夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

愛惜ある懐かしき我が家の黒電話は・・。

2009-10-30 10:00:02 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私が定年退職した2004(平成16)年の秋まで、我が家は黒電話であった。

その直後、退職後の色々な手続きなどもある中で、
銀行の残高照会にしても、インターネット関係のプロバイダーの問い合わせをする際、
『一番から四番の・・何番を押して下さい』
と言われても、ダイアル式ては対応出来なかったのである。

やむえずプシュホンの電話機に代えた。

プシュホンの場合、親子機にあったのを導入した。
家内は、この子機を戸惑いながらもマスターしたが、私はいまだにおぼつかない。

私が現役サラリーマンの時代は、1970年代が終る頃は、職場などではプシュホンの電話機であり、
一般の家庭に於いては1980年代の半(なか)ば頃まで殆どプシュホンの電話機に変貌した。

この頃、悪友たちと居酒屋に行ったりし、何か気まずい話になると、
『俺の家・・まだ黒電話なんだ・・』
と私は云ったら、
『嘘だろう・・本当かょ・・』
と悪友の数人が私の顔を改めて見ながら、云われたりしたのである。
この後、お互いに和気藹々となり、談笑となったのである。

その後、定年退職後、やっとプシュホンの電話機とした後、
インターネットの回線に於いて、地元のケーブルテレビ回線から光ファイバーに変えた際、
電話回線もひかり電話とした。

たった1年で黒電話からひかり電話になったのは、単なるなりゆきである、と微苦笑したのである。

ただ、少しばかり寂しい気がしたのである。
何かしら黒電話のダイヤルを廻す時、相手方にこう話そうかと考え、
戻り時の感覚、状況が私達夫婦は好きである。


私の好きなセルジオ・レオーネ監督が映画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』1984(昭和59)年の完全版に於いて、
男主人公が友人を密告する際、ダイヤル式の電話機が使われていた。

友が連邦銀行を襲うとする時、友の女から、殺されるのは決まっているから、
やめさせて、・・と依頼され、
主人公が警察に密告する電話のシーンであった。
ためらいながら、ダイヤルを廻す、その後の呼び出す音・・。

このように長らく世界から愛用されたダイヤル式の電話機が捨てられ、
安易にプシュホンの電話機に変えられた社会風潮に、少しばかりわだかまりがあったりしたのである。


我が家の取り外された黒電話機は、居間の棚の片隅に、ちょこんと載せている。
何かしら私達夫婦を30年近く見守ってきたので、心の形見と思いながら、ときおり私は見たりしている。

尚、我が家は子供に恵まれなかったので、我が家は夫婦2人だけの家庭である上、
私の現役サラリーマンの最後の5年間は、物流情報会社に出向となり、
職場では携帯電話を使用することのない勤務状況であったので、携帯電話は無知となったのである。

昨今の年金生活に於いても、携帯電話に興味がなく、
もとより携帯電話の使い方も知らないが、不自由することなく今日まで至っている。

そして新聞に添付されるチラシの一部に、ときおり携帯電話の各社の広告が入るが、
他の世界の出来事と思い古紙専用箱に入れている。



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