夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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早くも『潮干狩り』のお便りを読み・・♪  《初出2008.3.8.》

2008-06-08 20:17:08 | 幼年・少年時代の想いで
東京郊外の調布市では、桜の咲くような陽気となり、
ときおり微風が吹けば、春風は甘く、心身恵まれた日中であった。

先程、読売新聞の夕刊を読んでいて、

【 春です 潮干狩り 】

と見出しがあり、記事を読んだりしていた。

記事に寄れば、千葉県・富津海岸に於いて、
東京湾の沿岸のトップで潮干狩り場がオープンした、
と報じられていた・・。

雲ひとつない青空の陽気の中で、若き母と幼児の女の子が、
殆ど風もない中、アサリを採る情景が写し出され、
お互いに微笑みながら、潮干狩りを楽しまれている写真が掲載されていた。


私は昭和33年の4月中旬頃、
中学一年になったばかりの時、学校で潮干狩りに行ったのが想いだされた・・。

あの頃は東京湾の晴海の付近から、木造の遊覧船に乗船し、
稲毛海岸の浜辺でアサリなどを採ったりしていた。

帰宅後、父の妹である叔母に、収穫した潮干狩りの成果を差し出し、
XXくん・・潮吹きが多いわね、
と洗い場で云われたりしていた。

私の幼児の頃は、祖父と父が中心と農家を営んでいたので、
大衆魚以外の魚、貝などは殆ど知らない方が多かったのである。

私は叔母に、やっぱりボクは《里っ子》だよね、
といい訳をしたりしていた。


私の住んでいる調布市では、
この頃までは殆ど平坦な地で田畑、雑木林が残っていた・・。

ある児童本の中のように、
本格的な山里の子供の《山彦》にもなれないし、
かといって海沿いに住む子供の《海彦》でもなかったので、
私は秘かな自分は《里彦》と命名をしたりしていた時であった。

このような思いの里彦を飛躍させ、自身を里っ子と呼んだりしていた。

煮魚、焼き魚は好きな食べ物であるが、
収穫した直接の魚の匂いは、幼児からの体験が少なく不馴れな私は、
齢を重ねた63歳になっても、少し苦手なのが本音でもある。



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