オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

誰もいない事務所で・・・

2012-04-22 | Weblog

4/22(日) 今日は日曜日、昼に会社に出る。誰も居ない事務所で、過ぎし一週間のこと、次週のことなどをボンヤリと考えている時間が一番落ち着く。

そう云えば金曜の午後、橋本和喜君が会社に顔を出してくれたとのこと。名刺とお土産の饅頭が机の上に置かれていた。一足違いで会えなかった。

彼と始めて取材の旅に出たのは、もう十数年も前になる。佐賀・地球市民の会/古賀武夫さんの取材であった。フィランスロピーワールドというNTTの社内誌に”怒涛のボランティア”というコーナーがあった。この登場人物に古賀さんを取り上げた。ライターは橋本君であった。

その取材で、佐賀では一夜大酒を飲んだ。古賀さんは記事の出来栄えに大満足し、こと有る毎にこの切抜きを使っていた。取材を契機に橋本君も古賀さんに私淑した。そしていつか、古賀さんの本を書くと言った。

古賀さんは、それを心待ちにしていた。が、平成20年3月肝臓ガンの為に逝った。橋本君も約束を忘れていた訳ではないだろう。取材以来、古賀さんと、古賀さんが逝去の後も、ご家族との交流は続いている・・・。

三年前、郷里の北海道に一時帰省していた橋本君は、そこで吐血し救急車で運ばれたそうだ。診断は胃癌。緊急入院となり全摘したそうだ。体調を崩して郷里に居るとは耳にしていたが、其処まで悪かったことは金曜日の夕方、電話でのやり取りで初めて知った。

とうとう三年を郷里で療養に費やし、今回が病気以来始めての上京とか。各所に挨拶に廻っているとのこと。翌日は午前の便で北海道に帰り、今しばらく体力の回復努めると言う。

「書いてるかい?」と訊くと、『昨年、河出新書から一冊出しました。今度送ります』とのことであった。ひと言、古賀武夫物語をやらんとな。と、云うと『そうなんですよ、それが気掛りです』と返ってきた。次に上京した時に、その話をすることとなった。

橋本和喜、ペンネームは”月坂亮太”。以前は、月坂亮だったか、名前は一文字のはずだったが、病を機に改名したか。暇にあかせて彼が言う、北海道の田舎の町を地図を引っ張り出して探してみた。漸く探し当てた地名は、奥尻島の向かいとなる処に在った。

ちょっと線が細く、色白で静かに話す彼の姿を思いだす。声を聞く限り、あの頃と変った様子はない。物書きとしての彼の成功を願っている。

 

明日は「生命農法研究会」(栃木県益子町)の視察。相棒のHiroさんと二人で出かける。時間を調べると、意外と遠い。何しろ四回も乗換えなくてはならないのだ。路線検索では、3時間20分を要することとなっている。

会の代表・高橋さんに会えるかどうかは分からんが、研修中の瀬井さんが案内をしてくれるとのこと。養鶏場から農場まで廻ると時間を要するとのこと。早目に出て、夜は意見交換会と称する飲み会。益子に泊ることとなった。

高橋丈夫さんの著書「生命農法」を読んだだけでも、その凄さが覗えた。実際に目の当りにし、聞いてみるとどうなんだろう・・・こちらが、どれだけの理解能を持っているかだろうね・・・。

たのしみだが、天気は悪そうだ。これも日頃の行いか?悪天候だからこそ、分かるもの、感じるものがあろう。そのために、敢えて悪天候になるのだろう・・・と、思うことにしよう。雨・風も、またよし。

 

 

コメント (5)
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