夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

グーグルの「不老不死」の研究に、高齢者の私は戸惑いながら苦笑して・・。

2014-06-28 10:48:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となる。
そして共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。

私は定年後の年金生活を10年近く60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
                    

私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
やがて体力が衰えて介護の身になるか、或いはどちらがいずれ片割れになる・・。
                     
        
こうした思いをときおり思案したりする時もあり、
厚生労働省の調査によれば、要介護認定を受け始める平均年齢は75歳、
認知症の高齢者でグループホームを利用している人の半数が85歳以上だ、と公表されている。

具体的には、多くの場合75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
               

こうした中で、今の私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。

痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。

このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
         
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした私の念願は、果たして・・どのようになるか、今の所は漠然としている。
          

このような心情を根底に秘めている私は、たまたま昨夜、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
『 Googleが取り組む「不老不死研究」 遺伝子検査企業にも出資 』
と題された見出し記事を見て、どういうことなの、と思いながらクリックした。

この記事は、『週刊ポスト』2014年7月4日号に掲載されて、
その後に『NEWS ポストセブン』に於いて、6月27日に配信されて記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・グーグルは、1998年にスタンフォード大学の院生だったラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏が
新しいネット検索エンジンの技術を引っさげて創立した。
2000年代半ばには「検索連動型広告」という金脈を掘り当て、現在の売り上げは年4兆円を超える。

ITに詳しい『ビジネスメディア誠』の吉岡綾乃編集長によれば、
「世界中の情報を整理して、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることが社是」であり、
事実、地図や世界中の書籍・美術品をデジタル化するなど、
地球上のありとあらゆる情報をかき集め、情報の世界で覇権を握ってきた。
          

しかし、そんなグーグルにも転機が訪れる。
ITジャーナリストの佐々木俊尚氏はいう。

「フェイスブックやツイッターなどのSNSで情報が流れるようになり、インターネット検索の需要が減っている。
いずれ検索連動型広告のビジネスが成り立たなくなる恐れがあり、
莫大な資金を投じて新ビジネスの種を探しているのがいまのグーグルです」

そこで、同社はネットからリアルの世界へと一気に舵を切った。
いま、グーグルが実現しようとしている未来は、まるでSF世界そのものだ。

例えばもっとも注力しているひとつが自動運転車だ。
実験では無事故で113万km以上を走破。
5月に発表した新プロトタイプは、ハンドルもアクセルもブレーキもなく、目的地を告げるだけで人を運んでくれる。

既存サービスであるストリートビューのように、カメラを搭載した自動運転車が世界中に普及すれば、
町の状況がリアルタイムに更新されていく地図サービスも実現するはずだ。

グーグルグラスは、ヘッドマウントディスプレイに情報が表示されるウェアラブルコンピューターで、
道案内やメール送受信、写真・ビデオの撮影などができる。
まるで人とスマホが一体化したかのようである。
          

そんなグーグルが取り組むプロジェクトの極めつきが「不老不死の研究」だ。
2013年9月に医療ベンチャー「カリコ」の設立を発表し、医療とアンチエイジングの分野に参入。

さらに、会長のエリック・シュミット氏は遺伝子検査企業「23andMe」に約4億円を出資し、
人間の遺伝子研究にも踏み込んでいる。

一方、これらの研究には批判の声があるのも確か。
グーグルグラスやストリートビューはプライバシー侵害が度々問題になっており、
ヒト型ロボットは映画『ターミネーター』に出てくる無人攻撃システム「スカイネット」を彷彿とさせ、軍事転用が危惧される。
それでもグーグルは研究開発のスピードを緩めようとしない。

シュミット氏は、著書『第五の権力』のなかで未来社会を
「ロボットが掃除や洗濯を代行し、携帯電話が健康を管理し、
病気になれば人工臓器に取り換え、休日にはホログラムのビーチで休養する」と想像している。

そういった技術をグーグルが一手に握れば、
個人の行動から遺伝子配列まで、すべての情報をグーグルが集積することにもなる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

この記事を読み終わった時、何よりも戸惑ったのは、グーグルが「不老不死の研究」をしていることである。
確かに大病になった時、たとえばある臓器が悪化して、やむえず人工臓器に取り換え、
永らえた場合、日本に於いては超高齢化の社会の今日、益々高齢化の比率も高くなり、多々の社会の難問が加速する。

それぞれの人は、程ほどに苦楽を重ねながら過ごされ、人生を全(まっと)うして、この世から消えるのが、
人の世と学んできた私は、「不老不死」には戸惑い、苦笑させられたである。
          

まして《遺伝子配列》は飛躍して思考すれば、
同じような人を誕生させることが出来るクローン人間を到来させることも想像できる。

たとえば大リーガーで活躍されている田中投手、イチロー選手のような人が、
数多く誕生させることができた場合、つまらない世界となることであろう。

人それぞれが個性を有して、それそれ出逢い、相手方の存在を認めるか、
或いは民族、宗教、信条などの相違で憎しみ合うか、
それぞれのケースで解らないが、これがこの世の実態であり、人生の苦楽を体験できることでもある。

金太郎の飴のように均一した人の世界は、理性も感情も同じ、もとより理想郷の世界ではなく、
意志を失くした歓びも悲しみもない世界と同じである。
          

このようなことをとりとめなく思い、グーグルの「不老不死の研究」、「遺伝子配列」の懸案は、
キリスト教の信者でもない私でも、神の領域へ挑戦かしら、と苦笑しながら感じたりしている。

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