夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

林真理子さんの「ネットでは主語が削られ、文脈が変えられ・・」、私は微苦笑させられて・・。

2016-02-08 16:56:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
本日も帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

午後のひととき、ネットでニュースを見ようとしたら、
【 林真理子「ネットでは主語が削られ、文脈が変えられ…」】
と題された記事に、どのようなことなかしら、思いながら記事を精読した。

まもなく記事を読み終えた後、やがて私は微苦笑させられたりした・・。

この記事は、『週刊朝日』2016年2月12日号に於いて、《・・作家の林真理子さんは、
谷崎潤一郎賞をはじめ数々の賞を受賞し、社会問題についても積極的に発言をしている作家の高橋源一郎さんとの対談で、
活字の人間とネットの違いをこう語った。・・》記事であり、
【dot.】2月8日に配信され、この中の一部を無断ながら転載させて頂く。
            
              ☆掲載した写真すべて、本日の散策の時に撮った☆
《・・(略)・・
林真理子さん
アメリカでも、共和党のドナルド・トランプの支持率がどんどん上がってますよね。
まさか大統領にはならないと思いますが……。


高橋源一郎さん
アメリカの新聞では最初はキワモノ候補扱いだったけど、ここ最近はさすがに普通に批判するようになってきましたね。
「イスラム教徒の入国禁止」とか、常識で考えたらあり得ない主張をする人が、多数派の一歩手前まで来ちゃった。
ヘイトスピーチだって……。


林真理子さん
私、ああいうことを平気で言う人たちって、信じられませんよ。


高橋源一郎さん
ねえ。昔、親が、「人を口汚くののしってはいけません」
「“死ね”とか“バカ”とか言っちゃいけません」って教えてたよね。
右とか左の問題じゃなくて。


林真理子さん
いまはネットに匿名で書かれた悪口があふれてますから。
私たち活字の人間は、人を批判するときには、非常に注意深く言葉を選びますが、
それがネットでは主語が削られ、文脈が変えられ、「なるほど、こうなるのか」と思いますよ。


高橋源一郎さん
タガが緩んできたというか。僕や林さんみたいに言葉で生活してる者から見ると、怖いよね。
(略)・・》
            

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

そしてネットの世界は、殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
                      

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。   
            

こうした私の投稿文の中に於いては、政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。

国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権下で鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。

或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、
私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。

しかしながら、うすぎたない文章は私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
            

こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。

たとえば2005年(平成17年)の当時に、
あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。
《 タイトルは、《あいうえお》
  内容は、ゲボリッチ
      ゲボリッチャン
  発信人は、f4rr
  発信時間は、20.39 》
と綴られて、ご丁寧に8回連続されていた。

この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
          
或いは私の投稿文について、確か8年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視することもある・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。

私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘しているが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。

そして5年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。

そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。
            

このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界であるので、
林真理子さん、無念ながら主語も知らず、心の貧しい方が発信する人もいる、と笑い飛ばして下さい。

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4 コメント

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私も同じ… (田舎おじさん)
2016-02-09 15:33:13
 夢逢人さん、お久しぶりにコメントさせていただきます。
 今回の投稿を読ませていただき、私もブログを始めた動機がまったく夢逢人さんと同じだなぁ、と思いながら読ませていただきました。もっとも投稿されている内容は夢逢人さんの綴られている内容の足元にも及びませんが…。
 ただ、私に夢逢人さんのような覚悟とか信念があるのかと問われると自信がないというのが本当のところかもしれません。
 ですから、心無いコメントが入った時などしばらく気分を害してしまい、書き綴る意欲が削がれることもありました。もっともそうした経験はこれまで2~3度でしたが…。
 そうしたことも覚悟の上で、なお発信したいという意欲を持ち続けていきたいなぁ、と考えているこの頃です。
 そうしたことを笑い飛ばす心の在り様ですね。
返信する
私は何かと気弱で、意志薄弱な男です。 (夢逢人)
2016-02-09 20:33:49
田舎おじさん様。

貴兄のブログに対する真摯な思いを読ませて頂きました。

私は《・・覚悟とか信念・・》に関しても、日常生活に於いては、何かと気弱で、意志薄弱な男です。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりしていました・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした次第です。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしました。

こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりしていました。

ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりしました・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった次第です・・。
          
過ぎし2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
やがて市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしましたが、
平素は缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた次第です。

こうした中、もう少し呑もうかしら、と思うと、
何故かしら優しい保健師の女医さんのアドバイスの笑顔が蘇(よみがえ)り、
缶ビールの350mlを2本までの夜が、圧倒的に多かったりしていました。

やがて翌年の2009年(平成21年)の秋に健康診断を受診した時は、
体重は3キロばかり減少て、75キロとなり、
優しい保健師の女医さんのおかげかしら、と私は微笑んだりした次第です。

そして私は悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、言われたりしました。

この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時、昼はビール、夕食の時は地酒も呑み、
日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、ふたたび78キロに戻ってしまった次第です・・。
          

この結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、私は青ざめ、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した次第です。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶でありますが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりしました・・。

私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、と公言してきましたが、
家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約があります。

このような時、家内は旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした次第です。


やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われ、
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていました。

昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としていた時が大半でした。

その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していました。

この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていました。

しかし、以前ゆっくり歩いた散策の時は、
この時節の晩秋の朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景に、深い心を寄せられることができたりしましたが、
ウォーキングとなれば、風景が通り過ぎるように心を寄せる瞬時の思いが、なくなってしまった次第です。

やむなく私は、公園を目指して、ウォーキングに専念した後、
公園内で汗をふきながら、ゆっりと散策して過ぎ行く美麗な錦繍の情景に心を寄せ、
そして帰路は、ウォーキングして、日中のひとときの定例事項としてきた次第です。

この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬でした。
          

そして私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることでした。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎています・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった次第です。

この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。

やむえなく糖分の多い日本酒とお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックに、
弱くなったので少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととした次第です。

そして糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいが実態です。

この間、最寄の内科専門医院に4週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となり、
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいますが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしています。
          
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっています。

過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもある、と私は微苦笑した次第です。

私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わなく、
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症です。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受しているのが、日課となっています。


そして愛煙家の私は、相変わらずタバコを一日10数本を喫(す)たりしていますので、
貴兄がタバコを断念された状況を、過ぎし年にブログ上で読ませて頂ただいた時、
貴兄こそが意思の強い人、と感じたりしたことがありました。

このような私ですので、意志薄弱な男です。

貴地は寒さが増す厳冬の時節、貴兄、奥様共々程ほどにお身体をご自愛して下さい。

返信する
恐ろしいほどに… (田舎おじさん)
2016-02-10 22:59:26
 恐ろしいほどの長い、長い返信コメントに驚いたり、感激したりしております。
 どうしてそのような長文がいかにもすらすらと出てくるのでしょうね。
 私など、毎日のブログでA4版一枚を過ぎるともう息が切れてきます。
 人それぞれ優れたところがあるのだと思いますが、貴兄のあたかも流れ出るように文章を綴られる姿には感動さえ覚えてしまいます。
 長文の返信コメントありがとうございました。
返信する
貴兄の無償の愛に敬意 (夢逢人)
2016-02-11 12:46:32
田舎おじさん様。

>人それぞれ優れたところがあるのだと思いますが、貴兄のあたかも流れ出るように文章を綴られる姿には感動さえ覚えてしまいます。

余りにも過剰なお言葉、恥ずかしくて赤面した次第です。

たまたま私は若き日に映画と文学に魅せられて、私立大学を中退して、映画やがて文学青年の真似事した時代がありました。
やがて敗退して、やむなく民間会社のサラリーマンになった次第です。

言霊(ことだま)を信愛する人は、昨今でもアマチァアでも数10万人はいる、と私は思ったりしていますが、
散文らしき文を綴ることに関し、つたないなりに私もひとりかしらと、恥ずかしながら微苦笑する時もあります。

そして私も読書が好きで、北海道に関しては文学を除ぞけば、ここ10年に圧倒的に感銘を受けた作品があります。

2008年(平成20年)12月下旬に4泊5日で札幌に訪れ、初めて『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観た旅路の中で、
吉田武三(よしだ・たけぞう)・著作の『武四郎つれづれ ~北の風土記』(北海道新聞社)を買い求めました。
遅ればせながら北海道の名付け親と称せられる松浦武四郎の道内をくまなく踏査の偉業を学んだりした次第です。


或いは2013年(平成25年)1月下旬に帯広市の郊外にある幕別温泉に4泊5日滞在していた時、
帯広市内、郊外を歩き廻った中で、松山善三・著作の『依田勉三の生涯』がありました。
原書はハースト婦人画報社から出版され、1979〈昭和54〉年に潮出版社より刊行され、その後の復刻本です。

私は十勝地方を開拓に多大に貢献した晩成社を率いた依田勉三(よだ・べんぞう)氏を、
私が長年敬愛している映画脚本家、作家である松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏が御存じで、
しかも書物に著作され上梓していたことに、私は驚きながら買い求めた一冊です。


こうしたことは、あくまで個人的な私の思いでありますが、貴兄に対して敬愛を深めさせられたことは、
ひとつには『ボランティア』活動です。

貴兄の綴られた昨年の5月26日、10月31日、そして11月1日を読ませて頂き、
道民はもとより、北海道を訪れた人たちに、無償の愛に敬意した次第です。

私はつたない身ですが、今後ともよろしくお願い致します。
返信する

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