夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

冬のボーナス、お歳暮、私が現役のサラリーマン時代だった時を思い馳せれば・・。

2012-12-14 14:35:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であり、
先ほど、ぼんやりとテラスに下り立ち、
庭の落葉樹の数多くの葉が地表を黄色、朱紅色に彩っている眺めたりしながら、
昨今は曜日の感覚も定まらいが、確か14日の金曜日だったと思ったりした。

そして毎年10日には官公庁の冬季のボーナス支給日だった、と思い浮かべたりした・・。
過日のニュースで、《国家公務員の冬のボーナス(期末・勤勉手当)が10日支給され、
管理職を除く一般行政職で平均56万5300円(平均年齢36.2歳)で、昨年に比べて8.4%減だった。
今年4月から2年間、国家公務員の給与を年収ベースで7.8%減らす特例法によるもの。
総務省によると、冬のボーナスとしては、1988年以来の低い水準。
年間合計額(107万8300円)では、過去最高だった1998(平成10)年度から3割減った。》
と学んだりした。

ここ10数年は政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化となっている中、
たまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた私は、
CDを中核とした業界の売上のピークは、1998(平成10)年だったし、
何かしらデパート業界も、1998(平成10)年が売上のピークだった、と思いを重ねたりした。

昨今は一流企業でもここ10数年に幾たびかリストラ烈風となり、
国家公務員、そして地方公務員でも安住な職場でもなくなってきている。
こうしたニュースを知るたびに、私たちが勤めてきた時代も、
過酷な障害レースで奮戦する中、ゆるやかに収入の向上となり、確かな明日に希望がもてる時代でもあった。

現役のサラリーマン諸兄諸姉は、益々短期に成果を要求される時代、
踏みとどまって高収入を得て、過酷な業務も大変、まして退社して再就職も熾烈、と憂いたりしている。


ここ10日ぐらい新聞の折込みチラシなどで、お歳暮の商品、クリスマスの贈り物、御節料理など、
掲載されているので、早くも歳末に向っていると教示されたりしている。

この時節、現役の諸兄諸姉たちの多くは、冬季のボーナスの頂いたり、
そして忘年会、お歳暮の挨拶など、その上、何かと業務も年度末を迎えているので、
何かとお忙しく、心身お疲れとなりながらも、奮闘されていると私は思ったりしてきた。


私は民間の中小業ある音楽業界のあるレコード会社に
35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役時代は数多くのサラリーマンの人たちと同様に、
特にこの時節は、睡眠時間を削り、奮闘していたひとりである。

そして、ボーナスが支給された週末の休日には、
お歳暮の挨拶廻り、母の住んでる処に寄ったりしていたので、
この師走のなかば頃の思いも重ねながら、ぼんやりと思い馳せたりした・・。

私の現役時代は、お歳暮などの社交辞令は何かと苦手であったので、なるべく避けていたが、
不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
もとより年賀状は送信し、お中元、お歳暮の時は、ご自宅に訪問させて頂いた。

私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。

私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、やがて敗退し、
やむなくサラリーマンに転身する為にコンピュータの専門学校で一年修身した。
そして私が25歳の1970〈昭和45〉年の春、
この当時は大手の音響・映像メーカーのある会社に中途入社できたことは、
この会社の首脳陣のひとりに、ご尽力して頂だいたことも要因のひとつである。

そして私たち夫婦が結婚する時にも、何かとお世話になり、
ご自宅に訪問した折、温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなく優しく言葉、しぐさなど包みこんで下さり、
私たち夫婦は、このご夫婦から高潔さを教示された。

このような形を25年過ぎれば、私も齢を重ねたが、
このご夫妻からは、素養が格段違う、と私たち達夫婦は共は実感させられたりした。

私の定年退職をした直後、私たち夫婦の生活では、とても口に出来ない高価な美酒を頂戴したり、
その後に一年を過ぎた頃に、ご高齢であったご主人は亡くなわれた。

そして告別式に私たち夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。


ボーナスに関しては20代の独身時代の頃は、
スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、通勤靴、通勤バックなどを買い改めたり、
母に幾ばくかを手渡し、そして呑み屋さんに通っても、程々の貯金が出来た。

30代の初め、結婚し、賃貸マンションに入居するまで、
無知な私でも結構お金を要すると解り、実家の長兄から、ある程度の額を借用したので、
ボーナスを頂くたびに返済した。
この2年間の期間は、返済していても、私たち夫婦の新婚時代は多少の貯蓄は出来た。

この後、私は実家の近くに一戸建てをするのであるが、
土地、住宅建築まで多大な経費となり、 その上に若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅金融公庫を根底とし、幾つかの金融機関からローンを設定した。

こうした関係もあり、このローンが50代の初めの頃まで、毎月一定額を返済する中で、
ボーナスを頂く度に若い時は30%前後、その後の40代は25%前後を返済していた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったけれど、
住宅に関する購入は、普通のサラリーマンの身としては、人生で一番高い買物かしら、
と心身実感させられた苦節の時代であった。

50代の初め、ローンの一括返済をした後、
老後の人生設計の基礎となす資金の為、貯蓄を大半し、定年退職を迎えた。

このようなボーナスを頂くたびの軌跡であったが、
どなたも同じと思われるが、サラリーマンの現役時代には大波、小波に遭遇し、
家内と何とか乗り切り、今日を迎えているのである。

私は築後35年の古惚けた家に住み、狭いながらも庭の樹木を眺めながら、
あんな時代もあった、と思いを馳(は)せたりしている。
そして買物、散策の時に、ひたすら歩き廻り、季節のうつろいを享受したりしている。
                                    

この時節、ときおり辛島美登里の『サイレント・イヴ』がラジオから流れてくると、
苦く懐かしい想いでが甦(よみが)ってくる・・。

私の現役時代、あるレコード会社の20年ばかり情報管理畑に勤務していたが、
40代の後半、リストラの影響で不馴れな経理畑に人事異動させられ、
その上、レコード会社の統廃合が行われ時期であり、
私は当然ながら睡眠時間を削り、奮闘していた時代であった。

そして、統廃合で社員の交流をお互いに深め、目先の不馴れな業務に励んでいたので、
心身疲れきっていた・・。

こうした時、12月の初め、統廃合で知り合った後輩の人から、
私の机上に一枚のCDアルバムを置いていった。

『昨年に発売したのですが、よかったら聴いて下さい』
とメモが綴られていた。

『Keep Christmas With You』というアルバムのタイトルで、
CDのジャケットが洒落ていた。
初回限定 特製スノープレート付きと明示され、ジャケットを少し振ると、
森の中に拓かれ大きな樅(モミ)の樹の周辺に雪が降るのであった。

そして辛島美登里の『サイレント・イヴ』、稲垣潤一の『メリー・クリスマスが言えない』、
永井真理子の『ZUTTO~Xmaz Version~』等が収録されていた。

その後、まもなくお歳暮の挨拶を家内と廻っている時、
疲れたので駅前の喫茶店で休息をしていた時、

♪真白な粉雪 人は立ち止まり
 心が求める場所を 思い出すの
 ・・・・
【『サイレント・イヴ』 作詞・作曲 辛島美登里、編曲・若草 恵、唄・辛島美登里】

店内から流れてきた。

私は、もう少ししたらクリスマスかょ、と心の中で呟(つぶや)いて、
歳末の仕事納めの日まで、数多くの業務を思案したりすると、
尚更ぐったりと心身の疲れが増してきた・・。

私にとっては、今でもこの曲を聴くたびに、現役時代で一番労苦の多い時だった、と想いだしたりしている。

このように私はぼんやりとこの時節の思いでを綴ってきたが、
現役の諸兄諸姉は、何かと短期に成果を問われる大変な時代と思ったりしている。
せめて業務に精勤する余りお身体だけは、程々に大切にして欲しい、と感じている。

こうした中で、休日のひとときは、愛する人と過ごしたり、
或いはご家族のある方は、最愛の連れ合い、そしてお子様と安らぎの時を過ごして下さい、
と無力な私であるが、何よりも念願したりしている。

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