私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
今朝、居間にあるカレンダーを何気なしに見ると『勤労感謝の日』と朱記され、
思わず恥ずかしくなり、微苦笑したりした。
私は2004(平成16)年の秋、35年近く中小業の民間会社でサラリーン生活を終えて定年退職した後、
私は年金生活で過ごしているので、昨今は曜日の感覚が衰えている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
私の住む調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域では、
この日『勤労感謝の日』の頃になると、自宅の小庭、付近の遊歩道、小公園の落葉樹が、
紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の華やかな情景のピークとなり、
過ぎし11月3日の『文化の日』の頃から、色合いを染め始めるので、
と毎年待ち焦(こが)がれているひとりである。
そして『勤労感謝の日』を過ぎる頃になれば、落葉が吹き寄せのように幾重にも重ねはじめ、
イチョウのたわわな葉が黄色の色合いを深めて、
12月の初旬の頃に落葉し始めるて、季節は晩秋から初冬に移り変わる・・。
このような思いで年金生活を過ごしているが、私のサラリーマンの現役時代には、
『勤労感謝の日』に際しては、それなりに想いである。
私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、『勤労感謝の日』は月次処理作業で追われていた。
もとより休日出勤務をしていたが、経理の決算の担当者も出勤されていたので、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は決算の担当者に言ったりしながら、疲れ切っていたが、奮闘していた。
40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回の日曜日だけは休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ』と心の中で、自身を励まして奮戦していた。
そして50代は情報畑から他部門に異動したり、後半は業界のリストラ烈風の中で出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
特に勤務地の遠い出向先に於いては、『50代後半でも体力勝負は・・勘弁してほしい』と、
心の中で呟(つぶや)くことが多く、サラリーマン生活を卒業したのである。
昨今、過重労働などと新聞で読んだり、テレビで視聴すると、
私たちの時代も同じであった、と思ったりしている。
ただ、昭和の時代が終る頃までは、
日本の経済は躍進していたので、真摯に職責を果たせば多くの人々が明日に希望が持てる時代であったので、
少なくとも団塊の世代、少し齢上の私たち世代、そして先輩の人たちは、
幸運な時代に恵まれていた、
ときおり私は深く感じたりすることがある。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。
こうした現状を思考すれば、私は現役世代の諸兄諸姉に感謝をしながら、
思わず11月23日は、年金生活をしている私は『年金感謝の日』と命名した。
もとよりここ10年前の頃から、年金の世代格差の難題が露呈して今日、
解決策のひとつとして、私なりの思いを綴る。
《つづく》
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
今朝、居間にあるカレンダーを何気なしに見ると『勤労感謝の日』と朱記され、
思わず恥ずかしくなり、微苦笑したりした。
私は2004(平成16)年の秋、35年近く中小業の民間会社でサラリーン生活を終えて定年退職した後、
私は年金生活で過ごしているので、昨今は曜日の感覚が衰えている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
私の住む調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域では、
この日『勤労感謝の日』の頃になると、自宅の小庭、付近の遊歩道、小公園の落葉樹が、
紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の華やかな情景のピークとなり、
過ぎし11月3日の『文化の日』の頃から、色合いを染め始めるので、
と毎年待ち焦(こが)がれているひとりである。
そして『勤労感謝の日』を過ぎる頃になれば、落葉が吹き寄せのように幾重にも重ねはじめ、
イチョウのたわわな葉が黄色の色合いを深めて、
12月の初旬の頃に落葉し始めるて、季節は晩秋から初冬に移り変わる・・。
このような思いで年金生活を過ごしているが、私のサラリーマンの現役時代には、
『勤労感謝の日』に際しては、それなりに想いである。
私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、『勤労感謝の日』は月次処理作業で追われていた。
もとより休日出勤務をしていたが、経理の決算の担当者も出勤されていたので、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は決算の担当者に言ったりしながら、疲れ切っていたが、奮闘していた。
40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回の日曜日だけは休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ』と心の中で、自身を励まして奮戦していた。
そして50代は情報畑から他部門に異動したり、後半は業界のリストラ烈風の中で出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
特に勤務地の遠い出向先に於いては、『50代後半でも体力勝負は・・勘弁してほしい』と、
心の中で呟(つぶや)くことが多く、サラリーマン生活を卒業したのである。
昨今、過重労働などと新聞で読んだり、テレビで視聴すると、
私たちの時代も同じであった、と思ったりしている。
ただ、昭和の時代が終る頃までは、
日本の経済は躍進していたので、真摯に職責を果たせば多くの人々が明日に希望が持てる時代であったので、
少なくとも団塊の世代、少し齢上の私たち世代、そして先輩の人たちは、
幸運な時代に恵まれていた、
ときおり私は深く感じたりすることがある。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。
こうした現状を思考すれば、私は現役世代の諸兄諸姉に感謝をしながら、
思わず11月23日は、年金生活をしている私は『年金感謝の日』と命名した。
もとよりここ10年前の頃から、年金の世代格差の難題が露呈して今日、
解決策のひとつとして、私なりの思いを綴る。
《つづく》
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