夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ゆきゆきて、つわぶきの里・・津和野・・♪

2007-11-30 18:00:00 | 定年後の思い
山陰地方の小京都と知られている津和野であるが、
帰宅後の今、津和野に関しては、
正直な所、困惑しているのである・・。


初めて津和野に訪れたのは、萩と同様に昭和末期であったが、
この時も団体観光ツアーで夏季休暇を利用し、
暑さで疲れ気味だった。
自由時間の時は、酒造所の直売店で地酒を買い求めたりした。

その後は敬愛する森 鷗外に関して、
武家屋敷の塀際の小川に鯉が泳いでいたのを見ながら、
この山里の街でどのように幼児体験をし、
都会に出られのか、と思索していたのであった。


今回も団体観光ツアーであり、昼の12時近くに津和野に入り、
昼食兼休憩時間で『津和野寿司弁当』を家内と分け合い、
ビールを呑みながら頂いたが、
正直な所、貧しさを感じ、食べ物としてもつたない味であった。

この後は、小高い山里にある日本五大稲荷神社のひとつと知られている『太鼓谷稲荷神社』を参拝した。
私は稲荷神社には興味がないが、
津和野の街並みが一望できるので、
この地から輩出された人々を思考には、最適な展望かしら、
と微苦笑したりした。

その後、街並みに戻り、散策時間を一時間ばかりした程度である。

私達は殿町に近い静寂な喫茶店でコーヒーを飲んだ後、
役場の前の庭を観て、役場の景観を誉めたりした。

この標題は、役場にあった津和野の観光パンフレットから、
拝借したのである。

このパンフレットの表紙の副題として、

このまちには不思議な時間が、流れているのでした。

と明記されて折、私は適言と思えた。

まとまりのない小時間の滞在であったので、
いつの日にか、『永明寺』を半日ばかり、そして城跡の公園を散策すれば、
何かしら津和野が視(み)えてくる、と思ったりした。

今の私は津和野に関しては、霧の中に佇んでいるようであり、
まぼろしの町である。

尚、森 鷗外に関しては、私は二十歳以来から敬愛し続けているので、
墓石に本名、森 林太郎墓、と明示した当人の遺言の理由は理解しているつもりである。






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