中学生人権作文コンテストの大阪府人権擁護委員連合会長賞に中学校夜間学級に通うKさんが選ばれました。Kさんは70代の在日韓国人の女性です。子どもの時、学校に行けず、字が書けませんでした。字がわからない悔しさを抱えたまま、お好み焼き店を営みました。夜間学級の存在を知って、店を閉めて、学校に通って字が書けるようになった喜びを綴りました。その作文「私の人生」は最優秀賞5作品の一つに決まりました。その要旨は――。
Kさんの両親は結婚して日本に来ました。当時の日本は、在日の子どもは学校に入れてくれませんでした。在日韓国の人たちの強い要求で、学校に入れるようになりましたが、Kさんは11歳になっていました。
字も知らないのに、いきなり4年生に入れられ、大変でした。字を覚えようとしたが、いじめにあい、学校に行くのが嫌になり、学校を休むようになりました。
昭和36年に結婚しましたが、字を知らないためにいろいろと苦労しました。市役所も病院も字がわからないため、一人では行けません。主人と二人でお好み焼きの店を始めました。その後、主人が亡くなり、一人で店を続けました。
年を取るごとに字を習いたい、覚えたい、書きたい、読みたい、という思いが、日に日に募ってきました。だから、中学校に夜間学級があることを知って、店をたたんで学校に行くことにしました。
夜間学級で字を覚えたおかげで、今では一人で市役所に行くことができます。宝にもいろいろありますが、私の一番の宝は学校です。夜間中学校で出会う一字一字が私の光です。
後半では、高校を卒業した娘さんが在日韓国人ということで希望した会社に就職できなかった悔しさを書いています。Kさんは作文の最後を次のように綴っています。
私たちの暮らす町が、誰もが同じ人間として、大切にされる町になることを願っています。