夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

6月17日の日曜日は『父の日』、少なくとも感謝を込めて、ねぎらいの言葉を秘かに願い

2012-06-12 10:58:20 | 時事【社会】
ここ2週間くらい、新聞の折込チラシの中で、デパート、スーパーなどの多くは、
来る17日の日曜日の『父の日』に際して、贈り物の商品が掲載されている。

昨日も私はあるデパートのチラシを見たりした。
《 Father’s Day
     頼もしい、その背中へ。ありがとうの想いとともに。》
と大きく明記されて、お洒落なニットタイ、高級なポールペン、麻生地の「甚平」、
涼しそうなアロハシャツなどの商品が掲載されていて、
私は思わず微笑みながら見たりした。

私の父は、私の小学2年の時の1953〈昭和28〉年の春に病死され、
家内の父は、私のサラリーマン定年退職の直前の2004〈平成16〉年の秋に他界された上、
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなく、もとより孫もいなく、
私の家族は、『父の日』に無縁となっている。

このような事情で、私としては父親の資格もなく、語る資格もないが、
何かしら父親が存命している、ご愛息(あいそく)・ご愛嬢(あいじょう)に、
秘かにお願いをしたいことがある・・。


子供の立場として、男子たる場合は幾つになっても『母親』を何かと慕(した)い、感謝し、
『父親』は何かと二の次になることが多いと思われる。

特に成人した頃からは、父親が現役で奮闘している場合は、
息子は何かとライバル視する傾向が多く、素直な父と息子の親子の心情のふるまいや会話ができなく、
やがて父が高齢者になり、しぐさが衰えたり、或いは死去されて、
初めて父親が家庭を守る為に、孤軍奮闘してきた長年の言動に気付き、
遅ればせながら父の軌跡に感銘を覚えることが多いと思われる。

女の子の場合も『母親』を日頃から何かとまといつきながら重視しがちであり、
父親からすれば、自身の愛(いと)しき妻よりも、遥かにご自分の娘がこの世界で一番可愛い、
と私の多くの知人から聞いている。

こうした心情、情念もさることながら、
未成年、成人した子供を問わず、たとえプレゼントする品がなくとも、
『お父さんのお陰で・・』
と何かしら感謝の言葉を父親に労(ねぎら)いの一言を切に願っている。

私は叶(かな)うことの出来ない夢として、私が高校生であったならは、
『父上さまのお陰で・・高校生活が楽しく過ごせています・・
不束(ふつつか)な息子でありますが、しばらくはご面倒の程をよろしくお願い致します。
父上さまもお身体を程ほどにご自愛下さい。』
と父親の前で正座して、感謝の言葉を重ねる、と夢想している。


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コメント (2)
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