私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、映画棚から黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)のヒデオテープを取り出して、
居間で視聴した。
もとよりこの名作は少なくとも私は30数回は観ているのが、
過ぎ去りし2週間の中で、映画の脚本家の橋本 忍・著の『複眼の映像 私と黒澤明』(文春文庫)、
そして村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)を再読したりしてきたので、
改めて視聴したのである。
こうしたことを踏まえた上で、脚本の橋本忍、黒澤明、そして小国英雄の3氏に寄る共同脚本で、
改めて構成はもとより、多くのが出演されたセリフのひと言でも無駄はなく、
とぎすまれた展開に改めて感心させられたのである。
この名画は、それぞれの七人の個性があふれたことが魅了される要因であり、
ユル・ブリンナーがこの『七人の侍』に感銘を受け、
やがて脚本を買い取り、製作した『荒野の七人』(1960年)もあることも周知の事実である。
私は観賞し終わった後、七人の侍のそれぞれの私の好みが、
遅ればせながら1964(昭和39)年に初めて映画館の名画座で初めて観た時から、
私の年代と共に変貌していたことに気付かされたのである。
七人の侍のそれぞれの特徴は、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説文をお借りすると、
《・・
☆島田勘兵衛(志村喬)
そろそろ五拾に手が届く歴戦の武士だが、敗戦ばかりで今は浪人。
白髪が目立つ風貌で若い頃の夢も情熱も枯れかかって、どこかしら静かに生活がしたいと望んでいる。
豪農の子供を盗人から救ったことで利吉達に助けて欲しいと頼まれる。
当初は乗る気にならなかったが、百姓達の苦痛を負け引き受けることを決意する
40騎の野武士と戦うなら少なくとも七人は侍が必要と判断する。
戦略家で冷静なリーダー。
上泉伊勢守信綱がモデルになっている。
☆片山五郎兵衛(稲葉義男)
勘兵衛の右腕的存在。
いつでも静かでおだやかだが、その物柔らかさの下に何か人をなだめるような力がある。
軍学は相当でき経験豊富な浪人。
茫漠たる風貌。
塚原卜伝をモデルにしている
☆七郎次(加東大介)
勘兵衛の最も忠実なる家臣。
何時もその影のように付き添って戦ってきた。勘兵衛いわく「古女房」。
勘兵衛の顔付きだけで、その求むるところを知り、ただちにそれに従って動く。
落ち武者となって竹槍で追われた経験があり その憎しみは強い。
一番大きな特徴は無私という事である。
☆林田平八(千秋実)
苦境の中でも深刻にならない、愛想の良い浪人。
若く明るく柔軟で生まれつき人懐っこく、その性質が好かれてすくすくと伸びてきた。
ふざけやで、冗談ばかり言っており道化が大好きなように見え、菊千代をよくからかっている。
神経が細かく、全てによく気がついているが リーダーになって何かやるのは不得意である。
武士としての腕は少し心もとない(五郎兵衛は「腕は中の下」と評する)。
「戦に何か高く翻げるものがないと寂しい」とトレードマークとなる旗を作る。
☆久蔵(宮口精二)
修業の旅を続ける凄腕の剣客。無口-傲慢-冷酷、兵法の鬼。
自分自身を、非人間的な戒律で縛っているためストイックである。
世の中で頼りになるのは自分の腕だけだと思っており、
勘兵衛は「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった男」と評する。
しかしそれは必死の彼の努力であり、本当は優しい男である。
宮本武蔵がモデルである。
☆岡本勝四郎(木村功)
育ちがいい裕福な郷士の末っ子で半人前の浪人。
浪人になりたいと親に頼んでも許さないので家を飛び出して旅をしている。
勘兵衛の姿にあこがれて付いて行こうとするが勘兵衛に浪人の辛い現実を教えられ一時動揺している。
総てが新しい経験ばかりで総ての事件を若々しい敏感な感情で受け取っている。
勘兵衛達からは「まだ子供だ~」とよく言われている。
森の中で百姓の娘の志乃と出会い互いに惹かれ合う。
☆菊千代(三船敏郎)
勘兵衛の強さに惹かれ勝手についてきた山犬のような男。
長大な刀を肩に担いで浪人のように振舞っているが勘兵衛にすぐに「貴様、侍か?」と元々は武士ではないと見破られる。
酒癖が悪く勘兵衛達の前で酒乱状態になるが平八に見事にハメられてからかわれる。
「菊千代」という名前は勘兵衛に自分が侍だと思われたいがために他人の家系図を勝手に盗んで名乗った名前(すぐにバレる)で、
後に仲間として受け入れられた時にそのまま定着してしまう(本名は不明)。
百姓のことに関して知識が非常に多いが実は元々は百姓の出で、戦災孤児だった。
型破りで特別に血がたぎった熱い男で、百姓と侍を結びつける仲介役。
獰猛な男だが、戦うときは勇敢に戦う。(ただし戦いは喧嘩のように荒々しい)
久蔵をライバル視している。
・・》
注)原文にあえて改行などを多くした。
このように侍の特徴を明記され、それぞれの個性を発露されながら、
奮闘してお互いに補完しあう展開しなっている。
私は遅ればせながら25歳より民間会社に中途入社し、
中小業の為か何か時代に翻弄され苦楽の多いサラリーマン生活を35年間ばかり勤めて、
定年退職をした拙(つたない)い身である。
こうした体験が影響したと思われるが、
若き頃の血気盛んな時は、圧倒的に菊千代(三船敏郎)に魅了されたのである。
もとより島田勘兵衛(志村喬)のような戦略家で冷静なリーダーになれず、
ときおり久蔵(宮口精二)のような存在になりたいと憧(あこが)れたりした。
そして片山五郎兵衛(稲葉義男)のような軍学は相当でき経験豊富な人、
七郎次(加東大介)のように影のように付き添って戦ってきた人には、
私の性格からして遥か遠い存在なのである。
その上、岡本勝四郎(木村功)のような人には、私としては論外であった。
昨今、私の人生のこれまでの歩みは、何かしら林田平八(千秋実)のような存在だったのかしら、
と微苦笑を重ねたりしている。
人それぞれ、ご自分が何よりも愛(いと)しく、私にとっては林田平八(千秋実)は合わせ鏡、
とも思え苦笑したりしている。
尚、この『七人の侍』の出演された中で、七人の侍を除外した時、何よりも魅了されたのは
《意気地が無く、すぐに泣きべそをかく百姓。かなりのドジ。浪人探しに町へ出る。菊千代とは名コンビ》
と称せられた与平(左卜全)の存在である。
左卜全は数多くの映画に好演技をされたお方であるが、この一作でも映画史の残る存在感を示した、
と強く私は感じたりしている。
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昨夜、映画棚から黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)のヒデオテープを取り出して、
居間で視聴した。
もとよりこの名作は少なくとも私は30数回は観ているのが、
過ぎ去りし2週間の中で、映画の脚本家の橋本 忍・著の『複眼の映像 私と黒澤明』(文春文庫)、
そして村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)を再読したりしてきたので、
改めて視聴したのである。
こうしたことを踏まえた上で、脚本の橋本忍、黒澤明、そして小国英雄の3氏に寄る共同脚本で、
改めて構成はもとより、多くのが出演されたセリフのひと言でも無駄はなく、
とぎすまれた展開に改めて感心させられたのである。
この名画は、それぞれの七人の個性があふれたことが魅了される要因であり、
ユル・ブリンナーがこの『七人の侍』に感銘を受け、
やがて脚本を買い取り、製作した『荒野の七人』(1960年)もあることも周知の事実である。
私は観賞し終わった後、七人の侍のそれぞれの私の好みが、
遅ればせながら1964(昭和39)年に初めて映画館の名画座で初めて観た時から、
私の年代と共に変貌していたことに気付かされたのである。
七人の侍のそれぞれの特徴は、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説文をお借りすると、
《・・
☆島田勘兵衛(志村喬)
そろそろ五拾に手が届く歴戦の武士だが、敗戦ばかりで今は浪人。
白髪が目立つ風貌で若い頃の夢も情熱も枯れかかって、どこかしら静かに生活がしたいと望んでいる。
豪農の子供を盗人から救ったことで利吉達に助けて欲しいと頼まれる。
当初は乗る気にならなかったが、百姓達の苦痛を負け引き受けることを決意する
40騎の野武士と戦うなら少なくとも七人は侍が必要と判断する。
戦略家で冷静なリーダー。
上泉伊勢守信綱がモデルになっている。
☆片山五郎兵衛(稲葉義男)
勘兵衛の右腕的存在。
いつでも静かでおだやかだが、その物柔らかさの下に何か人をなだめるような力がある。
軍学は相当でき経験豊富な浪人。
茫漠たる風貌。
塚原卜伝をモデルにしている
☆七郎次(加東大介)
勘兵衛の最も忠実なる家臣。
何時もその影のように付き添って戦ってきた。勘兵衛いわく「古女房」。
勘兵衛の顔付きだけで、その求むるところを知り、ただちにそれに従って動く。
落ち武者となって竹槍で追われた経験があり その憎しみは強い。
一番大きな特徴は無私という事である。
☆林田平八(千秋実)
苦境の中でも深刻にならない、愛想の良い浪人。
若く明るく柔軟で生まれつき人懐っこく、その性質が好かれてすくすくと伸びてきた。
ふざけやで、冗談ばかり言っており道化が大好きなように見え、菊千代をよくからかっている。
神経が細かく、全てによく気がついているが リーダーになって何かやるのは不得意である。
武士としての腕は少し心もとない(五郎兵衛は「腕は中の下」と評する)。
「戦に何か高く翻げるものがないと寂しい」とトレードマークとなる旗を作る。
☆久蔵(宮口精二)
修業の旅を続ける凄腕の剣客。無口-傲慢-冷酷、兵法の鬼。
自分自身を、非人間的な戒律で縛っているためストイックである。
世の中で頼りになるのは自分の腕だけだと思っており、
勘兵衛は「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった男」と評する。
しかしそれは必死の彼の努力であり、本当は優しい男である。
宮本武蔵がモデルである。
☆岡本勝四郎(木村功)
育ちがいい裕福な郷士の末っ子で半人前の浪人。
浪人になりたいと親に頼んでも許さないので家を飛び出して旅をしている。
勘兵衛の姿にあこがれて付いて行こうとするが勘兵衛に浪人の辛い現実を教えられ一時動揺している。
総てが新しい経験ばかりで総ての事件を若々しい敏感な感情で受け取っている。
勘兵衛達からは「まだ子供だ~」とよく言われている。
森の中で百姓の娘の志乃と出会い互いに惹かれ合う。
☆菊千代(三船敏郎)
勘兵衛の強さに惹かれ勝手についてきた山犬のような男。
長大な刀を肩に担いで浪人のように振舞っているが勘兵衛にすぐに「貴様、侍か?」と元々は武士ではないと見破られる。
酒癖が悪く勘兵衛達の前で酒乱状態になるが平八に見事にハメられてからかわれる。
「菊千代」という名前は勘兵衛に自分が侍だと思われたいがために他人の家系図を勝手に盗んで名乗った名前(すぐにバレる)で、
後に仲間として受け入れられた時にそのまま定着してしまう(本名は不明)。
百姓のことに関して知識が非常に多いが実は元々は百姓の出で、戦災孤児だった。
型破りで特別に血がたぎった熱い男で、百姓と侍を結びつける仲介役。
獰猛な男だが、戦うときは勇敢に戦う。(ただし戦いは喧嘩のように荒々しい)
久蔵をライバル視している。
・・》
注)原文にあえて改行などを多くした。
このように侍の特徴を明記され、それぞれの個性を発露されながら、
奮闘してお互いに補完しあう展開しなっている。
私は遅ればせながら25歳より民間会社に中途入社し、
中小業の為か何か時代に翻弄され苦楽の多いサラリーマン生活を35年間ばかり勤めて、
定年退職をした拙(つたない)い身である。
こうした体験が影響したと思われるが、
若き頃の血気盛んな時は、圧倒的に菊千代(三船敏郎)に魅了されたのである。
もとより島田勘兵衛(志村喬)のような戦略家で冷静なリーダーになれず、
ときおり久蔵(宮口精二)のような存在になりたいと憧(あこが)れたりした。
そして片山五郎兵衛(稲葉義男)のような軍学は相当でき経験豊富な人、
七郎次(加東大介)のように影のように付き添って戦ってきた人には、
私の性格からして遥か遠い存在なのである。
その上、岡本勝四郎(木村功)のような人には、私としては論外であった。
昨今、私の人生のこれまでの歩みは、何かしら林田平八(千秋実)のような存在だったのかしら、
と微苦笑を重ねたりしている。
人それぞれ、ご自分が何よりも愛(いと)しく、私にとっては林田平八(千秋実)は合わせ鏡、
とも思え苦笑したりしている。
尚、この『七人の侍』の出演された中で、七人の侍を除外した時、何よりも魅了されたのは
《意気地が無く、すぐに泣きべそをかく百姓。かなりのドジ。浪人探しに町へ出る。菊千代とは名コンビ》
と称せられた与平(左卜全)の存在である。
左卜全は数多くの映画に好演技をされたお方であるが、この一作でも映画史の残る存在感を示した、
と強く私は感じたりしている。
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