4/25(金)すっきりしない天候がつづていますが、体調はまずまず!。豊かな?野菜生活で生き延びております。
我が日々は今回のタイトルどおり。タマネギと筍で生き延びています。
タマネギ男で記憶にあるのは、剥けども剥けども疑惑がつづくと言われた韓国の政治家のこと。筍生活で知っているのは、戦後の窮乏時代に次々と持っているものを処分して生活をしのいだというたとえ話である。
我が生活、と云うより人生そのものが今回のタイトルと同様というべきだろうが、日々の食生活まで同じになっている。とはいいながら、この暮らしはもう暫くで終わることに・・・。
孟宗竹の筍のシーズンは終わりを迎え(昨日、これが最後と一本掘た)、タマネギはベト病の発生もありほぼ粗収穫し終えた。タマネギは保存用でない極早生&早生種なのでさっさと食すに如かずなのだ。
然らば、筍とタマネギ生活の後は如何に生きるか?。キヌサヤは収穫出来ているが、ほかの野菜の収穫は一ヵ月以上先のことだ。キヌサヤ喰って、優男になってどこぞの婆さんに食わしてもらう・・・、まあ~無理だな。
閑にあかせて実にくだらないことを書いたものだ。バカやろ~と笑ってください。
さて、先週の水曜日。前日に高松まで来ていた岡崎氏が、わざわざ安田町まで出向いてくれた。12:53分に安田駅で迎えて、ランチを兼ねて「豆電球?大心劇場」へ。
氏に、この店の定番カレーライスを食してもらってから、劇場を見せてもらった。レトロ感満載の劇場でショート上映までしてもらった。

そこから上流にある我が家に向かう途中で、筍掘り体験となった。スーツに皮靴の筍掘りなのだ。勿論、すぐに掘れる筍を選んだ。それでも四苦八苦しながら掘る姿は微笑ましいに尽きる・・・。

我が家で歓談してから、掘った筍をお土産にその日の19:05分発のANA便で帰京する岡崎氏を空港で見送った。それにしても、わざわざトンボ帰りで来てくれるとは有り難い限りです。
変わったことは、従姉の勝子婆さんが転倒して顔を打ちお岩さんになり、肩と手を打ち身、捻挫してしまった。来高していた孫娘が埼玉に帰る前日の出来事であった。
老人のこと故、大騒ぎするしなる。手が使えないので食事もままならぬと、安芸市に住む次女の家で暫く面倒をみることになった。
私の酒と晩飯の相手が居なくなったのは残念だが、飯支度の心配がなくなったので夕遅くまで畑遊びがつづけられる。日暮れるのが遅くなったので、六時過ぎや七時ころまで畑で過ごしている。
先週に済ます予定だったミカン畑の草刈りは手付かずのまま、残っている小夏ミカンも収穫しなくちゃ・・・。
愚図愚図と過ごし、時間だけは早く過行く初夏の田舎暮らしです。
gooのブログ提供サービスが、今年の11月18日(亡父の命日だ)で終了するそうです。私がブログを始めたのは確か、平成19年11月と記憶しますが。余すところ半年ばかり、精々アップするように心がけます。







