夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

梅雨の時節なのに、どうして『水無月』なの、せんなきことを思い浮かべて・・。

2012-06-10 16:10:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者2年生の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

今朝、家内と共に朝食を頂き、まもなく家内は新聞に添付されてスーパーのチラシを見た後、
『駅前に買い物に行きましょう』
と私に言った。

何かしら私の夏用の下着、靴下とか洗剤関係が廉(やす)いらしく、
布団のシーツ、雑貨品などを買い求めらしく、私を誘った、と解った。

『はい! 突然だけど・・行きましょう!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないくらいkの明るく大きな声で応じた。
年金生活の中、何かと家事の大半は家内をしているので、
せめて家内のボディ・ガード、荷物持ちをして、お供をしなければ、
一家の主(あるじ)としての責務が果たせないと私は確信しているのである。

その後、私たち夫婦は家を出て、川沿いの遊歩道を20分ぐらい歩いた先の駅前のスーパー2店をめざした。
私は多くの品を購入する時、我が家は自動車もないので、
買物の引き車と称される『キャリーカート』を曳〈ひ〉いて、夏の帽子を深くかぶり颯爽と歩いた。
家内は私より数歩先で日傘を差して、歩いた。

そして駅前のスーパーで私は最寄りのスーパーの前で、家内と別れて、
本屋に向った。

30分ぐらいで私が購入した本は、総合月刊雑誌の『文藝春秋』7月号、
そして高峰秀子・著作の『忍ばずの女』(中公文庫)、新田次郎・著作の『小説に書けなかった自伝』(新調文庫)、
浦西和彦・編集の『「酒」と作家たち』(中公文庫)の文庫本の三冊であった。

この後の私は、駅前の広場にある大きな欅(けやき)の周囲にある片隅みのベンチに座った。
緑陰で風吹くに中、家内を待ちわびていると、
昨日に『梅雨入り』が公表されたが、確か6月は『水無月(みなづき)』と旧暦では称していたが、
雨降りことが多いのに、どうしてなのかしら、と思い浮かべたりした・・。

昨今、物覚えが悪くなったと苦笑したりし、
確か年金生活を始めた頃に、学んだことがあったよなぁ、と思いはせたりした。
そして周辺に人がいないことを確認して、煙草を喫い始めて、まもなくして、
《・・「みなづき」の「な」は、もともとは「の」をあらわす用語であり、
つまり「水の月」という意味・・》
知識人の藤野邦夫さんから、教示されたことを思いだしたのである。

こうしたことを私は思いだしながら、せんなきことに齢を重ねるたびに思い浮かべることが多くなり、
私は苦笑したりした。

その後まもなくして、家内の姿を見かけ、大きな手提げ品を持っていたので、
私は近寄った。

『もう一軒・・今度は食糧品を』
と家内は微笑みながら私に言った。

『食糧品かょ・・はい! 行きましょう!』
と買い求めた本を早く帰宅して読みたいと思っていた私は、
少しためらった後、明るく大きな声で応じた。

結果として、私たち夫婦が帰宅したのは午後2時であった。

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