オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

さて、何を作るか?

2012-04-11 | Weblog

4/11(水) 昨夜は池袋で懇親会。一応花見の会というお誘いであったが、夜の部の花見はカラオケの映像となった。そんな予定ありて、弁当箱は会社に置いたままであった。

そんなことで今日は、オムスビを予定していた。今朝の寝覚めは少しアルコールが残っていたかもしれない。何時もながらではあるが・・・。

愚図愚図と準備を始めたが、考えりゃ家人と長女の弁当は戻っている。オムスビは、私とK君用にし、後は何時もの弁当にすることに針路を変えた。

オムスビにすると、ご飯が多くなる。今朝は四合の米を炊くこととした。オムスビの具の鮭と明太子を焼く。他には、オカカの予定であったが・・・。

弁当の菜に先ずは「大根と鶏肉の煮物」をスタート。他の菜が浮かんでこない、野菜や冷凍の食材を並べてみるが・・・ヘルシーと云うワードがひっかかり、決まらないのであった。

                          

えい、やっ、で先ず絹サヤとシメジの半端と冷凍エビの半端残を使うこととした。それと、蓮根と一本だけ残っていた大茄子を使うことに決定した。

絹サヤを卵とじ煮にするつもりであったが、なんと卵の在庫がない!メニュー変更で、「エビと絹サヤ・シメジ炒め」となった。オリーブオイルとニンニク小片・塩胡椒の炒め物となった。

                          

酢水に晒しおいた薄きり蓮根と2~3mmの削ぎ切りした茄子を赤トンボ・醤油・砂糖少々で胡麻油炒めにする。以上で、今日の菜はお仕舞だが、焼き鮭・明太子が余るので、これも弁当に入れることになる。

                          

オムスビは、何時もより小さく小さく握る。焼き明太と鮭、生の明太子も残っていたのでこれもオムスビに・・・結局、オカカの出番がなくなった。

弁当箱が二つ、小さなオムスビは10個ほど出来上がった。弁当のご飯に鮭と明太を載せ、長女が美味しいと、所望する「公魚佃煮」も載せた。

                     

以上で完成となった。

 

 「池袋の夜・他」

池袋に集った昨夜のメンバーは、N社の大先輩Nさんと敬愛するK大兄であった。偶には安酒も良いなと、駅前の居酒屋がスタートとなった。(私の場合は、いつでも安酒場オンリーだが)

実は池袋の前に、私とK大兄は墨田川べりを桜を見ながら散策した。缶ビールとワンカップで喉を湿らし、有名な「長命寺の桜餅」を購った。大兄が旨いと喜ぶ、桜餅を買うために二人して並んだ・・・。

そんなことから、酒場ではもっぱらハイボールを飲む。摘まみは、焼き鯖・川エビの唐揚・酢味噌和えなどであった。この店は一軒目、ここで少しお腹にいれてから行く、次の店は決まっている。

賑やかな通りを抜けたビルの3階に店を構える「野武士」である。この店がK大兄やその仲間の梁山泊である。信州出身の大女将が切り盛りする、気のおける店なのだ。程なく、この店に移動した。

暫くして、大兄のかつての仕事仲間・遊び仲間のY社長とH社長が現れた。H社長には前回、大変失礼をした(お守り事件)ので改めて詫びを述べた。

他に客も来ない、来ないことを幸に『カラオケ大会』へと雪崩れこんだのであった。寂びの利いた声で郷里の沖縄民謡・芭蕉布を唄うY社長と、この唄の弟子だと自認する陸奥・米沢出身のH社長の競演。

大阪出身でN社の高官であったNさんの味のある歌声。大連生まれを感じさせない若さに溢れているK大兄の懐メロと、唄・歌・唄がつづいたのであった。私は勿論、聴くのが得意・・・。

                     

熱唱・絶唱・語唱する、姿をこっそりとお見せしよう・・・。どれが誰だかは、想像にお任せ。

               

歌だけではなく、Nさんが長く勤務した金沢の思い出話。私がお世話になった、出身地の金沢で現役の局長で逝去され大澤さんのこと、某高官の人柄の良さなど、話題が尽きることなし、そんな愉しい夜であった。こうして日夜、皆様から元気を頂くのだ・・・感謝。

 

 2月~3月にかけて取組んでいた、某社の情報誌「LA6号」が印刷所から届いた。読者の手許へは今月下旬から、5・6月にかけて届くと思われる。web版の方は、今月下旬にはアップされよう。本誌が届かない方や、更なる情報を読みたい方は「テルウェル・ライフアシスト」で検索すると読める。元気なOB達の姿に、取材する側ながら毎回元気を頂く・・・。

そんな結構な仕事をさせてもらっているが、昨日は、かつての大上司から、大変あり難い激励のお便りを頂いた。

NTTOBネットライフという、OB向けのwebサイトのコーナーに「リレー・エッセイ」と云うページが在る。このコーナーへの寄稿のバトンを旧友のW氏から渡されたのは二月初旬であった。

丁度取材などで忙しくなる時期であり、取り急ぎ拙文を書き置いた。結局、書直しもせぬままに締め切りが迫ってそのまま寄稿した。その拙い文書が、近頃になってwebサイト上で掲載された。

そのエッセイを読んだ、とのお手紙であった。35年の前になろうか、本社に転勤させてもらった当時の課長であった。当時、課長と云えば、担当者からすると殿上人のような存在であった。

ご一緒させて頂いたのは2年間であったが、仕事への姿勢・佇まい、見識、懐の深さ、今さらに凄い方であった。当時若輩の私にそんなことが分かるはずもないが、大いに影響を受けた。

一年に一度か、二年に一度、当時のメンバーでこの方を囲むことがある。一昨年の秋であったか、久々にその会が開かれた。私は丁度、新潟の美人の湯とかへ、現場時代の仲間と旅行であった。が、朝早い便で一人先に帰京し、昼からの会に参加した。小人数の集まりであったが、矍鑠としてお元気な姿に接し、話しをすることができた。

お会いする度、背を伸ばさずには居られない、そんな気分にさせて下さる。

そんな大人から、丁重にも「文書を読ませていただいた、元気で頑張っておられるようで、何よりです。仕事のご支援ができず申し訳ない。云々・・・・」との手紙であった。何時までも、目配り気配りの行き届いたご配慮に感謝するばかりであった。

私とて、そんな大人になりたいと憧れはするが・・・。

そのリレー・エッセィのバトンを、私が渡したのは久留米市在住のM.Joujimaさんである。昨日、印刷が上がったばかりの「LA6号OB訪問」に登場頂いている。本誌或は、webサイト、いや両方を是非読んで欲しい方である。

取材の日から、彼女(Joujima)は私の妹となった。私には、二人目の妹となる。

 

 

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