夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

コニー・フランシス、我が青春の中学、高校の時期に秘かに心酔して・・。

2013-02-27 14:47:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夜、この【gooブログ】サイトに於いて、あるお方がお孫さんの中学二年生のうら若き女の子が、
音楽に関してはイギリス及びアイルランド出身の男性5人で結成されたグループの『ワン・ダイレクション』に心酔している、
と投稿記事を私は読んだりして、微笑んだりした。

私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職したが、
この間は音楽を制作する分野でなく管理畑を中核に歩んできたが、何かとの洋楽に苦手であった。
そして定年後の年金生活の中では、音楽業界のことも疎(うと)くなり、
無念ながら若き男性5人グループの『ワン・ダイレクション』は無知であった。

今朝、私はいつものように何かと音楽業界について詳しいネットを見たりし、
《・・昨日(2月26日)ロンドンでIFPI(国際レコード産業連盟)による2012年の年次デジタル・ミュージック報告書が発表され・・
敬愛している【高橋裕二の洋楽天国】で具体的に解説された中に於いて、アルバムのベストテンを掲載していた。
1位)アデル「21」 830万枚
2位)テイラー・スウィフト「レッド」 520万枚
3位)ワン・ダイレクション「アップ・オール・ナイト」 450万枚
4位)ワン・ダイレクション「テイク・ミー・ホーム」 440万枚
・・》
このような記事を読みながら、『ワン・ダイレクション』は昨年も世界的に破竹の勢いで、CDや音楽配信で、
アルバムが売れている、と学んだりし、私の勤めていたライバルのレコード会社の所属だ、と苦笑したりした。

もとより音楽のCD、配信の購買層は10代、20代が多く、
昨今の10代の女の子は、こうした若き男性5人グループの『ワン・ダイレクション』に熱中するのか、
と思ったりした後、私が中学、高校生の頃は・・、と思いを馳せたりした。


私が都心の高校に入学したのは1960〈昭和35〉年の4月であり、
小学4年生の頃から映画館に独りで観たりした映画少年で、
相変わらず映画を観たりしてきたが、洋画中心になっていた。

そして小・中学生は劣等生だった私が遅ればせながら高校に入学してまもなく、
突然に読書に目覚めた・・。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。

この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読すると同時に、
授業を学ぶ楽しさも初めて体験し、成績も向上した。

こうした中で、音楽も聴き始め、
ポピュラーとして、真っ先に浮かんだのは、コニー・フランシスであった。

私がコニー・フランシスを初めて意識的に聴いたのは、
確か高校2年前後の1962年の頃であったと思う。

ラジオから甘くせつない声がながれてきた。
この頃、実家の居間にはテレビがあったが、自分の個室はラジオぐらいで、
ラジオは殆ど付けっぱなしであった。

中学時代は、テレビでザ・ピーナッツを視聴したりし、
ラジオではコニー・フランシスの何となく甘くせつなく、色合いのある声を聴き、
『マイ・ハピネス』、『カロリーナの月』、『泣かせないでね』等であったと思う。
そしてレコードまでは買えなかったけれど、良くラジオから流れ、聴いたりしていた・・。

その後、『可愛いベイビー』の日本語も流れ、日本の歌手では中尾ミエが歌うようになった。


私が50代になった時、業務の忙しい中、
休日の時、急にコニー・フランシスの唄声が聴きたくなった。

そして私は、CDアルバムを7枚ばかり購入して、聴き入っていた。
その後、人事異動をしてある部署に勤めていた時、
洋楽畑の人から、私がコニー・フランシスのファンであること知り、セット物のCDを頂いた。

アメリカ市場の流行のブック形式で、豪華な解説書ある直輸入の商品であった。
日本の発売に併せ、豪華な日本語の解説書が加わった、CD4枚組であった。

       今回、ブック形式のジャケットの表を記念に撮った

私はアメリカの本国で曲の編成に興味もあったが、
何よりあの当時のコニー・フランシスはどのように評価を受けていたのか、と解説書を精読した。

《・・彼女は、ナンシー・シナトラ、ペトゥラ・クラーク、ディォンヌ・ワーウィック、
そしてブレンダ・リーなどといった競合するライバルを遥かにしのぐレコード売上げで、
1960年代最も成功した女性ヴォーカリスト・・》
と綴られていた。

私はコニー・フランシスを聴くたびに、ときには甘くせつなく、色合いのある唄声に魅了されるが、
やはり私の中学、高校時代の想いでも重なるので、
人一倍、その一曲、一曲は心にしみて聴こえてくる・・。
そして、『トゥルー・ラブ』を繰り返して、聴いたりすることもある。

私はアメリカで編成されたコニー・フランシスの4枚組のCD、
全118曲を聴いてたりした後、
私は中学2年頃に『マイ・ハピネス』、そして『カラーに口紅』を確かに聴いていた、と教えられたりした。

この当時の私としては、《カラーに口紅》という意味合いから連想して、
少年心に、口紅を付けた素敵なお姉さん・・ワンピースを着た人・・
と勝手な思いで想像していた14歳の男の子であった。

コニー・フランシスの『渚のデート』、『大人になりたい』、『ヴァケイション』、
『ボーイ・ハント』等を聴いていると、
まぎれなく、甘くせつない色合いの唄声は、
あの中学生の時代の頃は、大衆文化の移り変りの早かった時代である中、
思春期の私は、アメリカの文化の香り、豊かな経済力、と共に心酔し、
そしてコニー・フランシスのような素敵なお姉さんにあこがれていた、と思われる。

私はワンピース、或いはツー・ピースを着た女性に、何かしらときめきを覚える。
そしてスカートのすそ先が少し揺れ、胸元がまぶしく、
中学生の時から、齢ばかり重ねた今でも、このような女性に対しての思いは変わらず、
ときおり私は独り微苦笑をしたりする。

こうしたことの原点は、コニー・フランシスから感じたことが始まりである。

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