夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信愛している私は、早や65年が過ぎて・・。

2016-01-28 16:58:41 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の苦楽の多い中小業の会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。
         
私は71歳の身となり、家内は66歳となり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そして70代の心針初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
                  
           ☆掲載した写真は、本日、都立・神代植物園の私なりの情景である☆

こうした中で、私は母の遺伝を受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信愛している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や12年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないことが多く、
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えて、
ここ10年は安楽の日々を過ごしてきた。
          

私は1944年〈昭和19年〉の秋に農家の児として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人のサンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

そして1951年(昭和26年)の春に地元の小学校に入学したが、
独りで下校する時が多かったりした。

こうした時、通学路から外れて、田圃の畦道を歩いたりし、
ある日、小雨に降られた後、七色の虹が視えて、
この世でこんなに綺麗なことがあるの・・と長らく見惚(みと)れたりした。

或いは通学路を下校する時、祖父の知人宅に寄り、
70歳ぐらいの小父さんに、白い梅の花、桜より好きです、と私は言ったりして、
変わった児だねぇ、と私は言われたりした。
          

この当時は、祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。

こうした中で、田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
          
幼年期の私は、何かと湧水(わきみず)に魅せられて、
夏も冬も変ることコンコンと湧き出る水を不思議に思ったりしていた。
そしてこの湧水(わきみず)は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水(わきみず)の周辺は、夏のお盆に使う朱紅色したミソハギの花が咲いたりしていた。
          
            ☆一昨年の7月23日に近くの『水生植物園』で撮った☆

私は湧き水を観るのが好きで、春の季節であっても、冬の時節に於いても
コンコンと湧き出る水を、どうしていつまでも湧いてくる、と不思議そうに眺め、飽きることがなかった。

後年、私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。

或いは伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。
小さな湧き水が四箇所あり、コンコンと湧き出て、やがて小川となっていた。


蓮(ハス)専用の水田に関しては、7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに綺麗な白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
          
            ☆一昨年の7月23日に近くの『神代植物園』で撮った☆
          
こうした中、父や母にコンコンと湧く湧水(わきみず)とか、
泥だらけの中で育ち、綺麗な白い花が咲く蓮(ハス)の花に、どうしてなの、と困らせたりした。


やがて私は小学4年生の頃から、映画に圧倒的に魅せられて、独りで映画館に行ったり、
遅ればせながら高校に入学して、読書に目覚めたりした。

その後、私は社会人となり、たまたま音楽業界のあるレコード会社に勤務した為か、
音楽もこよなく聴いたりしてきた・・。


昨夜、私の住んでいる処より、徒歩45分ばかり歩くと、都立・神代植物園があり、
落葉樹とか花木に魅せられて、四季折々鑑賞してきたが、白梅、紅梅、蠟梅(ロウバイ)は咲いたかしら、
或いは過ぎし18日に今年初めて小雪が降ったので、椿の花は耐えられたかしら、と思い馳せたりした・・。
          

そして本日、老ボーイとなってしまった私は、都立・神代植物園を訪れたが、
いつも教示させられることは、日ごとに、朝、昼、夕暮れごとに、花は変貌し、
一期一会ですねぇ、と深く感じたりしてきた・・。
          

そして私は、齢を重ねた今、ともすれば忘却の彼方に遠ざかることを恐れて、
こっそりと記憶のかたみとして、デジカメで撮ったりした。

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