らしい。
マラッカ海峡を舞台とする歴史の中で、スマトラ島の内陸部にありながら、重要な役割を果たしてきたようだ。
その最大の理由は米作をはじめとする、安定した食料供給地であった。

 タンボ(伝承)によると、アレキサンダー大王の血をひくと「マラヤ編年記」にあり、そのひとこまを。
アンデラスという土地のパレンバンの都の物語である。
ここにエンポクとマリニという二人の婆さんがいた。二人は丘に田圃をもっていた。
稲が実ったある晩、丘の頂が輝くのを二人は見た。
「びっくらこいた。まるで龍の頭の宝石みたいな輝きだ。おっかねーこった」と、寝てしまった。
翌日、丘に登ってみると、稲は黄金の穂をたれ、茎は銀に変わっている。花嫁の冠が金銀の稲の穂のデザイン
そのうえ、三人の美しい青年が白象にまたがっている。
「まーーあなた方は、どなたさんで・・」
「吾らは、アレキサンダー大王の血をひくものである」

うわさはアッって間に広がり、都から王様が三人を迎えに来た。
ミナンカバブの人々は長男を王として迎え、タンジュラ・プラの住民は次男を、末っ子はパレンバンに留まりそれぞれ王となった。

二人の婆さんはてーーと、飼っていた白い牛から、バスという立派な男がうまれ出た。
この若者こそ、黄金の国の偉大な大王スリ・トリ・ブアナである・・・。

マラッカ物語 鶴見良行著 時事通信社 要約ですが、ミナンカバブ族が、水牛を神聖視すること、前記したトラジャぞくの人たちが、白い水牛をことさら神聖視することと共通します。
鼻が高く、しきしまった顔つきも似ています。
東南アジアノの島興は広大な海域でありながら、一本の筋を引き抜くと、ズルズルと各民族のエキスが、からみついてくる面白さがあります。
首都ジヤカルタの大学から帰郷していた学生。今は立派な奥様になっているのかなー。

桜の下・昨夜は満月でした

2008-04-21 18:10:21 | 創作活動
満月の光に、怪しげに浮かび上がる桜。
昨夜は満月でしたねー。風が冷たかったのですが、桜の下独酌・酩酊。

桜の花は、枝を包み込むように団子状に咲きますので、どの角度から見ても、花と目が会います。
一つ一つの花が語りかけているようで、思わず「こんにちは・・よく咲いてくれたねー」と、桜の精に出会った気分にさせてくれます。

ただ今製作に入っています「桜の絵」ですが、遅々としてすすみません。
イメージは固まりつつあるのですが、以前の作画法、いわば18番の描き方でなく、私にっての新画法で描き出したく、模索しながらの作業です。
どうして手馴れた画法で描かないかといいますと、私は18番になることへの否定があるのです。
桜に対する心象の変化とともに、ソレにあった画法を会得しなくてはなりません。
なによりも、18番と言うものに食い足りなくなってしまうのです。

寝ても覚めても、作品世界のなかに浸りきる。
今、こうして文を書いているのも、その過程であるのです。
といっても、私は一心不乱に画面に対峙するというより、むしろ逆で、突然製作と無関係なことを始めたりする。
しかし、全ての動きが、描こうとする世界の道のりなのです。
心地よい興奮状態を味わう自分が在るのです。

醒めた時、今のオレはこの作品を描くために今日まであったのだ、と思えるものになるように。
これが、なかなかそうではないので、また、描き出すのです。
写真-松本の宝/百彩展ヨリ--Photo by SHIKI .Iwabuchi

母系制度がのこるミナンカバブ族

2008-04-19 17:37:13 | 海外紀行文
標高930メートル前後に位置するブキテンンギは、インドネシアの政治・経済・文化などに昔から影響力を持ってきたミナンカバブ族の故郷だ。
最高峰2891メートルのメラピ山のほか二つの高山がある。
いずれも活火山で、長い裾野は樹林帯が濃く、まるで軽井沢のようなところ。

ブキティンギとは「高い丘」と言う意味で、要塞のあった所は動物園・博物館があり、ゴミの一つもおちていない。
岡には市井のざわめきが立ち上ってくるが、たの所のような雑然とした喧騒はない。
コンクリート造りの商店街・トタン葺きの民家、そして伝統民族家屋が濃い樹木の中に見える。
斜面に雛壇のように建てられているので、庶民の暮らしぶりが覗き見できるほどだ。

高級ホテルからバンガロー・安宿ロスメン、いずれも清潔で、ミナンガバウ族の品位ある民族性と関係あることを知らされた。

ミナンカバブ族は、今日数少ない母系制度を色濃く残している部族です。
市場などは圧倒的に女性たちで、恰幅のいい奥様風は、日傘の下で道端に座り込んでいる売り子のおばさんには見えない。
ともかく清潔観はぴかいちで、老いも若きも毅然とした美しさがある人々です。

ショッピングセンターで目を引くのが、結婚衣裳店であった。
花嫁の金銀細工の冠は豪華なもの、値段を聞くのを忘れてしまった。
衣装は絹に花柄の刺繍がなされほしくなったが、とても買える値段でない。
「花婿の衣装は」の問いに、「ああ、こんなもんよ」とばかり、白地に刺繍が施されたシャッツがポイッ!とだされた。
「えらい差があるジャン!」の私のボディーランゲージに、大笑い。
絹織物・金銀細工などでも有名なブキティンギである。
結婚式で観た女性の正装。伝統家屋のすばらしい外壁の模様

桜の森の満開の下

2008-04-19 17:20:22 | 創作活動
アトリエからは、内も外もサクラ(賢犬の名前)・桜

この時期になりますと毎年のように「桜の絵」に挑戦しています。
冬眠していた制作欲が、桜の開花とともに、体内から燃え上がってきます。
毎年違った感性と意図での製作は「桜の花」にたくした、私の小宇宙表現です。
桜の花木は風景としてではなく、私の心象なのです。

桜は本当に不思議な花木で、古木・若木。見る時期、時間。晴れ曇り。
これほど千差万別に観えるのは、花木の大きさや、白系のため様々な光を反映するからでしょう。

初々しい乙女が一変し、妖艶な女になったり。気品の在る老女のごとくあったり。
まるで幼稚園のごとくざわめいたかと思うと、能舞台の、凝縮された静と動を感じさせたり。

スケッチに出かけ、今まで気がつかなかった夕刻、池に写る逆光の桜に、冬眠の間沸々としたものが、湧き上がってきました。
今年もようやく筆をとりはじめましたが、今までとは違って、桜の木の存在感よりも、光の中に溶けていきそうな夕刻の風情をベースにした、色に訴えないものにしたいと思っています。
これから幾日かかることなのでしょう。
製作過程のなかから、次第に作意がねられていくのです。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」 
最後に男が妖艶な桜に飲み込まれ、溶けていくが、男は至福の世界にいざなわれて行く。
そんな、すごい桜が描きたいですねー。

信州のようなブキティンギ--インドネシア

2008-04-18 16:29:29 | 海外紀行文

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AE
前記した日本の家庭料理とよく似たパダン市は、スマトラ沖地震で御記憶の在るかたもいるとおもいます。
海岸のスマトラ島第三の都市パダンに、涼風を吹き込んでくれる、東方の山岳地帯に、ミナンカバウ族の故郷、ブキティンギの町があります。

乗り合いバスで、海抜0メートルから一気に900メートル上がる。
急カーブの道は深い緑に囲まれ、清流がながれる。
インドネシアで初めての、自然の冷風に、信州の風を思い出してしまった。
大衆バスの楽しさの一つに『オラが村が一番だ」という自慢話ですが、ブキティンギはうわさにたがわぬ地のようだと、道々感じてきた。

1825年のオランダ統治時代、植民地行政の中心地として要塞(fort be KOCK)を築いた所。
そして、侵略日本軍も地下司令部をつくった。
長期滞在の欧米人旅行者にも、大人気のところでもあったのだ。

行き当たりばったりの一人旅での醍醐味は、未知なるものに出会ったときに起きる、五感の激しい働きである。
この地も暑さボケした頭にピリピリと来るものがあり、「オレの今回の旅の終着点かもしれぬ」と感じた。
生涯忘れられない地のひとつです。
写真はみごとな伝統家屋。南国の木々に囲まれ、現在も建築されている。外壁の模様はオリエント風

濡れ桜

2008-04-18 11:15:01 | 山郷の暮し
三日前に開花宣言をした、玄関先の桜。
私はこの小さな谷間を「四季100彩の谷」と呼んでいます。
丘のような山から始まり、国道は5キロほどで壁のような峻烈な山にぶつかり、東京は東大の赤門へと続いています。
何で東大?といぶかるかもしれませんが、国道254号の出発点は赤門からです。

話を戻しましょう。
谷の入り口から、どん図まりまでの標高差はかなりあるので、桜の花ひとつにしても、一ヶ月近く楽しめるのです。
水仙が一面に咲く土手・シバ桜にいざなわれる民家。
家々は競うように、いろいろな花を栽培しております。

夜半来の大雨で、谷は川の音が木霊し、一時止んだ雨がふたたび降り出してしまいました。
ずぶ濡れの桜の花はなんともあわれですね。
こんな花を歌たった名句があるのでしょうか。

春のぼんやりとした、とりとめの無い空間にぼやーーと浮かぶ、桜の花がやっぱりいいですねー。

飲む、出す、同じ水

2008-04-17 15:12:38 | 海外紀行文
先進国といわれる条件に、下水道・交通機関・電気などの社会インフラ整備をいわれます。
わが国は、特に下水道の整備は歴史的にも進んできた国だと思います。
前回庶民の食事事情の一端をお話しましたが、今度は生活に欠かせない水のこと。

下水道の設備は進まず、集落は川沿いに広がっています。
雨量は多いのですが乾期も長く、川は日干し上がってしまう。自然のダムだった森の消滅も拍車をかけています。

大都市を除き、全ての生活水や排水・排便など、川に依存しているのです。
飲み水・出す水・同じ水、とでもいえましょう。

首都ジャカルタに住む、知り合いの教職員のお宅を紹介いたしましょう。
以前沼地だったという地域は公道よりも低く、都市では少ない高床式の長屋だった。
10畳と8畳ほどの2部屋。裏庭に掘ったて小屋としか見えない、台所と便所が、水溜りに建てられている。
排泄物全てが、そのまま捨ててしまう。ときおりの大雨で綺麗になるのだと、涼しい顔だった。

彼の家が特別ではなく、大方の家がなぜか始めから台所やトイレ・水浴び場が設計段階から入っていないらしい。
小奇麗な家構えでありながら、上記の設備が手作りだから面白い。

インドネシアの写真などで、川もにせり出したバラック小屋がズラート並んだ風景があります。
いかにも、貧しき情景に見えますが、それらは素人作りの台所や水浴び場・テラスだったりします。
表に回ると、ベンツが横ずけされていることも珍しくはありません。

灼熱の地は、水浴びマンディーはかかせないのに、その場所となると、チョット仮に作った小屋で、10年たった。と言う代物。
それもたいして、気にしない。実におおらかでいい人たちです。
絵は文と無関係。昨日に続き「丼の春」を描きました


庶民の足--インドネシア

2008-04-16 20:36:26 | 海外紀行文

遠距離大衆バスのあらましをかきましたが、街中の交通機関は公共バスはあります。
ガイドブックには必ずスリに用心とありますが、幸運か私はただの一度もありません。

もっと手軽なのが、バジャイとわばれる、軽自動車より小さい三輪車があります。
定員3人とはなっていても、トラック代わりに使われている。
真っ黒な排気ガスはすざましく、空気汚染の筆頭だ。小回りのきくバジャイは、渋滞の中を縫うように走り抜けるが、事故も多い。

私事ですが、見事な運転にチョット褒めてしまったらサー大変。
調子に乗った運ちゃん、人身事故をおこしてしまい、バニックなり、私を乗せたまま轢き逃げとなってしまった。
とんでもないところで降ろされ、めったに利用しないタクシーで帰るはめになってしまった。

地方都市に多いのがバイクタクシー。
一様に派手な色の、会社わけされたチョッキを着ている。
女性のドライバーがいたが乗車拒否。女性客のみでした。
スマトラ島のバイクタクシーは、サイドカー式のかわいいデザインで、日本でも受けると思います。

市内の近距離はペチャ(人力車)で、人も荷物もなんでも運ぶ。
市場(パサール)などで大活躍する、庶民の生活に欠かせない乗り物です。
安価でいいのですが、排気ガスがたちこめる大通りは願い下げだ。
しかし、南国の花々が咲き誇る住宅街を、のんびりと流してもらうと、実に気分のいいものです。

写真は海岸都市パダン手前、パダングの町。
後記しますミナンカバブ族の企業が考案したバイクタクシー。日本でも受けると思いますが、車検はパスしないでしょう。
今日広まりつつあります。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本