夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

コメ「高くても国産」89%…読売新聞世論調査、独断と偏見のある年金生活の私は、微苦笑させられ・・。

2011-11-20 10:14:12 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、ネットを見ていて、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
《 コメ「高くても国産」89%…読売新聞世論調査 》
という見出しされた記事を精読した後、微苦笑をさせられた・・。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111119-OYT1T00835.htm?from=main1
☆【YOMIURI ONLINE】<==《 コメ「高くても国産」89%…読売新聞世論調査 》☆


私は幼年期は農家の児として育ったので、
もとより田植えから、天候に左右されながら労苦の果てに、実りの状況まで、
祖父と父を中心に、家族、そして小作人だった人たちのご厚意の助けを借りて、
収穫までの過程を知っているひとりである。

こうしたことが前提であるが、ここ40年の経済の大きく変貌し、
特に1990年にベルリンの壁が崩壊された後は、世界経済が更に激動し、
日本経済も余儀なくされてきた実態を配慮すれば、
《・・農業の生産性を高めるために規模の大きい農家を増やしていくことに「賛成」・・》であり、
専業農家だけ、そして新たに農業を始める人に対しては、政府の補助金などで支援することは、
「賛成」する。

しかし昨今のTPP参加もさることながら、
あとに農家の方たちは、日本の財政にも於いて補助金の余力はないので、
淘汰されても、やむ得なく、転作するか転業しなさい、
と限りなく美しい日本の風土を愛する私でも、このような独断と偏見の思想を持っている。

私は年金生活の平素の中でお米に関しては、
青森、秋田、山形、新潟県などの日本海に面した地域のお米を、
スーパーなどで購入して、少なくとも一日一回は愛食している。
やはり雪解けの豊饒な水、そして夏の暑さで成熟し、実りとなる地域であり、
この40年は多くは新潟県の「コシヒカリ」を頂いたり、
或いは秋田県の「秋田こまち」も美味しい、と家内に幾たびか賞賛したりしている。

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優れた書評のひとつには、池谷裕二氏のW.アイザックワン・著『スティーブ・ジョブス』があり・・。

2011-11-19 16:36:36 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
過日、読売新聞の日曜版の定例特集記事として、『本よみうり堂』があるが、
最近出版された本を選定し、確か10冊ぐらいの書評が掲載されている。

たまたま私は読んでいて、圧倒的に魅せられた書評があり、深く心に残った。

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)氏が、
ウォルター・アイザックソン著(訳・井口耕二)の『スティーブ・ジョブズ』1巻・2巻(講談社)』を書評され、
話題の本であるが私は未読であったが、
氏は脳研究者であり、東京大学准教授をされている方であるので、
読書好きな私は、好奇心さながらに、氏の綴られた書評を精読したのである・・。

結果としては、圧倒的な魅力ある文体で綴られ、優(すぐ)れた書評のひとつと確信を深めた。

先ほど、偶然に読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
この書評が掲載されていたので、再読したりした。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20111107-OYT8T00430.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==【本よみうり堂】
<==『書評』 池谷裕二 
        ウォルター・アイザックソン著(訳・井口耕二)の『スティーブ・ジョブズ』1巻・2巻(講談社)☆

この中の書評文の中で、特に圧倒的に魅せられたのは。
《・・
若いうちに成果を残さねば――夭折(ようせつ)を予期したのか、急(せ)き立てられるように生き抜いた。
「幸運だった」と当人が振り返るその人生は過剰な刺激に侵蝕(しんしょく)され、
本当に幸せだったのかと凡庸な私は疑いたくなる。

常にもがき、戦い、挑んだ。スマートな生き方ではない。
偏執的な完璧主義。辟易(へきえき)するほどの自己顕示欲。
現実を歪曲(わいきょく)する虚言癖。傲慢で攻撃的。ときに酷薄で奸計(かんけい)高い。
人格障害さえ疑われる複雑な性格は、社会的成功へと導く不可分な矛盾だろう。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

もとより書評は、単に「あらすじ」をまとめるのではなく、
書評であるならば少なくとも著作者への思考の発露、
そして本書の綴られた内容の表現の筆力、行間に秘められた著作者への深い洞察力の思い、
こうしたことが表示されなければ、読む方の余りにも単純で、つまならい時間の無駄の書評となるのである。

今回、改めて池谷裕二氏の綴られた書評は、私は初めて読み、未知の人であるが、
圧倒的な優(すぐ)れた表現力に感銘さえ覚えている。

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『みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ』~田沢高原滞在記~【11.11.13.~11.16.】 最終回

2011-11-18 16:05:33 | 
      最終章  旅の終りは、雪舞い降る中、人気の秘湯「鶴の湯温泉」も入浴

14日の夕暮れから雪舞い降る『プラザホテル山麓』で、私たち夫婦は部屋の窓辺から見惚(みと)れていた・・。

この田沢湖高原の地域は、10月中旬に殆どブナ、トチ、クリ、ハンノキなどの落葉樹が多い中、
黄色に彩(いろど)ったブナ林を中核に錦繍(きんしゅう)時節を迎え、
そして11月中旬の今は、落葉した葉は吹き寄せになったり、数多くの落ち葉が地表を彩ったした晩秋と情景となり、
早くも雪が舞い降りて、冬の訪れとなった・・。

15日の早朝にロビーの片隅で、雪が舞い降り、ときおり止んだりし、周辺も雪化粧の情景となり、
俳句の素養のない私でも思わず、
       みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ
と詠んだりした。


この日は宿泊している『プラザホテル山麓』のご厚意で、
人気の秘湯としてた名高い『鶴の湯温泉』に案内して下さり、
私たちのグループは、マイクロバスに乗り込み、ホテル前を10時半に出発した。

まもなく『鶴の湯温泉』の入口の看板を観て、ブナ林の小路を通り過ぎると、
ハンノキの樹木の中となり、6月頃には水芭蕉(ミズバショウ)の群生地帯と教えられ、
こうした情景を思いを馳せたりすると、まもなく『鶴の湯温泉』の幾重かの館が観えた。

http://www.nyuto-onsenkyo.com/tsurunoyu.html
☆『乳頭温泉郷』~癒しの森と湯めぐりの旅~ 乳頭温泉組合オフィシャルサイト<==『鶴の湯温泉』☆

テレビの旅番組、テレビのドラマなどで知られている茅葺き屋根の長屋「本陣」前を通り歩くと、
4種類の泉質の異なる源泉があり、白湯、黒湯、中の湯、滝の湯と称された素朴な建物が観えた・・。

http://www.tsurunoyu.com/FONDMENT/t-onsen.html
☆『鶴の湯温泉』ホームページ<==『温泉』☆

私たちのグループで、60代、70代の3名の男性と私は仲良しになった方と、
『黒湯』の建物の入り口の木戸を開けて、入館した。
そして脱衣籠に衣服とバスタオルを置き、『黒湯』に入浴した。

しばらくすると私は、別館にある野趣あふれる乳白色の『混浴露天風呂』が気になり、
『やはり一端衣服を着た後に・・露天風呂に行き・・また脱ぐのも面倒ですねぇ・・』
と隣にいる仲良しの60代の男性に話しかけたりした。

『先ほど、チラッと見かけたのですが・・丸太の歩道をバスタオルを巻いて・・
歩いて行かれた方もいましたよ』
と私の前にいる仲良しの70代の男性が私に教えてくれた。

この後、私は小雪が舞う中、細い丸太の歩道の小路をバスタオルを巻いて、
15メートル先にある『混浴露天風呂』を目指して歩いた・・。
ときおり微風が吹き、足元の細い丸太は滑りそうで、何よりバスタオルが風でたなびいている。
『風吹くのは勘弁してほしい・・オチンチン見えてしまうのは恥ずかしいし・・』
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

前方の3メートル先にいる仲良しの60代の男性は、タオル一枚巻いただけなので、
殆どお尻が見え隠れするので、
『俺よりも・・元気な60代だよねぇ』
と私は心の中で微苦笑したりした。

無事に私は『混浴露天風呂』にたどり着き、脱衣籠にバスタオルを入れた後、
入浴したが、少しぬるめと感じたので、足元から湧き出る箇所に移動をした。
そして私たちの仲良し4人組は、バラバラになり、私は見知らぬ男性と談笑したりした。

小雪が舞い、ときおり微風が吹いているが、
いつの日にかテレビで視(み)た野趣あふれる乳白色の『混浴露天風呂』に念願していた私は、
登山の山頂に登るつめたと同様に、希望が強かった分だけ、このような所なの、
と満足しながらも複雑な思いでもあった。


帰路、私たちのグループは、ホテルに帰還するマイクロバスの車内で、
良かったわ、もう一度来て見たいわ、と歓声をまじえて、お互いに言ったりしていた。

この夜も雪が舞い降り、ときおり止んだりし、周辺も雪積もる情景となり、
最終日の16日の朝は、積雪20センチぐらいの雪の光景となり、
雪は止んでいた。

淡い陽射しの中、私たちのグループはホテルの送迎マイクロバスで、
盛岡駅に向かった。
短かな田沢高原の旅であったが、雪の舞い降るプレゼントも頂き、
それぞれ深い思いを感じたと思われる。

古来より一期一会のたとえに通り、私たち夫婦は仲良しになった方に、
『もう一度・・旅先でお逢いしたいですねぇ』
と多くの方に言葉を重ねて、言ったりした。


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『みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ』~田沢高原滞在記~【11.11.13.~11.16.】 第4回

2011-11-17 18:57:19 | 
      第三章 夕暮れより雪が舞い降りて

私たちグループは、『孫六温泉 』に入浴した後、
宿泊している『プラザホテル山麓』のご厚意で、マイクロバスで『休暇村乳頭温泉』に行き、
館内の内風呂、そして周囲はブナ林の露天風呂に満喫した。
過ぎし10月中旬は、ブナの黄葉を中核にトチ、クリ、ハンノキ、そしてウルシなど紅色、朱紅色も加わり、
錦繍(きんしゅう)に染まった、と常連の方から、私は教えられ、
落葉した今のブナの樹々に語りかけるように、その頃の情景に思いを馳せたりした。


この後、『プラザホテル山麓』に帰還した私たち夫婦は、
家内がホテル内のお土産売り場で買い求めてきた数々の中から、
私は地酒を吞みながら、漬物を友として頂いた。

この中のひとつには『いぶりがっこ』もあり、沢庵(たくあん)を燻製にした歯ごたえのある漬物で、
辛口の純米酒にぴったりねぇ、と私は家内に話しかけたりした。

或いは『三撰きのこ』も波長に合う。
椎茸と舞茸、平茸を手づくりの辛子に和え、風味のある辛めのアンサンブルとなった茸である。

そして『青なんばん みそっこ胡瓜』も欠かせない。
青唐辛子に胡瓜で、独有のみそ漬けである。

以上、家内と比較すると味音痴の私でも、朝食のバイキングの時に、瞬時に魅了されて、
こよなく愛した食べ物であり、決して食通ではない。


辛味の苦手な方であれば、『いぶり たけのこ』が最適であり、
孟宗竹の筍(たけのこ)に、比内地鶏スープで味付けして、シコシコと柔らかく、
婦女子でも愛食されると私は思ったりしたのである。
私の幼年期は農家の児として育ち、生家は孟宗竹の竹林があり、
筍(たけのこ)を出荷していた情景も鮮明に残っているし、
そして何かと今でも好きな筍であるので、
少し甘さが残るが、お酒の相方として食べたりした。

このような食べ物を昼食代わりにして、辛口の純米酒の四合瓶を吞み干すと、
少し酔いが廻り、眠くなり、3時過ぎの昼寝となった。

そして目覚めると、夕暮れとなり、ぼんやりと外を眺めると、
わずかに雪が舞い降りていた・・。
『貴方が待ち焦(こ)がれていた雪・・降りましたわょ』
と家内は微笑みながら私に言った。

そして夜を迎えるので、少しは積もりかしら、
明日の朝は15センチぐらいの積雪が望ましいねぇ、と私は家内に話したりしていた。

                            《つづく》                        


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『みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ』~田沢高原滞在記~【11.11.13.~11.16.】 第3回

2011-11-17 15:18:30 | 
      第二章 乳頭温泉郷の『孫六温泉』

私たち夫婦が参加した今回の団体滞在のツアーは、
私たちを含めて60代、70代の夫婦が8組、女性の70代のグループの3名、男性独りの60代の2名、
女性独りの60代は1名のメンバーであり、
集合した東京駅では、私は微苦笑したりした。

やはり日曜日の13日から平日の16日まで、田沢湖の高原温泉にある観光ホテルに3連泊し、
乳頭温泉郷めぐりも出来る温泉三昧の旅は、第一線を退かれて、日常生活を過ごされている人たち、
と私も定年退職後は年金生活し、早や8年生を迎えている身なので、
予想通りのメンバーと感じたのである。

到着した翌朝、予定通り宿泊している『プラザホテル山麓』のご厚意で、
マイクロバスで乳頭温泉郷のひとつ『孫六温泉』そして『休暇村乳頭温泉』めぐりに、
朝の9時45分に乗車した。


私は前夜に遅ればせながら、乳頭温泉郷は『休暇村乳頭温泉』を中核に、
『休暇村乳頭温泉』この周辺にそれぞれ独特な個性を持つ温泉宿の『鶴の湯温泉』、『妙乃湯』、『大釜温泉』、
『蟹場温泉』、『孫六温泉 』、『黒湯温泉』が広大なブナ林に点在していることを学んだりしていたが、
ブナ、トチ、クリ、ハンノキなどの落葉樹の中、スギの樹が観られる遥かに広い地域にあると車窓から知った。

まもなく『鶴の湯温泉』の入口を道路の左辺に見たりし、やがて『孫六温泉 』の看板が見えて、
小道を少し入った後、駐車場で私たちグループは下車した。

そしてホテルの方に案内されながら、
私は入浴に必要なタオル、バスタオルを入れたビニール袋を右手に提げて、
私たちのグループは歩き出した。
森の小路を下るような道で、晩秋の柔らかな陽射しを受けながら、
ブナ、トチ、クリ、ハンノキなどの落葉樹のたわわな落ち葉を踏みしめて歩いた。

しかし『孫六温泉 』の建物は観えず、急な坂道を下ったりし、
ご高齢の方たちは大丈夫かしら、と私たち夫婦は言葉を交わしたりしていた。
やがて谷底にあるような『孫六温泉 』のそれぞれの建物が観えてきた・・。

http://www.nyuto-onsenkyo.com/magoroku.html
☆『乳頭温泉郷』~癒しの森と湯めぐりの旅~ 乳頭温泉組合オフィシャルサイト<==『孫六温泉 』☆

私は混浴の内湯のひとつに入り、同行の男性の60代、70代の4名の方たちと入浴していたが、
女性の4名が入浴してきたので、
やむなく私たち5名は、近くの露天風呂に移動した。

私は程ほどの熱さあれば、温泉の泉質、効能は問わず、
何よりも周辺の情景を優先しなから、解放感を享受するタイプであり、
その上に今回同行した方たちと懇親も兼ねて、談笑を重ねたりした。

そして落葉した幾重かの山脈(やまなみ)に晩秋が過ぎてゆく情景を観たりし、
入浴後は素朴な幾つかの建物に、山里を感じながら心を寄せたりした。


その後、ゆっくり10分ぐらいの坂道を登りながら、駐車場に戻った後は、
私たちのグループはお互いに親近感を増して、
マイクロバスの車内は笑い声をまじえながら言葉を交わしたりした。

                             《つづく》

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『みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ』~田沢高原滞在記~【11.11.13.~11.16.】 第2回

2011-11-17 10:08:46 | 
      第一章 初めての乳頭温泉郷は・・。

私たち夫婦が参加した田沢湖の湖畔より北上した山麓にある『プラザホテル山麓』に3連泊し、
滞在する日中の合間に乳頭温泉郷めぐりもあり、
この団体滞在のツアーには、
《 ~人気の秘湯「鶴の湯温泉」も入浴~
 硫黄香る田沢湖高原と
 秘湯「乳頭温泉郷めぐり」4日間 》
と明示されていた。

私は乳頭温泉郷は未知の世界であり、田沢湖から国道341号を北上した先の玉川温泉には、
20数年前に立ち寄り、入浴した体験があったが、
いつの日にか乳頭温泉郷には、と念願していた。

旅立つ前、乳頭温泉郷のひとつ「鶴の湯温泉」の中で、
乳白色の野趣あふれる混浴露天風呂が14日の月曜日は清掃日と知り、
今回の団体滞在のツアーでは、無念ながら機会をなくした、と落胆していた。

私は『プラザホテル山麓』のご厚意で、マイクロバスで乳頭温泉郷めぐりは、
15日の火曜日にして欲しい、と私のいつものような明るい笑顔で懇願してみるのも、
ひとつの方策かしら、と秘かに思い、家内に話したら、
たとえ貴方のお調子者のお願いであっても駄目でしょう、と家内に笑われてしまったのである。


しかし世の中は、しばし秘かな願いは叶うことがあり、
私たちグループが『プラザホテル山麓』に到着した13日の日曜日の午後5時半過ぎに、
それぞれ一枚の案内書が渡されたのである。

《 14日の月曜日
     乳頭温泉郷『孫六温泉と休暇村乳頭温泉』 ご案内

     当ホテル・出発9時45分 ~ 孫六温泉10時・着 ~ 入浴(滞在時間60分) ~
     孫六温泉11時・発  ~ 休暇村乳頭温泉11時5分・着 ~ 入浴と昼食(滞在時間約100分) ~
     休暇村・出発12時40分 ~当館・着12時55分 》

     
《 15日の火曜日
     乳頭温泉郷『鶴の湯温泉』 ご案内

     当ホテル・出発10時30分 ~ 鶴の湯温泉10時45分・着 ~ 入浴(滞在時間60分) ~
     鶴の湯温泉11時45分・発  ~ 当館・着12時 》

このように明記された案内書であった。

そして、昼食は各自ご自由に、お腹とお財布をご配慮されて、
お好きなほどに、たくさんお召し上がり下さって、
地元も貢献して下さりますに、と私は解釈したりした。


この後、私たち夫婦は指定された部屋に向いながら、
『XXちゃんさぁ・・二日間も案内して下さるなんて・・予想もしていなかったょ・・
格安の旅費なのに・・申し訳ないよねぇ・・
何よりも「鶴の湯温泉」の野趣あふれる露天風呂が入れるので良かったよねぇ・・』
と私は家内に話しかけながら、高揚していた。

この夜、寝付く前に、旅立つ前に自宅でネット調べた『乳頭温泉郷』の情景を思い浮かべたりした・・。
http://www.nyuto-onsenkyo.com/
☆『乳頭温泉郷』~癒しの森と湯めぐりの旅~ 乳頭温泉組合オフィシャルサイト☆

そして缶ビールを吞みながら、果たして初めて訪れる乳頭温泉郷の各地の温泉は・・、
と思い馳せたりしていた。
                                  《つづき》

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『みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ』~田沢高原滞在記~【11.11.13.~11.16.】 第1回

2011-11-16 19:21:55 | 
      序 章  田沢の森は晩秋から冬の訪れとなり

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳となった身であるが、
ある有力な通販の旅行会社の雑誌に、
秋田県の田沢湖の高原温泉にある観光ホテルに3連泊する団体滞在型のプランが掲載され、
乳頭温泉郷めぐりもあるので、
私たち夫婦は13日より3泊4日で参加することにした。

私の根底のひとつには、今年の3月の初旬に私たち夫婦は5月中旬頃に、
乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策を8泊9日間の予定をしていたが、
3月11日の東日本大震災で東北の各地が甚大な被災となり、やむなく中止したので、
敗者復活戦のような変貌したプランとなった。

東京駅の日本橋口に13日の12時10分に集合し、東北新幹線の『ゆまびこ』で、
12時40分発で盛岡駅に到着した後は、
観光ホテルのご厚意で送迎を受けて、
田沢湖の湖畔より北上した山麓に『プラザホテル山麓』に3連泊する滞在した後は、
16日の盛岡駅発11時10分発で帰京する、
ゆったり出発、早めのお帰り、旅程である。

http://sanrok.jp/
☆【プラザホテル山麓】ホームページ☆

この田沢湖の湖畔より北上した宿泊の『プラザホテル山麓』の周囲は、
ブナ林を中心とした森の黄色を中核に紅色、朱紅色に染まる錦繍(きんしゅう)は、
今年は10月中旬で迎え、私たちグループが今回訪れたこの時期は、錦繍の時節は終わりを告げて、
落葉樹は冬木立の少し前の状況となり、大枝、小枝も茶褐色に変貌したたわわな葉の情景となり、
地表には落ち葉となり、吹き寄せのようになっていた。

そして到着した翌日の14日は朝の6時は7度、昼下がりは12度、夜の6時は6度、
この地域としては、晩秋の快晴の日中となった。

この後、夕暮れから急激に寒さを増して、雪が舞い降りてきた・・。
そして昨日の15日は、雪が降ったり止んだりし、周辺も雪化粧の情景となり、
俳句の素養のない私でも思わず、
       みゆき舞ふ 田沢の森 冬の訪れ
と詠んだりした。

そして雪の舞い降る中、私たちのグループは、歓声を上げたりしながら、
乳頭温泉郷を訪れ、恵まれた情景のひとときを享受した。

                                  《つづき》

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東京郊外の田舎者の私は、本日の13日より田沢湖の山麓を訪れ、秘かに初雪を期待して・・。

2011-11-13 04:18:13 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳となった身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

ときおり家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

たまたま昨年からの国内旅行に関しては、
家内が海上で遊泳している鯨(クジラ)を観てみたいわ、と私に云ったし、
色々と調べた結果、海外旅行には苦手な私たち夫婦は、
小笠原諸島の『父島』で2、3月にザトウクジラが観られることが多いと知った。

往復路は『おがさわら丸』を利用して、片道だけでも都心から1000キロ南下する25時間半の船旅となり、
父島の静寂で景観の良い海辺のリゾートホテル『ホライズン』に宿泊した。
結果的には、2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のホテル滞在9泊となった。


その後、若葉の季節に5月24日から9泊10日間で、
JRの秋田新幹線の特急『秋田こまち』、五能線などの『リゾートしらかみ号』、
帰路は東北新幹線などを利用して、
青森県の日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテル『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に3泊、
その後は竜飛岬にある竜飛崎温泉の観光ホテル『ホテル竜飛』に3泊、
そして八甲田山連峰のほとりにある『酸ヶ湯』温泉に1泊、
最終として『蔦〈つた〉温泉旅館』に2泊をした。


夏の終りの旅路は、8月30日から9月4日まで5泊6日で、
東北新幹線、そして山田線を利用して、
東北地方の太平洋に面した三陸海岸で、岩手県の宮古市の海岸にある清麗な『浄土ヶ浜』を訪れ、
『浄土ヶ浜パークホテル』に3泊した後、
盛岡市の郊外にある繋(つなぎ)温泉の奥地にある鶯宿(おうしゅく)温泉の『長栄館』に2泊した。


12月中旬になると、青森県は雪の舞い降る頃と思い、
東北新幹線、そして五能線などの『リゾートしらかみ号』を利用して、
12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある『蔦(つた)温泉』に再訪し4泊し、
ブナの雪景色の中を散策したり、観光客のいない雪舞い降る奥入瀬渓流に魅了したり、
その後は青森市内の『青森グランドホテル』に1泊し市内を散策、
そして日本海の黄金崎の『不老ふ死温泉』に再訪して3泊して、8泊9日間で訪れてきた。


そして今年の2月13日より、雪舞い降る時に山形県の銀山温泉に行って観たいわ、
と家内は私に言ったりしたので、
山形新幹線の特急『つばさ』などを利用して、
銀山温泉の旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4連泊して、
街並み、そして付近を散策した。
その後は、最上地域の『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊し、
5泊6日で冬の旅をした。


このように青森県、岩手県、山形県などの東北に改めて魅了された私たち夫婦は、
五月中旬に秋田県の田沢湖を北上した乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策で、
8泊9日間の予定を3月の初旬に立案して、
いつも愛用している旅行代理店に予約をしょう、と決意していた。

この後は、3月11日に東日本大震災で各地が甚大な被災となり、
私たち夫婦は、訪れてきた各地の余りにも痛々しい被害に唖然とし、
旅行の予定も中止し、私たち夫婦は日常生活も変貌したのである。


こうして過ごしている間、旅行会社から幾たびか小雑誌が郵送されて、
ときおり私たち夫婦は、見たりしてきたが、意欲がなく心が定まらなかった。

夏が終わり、落葉樹のたわわな葉が朱色、黄色などに染められる各地の錦繍の情景の紹介記事を見たりすると、
どの地域に魅せられるところは・・と漠然と探したりした。

私の住む地域は調布市の片隅であり、世田谷区と狛江市に隣接した辺鄙なところで、
11月3日の『文化の日』の頃から11月23日の『勤労感謝の日』の頃まで、
数多くの雑木は朱紅色、黄色に染められる錦繍の時節を迎える。

このようにぼんやりと錦繍の情景に思い馳せたりしてきたが、
ある有力な旅行会社の雑誌に、
八ヶ岳の高原にあるリゾートホテルに三連泊する団体滞在型のプランが掲載されていた。


このリゾートホテルは、星空が観やすいところ、と何かの雑誌で私は読んだりしたこともあり、
その上、この地域は10月中旬の頃から、朱色、黄色などに染め始める錦繍の情景が展開するので、
私は家内に、
日中は錦繍の情景、そして夜には満天の星空を眺められる・・
独断と偏見の多い私でも、三日間宿泊すれば、一日ぐらいは煌々と輝く数多くの星が見られる、
と家内を勧誘したのである。

新宿駅に集合し、特急『あずさ』を利用して、小淵沢駅で下車し、
ホテルからの送迎バスに乗車し、ホテルに3連泊する間、それぞれ好きな所を見てきて下さい、
滞在の自由プランである。

甲斐大泉駅から徒歩15分前後にある『八ヶ岳ロイヤルホテル』の周辺に、
東京の田舎者が、うろつき歩いていたら、もとより私のことである。

このように、夫婦だけの旅行から、久々に団体の滞在型に参加する私たち夫婦は、
10月16日より3泊4日の旅行をしてきた。

この時の旅先の思い、そして心情はこのサイトに於いて、
【 大泉高原の山里に、錦繍の情景、そして満天の星空を求めて・・。【10.16.~10.19.】】
と題して、帰宅後の10月20日より6回に及び掲載しているので、省略する。


今回、やはりある有力な旅行会社の雑誌に、
秋田県の田沢湖の高原温泉にある観光ホテルに三連泊する団体滞在型のプランが掲載され、
乳頭温泉郷めぐりもあるので、
私たち夫婦は本日の13日より3泊4日で参加することにした。

この根底には、今年の3月の初旬に、
乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策を5月中旬に8泊9日間の予定をしていたが、
3月11日の東日本大震災で各地が甚大な被災となり、やむなく中止したので、
今回は少しばかり変貌したプランとなった。

田沢湖の湖畔より北上した山麓に『プラザホテル山麓』があり、
この館内とか周辺、或いは乳頭温泉郷に、
東京の田舎者が、うろつき歩いていたら、もとより私のことである。
その上、この時節、この地域に於いて、秘かに雪が舞い降る情景を私は願っている。

このような関係で投稿文は、しばらくは休止とさせて頂く。

帰宅後、つたないなりに心を揺さぶられたこと、ときめきを感じたことなどを
素直に綴る予定である。


尚、私のこのサイトの右側にあるカテゴリーに於いて、
『旅』として、これまでの旅の最中に感じたことを発露した紀行文の形式で、
160通ばかりあり、お読み頂き、ご笑話を頂ければ、幸甚である。


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私たち夫婦は旅行好きであるが、海外旅行は苦手となり、相変わらず国内専門となり・・。

2011-11-12 15:44:37 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。


私たち夫婦が旅行を思いたった後は、
最寄駅の前にあるJTBの旅行代理店に私たち夫婦が立案したプランを提示して、
数か所毎に滞在して夫婦の旅を重ねたり、
或いは独り住まいの家内の母を誘い、温泉地に滞在する旅行もしたりしてきた。

ときには団体観光で滞在型、そして周遊型も利用して、国内の名所も観たりしてきた。

過日、私の現役時代の友のひとりから、電話を頂き、
夫婦でシンガポールの旅をしてきた、と話されていた。

この後の私は、海外かょ、と心の中で呟(つぶや)いたりし、
独り苦笑をしたりしていた。


家内は茶事などの和事をし、過ぎし40代にはテニスなどをしてきたが、
何かと人見知りをする傾向である。
私は自分は照れ屋で小心者と思っているが、家内は物おじしないタイプと言っている。
このような不思議な夫婦でもある。

私は現役のサラリーマン時代に於いて、会社関係で、
台湾で台北のホテルで3泊宿泊したり、
ハワイのホノルルのヒルトンで4泊しただけの海外旅行の体験であるが、
家内には海外の情景を幾たびか話題にしていた。

特にハワイで夕焼け、星空を観せてあげたい、と思っていたのである。

しかしながら家内は、国内の観光ホテルに連泊して、
露天風呂などに入ったり、食事を楽しんだりし、ゆったりと滞在するのを好んでいるのである。

私は英語などに関しては、単語を並べれば何んとかなる、と思っているタイプであるが、
海外で独りで周遊していた時、
思いがけない交遊も出来たり、失敗も幾たびか経験したが、それなりに思いでも深まるのである。

家内は言葉の問題、現地の治安に不安が先立ち、
国内で色々と観るのが良いわ、と言ったりしている。


このように私は、いずれはと私は思ったりしてきたが、
ここ10年ぐらい世の中は、禁煙の風潮となり、私は愛煙家のひとりであるので、
困惑している。
確か15年前の頃、台北、ホノルルに行った時は、機内で煙草が喫えた時代であった、
と思い浮かべたりする時もある。

国内の石垣島への4時間ぐらいの航空時間が私の心身の限度であり、
目覚めた時、食事後の喫煙は・・と思い馳せると、海外は遥かに遠い異国となる。
或いは機内の客室を完全分離し、通常料金の1割増で、強力ファンなどの設備で、
どちらかの航空会社が対応しないかしら、と妄想することもある。

こうした理由もさることながら、やはり異国を訪れるには、
その地の風土、そして歴史と文化を少しばかり学んだ上、
周遊しなければ、うわべだけで享受することになり、もとより深みも欠ける。

そして私は日本の各地の歴史、文化を学ぶだけでも、余裕もなく、
日本の四季折々の情景に魅了され、家内と国内の各地を訪れているのが、
ここ40年近くになっている。

このように私たち夫婦は、海外の諸国は、まぎれなく異国と感じて、
テレビのドキメンタリー作品などで学ぶだけとなり、微苦笑ぱかりしている昨今でもある。


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五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』、私は若き日に文学青年の真似事を敗退した頃を思い馳せて・・。

2011-11-11 23:03:15 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
主庭の雑木が観える居間の中央に机を置いている。

2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、この机にパソコンを置いて、
パソコンが故障したり、国内旅行で自宅不在でない限り、ブログの投稿文を綴っている。

この机にあるパソコンに向って綴っているが、
私の座っている椅子の後方には、少し大きな本棚が二本あり、愛読している単行本を並べている。

先ほど、後ろを振り返り、たまたま下段の右側を見ていたら、
作家・五木寛之(いつき・ひろゆき)氏の『わが人生の歌がたり』(角川書店)シリーズの『昭和の哀歓』、
『昭和の青春』、『昭和の追憶』の三冊が並んでいた。
そして、偶然に目にした本に微苦笑をした。


私は遅ればせながら、昨年の2010〈平成22〉年の春先に購読した作品である。

この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。

読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから歌を聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたりしたが、
教示されることが多かったのである・・。

もとより作者は1932(昭和7)年9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)年9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。


私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に少年の頃から熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。

この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊文芸雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。

この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。

私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を最後まで読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう)氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。

その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に、新しい旋風をまきおこしたことは、周知の通りである。

この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆を重ねていた時であった。

その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。


私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。

やむなく人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。

そして一年ばかりソフト学科を学び、
この当時は、大手の音響・映像のある会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。

その後、この会社の一部が外資系レコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後は管理系の情報、経理、営業、管理畑など35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職をした。


この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおり躊躇(ためら)いながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように、漏れなく時系列で読むことはなかったのである。

遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私の根底にはあった。


このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
昨今のここ15年ぐらいは、こだわりも霧のように立ち消え、
読みながら多々教示を受けたりしている。


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文藝春秋・編『日本の論点2012』、齢ばかり重ねた高齢者の私でも、思わず購入し・・。

2011-11-11 10:43:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨日の昼下がり、家内が駅前の歯科医院に治療の予約していたので、
私はホディーガード兼お供で、家内と共に幾分人気の少ない川沿いの遊歩道を歩いた・・。

桜の樹が多い桜並木のような中、
花水木(ハナミズキ)の樹の数多くの葉は、朱紅色に染まっているが、
この地域に古くからあるクヌギ、コナラの樹木、
そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどは、
ほんのりと紅色、朱色、黄色に染め始めていた・・。

川の水辺の近くには、鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来してきているが、
私は小鳥には興味がなく、淡い陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)は、わずかに白い穂に見せ始めている。

このような錦繍(きんしゅう)の情景を観ながら、私たちは駅前に出た。

そして駅前で家内と別れ、いつものようにコーヒー・ショップの『ドトール』で待ち合わせすることし、
私は本屋に寄り、雑誌の文芸コーナーに於いて、
1970〈昭和45〉年より購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』(12号)を手にした後、
この横に、『日本の論点2012』と大きく明記された厚い本が10数冊積み上げられていた。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784165031109
☆【文藝春秋ホームページ】<==《文藝春秋・編『日本の論点2012』》

私は手に取って、パラパラと開きながら見たりしていたが、
確かに日本の第一線で活躍される著名人の方たちが、冷戦から今日までの各分野の問題を
寄稿されたのが掲載されている。


私は遅ればせながら高校生の初めに、読書の底知れぬ魔力に取りつかれて小説、随筆など乱読し、
年金生活の今でも、日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
本屋に寄ったり、ときには古本屋に行き買い求めている。

単行本、新書本、文庫本の書籍が圧倒的に多く、ときおり雑誌を購入しているが、
今回の『日本の論点2012』の厚い本は、手にして読むのは・・と躊躇(ためら)ったりした。

しかしながら、多岐に及ぶテーマを一冊に集約したのは、なかなか出版されることもないと思え、
齢ばかり重ねた私でも、購読しょうと決意した。

高齢者3年生となった私は、少しばかり世の中は解ったつもりあるが、
新聞などを読んだりしていると、恥ずかしながら解説欄に縋(すが)ることが多く、
ときおり何も解っていなかった、と赤面したりすることもある。

今回、改めて謙虚に、それぞれの専門家の見識を学び、
大学の特選セミナーの時事講座かしら、と受講生のひとりのような心情で、
読みはじめている。

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お通夜のお清めの『通夜ぶるまい』で、私は未知の方と言葉を重ねて・・。

2011-11-10 08:47:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、親戚の方のお通夜に参列した。

私の父の妹のひとりが死去され、もとより私にとっては叔母さんとなる90歳の方である。
父は長男で妹は4人となり、長女は今年の晩春に亡くなり、今回は次女の方であり、
三女、末妹は健在である。

今回亡くなわれた叔母は、私の幼児期に隣接した成城学園の農家に嫁がれ、
早や65年近くなっていた。

この間、この叔母とは、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
私の実家である長兄宅で、ときおりお逢いしていた。

或いは法事の時もお逢いすることもあるが、私は三男坊の身であり、
もとより代々家を継がれてきている長兄より親戚関係の冠婚葬祭の交際は限定されているので、
気楽な面もある。

今回の場合も長兄は、『お通夜』、『告別式』に参列するが、
私の三男坊の身として『お通夜』だけ参列すれば、許される立場である。


このような関係で、私はこの地域としては由緒あるお寺で施行される『お通夜』に、
参列した。

私はふたりの妹と共に、親戚側の片隅に着席し、禅師の読経を聴いたり、
亡くなわれた叔母を偲(しの)ぶように、嫁がれた後の苦楽の歳月に思いを馳せたりした。

そして誰しも、そのお方の生を受け、亡くなわれるまでの一生の軌跡は、
どのお方と交流されたり、淡い関係をされたかは、もとより当人しか解からないので、
『お焼香』をして下さっている一般の方たちに、私なりに思いを重ねたりした。


この後、親戚関係のお清めの『通夜ぶるまい』で、
私は父の妹の叔母さんたち、そして叔母さんの家族の人たちと隣席しようと思っていたら、
たまたま係りの方に一番前の席に誘導され、未知の高齢者の男性の方と隣席となり、
前の席は50代のご夫妻の方となり、私は知らない方となった。

さりげなくお互いに私は50代のご夫妻の方となり話したり、
隣席の高齢者の男性の方と言葉を重ねると、大正15年生まれで、85歳前後の方と知った。
そして、私の住む地域の近くで農家をされている方と知り、
私は驚いたりした。

親戚関係の人たちであるが、もとより亡くなわれた叔母さんのご主人側の親族、親戚関係もあり、
私にとっては遥かに遠い血筋となるが、こうした方が・・まして近くで農家をされている方であり、
世の中は広いが、たまたまこうした『通夜ぶるまい』で隣席すると、狭いなぁ、と実感させられたのである。

そして戦争前後、この周辺が大きく変貌した昭和32年の頃まで、
私は話題にして、85歳前後の方から多々教示された。

このお方も時代の荒波を過ごされ、苦楽の多い人生軌跡を発露され、
明るく話されるが、もとより『お通夜』の後のお清めの『通夜ぶるまい』であるので、
私は笑い声は抑えて、ときおり微笑みを浮かべて、85歳前後の方と
談笑を重ねたりである。


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若い人たちが良く聴く最新の歌、高齢者の私は殆ど無知で、うなだれて・・。

2011-11-09 09:00:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
若き頃の東京オリンピックが開催された年、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、敗退した後、
やむなくコンピュータの専門学校に一年ばかり学んだ。

そして民間企業のこの当時は大手の音響・映像メーカーに、何とか中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。
まもなく外資系の新設されたレコード専門会社に転籍させられ、
音楽制作に直接関係のない管理系の商品、情報、経理、営業、物流畑など35年近く体験して、
2004(平成16)年の秋に定年退職した身である。

文学、映画に続いて音楽は興味があったが、
入社当時は殆ど音楽の曲も無知なグループに属していた。
もとより管理系の分野を勤めていたが、この中には多少の音楽知識とセンスが問われることが多く、
私なりに入社後、給料を頂くたびに自社、他社を問わず、毎月少なくとも3枚のアルバムを購入したりしていると、
魅了されるアーティストに熱中し、買い揃え、夢中になって聴いたりしてきた。

定年退職後、音楽棚を整理したら、レコード、カセット、CD、DVDは、
この間に知人に程々に差し上げたりしたが、概算2000枚となっている。

最近、年金生活の8年生となり、定年退職後は年に数枚のCDを購入したり、
ここ4年前の頃から、ときおりパソコンで【YouTube】で、
まぎれなくレコード業界はパンドラの箱が開けられた、と驚きながらため息まじりで視聴することもある。

音楽を聴くのは居間で、かってはプリアンプ、メインアンプ別のオーディオなどの装置で聴いていたが、
恥ずかしながら昨今は、CDラジカセとなっている。
ときおり外出で音楽を聴きたい時は、無念ながら携帯電話も使えず保有していないので、
CDウォークマンで聴きたいCDアルバムを5、6枚持ち歩いている。

そして、定年退職後、魅了させられたアーティトの曲は、
たまたまラジオを聴いて、綾香ちゃんの発売日前の『三日月』であったり、
テレビで視聴したコブクロの『赤い糸』、
旅行先のドライブインで偶然に聴いたいきものがかり『帰りたくなったよ』の吉岡聖恵ちゃんの唄声であったりした。
こうした曲にめぐり逢うと、その後しばらくの間は毎日聴いたりし、
少なくとも百回以上は聴くことになり、私の物狂いシーズンとなっている。

こうした年金生活をしているが、昨夜のひととき、
音楽業界の専門サイトのひとつとして【MUSICMAN】があるが、
ある記事をたまたま読み、最新の若い人が聴いている曲を少しばかり私自身をテストしょう、
と戯(たわむ)れたのである。

《 11月1日「着うたフル」レコ協チャートを公表
                    2011年11月04日 》

と題された記事である。

無断ながら転載させて頂く。

《・・
日本レコード協会は、2011年11月1日付「着うたフル」有料音楽配信チャート(レコ協チャート)を発表した。
<対象期間:2011年10月26日〜11月1日>
上位チャートは下記の通り。

●レコード協会調べ 11月1日付「着うたフル」有料音楽配信チャート

1.「風は吹いている」 AKB48
2.「365日のラブストーリー。」 ソナーポケット
3.「3090〜愛のうた〜」 LGMonkees
4.「永遠はただの一秒から」 JAY'ED×JUJU
5.「Dear Best Friend feat. LGMonkees」 Noa
6.「好きだよ。〜100回の後悔〜」 ソナーポケット
7.「CRAZY FOR YOU」 Kylee
8.「ウィンターマジック」 KARA
9.「やさしくなりたい」 斉藤 和義
10.「The Boys(Korean Ver.)」 少女時代
11.「オーマイガー!」 NMB48
12.「100万回の「I love you」」 Rake
13.「フライングゲット」 AKB48
14.「Headlight」 MONKEY MAJIK
15.「君のとなりに」 曽根由希江
16.「ステキな日曜日〜Gyu Gyu グッデイ!〜」 芦田愛菜
17.「荒野より」 中島みゆき
18.「Lock On」 YUI
19.「マダオワラナイ」 清水 翔太
20.「Bo Peep Bo Peep (Japanese ver.)」 T-ARA


私はこのベスト20位を見て、正直に告白すれば、殆ど無知で、
アーティストが明確に解り聴いたのは、AKB48、KARA、少女時代、中島みゆき、だけであり、
唖然としながら、苦笑した・・。

もとより一部はバソコンから殆どは携帯電話から選定されたと思われる曲で、
圧倒的に多いは10、20、30代の若い世代から支持され、利用されたと思ったりしている。

そして40代以上のお方たちは音楽を聴き、魅了されたならば、
CDを購入して聴く世代、と私は思っている。

従って、若い世代の人たちから、過ぎし一週間で最も愛聴された曲とも明言できる、
と思ったりしたのである。

私は素直に振り返ると、若い人々の10代の後半から30代の多くの人たち・・
私は齢ばかり重ねた高齢者3年生の67歳の身であり、
少しばかり若い感性と感覚があると自負していたのであるが、
無念ながら敗退かしら、と苦笑したのである。

そして、この後の私は悔(くや)し紛(まぎ)れに、
1950年代から2004年までの名曲の多少は、
その当時リアルタイムで実感して聴いてきたよ、と心の中で呟(つぶや)いたりしたりしている。


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『立冬』を迎え、私の住む東京郊外の地域は、錦繍(きんしゅう)の情景となり、私は微笑みながら・・。

2011-11-08 08:48:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活67歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見たら『立冬』と明記されて、私は微笑んだりした。
古来より『立冬』は、冬のはじまりと云われているが、
東京の郊外は、ここ一週間は秋日和に恵まれている。

昨日は朝の6時は14度、昼下がりは21度、夜の6時には16度となり、
風もなく、おだやかな秋日和に恵まれた。

先程、地元の天気情報に寄ると、
朝の6時は14度あったし、昼下がりは17度前後、夜の6時も14度前後が予測され、
晴れ時々曇りとなり、静寂なひとときとなっている。

我が家の小庭には紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は紫色に色合いを深め、
花梨(カリン)、無花果(イチジク)の葉は黄色に染めはじめている。

ここ数日、買い物や散策の時に見かけたのであるが、
小公園に通り過ぎると、花水木(ハナミズキ)の樹の数多くの葉は朱紅色に染まり、
陽射しを燦燦と受けて、光帯びていたして、しばらく私は見惚(みと)れたりした・・。
そして早くも落ち葉が散乱し、
地上の片隅に吹き寄せのように落ち葉が道路のはずれ、建物の片側に押し寄せられていた・・。

そして空は青く澄み切って、ぽかぽか陽気となっている。

帰路、住宅街を通り過ぎたが、どのお宅も落ち葉の吹き寄せとなっている。
風のあたらない一角に空き地があるが、
陽射しを燦燦と受けて、コスモスの残り花、、薄の白い穂が微(かす)かに揺れていた。

このような思い過ごしてきたが、確かに東京郊外は晩秋がはじまった、と実感している。

これから時節、我が家の雑木の多い庭も付近の情景も紅色、朱色、黄色に染められた錦繍の時節を迎えるので、
12月の初旬の頃まで私の心は小躍りして、過ぎ行く晩秋に愛惜を深めて散策したりしているのが、
毎年の私の秘かなならわしとなっている。

果たして、今年の錦繍の美景は・・と思いながら、
私はぼんやりと主庭の梅(ウメ)、紅葉(モミジ)の枝葉を眺めたりしているが、
たわわな葉の色合いは初秋の余情であり、ときおり澄み切った青空を見上げたりしている。

そして、日中のひとときは庭の手入れをした後、
早くも紅色、朱色、黄色に舞い散る始めた葉を、掃き清めたりするのも、
良いかしらと私は微笑んだりしている。

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なでしこジャパンの川澄奈穂美ちゃんの発露された言葉に、高齢者の私でも更に魅了され・・。

2011-11-07 18:45:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、パソコンを開き、ニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を見ていたら、
この中のひとつの見出しに、思わず微笑んだりした・・。

《 なでしこ川澄奈穂美が『an・an』表紙登場 女性アスリートは創刊初 》

と見出しされた記事で、私は今年の9月から遅ればせなから川澄奈穂美ちゃんに魅了されて、
確か『an・an』は、若き女性向けのファッション週刊誌と記憶しているので、
恥ずかしながら、こっそりと読んでしまったである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111107-00000306-oric-ent
☆☆【YAHOO! JAPAN】<==
     【オリコン】<==《 なでしこ川澄奈穂美が『an・an』表紙登場 女性アスリートは創刊初 》 ☆☆


高齢者のサッカー無知な私でも、川澄奈穂美ちゃんがインタビューに応(こ)えた発露された言葉に、
何よりも感服したことは、
《・・今回はおしゃれの話から一転、
特集テーマ『お金がない…を解消したい!!』について、日々の節約生活を赤裸々に語っている。

「お給料をもらったら先取り貯金する」、
「クレジットカードは持たない」といった浪費を防ぐ方法や、
「1週間ほぼ自炊で商店街の特売日にまとめ買い」、
「食費は同居している田中明日菜と二人で月3万円と決めている」など、
シビアな倹約ぶりを披露している。

同編集部は「この堅実さは、なでしこジャパンのメンバーにおそらく共通しているもの」と分析。
・・》

私は年金生活の8年生の高齢者の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

我が家は原則として年金を頂いた分で生活しているが、
国内旅行、冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、やむなく貯金から下して過ごしている。

今回、川澄奈穂美ちゃんの堅実な倹約ぶりを学び、恐れ入りました、と微笑みながら、
益々魅了されてしまったのである。


尚、私は川澄奈穂美ちゃんに初めて魅了されたことについては、
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/cb36c92055754a55bdc58b16539323a8
☆【夢逢人たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
   9月13日付【 なでしこジャパンの川澄(かわすみ〉選手、サッカーに無知な私でも、瞬時に魅了されて・・。】☆

投稿しているので、お手すき方、お読み頂ければ幸甚である。


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