夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

低年収リッチほど"なるべく歩く"、年金生活の私は微苦笑しながら学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2017-12-25 13:40:40 | ささやかな古稀からの思い
先程、私は愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中、
【 低年収リッチほど"なるべく歩く"と答える
          高年収ビンボーはジムに頼りがち 】と見出しを見たりした。
   
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
年金生活をしている73歳の身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので,
たったふたりだけの家庭となっている。

そして住宅街が広がる中で、雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は好奇心は衰えず、低年収リッチほど"なるべく歩く"と答える、と標題に、
どういうことなのょ、と思いながら、記事を読んでしまった・・。


         
       
この記事は、ライターの鈴木 工(すずき・たくみ)が
元メガバンク支店長、コンサルタントの菅井敏之(すがい・としゆき)さん、
ファイナンシャルプランナーの畠中雅子(はたなか・まさこ)、長崎寛人(ながさき・ひろと)さんに
取材されて纏(まと)められた記事である。

そして『プレジデント』に2016年11月14日号に掲載されて記事のひとつであり、
関連の『プレジデントオンライン』に2017年12月245日に
配信され、無断ながら転載させて頂く。

 
《・・「高年収ビンボー」と「低年収リッチ」は、どこが違うのか。

雑誌「プレジデント」(2016年11月14日号)では、
「世帯年収1000万円以上だが生活に余裕がない」と
「世帯年収300万円以下だが生活に余裕がある」という人にアンケート調査を実施。

そのなかで「健康のための習慣」について聞いたところ、
低年収リッチの88%が「なるべく歩くようにする」と答えた。
なぜ差がついたのか。3人の専門家に聞いた・・・。

        

☆暴飲暴食しながら、がん保険に加入

「低所得者の死亡リスクは、高所得者の約2倍」・・・近年、注目されるようになった健康と所得の関係。
死亡リスク以外にも、「低所得者の要介護者は、高所得者の5倍」、
「うつ状態の高齢者の割合は、低所得層に多い」などの研究結果が発表されている。

稼ぎがあれば、将来健康を損なうリスクを軽減できるともいえそうだ。
しかし一方で、「お金に頼るあまり、リスク管理を見誤る場合もある」と長崎氏は指摘する。

「たとえば普段から暴飲暴食をしたり、体のケアをほとんどしていないのに、
手厚いがん保険や3大疾病保険に加入して、安心している人がいます。
これはリスク管理として、非常にバランスが悪い。

もっとも重視すべきは、日常の健康管理を徹底すること。
2番目が定期健診で、早期発見・早期治療によって大きな医療費をかけないように注意する。
それでも食い止められない場合、最後の手段として保険や貯蓄が役に立つんです」

それでは老後に備えて、どんな習慣を身につければいいのか。

       

識者の共通した意見は、「あまりお金をかける必要はない」だ。
たとえば、高所得者がよく利用するスポーツクラブ。
多忙ゆえ入会しても、使用頻度が低く、足を運んでもサウナに入って終わりということもありがちだ。

「高い利用費のわりには、意外に見返りが少ない。
それよりも健康にいいのが、日常的に家事をすることです。

風呂掃除をしたり、洗濯したり、全身を使って結構な運動量になります。
奥さんに「家が汚いから、俺がやるんだ」と言うと角が立つから、
「自分の健康のために動きたい」と伝えるのがいいでしょう。

そうやって半径5メートル以内のことは、自分でやる能力を高めると、
家族に喜ばれて将来的にも実りが多くなります」(菅井氏)

また高齢で活躍する経営者に目立つ習慣が早起きだ。
深夜0時前には床に入り、5~6時間の睡眠を取って起床。
さらに半身浴、シャワーなど水を浴びて血流をよくして、朝から仕事をバリバリこなす。
若手より元気ということも珍しくない。


健康促進を心がける人は、サプリメントや健康器具にしばしばお金をかける。
しかし、これらが老後の充実に直結するとは限らない、と畠中氏は見る。

「健康に強くこだわりだすと、目的が自己満足に変わって、キリがなくなる一面があります。
結果、浪費を重ねて、貯金を減らすだけということも。
家計的には健康グッズに走らず、“ほどほどに健康”を追求するスタンスが1番いいのでは」

さらに将来の老いを想定した場合、検診を習慣化することも大事になってくる。

「特に勧めておきたいのは、認知症の検診。
外傷も疾患もない認知症は、自覚症状がほぼなく、周囲も気付かないため、
検査を受ける人が、ほとんどいません。

しかも前兆が出たお年寄りに検査を促しても、拒否されるケースが圧倒的に多い。
人間ドックで健診を受ける際、同時に認知症のチェックを受ける習慣をつくっておきましょう」(長崎氏)

早期発見できれば、金銭面も含めた老後の苦労をいくばくかは、減らせるはずだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

       

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、何かとリストラ烈風の希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。            
             

そして年金生活は、現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

或いは今年の9月、楠木新さんが著作された『定年後』(中公新書)を読んだりすると、
《・・60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、
かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。

それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。
では、その15年をどのように生きるか。・・》

何はともあれ、私は70代を三年ばかり過ごしているが、
裕福には無縁な私でも、年金生活を過ごす中で、楽しき日々を享受している。

      

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
独りで最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身である。

そして帰宅後、買物の責務を終えた後は、やはり独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりし、
このようなことが午前中、ほぼ毎日のように過ごしている。

午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            
こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦のような料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

      

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、

大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりして、記憶のかたみとしている。
             
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

          
☆過ぎし年、旅先で偶然にめぐり逢えた私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の扁額           


平素の私は、ここ数か月は布団にもぐるのは、真夜中の11時前後であり、

目覚めるのは朝の6時半頃が多くなっている。

私は寝ている間は、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは貧富に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

そしてぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床している。

       

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。

一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                          
やがて家内の母が『要介護2』となり、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。
      
私は年金生活の中で、プラス思考で過ごしているが、
やはり私は現役サラリーマン時代には、多くサラリーマンと同様に多忙で出来なかったことを、
定年後の年金生活で自身が好きなことを殆ど叶えられるように過ごしている・・。

      

今回の記事を読み終わった後、年金生活の今は『低年収リッチ』となり、
《・・低年収リッチほど"なるべく歩く"・・》に微笑返しをしたりした。

そして特に《・・“ほどほどに健康”を追求するスタンスが一番・・》に瞬時に同感させられた。

私は午前中のひととき、ほぼ毎日ように独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いているが、
こうした根底のひとつには、もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

しかしながら、歩きながら季節のうつろう情景を眺めたり、見知らぬ御方と談笑するのが
私にとって優先してきたので、“ほどほどに健康”・・に微笑んでしまったりした。

そして今回の記事で明示された認知症の検診・・。
私は70歳を過ぎた頃から、ときおり物忘れも感じてきて、
雑誌などに掲載されている認知症のテスト表で検診したが、対象外、と審査されて安堵したりしている。

こうした年金生活の中、やはり『生きがい』を最優先にして、そして『健康』と『程ほどのお金』があれば、
裕福に無縁な私でも、安楽に過ごせると思いながら、
早や年金生活14年生となっている。


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