夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

シニア世代は、幸福の量より多様性を求めた方が、幸福度高い、年金生活の私は学び、微笑み返しを重ねて・・

2017-12-14 15:51:26 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【マネーポストWEB】の中にある『暮らしのマネー』を見ている中で、
【 シニア世代は幸福の量より多様性を求めた方が幸福度高い 】と題された見出しを見た・・。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、やはりシニア世代で年金生活をされている多くの御方たち、
私は友人、知人と交遊したり、たまたま出逢った御方と談笑を重ねたりしているが、
幸福を感じる度合いは、人それぞれと思い深めている私は、
今回の標題に、どのようなことですか・・と思いながら精読してしまった。


この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年12月15日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『マネーポストWEB』で2017年12月12日に配信されていたが、
無断であるが転載させて頂く。
             
《・・シニア世代は幸福の量より多様性を求めた方が幸福度高い
         
             

出世、結婚、資産形成・・・そうした人生の成功要因とされる物差しは、
仕事も子育ても終えたリタイア世代には、通じない。

では長い後半生の“幸・不幸”を分けるものは何なのか。
「行動経済学」の最新研究で、その境界線が見えてくる。

内閣府の調査によれば、シニアの住まいに関する満足度は、
高齢者向け住宅が最も低く、賃貸と持ち家の満足度は倍以上も、持ち家が上。
持ち家神話は健在だった。

もっとも、人は狭い範囲で比較して、幸福度を測る。

例えば、高級住宅街に小さな家を持った人は、最初は満足度が高いが、
次第に、周囲の豪邸と比較して、幸福感がしぼんでいく。

反対に、公営住宅に住んでいる人は、賃貸であることが余り気にならない。

行動経済学の第一人者、筒井義郎・大阪大学名誉教授(甲南大学特任教授)が解説する。
「周囲と比較して、劣等感を感じる環境の場合、引っ越しも幸福度を上げるのに有効な方法でしょう」

このように行動経済学では、数値の単純比較では測りきれない、
人の心理的側面に注目する。

        

幸福度はその最たるものだ。

東洋大学経済学部の久米功一・准教授が語る。
「心理学者マーティン・セリグマンは『幸福の5要素』として、
【1】ポジティブ感情(前向き)、
【2】エンゲージメント(夢中になる)、
【3】リレーションシップ(人間関係)、
【4】ミーイング(意義)、
【5】アチーブメント(達成感)を挙げ、頭文字をとってPERMAと呼んでいます。

日本の高齢男性は、仕事からの幸福感を求めています。
仕事以外の活動、例えばボランティアや家事などに、
幸福の5要素を見いだせていないのかもしれません。

現役世代を含めて、幸せの多様性を追求していくべきでしょう。

幸福度を高めるには、現役時代から夢中になれる趣味を持ち、
リタイアしたら交遊が途切れる会社の同僚ではない、
学生時代の友人や趣味の仲間をつくって、人間関係を広げておくのが大切です。

もちろん、リタイアしてからでも遅くはありません」

幸福老人と不幸老人の最大の境界線は、幸福の多様性を身につけられるか、
どうかにあるのかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

       

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

或いは今年の9月、楠木新さんが著作された『定年後』(中公新書)を読んだりすると、
《・・60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、
かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。

それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。
では、その15年をどのように生きるか。・・》

何はともあれ、私は70代を三年ばかり過ごしているが、
裕福には無縁な私でも、年金生活を過ごす中で、楽しき日々を享受している。

      

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
独りで最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身である。

そして帰宅後、買物の責務を終えた後は、やはり独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりし、
このようなことが午前中、ほぼ毎日ようの過ごしている。

午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            
こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦のような料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

      

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、

大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
             
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

          
☆過ぎし年、旅先で偶然にめぐり逢えた私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の扁額           


平素の私は、ここ数か月は布団にもぐるのは、真夜中の11時前後であり、

目覚めるのは朝の6時半頃が多くなっている。

私は寝ている間は、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは貧富に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

そしてぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床している。

       

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。

一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                          
やがて家内の母が『要介護2』となり、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。
 
私は年金生活の中で、プラス思考で過ごしているが、
やはり私は現役サラリーマン時代には、多くサラリーマンと同様に多忙で出来なかったことを、
定年後の年金生活で好きなことが殆ど叶えてきているので、満足しながら、
早や年金生活14年生となっている。

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