夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年末年始のあいさつに「切り札フレーズ」 、こっそりと老ボーイの私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2017-12-28 13:13:19 | ささやかな古稀からの思い

先程、長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 年末年始のあいさつに「切り札フレーズ」  
             疎遠・不仲な相手との関係もリセット! 』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら
ささやかに過ごしている。

そして今回の『 年末年始のあいさつに「切り札フレーズ」・・』と表示された標題に、
齢ばかり重ねているが、好奇心は衰えない私は、どういうことなのょ、と気になり、
こっそりと読んでしまった。

この記事は、実業家で作家エッセイストとしても活動されている臼井由妃(うすい・ゆき )さんが寄稿文であり、
【NIKKEI STYLE】に12月28日に配信され、無断ながら転載させて頂く。 

《・・年末年始の時期は、忘年会・新年会やパーティーなど集まりが多くなります。

その年最後の顔合わせには、日ごろの感謝や相手への尊敬の念を込めて、
気の利いたことを伝えたいもの。

ちょっとしたボタンの掛け違いで仲たがいしている人や、疎遠になっている人、
遠く離れて暮らす友人、知人などにも、年をまたぐタイミングだからこそ、
普段はなかなか伝えにくい思いを表現したくなります。

節目を大切に考える日本人の感性には、そうした心遣いが染みわたるのです。


「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願い致します」、
「良い年をお迎えください」というようなありきたりの言葉は、誰もが口にします。

         

無難ではありますが、そこに個性は感じられません。
大切に思う相手には、ひと工夫した言葉を伝えましょう。

そのメッセージに心を動かされた相手は、
いい意味で自分は特別扱いされているのだと気づき、絆は強まります。
お互いに気持ちよく、新年を迎えられます。


一年を振り返ることが多いこの時期、
仕事仲間や友人、家族などに一番伝えたいひと言を選ぶとすれば
「ありがとう」でしょう。

親しいからこそ案外、「ありがとう」を言わないこともあります。
感謝の気持ちはあるけれど、その都度「ありがとう」を言わないという人も見受けられます。


「ありがとう」は、相手の心にストレートに響く言葉です。
「ありがとう」と言われて、不快な気持ちになる人などいません。

疲れ果てているときや、イライラしているときに「ありがとう」と声をかけてもらえると、
誰しも心が和らぎ元気が出てくるものです。


そして、「ありがとう」と言われたら、
自分も相手に「ありがとう」とお返しをしたくなるもの。

だから、新しい年を迎え、気持ちが改まるタイミングで
「ありがとう」に「プラスのひと言」を添えて送りましょう。


たとえば、同僚や仕事仲間には、「いつもサポートしてくれて、ありがとう」
「気弱な私を元気づけてくれて、ありがとう」
「○○で落ち込んでいるとき、励ましてくれましたね、ありがとうございます」
などの表現があり得ます。

友人には「○○を教えてくれたことが忘れられない、ありがとう」
「いつも愚痴を聞いてくれてありがとう」に
「今度は私が聞き役になるから」と添えてもいいでしょう。

         

家族に伝えたい、感謝の思い

仕事に追われていると、家族への感謝の言葉も忘れがちになります。
「毎日おいしい料理をつくってくれて、ありがとう」
「いつもそばにいてくれて、ありがとう」
「仕事にまい進できるのも君のおかげ、ありがとう」
「短気でごめんなさい、いつも許してくれてありがとう」。

家族にそんな言葉を贈るのにも、年末年始の時期は向いています。


特に何かしてもらった場合でなくても、「うれしい」、「支えてもらっている」、
「教えていただいている」、「助かった」などと感じたときは、
素直な感謝をすぐに伝えるのが、人間関係を円満にする秘訣です。

ふと相手への感謝の気持ちが湧いてくることがあります。


実際、私も「こんなわがままな私に付き合ってくれるのは、○○さんしかいないなあ」
「勝気な私を理解してくれるのは、○○だから」などといった気持ちになることがあります。
そんな場合は唐突でも、必ず「ありがとう」を伝えています。

        

☆疎遠、不仲の相手と関係をリセット

「突然こんなことを言ったら、おかしいかな?」などとためらわないでください。
言わなければ、感謝の気持ちは相手には伝わりません。

年の瀬をいい意味の「口実」にして、
感じたままを素直に言葉にして伝えてみましょう。

仲たがいしている相手にも意地を張らずに
「離れて、あなたの存在の大きさを知りました、ありがとう」
「あなたが大切な人だと改めて思いました、ありがとう」と伝えれば、
お互いに気持ちがリセットされ、いい年を迎えられます。


年末に機会を逸しても、まだ新年があります。
1月上旬までは新年のごあいさつを理由付けに使えますから、
人間関係を整えて気持ちのよいスタートを切りたいものです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                        

この記事を読み終わった後、働いて下さる職場の対人関係、そして家庭について書かれた記事であるが、
年金生活をされている御方でも、通用するよなぁ・・と私は微笑んだりした。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、何かとリストラ烈風の希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

          

私は定年退職後、年金生活を始めた当初、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言した。

そして私は午前中のひととき、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

こうした中、最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように私は午前中の大半は、小庭の手入れ、冠婚葬祭、懇親会、或いは家内と共に国内旅行、
そして家内が買物をする時は、ボディガード兼荷物持ちをする以外は、殆ど毎日している。

                        
      
こうした主な深い思いとしては、定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時代は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信したりした。

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

こうした中、家内は専業主婦の延長戦のような朝夕の料理、そして掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このようなに年金生活を過ごしているが、つたないサラリーマン航路を歩んだ私は、
年金生活を予測した以上に安楽に過ごせるのは、ひとえに家内がいるから過ごせるので、
思いやりの言葉、しぐさは、サラリーマン時代は中小業の会社で鍛えられた私は、
日に一度は少なくとも発露して、
早や14年目となっている。

今回の記事に於いて、ありがとう・・その人なりの思いを込めた感謝の確かな言葉、
そうですよねぇ・・と私は微笑みを重ねたりしている。

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