夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

なぜお寺にアジサイが欠かせないのか? 実は「死」のイメージ、初めて私は学び、真摯に多々教示されて・・。

2018-06-16 12:35:23 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 なぜお寺にアジサイが欠かせないのか? 実は「死」のイメージが・・・ 】と見出しを見てしまった。
 

この時節、こよなく紫陽花(アジサイ)を鑑賞している私は、
《・・なぜお寺にアジサイが欠かせないのか?・・》、そして《・・実は「死」のイメージ・・》、
恥ずかしながら無知であったので、こっそりと学ぼうとして、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、初めて知る鈴子さんの『東京のパワースポットを歩く』のひとつの文で、
【AERA dot.】に於いて2018年6月16日に配信され、
無断であるが殆ど大半を転載させて頂く。

               

《・・梅雨の季節は、うっとうしいものだが、
雨に映える花・アジサイが群生する場所ならば、雨模様であっても見に行きたいと思う方も多いことだろう。

近頃では紫だけではなく、さまざまな色や形のアジサイも登場して、華やかさはひとしおだ。



●アジサイの花はどこ?

ところで、われわれがアジサイの花弁だと思っている場所は、
実はガク(装飾花)で、花はその奥にある小さな濃い色の部分である。
つまりまん丸く見えるほとんどの部分は、花ではなく、ガクなのだ。


今では季節の花として、お店にも並ぶほど人気となったアジサイは、
実は長く観賞用の花として持ち上げられることのなかった花である。

もともとは日本に自生するガクアジサイが原種で、
これがヨーロッパにわたり品種改良され大正時代に日本へ渡ってきたものが、
西洋アジサイとひとくくりに呼ばれている。

現在、われわれが一番目にするボールのようにまんまるい種が、主にそれである。


              

●逆輸入されたアジサイが人気に


「アジサイ寺」という言葉が浸透するほど、6月にはアジサイ観賞で賑わうお寺が、全国各地に広がっている。
これは昔からお寺にアジサイは欠かせない花だったことが、大きな理由だったと思われる。


手がかからず、放っておいても勝手に育ってくれるため、誰にでも育てられるアジサイは、
品種改良や観賞用の草木の栽培など、園芸文化が花開いた江戸の職人たちには、
腕の見せどころがなく、あまり人気がなかったようだ。


こんなアジサイがお寺で重宝されたのは、
季節の変わり目で亡くなる人の多い6月に、仏花として簡単に調達できたためだ。

群生するため、いくつ切り取っても無くなることもないし、
手入れをあまりしなくても、境内が荒れることもない。

加えて「四葩(よひら/花弁が4枚あること)」の別名をもつアジサイが、
「死(4)」をイメージすることも理由のひとつにあった。


こんな背景を持つためか、日本でアジサイが観賞用として人気となるのは、
昭和時代になってからである。

もちろん奈良時代からアジサイは、万葉集などでも詠まれてはいたが、
取り上げられ方は、他の花たちと比較にならないほど少ないのだ。

              

●アジサイ寺の始まりは鎌倉から


西洋アジサイが日本に上陸以来、全国各地で植樹されてはいたが、
「アジサイ寺」の名が世に初めて登場するのは昭和中期で、鎌倉の明月院ではないかと言われている。
アジサイが観賞用として、人気を得てからの歴史は、かなり短いのである。


今では、明月院に代表される鎌倉一帯は、アジサイの名所となった。
明月院の他にも、長谷寺、成就院、東慶寺、円覚寺などアジサイ寺の名は挙げればキリがない。

              

●東京の観賞スポット

全国的に見ても、石川県の本興寺、奈良の長谷寺や矢田寺、宇治の三室戸寺、大阪・四天王寺、
千葉の本土寺、埼玉にも能護寺や金泉寺といった有名どころが点在している。


さて、東京はと言えば、何を置いても白山神社のアジサイ山だろう。
明日17日までは「あじさいまつり」が行われ、神社裏のアジサイが咲き乱れる富士塚が公開されている。

また、日野市の高幡不動尊(金剛寺)は7500株ものアジサイが参拝者を出迎えてくれる名所で、
7月7日まで「あじさいまつり」が行われている。


ところで、われわれは「紫陽花」をアジサイだと思っているが、
紫陽花という漢字を最初に用いた唐の詩人・白居易は、
別の花を表すために当てたものだったらしい。

「紫陽花=アジサイ」は、日本だけで通じる当て字である。

そういえば、江戸時代に日本で活躍したドイツ人医師・シーボルトは、
アジサイに自分の妻・おたきの名をもじった「otaksa」と命名したとか。
長崎には「おたくさ」を冠した、アジサイまつりやお菓子などもあるほど知られた名である。


この花の名がなぜアジサイと呼ばれているか、
青く小さいものが集まった状態(「あぢ=集まる」+「藍」)ではないかと考えられているが、
はっきりした由来は分かっていない。

「移り気」や「無常」といった花言葉を持つ、アジサイらしい歴史である。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               


私は読み終わった後、初めて学んだことは、《・・
アジサイがお寺で重宝されたのは、
季節の変わり目で亡くなる人の多い6月に、仏花として簡単に調達できたためだ。

群生するため、いくつ切り取っても無くなることもないし、
手入れをあまりしなくても、境内が荒れることもない。

加えて「四葩(よひら/花弁が4枚あること)」の別名をもつアジサイが、
「死(4)」をイメージすることも理由のひとつにあった。・・》、
齢ばかり重ねた私は、知らなかったょ、とうなだれたりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としては結婚前後の5年を除き、
この地域に住んで、早や68年が過ぎている。

               

こうした中で、
私は午前中のひととき、殆ど毎日のように付近の住宅街、遊歩道、公園などを散策している。
過ぎし五月の中旬頃から、付近の住宅街を歩くと、あるお宅の垣根に、紫陽花(アジサイ)を見かけると、
梅雨の時節の到来を告げる季節に、まもなくやってくる、と教えられたりしている。

こうした中で、まもなく遊歩道、公園などで早咲きの紫陽花(アジサイ)を見かけ、
長らく見惚(みと)れたりしている・・。

そして小雨が降る中、傘を差してると紫陽花(アジサイ)にを見かけ、見惚(みと)れたりしていると、
確かな美だ、と思いを深めた若き青年時代の年もあったりした。

ここ10年前の頃、テレビのニュースで鎌倉にある明月院に於いて、
あまたの紫陽花(アジサイ)が彩(いろど)る中、数多くの鑑賞に訪れる御方達が映し出されていた。

そして私は紫陽花(アジサイ)が咲く所が、全国で随一ならば了解できるが、
鎌倉の明月院に多くの人がにぎあう中、ゆっくりと鑑賞できないなぁ・・と微苦笑したりした。

               

全国の各地で、それぞれ長年お住まいの地域に、紫陽花(アジサイ)が咲き始める時節、
そして彩(いろど)る情景に、それぞれの御方が、その人なりに心を寄せたりし、
やがて花の終わりを告げる情景・・、月日を共にしてきた地域こそ、
こうしたことが私は心の要(かなめ)としてきた。

こうした心情を私は深めたりし、齢ばかり重ねて、恥ずかしながら9月になれば74歳を迎える。

追記・・この投稿文を発信した後、昼寝をして目覚めた時、
        あじさいは いろつや変えて 移りゆく 
    こうした思いつきの駄句を詠み、ひとり微苦笑している。
コメント
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