夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

新盆の想いで・・♪    《初出2006.8313.》

2008-05-03 23:11:23 | 現役サラリーマン時代の想いで
私の母が婦人系のガンで5年間に入退院を繰り返した後亡くなったのは、
平成10年の1月中旬であった。

母は都心から農家に嫁がれ、5人の子供を育て、父が亡くなったのは昭和28年の春だった。

祖父も父を追うように2ヶ月後に亡くなった。
残されたのは母と5人の子供、そして父の妹2人の未婚の叔母達であった。
私達子供といっても、長兄は中学生、末の妹は5歳足らずであった。

農家はある程度手広くしていたが、男手を失った農家は次第に衰退した。

私が中学生になった頃は、母はアパート経営をし、何とか人並みの生活となった。

そして5人の子を生育され、学校に通わせ、そして成人させ、巣立っていった。


母は老朽化したアバートを賃貸マンションに変貌させたのは、
昭和の終わりかけていたパブル期であった。

平成になると、『絹のブラウス・・思い切って買ったの・・』
と私に言ったりしていた。

『母さんさぁ・・自分の働きなの結果なのだから・・
遠慮することはないよ・・』
と私は言ったりしていた。

母の60数年間は、労苦の多い時期を過ごしたのだから、
子供の私としては、心底喜んでいた。

母は親族、親戚の交際には目配りを人一倍気をつける人であったが、
食にはそれ程興味はなく、衣服だけは拘(こだわ)っていた。

母の最期の10年は、後期の入退院もあったが、
はじめて充たされた生活を送られたと思う。

危篤の知らせを受けた私達は、数年前から覚悟があったので、
病室に駆けつけた時は、亡くなっていた。

私は何かしらぼっかりとした心持となったが、
実家の長兄宅に母が安置された時から、
兄妹、そして親族の人々と仮通夜、本通夜、告別式、そして初七日と調整したりした。

本通夜の日中から、東京では珍しい程、雪が本降りとなったりした。

四十九日を済ませた後、妹の2人と話合っている時、
『母さん・・私を忘れないで・・
と雪が降ってくれたのかなぁ・・』
と私は冗談まじりに話したりした。


お盆を迎える時、母の新盆に当たるので、私達は提灯のことで話し合った。
母の性格を思いだし、数多いより気品のある提灯を2つ飾ることにした。

妹に選別をまかせ、お盆の時、長兄宅に行った。

お盆用の仏間の一角に、薄い美濃紙に母の好きだった桔梗が描かれ、
うすうすと浮かびあがっていた。




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