私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーを見て、
愛惜を秘めながら破き、そして別れを告げたりした・・。
2月の日々も過ぎ去ってしまえば、実に早く感じられ戸惑ったりしてきた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は65歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして平素の買物は私が自主的に専任者となり、殆ど毎日ように独りで最寄のスーパーに行ったり、
ときには駅前まで徒歩15分ばかり歩いて、本屋に行き数冊を買い求めた後は、
家内から依頼されたスーパー、専門店で購入したりしてきた。
こうした時の私の容姿は、上半身は冬のスポーツシャツの上に、ジャンパー状のフリース、
下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、ウオーキング・シューズとなっている。
そしてA4サイズのバックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしている。
☆たまたま2月1日、家内と共に新宿の小田急デパートに買物に行き、
紳士バック売り場で見かけて、瞬時に魅了されて私はバックを買い改めた☆
いつものように買物を終えた後は、毎年のように我が家の周辺を三寒四温の中、
住宅街、遊歩道、公園などを独りでひたすら歩き廻り、冬麗の落葉樹の冬木立、或いは花を愛(め)でて、
季節のうつろいを享受してきた。
そして帰宅後は、我が家の小庭に健気(けなげ)に咲いてくれた水仙を眺めたりしてきた。
やがて確か20日頃だったと思われるが、玄関側にある小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら数輪咲き始めて、やがて白梅は凛とした純白の色合いを早春の清麗の美として感じたりした。
ときおり玄関庭に下り立ち、昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中に咲き、
私は微笑みながら、長らく見つめたりした。
そして梅の純白の花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。
こうした中で、昼下がりになると何かと読書好きな私は、総合月刊誌の『文藝春秋』、『新潮45』、
文春ムック系の『高倉健』沢木耕太郎・著作の『貧乏だけど贅沢』(文春文庫)などを購読してきた。
こうした中で、河出書房新社の『 ふくろうの本』の中で、『世界の歴史』シリーズのひとつであり、
『図説 フランスの歴史』、『図説 ロシアの歴史』があり、優(やさ)しい歴史書であるので、
私は異国のそれぞれの時代で翻弄される民族、そして宗教、信条を、改めて復習ねぇ、と買い求めたりした。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味は国内旅行で、今年の冬の旅路は、
オーホック海の沿岸にある紋別~サロマ湖~網走地域を9日より7泊8日で遊学してきた。
しかしながら流氷は天上の気候の神々の采配により、沖合30キロの彼方に遠ざかり、
紋別の観光砕氷船に乗船しても、残こされたわずかな流氷に微苦笑させられたりした。
そしてサロマ湖の湖畔にあるホテルに滞在して、翌日の午後からは暴風雪となり、
やがて網走に向かう時などに、粉雪が吹き飛ばされ前方の視界も遮断されて、
私は幾たびも冬の北海道の旅路を重ねてきたが、初めて怖さを実感させられたりした。
この後も、旅路の路線バス、鉄道、タクシー、航空便の欠航に翻弄されたりした。
このような思い馳せたりし、過ぎ去った『如月(きさらぎ)』の2月に愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。
そしてぼんやりと、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーに愛惜を秘めながら別れを告げ、
新たな『弥生(やよい)』の3月のカレンダーを眺め、
お待ちしていましたょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、
暖かな春の訪(おとず)れに、数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
しかしながら私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
昨年の12月頃から平年より寒く、1月下旬には小雪が降り、私は大いに戸惑ったりした。
我が家の小庭にある白梅(ハクバイ)は2月20日頃に咲き始め、
そしてテラスのある小庭ある紅梅(コウバイ)は、まもなく咲き始める状態となっている。
こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻ると思われる・・。
こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上の両親、祖父などに励まされる季節となっている。
もとより3月を迎えれば、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が、不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。
そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。
私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし11年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。
このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし』と古人からの伝えがあり、春の暖かな青空の快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。
しかしながら私は、数多くの落葉樹は芽吹き、やがて桜花が観られる季節なので、
私は自宅付近の住宅路、遊歩道、或いは公園などを喜びながら歩き廻り、
見惚(みと)れる季節である。
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今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーを見て、
愛惜を秘めながら破き、そして別れを告げたりした・・。
2月の日々も過ぎ去ってしまえば、実に早く感じられ戸惑ったりしてきた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は65歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして平素の買物は私が自主的に専任者となり、殆ど毎日ように独りで最寄のスーパーに行ったり、
ときには駅前まで徒歩15分ばかり歩いて、本屋に行き数冊を買い求めた後は、
家内から依頼されたスーパー、専門店で購入したりしてきた。
こうした時の私の容姿は、上半身は冬のスポーツシャツの上に、ジャンパー状のフリース、
下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、ウオーキング・シューズとなっている。
そしてA4サイズのバックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしている。
☆たまたま2月1日、家内と共に新宿の小田急デパートに買物に行き、
紳士バック売り場で見かけて、瞬時に魅了されて私はバックを買い改めた☆
いつものように買物を終えた後は、毎年のように我が家の周辺を三寒四温の中、
住宅街、遊歩道、公園などを独りでひたすら歩き廻り、冬麗の落葉樹の冬木立、或いは花を愛(め)でて、
季節のうつろいを享受してきた。
そして帰宅後は、我が家の小庭に健気(けなげ)に咲いてくれた水仙を眺めたりしてきた。
やがて確か20日頃だったと思われるが、玄関側にある小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら数輪咲き始めて、やがて白梅は凛とした純白の色合いを早春の清麗の美として感じたりした。
ときおり玄関庭に下り立ち、昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中に咲き、
私は微笑みながら、長らく見つめたりした。
そして梅の純白の花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。
こうした中で、昼下がりになると何かと読書好きな私は、総合月刊誌の『文藝春秋』、『新潮45』、
文春ムック系の『高倉健』沢木耕太郎・著作の『貧乏だけど贅沢』(文春文庫)などを購読してきた。
こうした中で、河出書房新社の『 ふくろうの本』の中で、『世界の歴史』シリーズのひとつであり、
『図説 フランスの歴史』、『図説 ロシアの歴史』があり、優(やさ)しい歴史書であるので、
私は異国のそれぞれの時代で翻弄される民族、そして宗教、信条を、改めて復習ねぇ、と買い求めたりした。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味は国内旅行で、今年の冬の旅路は、
オーホック海の沿岸にある紋別~サロマ湖~網走地域を9日より7泊8日で遊学してきた。
しかしながら流氷は天上の気候の神々の采配により、沖合30キロの彼方に遠ざかり、
紋別の観光砕氷船に乗船しても、残こされたわずかな流氷に微苦笑させられたりした。
そしてサロマ湖の湖畔にあるホテルに滞在して、翌日の午後からは暴風雪となり、
やがて網走に向かう時などに、粉雪が吹き飛ばされ前方の視界も遮断されて、
私は幾たびも冬の北海道の旅路を重ねてきたが、初めて怖さを実感させられたりした。
この後も、旅路の路線バス、鉄道、タクシー、航空便の欠航に翻弄されたりした。
このような思い馳せたりし、過ぎ去った『如月(きさらぎ)』の2月に愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。
そしてぼんやりと、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーに愛惜を秘めながら別れを告げ、
新たな『弥生(やよい)』の3月のカレンダーを眺め、
お待ちしていましたょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、
暖かな春の訪(おとず)れに、数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
しかしながら私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
昨年の12月頃から平年より寒く、1月下旬には小雪が降り、私は大いに戸惑ったりした。
我が家の小庭にある白梅(ハクバイ)は2月20日頃に咲き始め、
そしてテラスのある小庭ある紅梅(コウバイ)は、まもなく咲き始める状態となっている。
こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻ると思われる・・。
こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上の両親、祖父などに励まされる季節となっている。
もとより3月を迎えれば、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が、不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。
そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。
私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし11年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。
このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし』と古人からの伝えがあり、春の暖かな青空の快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。
しかしながら私は、数多くの落葉樹は芽吹き、やがて桜花が観られる季節なので、
私は自宅付近の住宅路、遊歩道、或いは公園などを喜びながら歩き廻り、
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