夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『春分の日』、私たち夫婦は長兄宅で談笑した後、お墓参りをして・・。

2024-03-20 14:08:55 | 喜寿の頃からの思い
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後46年の古ぼけた戸建て住んでいる。

こうした中で、毎年『春分の日』の日は、私たち夫婦は、
私の生家の実家となっている長兄宅に行き、

仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。

私はお墓参りに関しては、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、この日の『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。



今朝、快晴に恵まれた青空の中、9時過ぎに長兄宅に行き、
長兄夫婦と1時間ばかり談笑したりした。

こうした中で、今年の誕生日を迎えと長兄は85歳、義姉は77歳となり、
私も80歳、家内は75歳を迎えることとなるので、
お互いに無理しないで過ごしましょう、と語り合ったりした。

何かしら昼過ぎには、処により雷雨が予測されていたので、
お墓参りの最中に遭遇したくないので、少し早めに長兄宅を辞したりした。

そして私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』まで路線バスで行き、そして徒歩5分ぐらいにあるお寺まで行ったりした。

いつものように山門から私たち夫婦は入り、


☆昨今プライバシー(個人情報)の保護に伴い、
       たまたま一週間前に散策に私は訪れて、撮った☆






寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。



この後、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)後、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、

と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。

こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。


そして生前の母と家内は、お互いにある程度の遠慮があった上、
何かと心身の波長が合っていたらしく、私は家内、母に秘かに、
今でも感謝している。



まもなく青空の中、お線香の煙が芳香を残して、
澄み切った空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。

やがて寺を辞した後、現実の身過ぎ世過ぎの生活に帰った。

そして駅前のスーパーで、昼食代わりに季節にふさわしい華やいだお弁当を買い求めて、
駅前より路線バスに乗車して、帰宅したのは午後1時過ぎであった。

尚、幸運にも雷雨にも遭遇せずに帰宅でき、良かったねえ、
と私たち夫婦は、お互いに微笑んだりした。

コメント
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